超高速「奥の細道」

今日は朝に水道橋宝生能楽堂で、土曜日開催の「五雲会」の申合がありました。

私は能「俊成忠度」の地謡を勤めました。

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「俊成忠度」は”和歌”に深く関わる曲です。

そして今日5月16日(旧暦では3月27日)は、和歌ではありませんが”俳句”の松尾芭蕉が、千住大橋のたもとから「奥の細道」の旅へと出発した日だそうなのです。

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全くの偶然ですが、今日私は五雲会申合の後に夕方から仙台稽古の予定でした。

千住大橋ならぬ上野駅から、徒歩ならぬ東北新幹線に乗って超スピードで白河の関を越えて、奥へと旅立ったのです。

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あっという間に仙台に到着すると、長いアーケード街を通って稽古場に向かいました。

すると、こんな光景が目に入りました。

祇園祭の”山鉾”のようですが、これは今週末に行われる「青葉まつり」で巡行する山鉾でした。

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しかしよく見ると、京都の山鉾とはちょっと趣きが違います。

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恵比寿様がドーンと載っているもの。

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巨大な和太鼓が据えられたもの。

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大きな鯛の載った鉾の周囲には、何故か無数の”絵馬”が下がっています。

こうなると、もはや「森見登美彦」の世界のようです。。

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他にもこんな鉾が。

上に載っているのは…

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なんと兜を被った伊達政宗公でした。

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実はこの仙台の「青葉まつり」は、1985年に伊達政宗公の没後350年を記念して復活したお祭りだそうなのです。

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ちょっとシュールな山鉾達を鑑賞しつつ稽古場に到着しました。

俳聖芭蕉ならば、山鉾のことを一首の俳句に詠んだかもしれません。

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しかし全く心得の無い私は、稽古を終えると再び東北新幹線に乗って、超スピードで白河の関を越えて上野へと帰ったのでした。

わずか数時間の”みちのくの旅”でした。

カンカン森通り散歩

10連休も終盤になりました。

今日は私にとって連休中最後の空いている1日でした。

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実は自宅近所に以前から気になっている道がありました。

そこを今日は探索してみようと思い立ったのです。

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「カンカン森通り」。

最初に発見したのは夜に家に帰る途中で、何か突拍子も無いネーミングに思われました。

しかし調べてみるとなんと「カンカン森」とは400年近い歴史のある古い名前だったのです。

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三ノ輪の自宅から徒歩3分で「カンカン森通り」の入り口があり、そこから日暮里駅方面に道なりに10分程歩くと…

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マンションの隙間に小さな社がありました。

境内の広さはせいぜい5×10m程です。

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この社は「猿田彦神社」。

そして「カンカン森」とは正式には「神々森」と書くのでした。

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境内に由緒書きがありました。

それによると、今から約370年前に猿田彦神を祀って建立された神社だということです。

ちょうどその頃に、この辺りが非常に風景が良くて日の暮れるのを忘れて過ごしてしまう里であったために「日暮里」の名前で呼ばれるようになったとも書いてありました。

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この神社は「日暮里」の歴史を現代までずっと見守ってきたのですね。

そして大正時代までは境内はもっとずっと広く、木々が生い茂って昼なお暗い雰囲気でした。

その神々しさに、人はこの地を「神々森」と呼んでいたのだそうです。

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この猿田彦神社では毎年9月1日に例大祭が行われるそうで、境内横には御神輿でも仕舞ってあるのか倉庫が並んでいました。

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今年の9月1日にはそのお祭りを是非見てみたいものです。

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旅の神様でもある猿田彦神様に、明日からまた始まる移動の日々の無事を祈って社を後にいたしました。

静かに暮れていく連休最後の1日でした。

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善知鳥峠の謎

昨日のブログを読んでくださった方より、「地名や会の名前に振り仮名をつけてほしい」とのお便りをいただきました。

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確かに「石和川(いさわがわ)」などは、山梨に縁の無い人や遠くの土地の人には読み辛い漢字ですね。

今後はそのような漢字には出来るだけ読み仮名をふるようにいたします。

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読みの難しい地名、というので思い出したことがありました。

先日松本稽古場の方より、長野県塩尻市に「善知鳥峠」という峠があると伺ってちょっと驚いたのです。

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謡をやっている人ならば、「善知鳥」という曲があるので「うとう峠」とすぐに読めるでしょう。

しかし驚いたのはそこではなく、「何故長野県の中心部に善知鳥峠があるのだろうか?」ということでした。

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能「善知鳥」は陸奥の話であり、”善知鳥(うとう)”という鳥もやはり北国に住む海鳥なのです。

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おそらく能の「善知鳥」とは全く関係無い由来があるのだろうと思い、調べてみると更に驚きました。

なんと「善知鳥峠」の由来になった昔話があり、それは能「善知鳥」の前日譚にあたるそうなのです。

以下がその昔話です。

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北の国の猟師が「善知鳥」という珍しい鳥の雛を捕らえました。

猟師は息子を伴って、その雛を都に売りに行こうとします。すると親鳥が子供を取り返そうといつまでも後をついて来ます。

やがて塩尻の峠にさしかかると吹雪になりました。

猟師はついに前に進めなくなり、その周りを善知鳥の親鳥は「うとう、うとう」と鳴きながら飛び回っていました。

翌朝吹雪が止んで、村人たちは猟師の息子の泣き声を聞きました。行ってみると、吹雪から息子を庇って死んだ猟師を見つけました。

そしてその横で、やはり鳴いている雛鳥と、雛鳥を庇って息絶えた親鳥を見たのです。

哀れに思った村人はそこを「善知鳥峠」と名付けて弔ったのでした。

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…という話の後に、能「善知鳥」のストーリーがあるというのです。

確かに2つの話は一応矛盾無く繋がります。

しかし、現在の青森県辺りの海岸から、海鳥の雛を京都まで歩いて運ぶというのは、かなり非現実的です。

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とは言えここまで詳細な昔話が残っているということは、長野県塩尻の「善知鳥峠」と、青森の海岸で「善知鳥」を捕らえた猟師との間には、やはり何らかの関わりがあったのでしょうか…。

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またひとつ興味深い謎が増えました。

この「善知鳥峠」に纏わる話は、今後もっと調べてみたいと思います。

また「善知鳥峠」という場所も、松本稽古の際にでも是非実際に訪れてみたいものです。

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今日はいよいよ平成最後の日になりました。

明日から始まる新しい時代に期待しつつ、静かに平成最後の数時間を過ごしたいと思います。

“無名橋”という名前の橋

今日は1日ぽっかりと予定のない日でした。

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そこで、6月に舞う能「鵜飼」の舞台である「石和川」を見に行ってみようかと思い立ちました。

いつも松本稽古で通過している中央本線の「石和温泉」という駅で降りれば良いはずです。

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勇んで家を出て新宿駅に向かいました。

そして中央本線のホームで次の「特急かいじ」の指定席特急券を購入しようとすると、なんということか券売機に「✖︎」の表示が。

「特急かいじ」は大月まで満席で、立って行かねばならないというのです。。

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更に次の特急まで1時間半待つのも馬鹿らしいと思い、あっさり石和川行きを断念しました。

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ものすごい人混みの新宿駅南口を出て、とりあえず昼ごはんを食べる場所を探してフラフラと歩いて行きました。

すると途中の交差点で「澤田さん?」と声をかけられて驚きました。

相手は良く見知った金春流若手能楽師だったのです。

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「何してるんですか?」

と問われて、

「えーと、話せば長くなるのだけどこの辺をフラフラしているんです…」

となんだか情け無い声で答えて彼と別れて、更に歩いていきました。

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空いている中華料理屋を見つけて昼ごはんを済ませ、「今日は歩く日にしよう!」と心に決めてまた歩き出しました。

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新宿御苑→神宮外苑→青山→乃木神社→日枝神社→国会議事堂前→日比谷公園と歩いて、野外音楽堂でやっているライブの音を聴きながらひと休み。

ベンチに腰掛けてこのブログを書いているのです。

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今日一番心に残ったのが下の写真の橋でした。

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無数にあるどんなに小さな橋にも名前がついているこの東京で、「無名橋」とは。

しかし「無名橋」というのはむしろ強い印象を残す”名前”だと思いました。

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その「無名橋」からは、JRの線路と首都高速道路が同時に見えて、なかなかの眺めでもありました。

「無名橋、頑張れよ!」と心の中で応援しながら渡ったのでした。

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さて、休憩終了。

またテクテクと歩いて、行けるところまでいきたいと思います。

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石和川には行けませんでしたが、久しぶりに無目的にのんびりと歩けて「無名橋」にも出会えて、大満足の休日になりました。

タイムトラベルものの能

今読んでいる本は、いわゆる「タイムトラベルもの」のSFです。

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ある機械を使うと、任意の過去へと移動することができます。

しかしその代償として、二度と元の時代には帰れず、遡った時間を二乗した年数を加えた未来へと弾き跳ばされてしまう、という設定です。

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つまり10年前に移動すると、帰りは約100年先に跳ばされてしまうことになります。

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一方私は今日は、青森稽古のために午後から東北新幹線で移動しました。

桜のほぼ散り終わった上野→正に満開の福島→まだ蕾の岩手と、SF本をめくりながらの移動だったので、自分も時間を遡っているような気分になりました。

ただし私は、せいぜい2019年春の盛りから、1ヶ月ほど前の季節への旅です。

そして明日の午後には、ちゃんと元の東京に戻っていられるはずです。

手軽で安全な東北への擬似タイムトラベルなのでした。

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ちなみに能楽でも、何となく「タイムトラベル」を思わせる曲がいくつかあります。

例えば能「野宮」。

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ワキ旅僧が嵯峨野の”野宮の旧跡”にやって来ると、何故か”黒木の鳥居”は古びておらずに昔と変わらない綺麗な状態でした。

これは、旅僧を取り囲む”場”が過去へと遡ったとも考えられると思います。

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「野宮」の最後は曖昧に終わるので、ワキ旅僧が元の世界に帰れたのかわかりません。

もしかして僧が未来に跳ばされて、2019年の野宮神社に現れたりしたら。

物凄い数の修学旅行生や外国人観光客に囲まれて、さぞかし困惑するでしょう。。

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それはそれで面白いストーリーになりそうだと、やはりSFに影響された思考で思ったのでした。

伊豆原木散歩2019春

今日は伊豆大仁で稽古でした。

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大仁に向かう途中の伊豆箱根鉄道「原木」という駅の近くには、私の好きな大きな枝垂れ桜があります。

もしかして今頃が見頃かも…と期待して、少し早く家を出ました。

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原木駅に着いて、歩いて10分足らずでもう枝垂れ桜のある場所に到着します。

民家に囲まれた場所にあるので、駐車場から遠慮がちに覗いてみました。

すると…

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ガーン。

なんと既に花は完全に終わって、葉桜になっていたのでした。。

今年はこの桜とは縁がなかったようです。

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しかしまだ次の電車まで時間はあったので、気を取り直して近くの「狩野川」の土手に上がってみました。

そして行ったことの無い方向に歩いてみることにしました。富士山のある方向ですが、今日は愛鷹山の向こうは厚い雲に覆われていました。

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少し歩くと土手に沢山の”菜の花”が咲いていました。春らしい光景です。

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半分ほどは”白い菜の花”でした。少しですが”薄紫色の菜の花”も混じっています。

白や薄紫色の花は、同じアブラナ科でも大根の仲間のようです。

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更に愛鷹山を見ながら土手を歩いていくと、向こうから変わった人が走って来ました。

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とても大きな直径の一輪車に乗っているのです。

ハンドルやライトのような物も付いており、かなりのスピードで疾走してきます。

これは楽しそう!いつか乗りたい!と、思わず写真を撮ると、渋いおじさんはすれ違い様に控え目に手を上げて応えてくれました。

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なんだか嬉しくなって、一輪車おじさんが走って来た狩野川の支流の方に曲がってみました。

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少し歩くと、先の方に小さな橋が架かっています。

たもとに着いて看板を見ると…

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おお、これが「蛇ケ橋」でしたか。

源頼朝が三島大社に参拝した帰り道、大雨で増水したこの川を渡れずにいると、1匹の大蛇が現れて橋となってくれたという伝説があるそうです。

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実はそれ以上に覚えていたのが、以前にはこの「じゃが橋」のすぐ横に外車の”ジャガー”の販売店が本当にあったという笑い話です。

そして更に「新じゃが橋」というちょっと美味しそうな看板も近くにあると聞いていたのですが、残念ながら探す時間がありませんでした。

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原木駅に戻る途中、伊豆箱根鉄道の線路脇で見つけたのが…

「りんごの花」でした。

青森や長野よりもかなり早い開花だと思われます。

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今日は「原木の枝垂れ桜」には振られてしまいましたが、かわりに色々面白い物に出会えて大満足の40分程の原木散歩でした。

それにしてもあの”スポーツタイプ一輪車”は気になるので、また情報を集めてみたいと思います。

花まつりの夜桜見物

毎年今頃の時期には色々な土地で桜を見るのですが、「その年一番記憶に残る桜」というのが必ずあります。

過去には大仁稽古に行く途中の「原木の枝垂れ桜」など。

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そして今年はまだ、そんな桜に出会っていませんでした。

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今日は夜から芦屋稽古で、少し早く芦屋駅に到着してしまいました。

どこかで本でも読んで時間を過ごそうかと考えて、「そういえば芦屋川の桜が見頃かもしれない」と思いつきました。

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駅から歩いて数分でもう芦屋川です。

期待した通り桜は丁度満開で、ライトアップもされていました。

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空を見上げれば切れそうな細い月が出ています。

魚は”釣針”と疑い、鳥は”弓”かと驚きそうな月です。

写真ではとても小さくて見えづらいですが、左上の角に写っています。

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桜並木は「業平橋」のところまで続いていました。

そこで「月やあらぬ…」という業平の歌が思い出されましたが、あれは梅が咲いている頃の歌でしたね。

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今日はお釈迦様の誕生を祝う「花まつり」の日でした。

花まつりの夜に満開の夜桜に行き逢うのも何かの縁かもしれません。

今年の「記憶に残る桜」は、今のところ今宵の”芦屋川の夜桜”ということになりそうです。

暮れかけの空の群青色と桜色のコントラストがなんとも綺麗でした。

奥の細道スタート地点

昨日は素盞嗚神社の「桃まつり」を見た後に、千住大橋を渡りました。

渡った地点は橋の北西詰めで、そこには小さな公園があります。

公園にはこんな看板がありました。

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読んでみると、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのが1689年の3月27日(旧暦ですが)

とありました。

この公園訪れた日が3月25日だったので、ちょっと驚きました。

そしてせっかくなので、周囲を少し歩き回ってみました。

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堤防を乗り越える階段があり、そこから隅田川の河原に降りられました。

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河原にはこんなものがありました。

「全国河番付」

そして…

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「全国橋番付」。

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いずれも、「隅田川」と「千住大橋」が行司役になっていました。

確かに目の前の隅田川も、頭上に掛かる千住大橋も、どちらも大きさと風格を兼ね備えた立派な姿です。

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そして、千住大橋の下を見ると、何か小さな橋がかかっているのが見えました。

京都では、平行に流れる”鴨川”と”高瀬川”にかかる橋で「四条大橋」、「四条小橋」と呼び分けられています。

しかしこちらは「千住大橋」の下を横切る「千住小橋」。

なんだか「千住小橋」を応援したくなりました。

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千住小橋を潜った先には、江戸の昔に船が着いた場所という「御上がり場」がありました。

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芭蕉も3月27日の黎明にこの辺りから岸に上がって、北への旅に出たのでしょうか。

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実は恥ずかしながら「奥の細道」を読破したことがないので、今回の御縁で改めて読んでみたいと思っております。

御茶ノ水の桜、亀岡の蓑虫

昨日、別会能の申合の後に水道橋宝生能楽堂から秋葉原まで歩く途中のことです。

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ボーッと歩いていて御茶ノ水の湯島聖堂の脇を通りかかった時、何気なく中を覗くと駐車場の奥に桜が咲いているのが見えたのです。

何人かの人が写真を撮っていました。

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思えば去年の3月17日。

東京での開花宣言が出たその日に、初めてソメイヨシノの花を見たのが丁度この辺りでした。

あの桜も咲いているだろうか…

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少し戻って地下鉄丸ノ内線の駅前で信号を渡り、また坂を下りて行きました。

聖橋をくぐって少し行ったところに、その桜の木が立っているのです。

そして近づいていくと…

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やはり開花していました!

去年よりだいぶ花が進んでいます。

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ビルを借景にした都心の桜。

今年も会えて良かったと満足して秋葉原に向かいました。

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一方、今日は亀岡稽古でした。

寒の戻りで寒くなる予報でしたが、亀岡駅に降りると本当に冬のような寒さです。

亀山城のお堀端の桜を見に行くと、まだまだ蕾の状態でした。

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東京と亀岡でこれほど季節が違うのだなぁと思いながら写真を撮っていると、面白いものを見つけました。

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「蓑虫」です。

昔はよく見かけましたが、最近では激減しているというニュースを昨年読んだ気がします。

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蓑の大きさからしておそらく「オオミノガ」だと思われました。

「蓑虫」も調べると色々興味深い昆虫です。

例えば昔の人は、この虫が鳴くと考えていたようなのです。

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「枕草子」にも、蓑虫が「ちちよ、ちちよ」と鳴くという記述があります。

どうやらこれは”カネタタキ”という秋の虫の声を聴き誤ったもののようです。

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次回の亀岡稽古では、お堀の桜も咲いていることでしょう。

そして今日のあの「蓑虫君」もどうしているか、確かめてみたいと思います。

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大原から加古川へ

今日は朝に大原の京大宝生会合宿所を出て、加古川能に向かいました。

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霧のような細かい雨に煙る大原の里は、それはそれで風情があるなあと思いながら、京都バスで国際会館駅へ。

そこから地下鉄で京都駅に出て、更に姫路行きのJR新快速に乗り換えました。

あとは加古川まで1時間半弱、謡を覚える時間です。

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神戸を過ぎると、普段はあまり通ることのない地域に入っていきます。

私は新快速の進行方向右側の山手の席に座っていました。

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謡本からふと目を上げて右手の車窓を見ると、松の木が立ち並ぶ公園の景色が目に入りました。

そして何故かその景色には見覚えがありました。

ずっと昔に来たような…

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思い出しました。

あれは京大宝生会で能「箙」が出た時のことです。もう10数年前になります。

「箙ツアー」を企画して、何人かの部員で”一ノ谷”を訪れたことがありました。

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確かその時に「須磨浦公園」という所にも行って、それがこの車窓の景色だと思われ…

と、そこでハッと気づいて私は左側の車窓を振り返りました。

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窓の外には、須磨の浦がゆったりと広がっていたのです。

海は東海道新幹線で熱海の辺りを通る度に見ている筈なのに、何故かとても久しぶりに海というものを見る心地がして、静かに感動しました。

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更に新快速は進んでいきます。

今度は前方に巨大な橋が見えて来ました。

「明石海峡大橋」のようです。

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能「草紙洗」で紀貫之が詠み上げる和歌

「ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れゆく 舟をしぞ思ふ」

が頭に浮かんできました。

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しかし車窓には圧倒的な迫力の明石海峡大橋が、淡路島に向けて「ドドーン」という感じで伸びています。

和歌に詠まれた明石の浦の風情は、とうの昔に無くなってしまったようでした。

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仕事とは言え、今日の大原から加古川への移動は何か”旅情”のようなものを感じてとても心地よいものでした。

海の良い写真が撮れたらもっと良かったのですが、天気もあって中々難しかったです。

本当はもっと青く、のたりのたりとした「春の海」でした。