新しい「ダナー」

昨日は仕事が一段落して、午後から時間が空きました。

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かねてより”靴”を新しくしたいと思っていたので、街に買い物に出ることにしました。

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私はもう30年近く、アメリカの「ダナー社」というメーカーの靴を履いています。

元々はアメリカの木こりが履く為に作られたという無骨な靴で、特に靴底が「ビブラムソール」という登山靴にもなる頑丈なものなのです。

京大農学部林学科の頃にこのメーカーを知り、以来ずっと好んで履き続けています。

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前回は3年程前に、ドイツのブレーメン公演に行く直前にやはり「ダナー」の靴を買いました。

それから3年間、その靴を履いて北は北海道から南は九州まで、そしてドイツまでも共に旅をして来ました。

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その前の「ダナー」とは、イスラエルや韓国やアメリカにも行って来ました。

もっと以前の「ダナー」の時には、上高地の河童橋から今は無い岳沢ヒュッテまで山登りもしました。

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そして今回。

北千住の靴店で「ダナー」を探しました。

時代の流れか、昔ほど無骨な外観ではなくなっていましたが、やはり「ビブラムソール」の頑丈そうな茶色の靴を買いました。

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今日は早速足慣らしに長めの距離を歩いてみました。

やはり「ダナー」は私の足に合っているらしく、ずっと前から履いていたかのようにすんなりと足に馴染んで、飛ぶように歩けます。

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「新しい靴は、素敵な場所に連れて行ってくれる」という素敵な言葉を誰から聞いたのだったか。

おそらく10代目くらいになるこの新しい「ダナー」を履いて、これからまた様々な素敵な場所に行ってみたいと思います。

夜の朝顔市散歩

私は最近よく、上野駅から三ノ輪の自宅まで歩いて帰るようにしています。

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昨夜も横浜での「京大宝生OB会全国大会」に顔を出した帰りに、酔い覚ましも兼ねて上野からブラブラ歩くことにしました。

時刻は21時過ぎ。

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10分ほど歩くともう日比谷線「入谷」駅が近づいて来ます。

昨日はその辺りで向かいから「朝顔」の鉢植えをぶら下げた人達が何人も歩いて来ました。

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ああそうか、「入谷の朝顔市」が今頃だったな、と思い出しました。

内弟子の頃には、先々代家元の奥様が毎年朝顔市にいらして鉢植えを買ってこられたものです。

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しかし実は私自身はその「朝顔市」に行ったことはありませんでした。

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「21時半近いし、もう終わっている頃かな…」

と思いながら歩いて行くと、前方の”言問通り”の辺りが何やら煌びやかに輝いて、大変華やかな雰囲気です。

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能「隅田川」にも出て来る、在原業平の「名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 我が思ふ人は ありや無しやと」という和歌を由来とする”言問通り”。

その言問通りの”入谷の鬼子母神前”辺りが、朝顔市の会場になっていたのでした。

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21時半近くでもまだまだ大勢の人が行き交い、中には浴衣姿もちらほら。

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歩道から三段にわたって、朝顔の鉢が無数に並んでいる様は実に壮観でした。

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朝顔の価格表。

“夕顔”はちょっと高級品なのですね。

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そして”言問通り”を挟んで向かいの北側の歩道には、私の大好きな「夜店」が立っていたのです。

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大きな焼きとうもろこしに…

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串焼き。お姉さんは焼きながら何かの串焼きをモグモグ食べていました。

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お好み焼き。

シャッターチャンスを逃したのですが、男の子が”かけ放題”のマヨネーズを嬉しそうにグネグネかけているのが印象的でした。

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他にも懐かしいスマートボールなどなど。

私はこれが結構得意だったのですが、昨日は景品がアイドルの写真のようだったので遠慮しておきました。。

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結局朝顔は買わず夜店も冷やかしただけでしたが、思わぬ江戸情緒に触れることが出来て大満足でした。

いつか朝顔を買って、小学校の夏休みのように育てるのも良いかも、と思いながら、三ノ輪への帰途についたのです。

塩竈の鳥瞰図

今日は仙台稽古でした。

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稽古場に到着すると、会員さんが鞄から何やら紙を取り出して見せてくださいました。

それは、昭和初期の仙台周辺を描いた古い「鳥瞰図」のコピーでした。

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そして、その鳥瞰図のうちの1枚に「鹽竈神社(しおがまじんじゃ)」と「松島」が描いてあったのです。

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昨年9月の「みちのくの千賀の塩釜」というブログで私は、現在の鹽竈神社から見える景色はそれほど絶景では無かった、と書きました。

それを読んだ会員さんが、「昔の鹽竈神社からは、おそらく松島までが見渡せて絶景だったはず」と、この鳥瞰図をわざわざ探してくださったという訳なのです。

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中央やや左下の丘の上に「鹽竈神社」があり、上部中央から左にかけて「松島」に連なる島々が描かれています。

そして鹽竈神社の背後はすぐ海で、景色を遮ぎる建物などは何もありません。

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塩竈港周辺が埋め立てられる前は、鹽竈神社から見える海の眺望は、確かに現在とは比較にならないほど素晴らしいものだったでしょう。

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更に中世まで時代を遡ると、塩竈の海岸には塩田の風景が広がっていたはずです。

そしてそこでは海水を煮詰めるための煙が絶えず立ち上っていました。

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海水の青、島々の緑、塩煙の白が一体となって織りなす景色は、まさに「絶景」と言えるものだったに違いありません。

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数々の歌に詠まれた「千賀の塩釜」の本当の姿を、1枚の鳥瞰図で少しだけ想像出来た気がして嬉しく思いました。

鳥瞰図を探してくださった会員さんに感謝いたします。

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今度はこの知識を持って、是非もう一度「鹽竈神社」に行ってみたいと思います。

「演歌の似合うねぶた」その後…

昨日は松本から青森に移動しての稽古でした。

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夕方青森に到着すると、まだ稽古開始までは1時間半ほど時間があります。

私はすぐに観光物産館アスパムに向かいました。

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正確にはアスパムの麓にある「ねぶた小屋」を目指したのです。

三角の巨大な建物が”アスパム”、その左下にあるクリーム色の倉庫のような建物が「ねぶた小屋」です。

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5月末の青森稽古の時に、夜遅くに演歌を流しながら作業している「ねぶた小屋」を見つけて、その後の様子が気になっていたのです。

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早速その小屋に行ってみました。

小屋は閉まっていましたが、隙間が開いており、中では作業が進められているようです。

「すみません、ちょっと見学させていただいてもよろしいでしょうか?」と中に声をかけると、幸いにも「いいですよ」とのご返事が。

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中にはかなり製作の進んだ「ねぶた」が並んでいました。

これは”七福神”でしょうか。

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龍の頭のようなものや…

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何だかわかりませんが大きな物が…。

製作途中でも圧倒的な迫力を感じます。

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そして今回私が何より気になっていたのが、「今日も演歌が流れているだろうか?」ということでした。

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…しかし結果的には、なんと演歌ではなく普通にラジオが流れていたのです。

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何となく少しだけ残念に思った私は、稽古を終えた深夜に再びねぶた小屋を訪ねてみました。

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やはりあの小屋には明かりが灯っています。夜遅くまで作業されているようです。

そして近寄って耳をすますと…

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なんと今度はヒーリング音楽が聴こえてきたのでした。。

演歌は前回たまたま流れていた、ということのようです。

ようやくスッキリしました。

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今回は他にも明かりのついた小屋がいくつかあり、ねぶた祭本番をひと月後に控えて製作作業も佳境に入っているようです。

テントに映る「ねぶた」のシルエットが綺麗でした。

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今年もねぶた祭本番は観られそうにありませんが、祭の成功を祈りつつ。

ねぶたには演歌が似合う

昨日は”肌寒い”青森の様子をブログに書いてから、夜に青森稽古をしました。

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終わってから1人で遅い晩御飯を「鯖の棒寿司」が大変美味しい居酒屋さんで済ませると、時計は23時半になっていました。

雨はすっかり上がっています。

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「そう言えば、”ねぶた”はこんな時間でも作っているのだろうか…」

とふと考えました。

以前にねぶた祭のホームページを見た時に、「5月半ばから”ねぶた小屋”での制作が始まり、最後は徹夜の連続で完成させる」

と書いてあったのを思い出したのです。

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まだ追い込み期では無いと思われますが、ひとつくらいは作っている団体があるかもしれません。

駄目元で、ねぶた制作が行われているアスパム前広場に足を向けてみたのです。

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アスパム前広場には、今年も高さ7〜8mはあろうかという巨大な”ねぶた小屋”がズラリと建ち並んでいました。

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そしてそのうちの4〜5箇所の小屋の前には車が止められており、中には明かりが灯っていたのです。

やはり深夜でも”ねぶた制作”は行われていたのだと、しみじみ感動しました。

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小屋の入り口は閉じられており、中をみることは叶いませんでした。

しかし、ある小屋の前を通りかかった時、中から結構な大音量で「演歌」が聴こえて来たのです。

さすがに曲目はわかりませんが、石川さゆり風の女性演歌歌手の声でした。

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小屋の中で捩り鉢巻きの渋い男達が、演歌をバックに徹夜でねぶた制作をしている有様が思い浮かびました。

「ねぶた制作」、「徹夜」、「演歌」。

この取り合わせは実にしっくり来るなぁと、またもやしみじみと感動してしまったのでした。

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「ねぶた」の語源は「眠たい」の方言という説があるそうです。

夜を徹しての制作作業はそれこそ「ねぶたい」こともあると思われます。

その眠気を演歌を聴いて振り払い、8月初めの本番を目指して制作を続けていくのでしょう。

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演歌の流れていたねぶた小屋の場所は覚えたので、どんなねぶたが制作されていたのか、また来月以降の稽古で是非確認したいと思います。

今シーズン最後の”肌寒さ”

今日は青森稽古でした。

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いつも青森に行くと何かしら面白い物事に出会うので、今回も淡く期待しながら新青森駅に降り立ちました。

やはり東京よりもかなり涼しい気温です。

湿気があり、ちょっと北国の冬の記憶が蘇るような空気感でした。

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新青森から普通電車に乗り換えて青森に向かうのですが、普通電車の中はなんと暖房がついていました。

そして乗り込んだ後にドアを閉めるボタンを押し忘れた人がいると、車内の人がすかさず「寒いじゃないまったく…」

という顔でボタンを押してドアを閉めていました。

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駅にはもう「ねぶた祭」のポスターが貼ってあり、「ちょっと早いけど”ねぶた作り”を覗きに行こうかな…」

と思って青森駅に到着しました。

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しかし外に出ると、どんよりした空から冷たい小雨が降っていたのです。

どうりで湿気があるはずです。

傘を持って来なかったので、ねぶた製作所のあるアスパムの麓まで歩くのはちょっと厳しそうです。。

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青森港前の広場に何か花でも咲いていないかと、雨を避けるように早足で行ってみました。

でも今回は花にも縁が無かったようで、広場は緑一色でした。

写真は「ヒメリンゴ」です。

花はすっかり終わり、よく見ると小さな実が出来かかっていました。

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宿に入ると部屋にはやはり暖房がついており、信じられないことに私はそれを「有り難いなぁ…」

としみじみ思ってしまったのです。

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先週末からの猛暑に参っていたのが嘘のようです。

ねぶたや花には出会えませんでしたが、おそらく今シーズン最後であろう「肌寒さ」を、今回の青森稽古で味わって帰ろうと思います。

緑の木曽路

土日の薪能が終わって、今日からしばらくは通常の澤風会稽古が続きます。

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今日は早朝に京都に移動して大山崎稽古、その後午後に松本に移動しての稽古でした。

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大山崎から普通電車で京都へ。そして新幹線で名古屋に行き、最後に特急しなのに乗り換えて松本に向かいます。

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雨が近づいて空には雲がかかっていますが、その天気の中でも車窓から見える新緑が実に綺麗でした。

瑞々しい新芽の薄緑、常緑樹の濃い緑、杉や檜の深緑…

毎年5月頃の山の景色を見ると、同じ”緑色”にこれほどまでたくさんの種類があるという事を思い出します。

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走っている特急からは、やはり上手く撮れませんでした。。

しかし実際にはこの百倍も鮮やかな初夏の彩りだったのです。

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慌ただしかった週末を終えて、木曽路の緑にちょっと癒された月曜日の電車移動でした。

超高速「奥の細道」

今日は朝に水道橋宝生能楽堂で、土曜日開催の「五雲会」の申合がありました。

私は能「俊成忠度」の地謡を勤めました。

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「俊成忠度」は”和歌”に深く関わる曲です。

そして今日5月16日(旧暦では3月27日)は、和歌ではありませんが”俳句”の松尾芭蕉が、千住大橋のたもとから「奥の細道」の旅へと出発した日だそうなのです。

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全くの偶然ですが、今日私は五雲会申合の後に夕方から仙台稽古の予定でした。

千住大橋ならぬ上野駅から、徒歩ならぬ東北新幹線に乗って超スピードで白河の関を越えて、奥へと旅立ったのです。

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あっという間に仙台に到着すると、長いアーケード街を通って稽古場に向かいました。

すると、こんな光景が目に入りました。

祇園祭の”山鉾”のようですが、これは今週末に行われる「青葉まつり」で巡行する山鉾でした。

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しかしよく見ると、京都の山鉾とはちょっと趣きが違います。

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恵比寿様がドーンと載っているもの。

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巨大な和太鼓が据えられたもの。

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大きな鯛の載った鉾の周囲には、何故か無数の”絵馬”が下がっています。

こうなると、もはや「森見登美彦」の世界のようです。。

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他にもこんな鉾が。

上に載っているのは…

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なんと兜を被った伊達政宗公でした。

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実はこの仙台の「青葉まつり」は、1985年に伊達政宗公の没後350年を記念して復活したお祭りだそうなのです。

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ちょっとシュールな山鉾達を鑑賞しつつ稽古場に到着しました。

俳聖芭蕉ならば、山鉾のことを一首の俳句に詠んだかもしれません。

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しかし全く心得の無い私は、稽古を終えると再び東北新幹線に乗って、超スピードで白河の関を越えて上野へと帰ったのでした。

わずか数時間の”みちのくの旅”でした。

カンカン森通り散歩

10連休も終盤になりました。

今日は私にとって連休中最後の空いている1日でした。

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実は自宅近所に以前から気になっている道がありました。

そこを今日は探索してみようと思い立ったのです。

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「カンカン森通り」。

最初に発見したのは夜に家に帰る途中で、何か突拍子も無いネーミングに思われました。

しかし調べてみるとなんと「カンカン森」とは400年近い歴史のある古い名前だったのです。

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三ノ輪の自宅から徒歩3分で「カンカン森通り」の入り口があり、そこから日暮里駅方面に道なりに10分程歩くと…

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マンションの隙間に小さな社がありました。

境内の広さはせいぜい5×10m程です。

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この社は「猿田彦神社」。

そして「カンカン森」とは正式には「神々森」と書くのでした。

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境内に由緒書きがありました。

それによると、今から約370年前に猿田彦神を祀って建立された神社だということです。

ちょうどその頃に、この辺りが非常に風景が良くて日の暮れるのを忘れて過ごしてしまう里であったために「日暮里」の名前で呼ばれるようになったとも書いてありました。

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この神社は「日暮里」の歴史を現代までずっと見守ってきたのですね。

そして大正時代までは境内はもっとずっと広く、木々が生い茂って昼なお暗い雰囲気でした。

その神々しさに、人はこの地を「神々森」と呼んでいたのだそうです。

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この猿田彦神社では毎年9月1日に例大祭が行われるそうで、境内横には御神輿でも仕舞ってあるのか倉庫が並んでいました。

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今年の9月1日にはそのお祭りを是非見てみたいものです。

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旅の神様でもある猿田彦神様に、明日からまた始まる移動の日々の無事を祈って社を後にいたしました。

静かに暮れていく連休最後の1日でした。

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善知鳥峠の謎

昨日のブログを読んでくださった方より、「地名や会の名前に振り仮名をつけてほしい」とのお便りをいただきました。

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確かに「石和川(いさわがわ)」などは、山梨に縁の無い人や遠くの土地の人には読み辛い漢字ですね。

今後はそのような漢字には出来るだけ読み仮名をふるようにいたします。

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読みの難しい地名、というので思い出したことがありました。

先日松本稽古場の方より、長野県塩尻市に「善知鳥峠」という峠があると伺ってちょっと驚いたのです。

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謡をやっている人ならば、「善知鳥」という曲があるので「うとう峠」とすぐに読めるでしょう。

しかし驚いたのはそこではなく、「何故長野県の中心部に善知鳥峠があるのだろうか?」ということでした。

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能「善知鳥」は陸奥の話であり、”善知鳥(うとう)”という鳥もやはり北国に住む海鳥なのです。

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おそらく能の「善知鳥」とは全く関係無い由来があるのだろうと思い、調べてみると更に驚きました。

なんと「善知鳥峠」の由来になった昔話があり、それは能「善知鳥」の前日譚にあたるそうなのです。

以下がその昔話です。

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北の国の猟師が「善知鳥」という珍しい鳥の雛を捕らえました。

猟師は息子を伴って、その雛を都に売りに行こうとします。すると親鳥が子供を取り返そうといつまでも後をついて来ます。

やがて塩尻の峠にさしかかると吹雪になりました。

猟師はついに前に進めなくなり、その周りを善知鳥の親鳥は「うとう、うとう」と鳴きながら飛び回っていました。

翌朝吹雪が止んで、村人たちは猟師の息子の泣き声を聞きました。行ってみると、吹雪から息子を庇って死んだ猟師を見つけました。

そしてその横で、やはり鳴いている雛鳥と、雛鳥を庇って息絶えた親鳥を見たのです。

哀れに思った村人はそこを「善知鳥峠」と名付けて弔ったのでした。

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…という話の後に、能「善知鳥」のストーリーがあるというのです。

確かに2つの話は一応矛盾無く繋がります。

しかし、現在の青森県辺りの海岸から、海鳥の雛を京都まで歩いて運ぶというのは、かなり非現実的です。

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とは言えここまで詳細な昔話が残っているということは、長野県塩尻の「善知鳥峠」と、青森の海岸で「善知鳥」を捕らえた猟師との間には、やはり何らかの関わりがあったのでしょうか…。

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またひとつ興味深い謎が増えました。

この「善知鳥峠」に纏わる話は、今後もっと調べてみたいと思います。

また「善知鳥峠」という場所も、松本稽古の際にでも是非実際に訪れてみたいものです。

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今日はいよいよ平成最後の日になりました。

明日から始まる新しい時代に期待しつつ、静かに平成最後の数時間を過ごしたいと思います。