巴塚を訪ねて

今週土曜日の「五雲能」にて、私は能「巴」のシテを勤めます。

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なので今日の午前中の隙間時間に滋賀県膳所にある「義仲寺」を訪ねてみました。

ここには木曽義仲のお墓と、巴御前の供養塔があるのです。

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JRに乗って雨模様の京都を出発。

大津のひとつ先の「膳所(ぜぜ)」で下車します。

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難読駅名のひとつ「膳所」。

昔琵琶湖の新鮮な魚を宮中に献上した場所で、それが名前の由来になったそうです。

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膳所駅から「ときめき坂」というやや照れ臭い名前の坂道を琵琶湖の方へ降りていきます。

10分ほどで旧東海道に行き当たり、左折してすぐに「義仲寺」はあります。

周りには、昔ここで激しい戦があったとは思えないような、平和な住宅街が広がっています。

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境内には義仲の大きなお墓があり、

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その横にひっそりと寄り添うように巴の供養塔「巴塚」がありました。

説明書きには、巴はこの場所で義仲の菩提を弔った後に木曽で90歳まで生きたとあります。

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しかし能「巴」では巴は若い姿で現れるのです。

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私は想像しました。

…巴は長生きして死んだ後も、義仲と一緒に戦いたかったのではなかろうか。

そして若い姿で修羅道に落ち、そこで再び義仲と出会って永遠に戦い続けている。

そういう幸せもあるのかもしれない…。

そう考えると、なんだか無性に切なくなってしまいました。

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義仲寺の入り口横には、「巴地蔵」という地蔵堂がありました。

その中にいらっしゃる「巴地蔵」はとても優しい顔をしています。

おそらく義仲と共にいる時の顔なのだろうな…と思いつつ、お参りして膳所駅への帰路につきました。

卒寿祝いの「三笑」

今日は私の生まれ故郷の三重県久居に日帰りで行って参りました。

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ここが私の実家です。1939年築のまあまあ古い家で、今は父親が中をリフォームして暮らしています。

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ここ数年の帰省の時には、

父親と顔を合わせる→父親と墓参りに行く→そのまま少し散歩→日が暮れたら近所のハンバーグ専門店で一緒に晩御飯→東京に戻る

というコースがほぼ決まっています。

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でも今回は、ちょっと違う目的がありました。

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実は父親は昨年末の誕生日で卒寿を迎えて、12月25日に親類が集まって卒寿祝いの会を催したのです。

しかし私はその日は奈良と京都で舞台があり、お祝い会への出席が叶いませんでした。

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そこで父親には、「お正月に久居に帰った時に、卒寿祝いの謡をプレゼントするよ」

と伝えておいたのです。

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曲を何にしようかと考えて、「三笑」の

「菊の白露つもりつもって 不老不死の薬の泉よも盡きじ…」

という部分から最後までを謡うことにしました。

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リフォームしたリビングのフローリングの床に正座して、マスクに洋服というなんとも風情の無い有様でしたが、お祝いの心を込めて「三笑」を謡いました。

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父親は喜んでくれて、御礼という訳でもないのでしょうが、趣味で描いた絵をくれました。

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今日はまだハンバーグ屋さんが正月休みなので、2人で珈琲を淹れてゆっくり飲んで、それで帰ることにしました。

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帰り際に1人でお墓参りをした後に、やはり1人で少し散歩してみました。

久居は本当になんにも無い静かな町で、遠くに見える布引山も実に穏やかな姿です。

「子供の頃この辺で土筆採りをしたっけなあ…」

などとしみじみ思いながら、布引山に背を向けて久居駅へと帰路についたのでした。

田んぼの白い鳥

先週文化庁巡回公演で山形県の酒田に行って参りました。

今年2月に続いての2回目の酒田です。

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宿から会場の小学校に向かう途中、バスの車窓から雪と雲を頂く「鳥海山」が美しく見えました。

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雄大だなあと見惚れていると、その手前の水田に白い鳥がたくさんいる事に気づきました。

写真右下の白い点々がそれです。

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最初は鷺の仲間、おそらくチュウサギかコサギだろうかと思いました。

しかしよくよく見ると、サギにしては大きすぎます。

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太った身体に長い首、嘴もサギより太めに見えます。

拡大した画像です。

ボヤけて判りづらいですが、中央上部の個体のシルエットからも、これは「白鳥」だと思われました。

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私はこれまで固定観念で、「白鳥は湖にいる」と思っていたのです。

田んぼにいる白鳥…?と不思議に思いました。

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しかしちょっと調べてみると、シベリアから越冬のために飛来した白鳥達は、水田で落穂を食べる習性があるそうです。

そしてこの庄内平野でもその光景は普通に見られるという事でした。

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それでも何やらすごい新発見をしたような嬉しい気持ちになって、巡回公演の能「黒塚」に臨めたのでした。

今回の公演後の質問コーナーでは、

「ワキの山伏は腰に刀を差しているのに、何故その刀で鬼女と戦わなかったのですか?」という鋭い質問が出ました。

するとシテを演じた楽師が、

「ワキは鬼女に改心して貰いたかったから、怪我をさせないように祈りの力で戦ったのだと思います」

という素晴らしい回答をして、楽屋の皆で感心しました。

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酒田という街は、下の写真のような庄内米の古くて巨大な米蔵が残っていたり、

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“北前船”で財を成した豪商の旧家があったりと、歴史を感じる美しい街でした。

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滞在中ずっと雨模様でしたが、時たま雲が切れると空には虹がかかりました。

今回の巡回公演も素晴らしい経験になりました。関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

阿漕の平治が獲った「やがら」

昨年夏に「いとうせいこうの能楽紀行」のための取材で阿漕ヶ浦の「阿漕塚記念館」という資料館に行きました。

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そこで、実は能「阿漕」のシテは母親の病気を治すために密漁をしていたこと、また密漁で獲った魚が「やがら」という名前であることを知りました。

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下は「阿漕塚記念館」にあった説明書きです。

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そして先日、私は思いがけずその「やがら」と初対面を果たしたのです。

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今週月曜日のこと。

私は午前中に大山崎稽古を終えて、午後の亀岡稽古の前に昼ごはんを食べようと思いました。

場所はJR二条駅近くの「三条通商店街」、目当てのお店は海鮮料理の「あみたつ」というところです。

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「あみたつ」は店内に鮮魚がたくさん並んでいます。

その日私が店に入ると、変わった魚が目に入りました。

近寄ってみると…

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なんと「ヤガラ」と書いてあります。

そして大きい!

80cmはありそうです。

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これは何としても食べてみなければ!

早速「ヤガラ」の刺身を注文して定食にしてもらいました。

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するとなんと刺身には長〜い頭がついて出てきました!

割り箸と比較すると大きさがわかるかと思います。

店内のお客さん達が「おお…」と驚きの目で見ています。

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刺身は白身で、淡白で上品な美味でした。

“阿漕の平治”はこの魚を獲ったために海に沈められてしまったのか。そして母親はこの魚を食べて病気を治すことができたのか…

と考えると、なんだか神妙な気持ちになりました。

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しかしそれにしても「やがら」は本当に美味しく、思わず定食のご飯をおかわりしてしまい、大満腹大満足で亀岡稽古に向かったのでした。

またどこかで「やがら」に出会ったら必ず食べたいと思います。

蝉丸ゆかりの神社を訪ねて(後編)

前回のブログ更新以降に仕事が立て込んでいて、すっかり更新が遅くなりました。

先週に能「蝉丸」ゆかりの神社を訪ねた時の模様の”後編”をお届けします。

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国道161号線を大津から京都方面に歩いていくと、やがて道端に滋賀県発祥の「飛び出し坊や」が見えてきました。

しかし何か変です…

なんと飛び出し坊やならぬ「飛び出し蝉丸」でした。

そうです。

ここが最初の目的地「関蝉丸神社下社」だったのです。

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関蝉丸神社下社は、参道を京阪電車の線路が横切っているという面白い構造でした。

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境内には、能「蝉丸」にもでてくる”関の清水”

がありました。

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そして参拝を終えて帰ろうとすると…

鳥居の横で蝉丸さんが見送ってくれました。

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「下社」を後にして上り坂の国道を京都方面に少し歩くと、国道161号線はやがて国道1号線と合流します。

道の向かいに紅い鳥居が見えてきました。

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「関蝉丸神社上社」です。

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国道からすぐにかなり急な階段を登っていきます。

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階段の途中の踊り場には「蝉丸」の額が。

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小ぢんまりとした本殿に参拝して、時計を見るとまだ時間に余裕があります。

3箇所目の「蝉丸神社」まで足をのばす事にしました。

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国道1号線をまた京都方面に上っていくと、まずは「逢坂山関趾」の碑を見つけました。

ここを境に国道1号線は京都方面に下っていく道になります。

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この関趾の碑のすぐ先に「蝉丸神社」がありました。

距離感から考えると、蝉丸が捨てられた場所と一番近いのがこの「蝉丸神社」なのではないでしょうか。

この神社も急な階段の上にあります。

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そして立派な舞殿の向こうに本殿がありました。

この本殿の正面に舞殿があるという構造は、実は「関蝉丸神社下社」、「上社」、「蝉丸神社」に共通の構造でした。何か意味があるのでしょうか?

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そしてこの舞殿が、3箇所とも実に「仕舞」を舞うのにピッタリの雰囲気でした。

なので最初の「関蝉丸神社下社」の舞殿で、仕舞「蝉丸」を奉納してしまおうかと本気で思ったのです。

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しかし、舞殿に上がる前に念のため辺りを見廻すと、なんと線路の向こうの日本料理屋さんからこちらが丸見えで、複数のお客さんと目が合ってしまったのです。。

舞わなくて良かったです。

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こうして無事に3箇所の神社に参拝して、京阪電車に乗って逢坂山を後にしたのでした。

もしもまた時間がとれたら、今度は京都側から逢坂山に向かって「逆髪」の気分を味わってみたいと思います。

蝉丸ゆかりの神社を訪ねて(前編)

先日もブログでお知らせいたしましたが、私は12月26日の「第2回七葉會」にて能「蝉丸」のシテを勤めます。

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蝉丸ゆかりの場所が京都と滋賀の境の辺りにあるので、本番までに一度訪ねてみたいと思っていました。

そして今日は、亀岡での稽古の開始が午後からで午前中が空いていたのです。

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今日行こうと思い立ってはみたものの、実は「蝉丸」の名を持つ神社は複数あるのです。

「関蝉丸神社上社」

「関蝉丸神社下社」

「蝉丸神社」

の3箇所です。

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迷った末に、京都から一番行きやすい「関蝉丸神社下社」に先ず行って、時間があれば「上社」と「蝉丸神社」にも足をのばそうと決めて出発しました。

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京都からJRで僅か10分で大津駅に到着します。

駅前の地図の左下の角に「関蝉丸神社」の表記がありました。

駅からの距離は630mだそうです。早速歩き出しました。

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関蝉丸神社下社は国道161号線の側にあります。

大津駅辺りの国道161号線は、古い街道の面影を残す道でした。

そこを歩いていると、気になるポスターが。

蝉丸は芸能の神様として祀られていると聞いてはいましたが、このような”生きた”行事が定期的に開催されているのは素晴らしいことです。

11月7日、行ける人がいたら是非行ってみてくださいませ。

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さらに街道を進むと、今度は気になる「銭湯」を発見。

「小町湯」

という名前を見て、そういえばこの辺りは能「関寺小町」の舞台にもなっていたな…と思い出しました。

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近くには「関寺」の名を冠するトンネルや…

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踏切も。

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「関寺」そのものは残っていませんが、銭湯の近くにその跡と言われるお寺を見つけました。

百歳の老女となった小野小町をシテとする「関寺小町」は、数ある能の中でも秘曲中の秘曲と言われます。

私が舞える可能性は限りなくゼロに近いですが、一応安養寺にお参りしておきました。

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この後いよいよ関蝉丸神社下社に向かうのですが、その模様はまた次回に。

いとうせいこうの能楽紀行〜旅する殺生石〜ご紹介

本日10月9日より、「いとうせいこうの能楽紀行〜旅する殺生石〜」という番組が「能LIFE Online」にて動画配信されています。

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「いとうせいこうの能楽紀行」も今回で第4回になり、有り難いことに4回とも私がいとうせいこうさんと共にナビゲーターを勤めております。

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“旅する殺生石”という副題には、複数の意味が込められていると思われます。

「殺生石にゆかりのある土地を旅する」という意味と、

「殺生石になるまでの玉藻前の長い旅路を辿る」という意味です。

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玉藻前の行動範囲はユーラシア大陸から日本まで、そして紀元前1000年頃にはじめて出現してから、その痕跡はなんと3000年後の現代まで残っているのです。

今回の旅ではその時空をまたいだ長大な足跡を辿って、最終的には”殺生石の入手方法”まで紹介してしまいます。

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またこの番組では能楽紀行をご覧いただいた後に、上野能寛くんが演じる能「殺生石」を観ることが出来ます。

皆さま下のURLから「いとうせいこうの能楽紀行〜旅する殺生石〜」をご視聴いただき、スケールの大きな能「殺生石」の世界をどうかお楽しみくださいませ。

よろしくお願いいたします。

https://nohlife.myshopify.com/collections/streaming/products/%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%AE%E8%83%BD%E6%A5%BD%E7%B4%80%E8%A1%8C-%E6%AE%BA%E7%94%9F%E7%9F%B3

谷中を歩けば…

おとといの院展鑑賞記に、「今は行ける場所がごく限られてしまっている」と書きました。でも裏を返せば「限られてはいるが行ける場所はある」のです。

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その場所のひとつが”徒歩で行けるご近所”です。

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今日は午前中に水道橋宝生能楽堂にて「五雲能」の申合があり、その後に自宅から歩いて行ける「谷中」の界隈を散策して参りました。

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谷中は東京芸大からも近く、芸大生だった頃にも度々散歩した思い出深い街です。

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小さな路地が迷路のように入り組んでおり、その奥には例えば…

小さなお稲荷さんがひっそりとあったり…

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古いお地蔵さんが祀られていたりします。

山手線の内側とは思えないような風景が点在しているのです。

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“現代版・黒塚”みたいな物凄い家を発見。

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味のある石垣と石段、そして猫一匹…

よく見ると陶器の猫でした。

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猫と言えば、今日の谷中では何故か猫にたくさん会いました。

ねこ注意。この写真だけで何匹の猫がいるでしょうか?

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ところがこの電信柱を回り込むと…

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なんとさらに猫だらけでした。

「谷中を歩けば猫にあたる」という感じです。

谷中は猫好きな方には是非おすすめいたします。

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まだまだ歩いていくと…

三ツ辻の角に大きな木が。樹高15m以上はあるでしょう。

その大木の根元に隠れるように…

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なんとも懐かしい佇まいのパン屋さんがありました。

まるで私の子供の頃のような”昭和の風景”です。

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売っている物は割と現代的でした。

あの木はどうやら「ヒマラヤ杉」のようですね。

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散歩の最後にもう一本、ある木を見に行きました。

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知る人ぞ知る、谷中の最北端、つまり台東区最北端に立つ木(枝垂れ桜)です。

写真右下の尖った角までが台東区、ここより北は私の家のある荒川区になります。

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という訳で、ご近所の谷中を散策するだけでも、たくさんの楽しい風景や出来事に遭遇する事ができました。

皆さんもよろしければ谷中を歩いて、写真の場所を探してみてくださいませ。

きっと別の意外な風景ともたくさん出会えると思います。

院展鑑賞記〜2021年秋〜

今日は上野の東京都美術館にて開催中の「院展」を見て参りました。

今年春と昨年秋の院展は鑑賞出来なかったので、1年半ぶりの院展でした。

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250枚を超える絵画の迷宮に久々に足を踏み入れます。

桜の花びらが立体的に浮き出て見える絵に驚き、雪と岩の剱岳に曙光が差す荘厳な風景に圧倒され、幼稚園児達が手を繋いで輪になって木を見上げる姿に思わず微笑みながら迷宮を進んでいきました。

澤風会田町稽古場の会員さんの絵も久々に拝見しました。やはり重厚な色彩の植物がモチーフで、今回はお城の石垣が背景になっているのが新鮮でした。

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現実と非現実、写実と空想の境界線を跨ぎながら絵の世界を彷徨っているうちに、ふいに不思議な感情に襲われました。

それは、これまでの人生の中で「心を揺さぶられる風景や物事」を見た時に沸き起こった強い感動と同じようなもので、コロナ禍以降久しく感じていなかった感覚でした。

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コロナ以前には、強く望めば世界の大抵の場所には行ける可能性がありました。

実際私も、仕事や旅行で日本や海外の様々な街や村、山や海に行き、たくさんの景色や出来事を見てそれを心に刻んできました。

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しかし今では、海外どころか国内でも行ける場所はごく限られています。

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ドイツの古都の何気ない朝を描いた絵や、珊瑚礁の海でウミガメが迫ってくる絵などを見て、実際にそんな風景を見た時の感動が、強烈な懐かしさを伴って蘇ってきたのです。

それと同時に「今はそこには決して行けないのだ」という痛みも感じました。

絵の中でしか会えなくなってしまった風景達。

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しかしいつかまた自由にこの世界を飛び回れる日が、きっと訪れることでしょう。

そしてどこかの街でふとした出来事に心が動いたり、目を見張る自然の絶景に感動したりすることが、再びできるようになると信じています。

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今日は院展の絵画に、忘れそうになっていた大切な感覚を思い出せてもらいました。

4月夜能「杜若」の動画配信

4月になってからは、昨年同様に稽古も舞台もめっきり減ってしまいました。

しかしそれでも全く活動していない訳ではありません。

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動画配信の企画に、ゴールデンウィーク前後にいくつか参加いたしました。

その内で4月30日に収録された「宝生夜能〜語り部たちの夜〜」について紹介させていただきます。

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今回の演目は能「杜若」シテ高橋憲正です。

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番組の最初には、いとうせいこうさんによる「杜若」の現代語訳を、声優の森田成一さんが朗読します。

森田成一さんは能装束を着けて、途中で”物着”を挟んでの長い朗読でした。

場面毎に繊細に変化する声色や、迫真の表現力に圧倒されます。

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そして朗読の後には、

「いとうせいこう能楽紀行〜東下り編〜」

が続きます。

ここに私が解説者として出演しております。

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「いとうせいこう能楽紀行」も3回目になり、私もその撮影スタイルにやや慣れてまいりました。

ただ今回は、4月30日に生放送で配信が始まるという事で、時間を20分前後にまとめる必要がありました。

舞台の前に大きなデジタル時計が置かれて、常に時間を気にしながら話すのは、また違った緊張感がありました。

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能楽紀行に続いて、いよいよ能「杜若」が演じられます。

そして能「杜若」の後には、業平に因んだ演目として仕舞「隅田川」もご覧いただきます。

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更に演能終了後には、宝生和英家元とシテ高橋憲正、声優森田成一さんの鼎談もあり、非常に充実した内容になっております。

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各地で緊急事態宣言が継続中で、活動が制限される日々が続きます。

能楽堂に足を運んで実際の舞台を観るのが難しい方も、是非この機会に動画配信で能楽を多角的に楽しんでいただければと思います。

どうかよろしくお願いいたします。

https://nohlife.myshopify.com/collections/streaming/products/4-30%E9%87%91%E5%A4%9C%E8%83%BD-%E6%9D%9C%E8%8B%A5-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E9%85%8D%E4%BF%A1