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落日の扇

今日もまた新幹線に乗って、東京から関西に向かいました。

途中米原辺りで夕陽が窓から眩しく差し込んで来て、やがて琵琶湖の対岸、京都東山連峰の向こうに空を赤く染めて陽が沈んでいくのが美しく見えました。

このような時に私の頭には「遠き山に日は落ちて」という曲が流れて来ます。

ドヴォルザークの交響曲「新世界より」の第三楽章のメロディで、小学生の頃戸隠山麓にキャンプに行くと毎日のように、夕焼けに赤く染まる山々を眺めながら歌ったものです。

その記憶があるからか、私は昔から「背景に山がある風景」が好きな傾向にありました。

大学で京都に来た時には、「どちらを向いても山がある!」と喜んだものです。

逆に東京では、綺麗な夕焼けを見ても「この夕焼けの向こうに山々が見えたら、もっと良いのになあ」と思ってしまうのです。

山に沈む夕陽の次に好きなのが、「海の向こうに沈む夕陽」です。

実はこの「海に落ちて行く夕陽」を描いた能の扇があります。

「負修羅扇」です。

これは能における五番立のうちの「二番目」、更にその中でも滅亡した平家の公達を描く曲のシテが持ちます。

都を追われ、最期は壇ノ浦の海底に沈んだ平家。その運命を象徴する「西海への落日」を描いた扇です。

この扇を能「兼平」に使うこともあります。源氏方とは言え、兼平は粟津が原で自害したので「負修羅」と見なすということなのでしょう。

しかしやはり「海に沈む太陽」は「平家」を象徴している気がするので、私としては「兼平」には源氏の武将が持つ「勝修羅扇」の方が合うと思うのです。

そのような事を夕焼けを見ながらつらつら考えているうちに、新幹線は京都に到着しました。

夜には香里能楽堂で「七宝会」の能「蟬丸」の申合があります。

地謡を頑張って謡おうと思います。

旅をする蝶

月曜日の京都謡蹟散策の解散後に、私は亀岡稽古に参りました。

実はその日の亀岡稽古では、密かに楽しみにしていることがありました。

8月27日のブログに写真を載せた「フジバカマ」を覚えていらっしゃるでしょうか?

この花です。

秋の七草のひとつでもあるフジバカマには、実は10月初旬にある特別な来訪者があるのです。

「アサギマダラ」という蝶です。

私がこの蝶と初めて出会ったのは、中学校の「科学部」の夏合宿で訪れた山梨県の本栖湖畔でした。

都内では見たことの無い綺麗で大きな蝶が、私のすぐ近くで逃げもせずに植物と戯れていました。

しかしその時には、このアサギマダラに非常に特殊な習性があることは知りませんでした。

アサギマダラは「渡り」をする蝶なのです。

春から夏には主に本州の高原地帯に住み、秋になると南へと移動を始めます。

そして本州から九州へ、更になんと大海原を越えて南西諸島まで渡っていくのです。

中には遥か台湾まで2000キロ以上の渡りをする個体もいるとか。

途中は海上に浮かんで休み、栄養補給はしないということです。

なので、海上に出る前に食餌を済ませる必要があるのですが、アサギマダラが蜜を吸う植物は何種類かに限られます。

このうちのひとつが「フジバカマ」なのです。

私は昨年のちょうど今頃の亀岡稽古の時、フジバカマに飛来した沢山のアサギマダラと出会うことが出来て感動いたしました。

今年も出来れば、長い長い「渡り」の途中に亀岡に立ち寄った彼らと会いたいと、密かに願っていた訳です。

ところが、月曜日は本降りの雨。

フジバカマにはアサギマダラどころか、虫の影さえ一匹も見当たりません。

「今年は会えなかったか。また来年だな…」

と残念に思いながら稽古を終えて、帰りがけにお弟子さんにその話をした所、なんと「昨日フジバカマにアサギマダラが来ていて、写真を撮っていた方がいますよ」とのこと。

更に帰りの新幹線でその写真がメールで送られて来たのです。

この先遥か南西諸島を目指す長い旅の途中で、今年も亀岡のフジバカマに立ち寄ってくれたアサギマダラです。

直接は会えませんでしたが、今も飛び続けている筈の彼らの旅の無事を祈りながら、しみじみと写真に見入ったのでした。

来年はどうか顔を見られますように。

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コザの町、叫ぶ人

また台風が来ています。今回は勢力が強いらしく、被害が出ないように祈るばかりです。

私自身は、今日は松本稽古なので雨模様の中を特急あずさで松本に向かっております。

つらつらと台風の経験を思い出してみると、中でも印象深いのが沖縄で遭遇した台風でした。

私は内弟子時代にダイビングの免許を取り、短い休みの時には毎回沖縄に潜りに行っていた時期がありました。

もう10年以上前のある年、近づく台風のコースを気にしながらも無事にダイビングを終えて、あとは帰るだけだと翌朝空港に行ったら、なんと私の便から飛行機が欠航になってしまいました。

日程に1日余裕を持たせていたとは言え、これは困ったことです。。

とりあえず携帯で国際通り近くに宿を確保すると、あとは夜まで何もすることが無くなりました。まだ午前10時です。

空港のバスターミナルに出て、適当なバスで終点まで行ってみようと思いました。

見知らぬ町にバスで向かうというのは、何故知らず気分が高揚します。

目に止まったのが「コザ」という行き先表示でした。

何となく米兵が行き交うエネルギッシュな町、というイメージがあります。

しかし1時間ほどバスに揺られて到着した真昼のコザは私のイメージとは全く異なり、人影まばらな寂しい町でした。

商店街も台風に備えてなのか開いている店はあまりなく、かろうじて見つけた「元祖タコライスの店」という所で美味しいタコライスをいただき、またバスで国際通りまで戻りました。

宿に入ると今度こそする事がなくなり、ベッドでゴロゴロしているとメールが来ました。

今回のダイビングで世話になった、荒くれ男のインストラクター、忍さんからです。

「飛行機どうだった?」

「欠航でした。国際通りの宿にいます。」

返信すると、今度は電話が。

「海見に行こうや」

「いやいや、危ないですって!やめましょう!」

「絶対安全な場所があるから!これから車で迎えに行くよ」と言って電話は切れました。

忍さんは、ゴマモンガラ(気性が荒い魚)の模様をデザインした名刺を持っていて、本人も何となくゴマモンガラのイメージなのです。

忍さんの車で、空港近くの大きな橋に向かいました。

橋は高い所にあるので、路肩に停めた車内から、確かに安全に荒れ狂う海を見ることが出来ます。

驚いたことに、我々の車の側で外国人男性が1人、車外に出て橋の欄干に掴まり、シャツと髪を強風にはためかせながら海に向かって何か叫んでいました。

それを見た忍さん「お前もあれやってみるか?」

「絶対いやです。」

それから夜までをどう過ごしたのか、晩御飯を忍さんと食べたのかどうか、全く記憶に残っていません。

というか、その旅はダイビングの記憶も何故か殆ど無く、寂しいコザの町と、荒れ狂う海に叫ぶ外国人だけが今も強く印象に残っている、不思議な旅だったのです。

台風のことをつらつらと考えるうちに、特急あずさは甲府までやって来ました。

重ねて今回の台風の被害が少ないことを祈りつつ。