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“雪”繋がり

昨夜の松本稽古の後は、信州大学准教授のT氏夫妻と熱燗と絶品おでんの晩御飯を食べました。

T氏夫妻はダウンの上に更にコートの重ね着という完全防寒態勢でした。

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一方私は普段の東京と同じツイードのジャケットにマフラーのみ、手袋も無しという格好です。

お店を出ると雪が少し舞っていました。

熱燗の酔いが醒めないうちにと素早く宿に戻りました。

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そして今朝早くに宿を出ると、外は非常な寒さで昨夜降った雪がそのまま凍っています。

いつも気温を確認する松本駅前の気温計は…

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マイナス4℃でした。寒い訳です。

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そして8時丁度のあずさ6号で、私は新宿へと旅立ちました。

窓からは雪の田んぼと北アルプスが望めました。

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幸いに電車の遅れも無く、11時には千駄ヶ谷の国立能楽堂に到着しました。

明日本番の国立能楽堂30周年記念公演の能「夜討曽我」の申合があったのです。

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一昨日の名古屋宝生会での「夜討曽我」のメンバーが何人か出演していて、それぞれ全然違う役を演じていたのが面白かったです。

名古屋でシテ曽我五郎をやった人が、今日はそのシテを捕まえる縄取の役をやっていました。

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申合が終わり、今度は上野に向かいました。

仙台稽古に向かう東北新幹線に乗るためです。

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昼過ぎの東京は松本に比べるととても穏やかな気候です。

上野で昼ごはんを済ませて、「こまち」に乗り込みました。

車窓の風景を見ながら行こうと思っていたのですが、あえなく爆睡…

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気がつくともう仙台到着のアナウンスが流れていました。

ホームに出ると、幸いに寒さは覚悟していた程ではありませんでした。

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仙台駅から稽古場に行く途中には市場があり、いつも色々見ながら通るのが楽しみです。

今日は大きな”鱈”が目につきました。

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50㎝を超える大きさの鱈が、一匹700円とか500円で買えるのですね。

鱈は身が雪のように白いことから、魚へんに雪と書くそうです。

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稽古まで少し時間があったので、稽古場近くのビルの展望台に寄りました。

人が少なくて、謡を覚えるのに良い場所なのです。

30階展望台から海の方向を望んで。

夕方の仙台の空は晴れていましたが、どこからか強風に吹かれてきた雪がチラチラと舞っていました。

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松本の雪から仙台の鱈まで、「雪」というキーワードで繋がった今日1日でした。

松本の氷の花

昨日の夜に名古屋から東京に帰って、今日は午前中に国立能楽堂にて来月17日開催の「式能」の申合がありました。

私は能「祇王」の地謡を謡い、終わってすぐに新宿から特急あずさに乗って松本稽古に移動しました。

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先週末から冷え込みが続いていて、茅野や上諏訪辺りは雪がかなり舞っていました。

しかし岡谷からトンネルを抜けて松本盆地に入ると幸い雪は止んでおり、この隙にと稽古場の公民館に急ぎました。

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途中にある老舗の鰹節店の前を通り過ぎようとすると、店先の路上に何やら変わったものが目に入りました。

氷の中に花が咲いています。

一辺が20㎝程の直方体です。

寒い空気の中で更に冷たそうな景色でしたが、とても冴えた美しさを感じました。

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中の花はもしかして色付きの鰹節…?

などと想像してしまったのですが、流石にお店に入って製法を聞く事は出来ませんでした。

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稽古の最中にも、入って来た会員さんが「今外は雪が降ってきました」

などと仰り、手袋すら持っていない私は帰りが不安だったのですが、幸いに私が外を歩いている時には雪には降られませんでした。

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明日は昼にまた千駄ヶ谷の国立能楽堂に戻って別の申合があり、午後から今度は仙台に移動します。

真冬の仙台の模様もまたご報告したいと思います。

打ち出の小槌と分福茶釜

大山崎稽古場のある天王山中腹の「宝積寺」には、寺宝として本物の「打ち出の小槌」が伝わっています。

正確には「打ち出」と「小槌」に分かれているそうです。

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一寸法師がお椀の舟にお箸の櫂竿で淀川を遡って都に上る途中、この宝積寺に立ち寄って修行したという伝説があるそうなのです。

その後のストーリーは確か、一寸法師は鬼退治をして「打ち出の小槌」を手に入れて、自らの身長を伸ばしたり金銀財宝を出したりして幸せに暮らしました、という感じだったと思います。

ということは一寸法師は、幸せになった更にその後に、若かりし頃に修行した宝積寺に「打ち出と小槌」を奉納したのでしょう。

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今回この「打ち出と小槌」の事を思い出したのには訳があります。

先日岩手県の「正法寺」で能楽教室をした時のこと。

行きは「岩手未来機構」の方に車で正法寺まで送っていただきました。

その車中で「正法寺には本物の”分福茶釜”があるのですよ」と伺ったのです。

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「おお、それはすごい!私の京都の稽古場のお寺には本物の”打ち出の小槌”があるのですよ。”分福茶釜”も本物が残っているのですねー」

と返事をしたのですが、そこで内心では

「えーと、分福茶釜はどんなお話だったかな…?」

となってしまいました。

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帰りの新幹線で早速調べると、狸が化けた茶釜ということのようでした。

そして群馬県の茂林寺というお寺にも”本物の分福茶釜”があると書いてあります。

どちらが本物なのだろう…と思ったら、正法寺でいただいた本にこんなことが書いてありました。

「正法寺にあった分福茶釜は、勝手にあちこち動き回るので鎖につながれてしまった。そして本堂が火事になった時に、あまりの熱さに蓋だけが飛んで行って、群馬の茂林寺まで逃げた。そこでは”守鶴の茶釜”と呼ばれて、日本昔話の”分福茶釜”のモデルになった」

つまり、”正法寺の分福茶釜伝説”は日本昔話の分福茶釜の前日譚にあたり、どちらも本物であるということなのでした。

なんだかホッと安心してしまいました。

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因みに今回の正法寺能楽教室の折にはこの”分福茶釜”を見ることは叶わず、また宝積寺の”打ち出と小槌”も未だに拝見できていないのです。

どちらもいつか必ずこの目で見てみたいと思っております。

その願いが叶った時にはまたご報告いたします。

願念寺のエッセイ

先日東北新幹線で水沢江刺に移動する時のこと。

東北新幹線に乗ると「トランヴェール」という車内誌を読むのが私の密かな楽しみのひとつです。

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最初のページの「駅弁紹介」のようなコーナーが先ず面白く実に美味しそうで、「いつか食べてみよう!」と心に刻んでページを1枚めくります。

そこには私の好きな作家の沢木耕太郎さんの旅のエッセイが載っているのです。

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今回も同じ道順を辿ってエッセイのページに至りました。

ところが1枚だけ掲載されている写真を見て、何とも言えない”既視感”を覚えたのです。

写真の下には「金沢 願念寺」

とありました。

これには心底驚きました。

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「願念寺」とは、現在ドイツで靴職人をしている京大宝生会OBのT君の実家で、もう15年ほど前から京大合宿や大稽古会(琥珀の会の前身)などで泊まりがけで何度となくお世話になってきたお寺なのです。

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かの松尾芭蕉が立ち寄ったこともあるという由緒あるお寺ですが、あまり観光客などに強くアピールしていなくて、それが好ましいお寺だと思っていました。

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しかし沢木さんのエッセイのネタになるとは、最近有名になったのだろうか、一体どんな内容だろう…?

と少々ドキドキしながらエッセイを読み進めました。

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結局、沢木さんもやはり願念寺のそう言った”床しさ”に感じ入った、という文章でした。

特に本堂の前に置かれた箱に「花梨の実」がたくさん入っており、「ご自由にどうぞ」と書いてあったのが良かったとありました。

沢木さんにとっては、願念寺の佇まいの全てが好ましいものだったようなのです。

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なんだか自分が褒められたように嬉しくなり、その場でエッセイのページを写真に撮ってドイツのT君にメールしました。

すると間もなく返信が来ました。

「うちの花梨の実は立派ですが、花梨酒にするくらいしか使い道もないので持って行っていただけるならそれがいいということでしょう。」

とあり、彼のメールにまで願念寺の奥床しさが感じられて更に嬉しくなったのでした。

冬の奥州市へ

今日は水道橋での「五雲会」の後に、東北新幹線で岩手に移動しております。

明日は「岩手未来機構」さんの主催による小学生能楽教室があるのです。

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場所は「水沢江刺駅」から近い山の中のお寺とのことです。

水沢江刺といえば、私には去年の初夏のことが思い出されます。

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去年5月終わりの夜能「夜討曽我」シテの後に俄かに喉が枯れてしまい、暫くの間掠れ声が治りませんでした。

その時に松本の「クチーナにし村」さんから蜂蜜をいただいたのです。

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蜂蜜は喉に良いということで、毎日スプーン一杯舐めながら喉を治しました。

その蜂蜜の産地が「水沢江刺駅」のある奥州市の近辺だったのです。

(詳しくは去年6月4日のブログに書いてあります)

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今はおそらく雪に閉ざされている奥州市の森林や草原。

去年の春にそこから蜜蜂達が集めてきてくれた蜂蜜は、喉を癒やす効果を越えて「蜂蜜はこんなに豊穣な味がするのか」と、驚くほどの美味しさでした。

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今回初めて降り立つ「水沢江刺」。

周りの森や山や、今は活動していない蜜蜂達に感謝しながら、明日の能楽教室を頑張りたいと思います。

里帰り

年末には「今年最後の〜」というのを色々書きましたが、今度は「今年最初の…」という番です。

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今日は「今年最初の新幹線」に乗りました。

と言っても珍しく仕事ではなく、三重県の実家に久しぶりに日帰りで帰郷するために乗ったのです。

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私が生まれたのは、当時は三重県久居市と呼ばれていて、今は三重県津市久居となった場所です。

名古屋で新幹線を降りて近鉄電車に乗り換え、1時間ほどで久居駅に到着します。

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駅から徒歩10分の所にあるもう築80年にもなる実家をリフォームして、今は父親が住んでいます。

会うのは去年春の「郁雲会澤風会」以来となる父親は、幸い元気でした。

暫し話をして、私が「ちょっと散歩に行きたい」と言うと「じゃあ一緒に行こうか」

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父親と2人で散歩するなど本当に珍しいのですが、実家の近くには特に有名な観光名所があるわけでもありません。

しかし私が行ってみたい場所は決まっていました。

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ぶらぶらと歩き出して3分ほどで「久居農林高校」の横を抜けると、急に視界が開けてきます。

この先は、とにかくだだっ広い田んぼとその向こうに見える山々だけの風景なのです。

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ずっとこんな感じ。

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山々も雄大で急峻な山脈、とは正反対の、低くてなだらかな山並みです。

上の写真奥に薄っすら見える山などは、布を広げて置いたように真っ平らに広がる低い稜線を持つために「布引山」と言われています。

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しかしこの「特に強い印象は受けないけれど何となく長閑な風景」というのが私はとても好きなのです。

他の土地でも、広い田んぼの向こうになだらかな山が見えるところがあると「ああ、久居みたいで良いなあ」と思ってしまいます。

そして久居に帰るとこの風景を見ずにはいられなくて、ついその方向に散歩に行ってしまうわけです。

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それにしても父親は年の割に非常に元気で、結局万歩計アプリで1万歩近くを一緒に歩いてしまいました。

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その後も今度は車に乗って久居名物「野辺の里」という昔ながらの和菓子を買いに行ったりして、すっかり日が暮れるまで動き回ってからまた歩いて晩御飯を食べに行きました。

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実家のすぐ斜め向かいには久居市役所があったのですが、その大きな建物を壊して大規模な工事が始まっていました。

私「ここは何になるの?」

父親「新しく多目的ホールを作るらしいね」

横を通ると完成予想図が貼ってあり、かなり大きなホールになるようです。

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完成すると実家の目の前が多目的大ホールになるわけで、「なんとかそのホールで能楽公演をしたいなあ」

というのが新しい目標の一つになりました。

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まだまだ元気な父親に、今年の私の舞台を見てもらう、というのも小さな目標でしょうか。

晩御飯をご馳走になった後に、私は父親と別れて東京への帰途に着きました。

しみじみと良い里帰りでした。

76往復目

このところ連日「今年最後の…」という話題ですが、今日はまた「2018年最後の新幹線」に乗ったというお話です。

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試みに手帳を見て数えてみたのですが、今年は東海道新幹線(京都、大阪)と東北新幹線(青森、仙台)を合わせて76往復152本の新幹線に乗ったようです。

今は76往復目の帰りの新幹線に乗っている訳です。

改めて、私の日々の稽古や舞台は”新幹線”あってこそ可能なのだと感謝しております。

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思えば去年2017年は鉄道関係のトラブルに巻き込まれることが多かった気がします。

青森駅が全面停電で東京に戻れないとか、岡山駅でペットの犬がホームから線路に逃げて遅延とか…。

今年2018年は不思議にそんなトラブルが少ない年でした。

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今もクリスマスイブだからか新幹線はとても空いており、ゆったりと座って東京に戻れそうです。

次に乗るのは年が明けて少し経ってからになる予定です。

来年も今年と同じような移動の日々になりそうですが、願わくばトラブルの少ない1年になってほしいものです。

カメムシ占い

今日は午前中に大山崎稽古、昼から松本に移動して夜まで稽古しました。

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大山崎宝寺の紅葉は、半分散りかけになっていました。

「秋寒き窓の内、軒の松風うちしぐれ、木の葉かき敷く庭の面…」

という能「三輪」の一節が思い浮かびました。

ただし、「秋寒き」というほど寒くありません。むしろお寺に向かう急坂を登ると汗ばむくらいの気温です。

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松本に移動したら寒いかと思いきや、松本駅前の気温計が15℃もあり、こちらもこの時期にしては暖かく感じました。

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実は先週の青森稽古の時に、今年は暖冬になりそうだという話を聞いたのですが、その根拠が大変面白いものでした。

「岩木山神社のカメムシの数が多い年は寒い冬になり、少ないと暖冬になる」

というのです。

岩木山神社は津軽国一宮で、”坂上田村麻呂”とも縁の深い神社だそうですが、年によってその境内にカメムシが大発生するということです。多い時は1万匹にもなるとか…。

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ちょっと背筋がゾワゾワする光景ですが、一方で今年のカメムシはというと、かつて無いほど数が少ないそうなのです。

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という訳で”カメムシ占い”によれば今年は暖冬になるはずです。

今のところ実際に気温は高めだと感じています。

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とは言えまだ冬は始まったばかりです。

この冬は”カメムシ占い”の精度に注目しながら過ごしたいと思います。

勝負の3時間半

今週に入ってから、謡を覚える時間がなかなかとれずに四苦八苦しております。

今日は青森稽古に移動する日だったので、金曜開催の「宝生夜能」で地を謡う能「殺生石」、また来月の五雲会で自分がシテを勤める能「舎利」と、次の日曜日に開催される「宝門会」で地を謡う何曲かの小本などをまとめて持って、東北新幹線に乗り込みました。

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勝負の3時間半です。

先ずは「殺生石」。これはほぼ頭に入っているので、ざっと見直しただけで終了。

次に「舎利」。シテ謡と型を一通り、舞台で舞っているつもりでイメージトレーニングします。まだまだ細部まで詰められない状態ですが…。

そして宝門会の舞囃子「頼政」。何度も謡ってはいますが、中々手強い曲です。2〜3回通して脳内で謡ってみて、とりあえず終了。

さらに今回の山場で1番の難所、舞囃子「誓願寺」に取り掛かりました。

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罰当たりな話なのですが、仏教を題材にした曲はとても覚えづらいのです。

どの曲も似たような言葉が出てくる為に、他の曲に飛んでしまう恐れが多々あります。

例えば今回も、「舎利」と「誓願寺」という全く対極的な内容の曲に、「常在霊山」と「昔在霊山」という非常に似た文句が出て来たりしました。。

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仙台くらいまで頑張っていたのですが、やがて強力な睡魔が襲ってきました。

「溜まった疲れをとるのも大事だしな…」

と、一旦謡本を置いて眠りに入りました。。

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八戸辺りで覚醒して、新青森までの約30分、再び先ほどの順番で謡本を次々と開いていきました。

経験上、謡を覚える作業を一通りしてから、少しの時間を置いてもう一度お浚いすると、効果が倍増するのです。

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新青森に到着した時には、何曲かの謡の目処が立ち、さらに疲れもある程度とれているという理想的な状態になっていました。

明日の朝は、始発の新幹線で新青森を発って水道橋の「宝生夜能」申合に向かいます。

今日と同じ作業をまた繰り返して、なんとか「誓願寺」などの手強い曲をお浚いしたいと思います。

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青森駅に到着すると、1年ぶりに「雪だるま〜る」が点灯されていました。

ちょっと癒されたので、これから青森稽古頑張って参ります。

穏やかな京の一日

今日は早朝に京都に移動しました。

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世の中は3連休明けです。

東京駅から乗った新幹線の自由席は、なんと出発時点では車両に私を含めて10人ほどしか乗っていませんでした。

こんなに余裕がある新幹線は本当に久しぶりで、静かな車内でゆっくり休みながら移動できました。

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京都に到着すると、すぐに熊野神社近くのゲストハウス「月と」さんに移動して紫明荘組稽古でした。

「月と」さんは昔の京都の雰囲気を残している旧い建物なので、実に落ち着いた雰囲気です。

夕方まで稽古したり、会員さん達と楽しくお喋りしたりして時間が過ぎていきました。

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そして夕方に今度は北白川瓜生山の麓にある京都造形芸術大で、ごく短い仕事がありました。

北白川のその辺りには、京大学部生の頃に4年間を過ごした下宿があったので、久々に訪れて何とも懐かしい気持ちになりました。

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その短い仕事の後は、近衛の京大BOXに移動して夜まで稽古しました。

京大は学園祭が終わったばかりで、大きな祭の後の静けさが漂っている気がしました。

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今日の仕事を全て無事に終えて、車で京都駅に向かう途中で川端四条に差し掛かった時、改修を終えた”南座”の煌びやかな灯りが一瞬見えました。

顔見世興行中なので、おそらく近くに行くとすごい人なのでしょう。

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最後に京都駅から乗った最終の新幹線も、自由席にはやはり余裕があって珍しく窓際の席に座れました。

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最近の京都は「オーバーツーリズム」でどこもかしこも酷く混み合っているイメージでしたが、今日は幸いにほとんど人混みを経験せずに、静かで穏やかな京の1日を過ごすことができました。

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明日は東京で早朝から、1人で小学校の能楽教室をすることになっております。

これから東京まで、少しの間ゆっくり休もうかと思います。