花まつりの夜桜見物

毎年今頃の時期には色々な土地で桜を見るのですが、「その年一番記憶に残る桜」というのが必ずあります。

過去には大仁稽古に行く途中の「原木の枝垂れ桜」など。

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そして今年はまだ、そんな桜に出会っていませんでした。

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今日は夜から芦屋稽古で、少し早く芦屋駅に到着してしまいました。

どこかで本でも読んで時間を過ごそうかと考えて、「そういえば芦屋川の桜が見頃かもしれない」と思いつきました。

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駅から歩いて数分でもう芦屋川です。

期待した通り桜は丁度満開で、ライトアップもされていました。

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空を見上げれば切れそうな細い月が出ています。

魚は”釣針”と疑い、鳥は”弓”かと驚きそうな月です。

写真ではとても小さくて見えづらいですが、左上の角に写っています。

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桜並木は「業平橋」のところまで続いていました。

そこで「月やあらぬ…」という業平の歌が思い出されましたが、あれは梅が咲いている頃の歌でしたね。

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今日はお釈迦様の誕生を祝う「花まつり」の日でした。

花まつりの夜に満開の夜桜に行き逢うのも何かの縁かもしれません。

今年の「記憶に残る桜」は、今のところ今宵の”芦屋川の夜桜”ということになりそうです。

暮れかけの空の群青色と桜色のコントラストがなんとも綺麗でした。

平原のような日

今日は隙間時間に、年末年始以来の部屋の掃除などしてみました。

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上四半期の仕事で早くも盛大に散らかった諸々を片付けているうちに、掃除のスイッチが入り、これまで手をつけられなかった所も綺麗にしたくなりました。

収納ボックスなども新たに欲しくなり、近所のオリンピックに買いに行ったりして、結局「大掃除」になってしまいました。。

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しかし、大掃除の後の信じられない程片付いた部屋を見ると、また新たな気持ちで稽古や舞台を頑張ろうという気分にもなります。

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今日は合間になかなか美味しい焼売を食べたり、久々に都バスに乗ってのんびり揺られたりして、”仕事の山場”ならぬ”仕事の平原”のような1日を過ごしました。

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明日からまたエンジンをかけて頑張って参りたいと思います。

短いですが今日はこれにて。

耳栓と体内時計

三ノ輪の自宅マンションの大規模改修工事がいよいよ本格化してきました。

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毎朝9時前になると、「ズガガガガ‼️」

というドリルのような音が始まります。

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昔京都で借りていた部屋はマンションの1階で、窓を開けると目の前が叡山電車の線路という物件でした。

朝5時半頃から夜11時過ぎまで、定期的に「ガタンゴトン!」と叡電が通り過ぎていきましたが、慣れると気にならずに寝られるようになりました。

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しかし今回のドリル音はさすがにレベルが違います。

遅くまで寝ていたい時も容赦なく叩き起こされてしまいます。。

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そこで、単純な作戦ですが「耳栓」を買ってみました。

これまでの人生では「耳栓」というものを殆どした事がなかったのですが、これは効果てきめんでした。

工事の音だけでなく、生活音なども全てシャットアウトされるので、むしろ今までよりも熟睡出来るようになりました。

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…それでは目覚ましの音も聴こえず、朝起きられないのでは、と思われるかもしれません。

しかし、私には不思議な特技があるのです。

「目覚ましの鳴る1分前に起きる」

という特技です。

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これは宝生能楽堂の内弟子だった時代に身に付けた習慣です。

同じ部屋に何人も寝ているので、私の目覚ましのアラームで他の人を起こすと申し訳ないと思い、目覚ましの鳴る前に止めて起きることを習慣にしていたのです。

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しかし睡眠時間は出来るだけ長くとりたい、と思いながらこの習慣を続けた結果、目覚ましの鳴るほぼ1分前に目が覚めるようになったのです。

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…という訳で、夏までかかる予定のマンション大規模改修工事中は、耳栓と体内時計の合わせ技で何とか安眠を確保したいと思います。

春の院展2019

今日は午後に時間があったので、日本橋三越で開催中の「春の院展」に行って参りました。

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第1会場に入って最初の絵を見た瞬間に、「ああ、いつもの”院展”の時の感覚だ…」と、何か懐かしい気持になりました。

半年ぶりに親しい人達の楽しい集まりに顔を出したような感覚です。

そして懐かしい顔触れの中に、初めて会う興味深い新顔さん達もちらほらと。

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頭を出来るだけ空白にして、無数の日本画の間を漂っていきます。

順番は無視して、人が誰もいないスペースの絵をボンヤリと見るのが私の好みです。

そうして過ごしていると、脳の普段使わない部分がほぐされていくような心地良さを感じます。

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沖縄の伝説のニライカナイ。

ガジュマルの木を見上げる子供達と、その背後に広がる海。

ジンベエザメ。

ワニ。

海が見える根府川駅。

地球照に照らされて海上に浮かぶ巨大な新月。

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…今回記憶に残った絵は、何故か”海”に関わるものばかりでした。

そういえば、沖縄の海ももう10年近く見ていません。行ってみたいものですが、さすがに中々時間が取れそうにありません。。

せめて「根府川駅」くらい、何かのついでに立ち寄ってみようかと思いながら、今回も夢から覚めたような心持ちで院展会場を後にしたのでした。

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春の院展は4月8日の月曜日まで日本橋三越7階で開催中です。

田町稽古場の森田和彦さんの作品も出展されていますので、皆様週末には是非お出かけくださいませ。

浅草への下町散歩

今日は久しぶりに1日休みでした。

いくつかの目的で浅草方面に行こうと思い、徒歩で三ノ輪から出発しました。

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三ノ輪から浅草へは国際通り一本でもいけるのですが、魅力的な脇道があるとついそちらに行ってしまうのが私の悪い癖です。

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「あしたのジョー」の像が立っている角から脇道に曲がり、くねくねと歩いてかつて「山谷堀」があった跡の公園へ。

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山谷堀公園には「紙洗橋」という由ありげな橋の跡がありました。

「草紙洗」と関係はあるのかな…?

と調べてみると全然違いました。

ここで”浅草紙”という紙を作っていたそうなのです。

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そして紙を山谷堀の水に晒す「冷やかし」という作業中に職人が吉原遊廓を見に行き、結局遊ばずに帰ったことから、買い物せずに店を見るのを「冷やかす」というようになったそうです。

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更に山谷堀近くの「合力稲荷神社」の前を通りかかりました。

そこには江戸時代の日本一の力持ち「三ノ宮卯之助」という人が足で持ち上げたという大きな石が奉納されていました。

写真は撮りませんでしたが、私にはちょっと動かすことすら絶対に無理な大きさでした。

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「三ノ宮卯之助」を調べてみると、「馬に乗った人を更に舟に乗せて、卯之助はその舟ごと持ち上げた」と書いてありました。。

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そして浅草寺横のアーケード街で、演芸用の刀や衣装の専門店をいくつか”冷やかし”、西へ少し歩いて「合羽橋道具街」へ。

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食器や看板など、主に飲食店向けのあらゆるアイテムが揃うこの「合羽橋道具街」ですが、今日の私は「椅子」を探していました。

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コンパクトに折り畳めて、出来るだけ軽量な椅子です。

江古田稽古場で、長時間の正座がしんどい会員さんが使えるものをずっと探していたのです。

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田原町から三ノ輪方面へと道具街を北上していくと、「食器だらけの店」や「包丁だらけの店」、「食品サンプルだらけの店」などが軒を連ねています。

そしてやがて目当ての「椅子だらけの店」を見つけて、無事に下の椅子を2脚購入することが出来ました。

畳むと下のようにコンパクトに。

これで1脚1200円也なのです。

しかも軽量なので、2脚を小脇に抱えて徒歩で三ノ輪まで帰れました。

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という訳で、今日は色々勉強にもなった下町散歩で、目当ての椅子も購入出来て大満足な1日になりました。

椅子は早速明日の江古田稽古に、また小脇に抱えて持って参りたいと思います。

“遠く”のカングリ

新しい元号「令和」が発表されました。

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思い返すと、「平成」が発表された1989年1月8日には、私は浪人中で予備校の冬季講習に行っておりました。

帰りの駅前で号外が配られていて、その見出しで新元号「平成」を知ったのです。

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そして私はそれから間も無い平成元年の春に京都へ。

平成8年春に東京芸大へ。

そこからの平成時代は、とにかく修行の日々でした。

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今は全国あちこちを動き回る日々で、昨日は大山崎稽古、今日はこれから松本稽古、明日は亀岡稽古という中で新元号「令和」を三ノ輪の自宅で知りました。

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能「隅田川」のシテ北白川の女は、自身の境遇を伊勢物語の在原業平の東下りになぞらえて、

「思えば限りなく 遠くも来ぬるものかな」

と謡います。

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“遠く”という部分に、宝生流だけが「カングリ」という非常に高い音の特殊な節を使います。

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この”遠く”のカングリを謡う時、私は何とも魂が震えるようなシテの寂しさを痛切に感じてしまいます。

都と隅田川との距離感に加えて、シテが過ごして来た平坦では無かった人生が、このカングリに凝縮されている気がしてしまうのです。

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そして今、松本に向かう車中で「平成という時代」の自らの日々を振り返ると、やはり”遠くのカングリ”を謡う時のように遥かな寂しいような気持ちになってしまいます。

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まもなくやって来る「令和」の時代には、どんな出来事が待っているのでしょうか。

前を向いてこの先を考えると、寂しさは消えて何だか漠然とした希望が湧いて参ります。

進める限り前へ前へと歩んで行きたいと思います。

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先ずは目の前のことから一歩一歩です。

今日これからの松本稽古も全力で頑張ろうと思います。

感動的な「四海波」

今日は東京のホテルにて、宝生流若手能楽師の金森良充君の結婚披露宴に出席して参りました。

私が内弟子頭をしていて、もうすぐ卒業という時に内弟子に入ってきて、少しの間ですが宝生能楽堂で生活を共にした仲間です。

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能楽師の結婚披露宴では毎回恒例の、「四海波」の謡が今回も乾杯の前にありました。

披露宴会場にいる全ての能楽師(百数十人)が一斉に立ち上がって、重鎮の亀井保雄師の「四海波静かにて」の御発声に続けて「国も治まる時つ風…」と謡い始めます。

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高砂席をみてハッとしました。

我々が謡い始めてほんの少ししか経っていないのに、新婦が涙を拭っているのです。

「四海波」はおそらく2分弱程の短い謡ですが、その間新婦はずっと涙をふいていました。

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確かに、披露宴会場のような天井が高く音が良く響く場所で、100人以上の能楽師が一斉に謡うと迫力があります。

しかし感動して涙まで流して貰えるとは、逆にこちらも嬉しくて感動してしまい、かつて無いほど一生懸命に気合いを入れて謡ってしまいました。

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新婦も東京芸大で日本舞踊を専攻されていたということで、新婦側の御友人による琴と尺八の「春の海」の演奏もまた素晴らしいものでした。

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帰ってから頂戴した引き出物を拝見すると、宮崎県のクラフトビールが入っていてまた嬉しくなりました。

楽しみにいただきたいと思います。

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新郎新婦ともに非常に真面目で好感の持てるお2人でした。

本日はおめでとうございます。

どうか末永くお幸せに。

御茶ノ水の桜、亀岡の蓑虫

昨日、別会能の申合の後に水道橋宝生能楽堂から秋葉原まで歩く途中のことです。

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ボーッと歩いていて御茶ノ水の湯島聖堂の脇を通りかかった時、何気なく中を覗くと駐車場の奥に桜が咲いているのが見えたのです。

何人かの人が写真を撮っていました。

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思えば去年の3月17日。

東京での開花宣言が出たその日に、初めてソメイヨシノの花を見たのが丁度この辺りでした。

あの桜も咲いているだろうか…

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少し戻って地下鉄丸ノ内線の駅前で信号を渡り、また坂を下りて行きました。

聖橋をくぐって少し行ったところに、その桜の木が立っているのです。

そして近づいていくと…

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やはり開花していました!

去年よりだいぶ花が進んでいます。

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ビルを借景にした都心の桜。

今年も会えて良かったと満足して秋葉原に向かいました。

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一方、今日は亀岡稽古でした。

寒の戻りで寒くなる予報でしたが、亀岡駅に降りると本当に冬のような寒さです。

亀山城のお堀端の桜を見に行くと、まだまだ蕾の状態でした。

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東京と亀岡でこれほど季節が違うのだなぁと思いながら写真を撮っていると、面白いものを見つけました。

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「蓑虫」です。

昔はよく見かけましたが、最近では激減しているというニュースを昨年読んだ気がします。

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蓑の大きさからしておそらく「オオミノガ」だと思われました。

「蓑虫」も調べると色々興味深い昆虫です。

例えば昔の人は、この虫が鳴くと考えていたようなのです。

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「枕草子」にも、蓑虫が「ちちよ、ちちよ」と鳴くという記述があります。

どうやらこれは”カネタタキ”という秋の虫の声を聴き誤ったもののようです。

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次回の亀岡稽古では、お堀の桜も咲いていることでしょう。

そして今日のあの「蓑虫君」もどうしているか、確かめてみたいと思います。

春の風は空に満ちて…

今日は二十四節気のひとつ「啓蟄」だそうです。

最近の東京では、冬眠から目覚めた動物や虫などに出会うことは中々ありませんが、あたりの空気は確実に春を感じさせます。

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春になると頭に浮かぶ好きな謡があります。能「嵐山」の一節に「春の風は空に満ちて 春の風は空に満ちて」というリフレインの部分があるのです。

何となく現代的な言い回して、しかもあえて繰り返しているのが如何にも「春が辺りに満ちている」と感じさせて好きなのです。

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実際にはまだ日が暮れると寒いくらいで、冬と春がせめぎ合っている所だと思われます。

しかし、次の二十四節気である「春分」までには完全に”春の風が空に満ちる”のでしょう。

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…その前に、先ずは土曜日に迫った「澤風会郁雲会」です。

今日は渋谷で当日のお菓子や飲み物などを予め買い物して、セルリアン能楽堂に預けて参りました。

宴会の座席表を作成して、夕方からは大会前最後の田町稽古でした。

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そして明日は大会前最後の江古田稽古です。

ギリギリまで稽古を頑張って良い舞台にして、良い春を迎えられたらと願っております。

美也子さんのこと

辰巳孝先生の妹にあたられる辰巳美也子様が先日亡くなられ、今日大阪での告別式に参列して参りました。

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失礼ながら生前のように”美也子さん”と書かせていただきます。

美也子さんに初めてお会いしたのは、香里能楽堂で開催される「七宝会」の受付をお手伝いした時でした。

当時私は京大2回生だったと思います。

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世間の常識など殆ど何も知らない私に、受付業務だけでなくマナーなど色々なことを教えてくださいました。

優しくも厳しい、そして頭が切れてユーモアのセンスのある方だと思いました。

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時は少し流れて、私が能楽の道を志した頃のこと。

東京芸大を受験する前の1年間、私は辰巳孝先生の鞄持ちとして、色々な稽古場にご一緒させていただきました。

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午前中に香里園末広町の御宅に伺い、そこから辰巳孝先生のお供をして電車か車で関西各地の稽古場に向かいます。

そして夕方か夜に稽古が終わると、また末広町の御宅まで先生と一緒に帰りました。

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御宅では美也子さんが自慢の料理の腕をふるって、美味しい出汁巻きや海老フライなどの晩御飯を作って待っていてくださいました。

私もご相伴にあずかり、時には居間のコタツで芸大の楽典の勉強などをさせていただいてから京都に戻る、という日々を過ごしました。

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あの1年間、辰巳先生と美也子さんは私のことをまるで家族のように可愛がってくださいました。

もちろん時には美也子さんから「澤田さん!あなたこんな事も知らへんの!」と叱られることもありました。。

今では全て懐かしい思い出です。

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今頃は天上で辰巳孝先生と再会されているのでしょうか。

あのお2人のウィットに富んだ掛け合いがきっと繰り広げられていることでしょう。

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辰巳美也子様のご冥福を心よりお祈りいたします。