大同二年の謎

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日21日開催の「青雲会」の申合がありました。

昨日書きましたように、私は能「田村」の地頭を勤めました。

「田村」の申合が始まって、前シテ童子の謡を聴いていて「おや?」と思いました。

語りの冒頭で、

「そもそも当寺 清水寺と申すは 大同二年のご草創」

と謡われているのです。

昨日「清水寺建立の日付までは謡われていない」と書いてしまいましたが、それは大間違いでした。お詫びして訂正いたします。

そして思い返してみれば、能「花月」のクセの冒頭にも、

「そもそもこの寺は 坂上田村麻呂 大同二年の春の頃 草創ありし…」

という謡がありました。

しかしここで不思議なことがあります。

清水寺建立は「延暦17年(西暦798年)」という史実がある一方で、謡では

「大同2年(西暦807年)春のご草創」

となっているのです。

色々調べてみると、東北地方を中心とした非常に多くの神社や寺が、この「大同2年」に建立された事になっているそうなのです。

ある説を読むと、

①なんらかの理由で清水寺建立の時期が「大同2年」とされ、それが能「田村」や能「花月」の謡の詞章になった。

②坂上田村麻呂の伝説と共に「大同2年」という謡の詞章も東北地方に広がった。

③いつしか清水寺との関わりが忘れられて、「大同2年」は「坂上田村麻呂に縁のある年号」として認識されて、田村麻呂が創建したとされる多くの寺社の創建年号になった。

という事だそうです。

謡にのって「大同2年」という年号が東北地方に広がったというのは大変興味深く、ロマンのある話です。

…しかし、何故「延暦17年」が「大同2年」に変化したのか、という理由はまだ謎のままなのです。

「善知鳥峠の謎」などとともに、またひとつ今後調べていきたい謎が増えました。

翁最中の餡は”松の翠”

今年1月25日に書いた「翁堂の翁最中」というブログに、本日コメントを頂戴いたしました。

私のブログでは、松本の老舗菓子店「翁堂」の翁最中は中の餡が緑色で、これは翁が宇宙人という説に則ったものでは…

という内容をちょっとコミカルに書かせていただきました。

しかし頂いたコメントでは、

「餡の緑色は”松の翠”をあらわしているのでは」

と書かれていたのです。

茶道の表千家では、初釜に「常盤饅頭」というお菓子を用いるそうです。

そのお饅頭には”千年変わらない松の翠”を表す緑色の餡が使われているという事なのです。

成る程、確かに翁の詞章には「千秋、千年、千歳」などの言葉が出て来るので、そこに”松の翠”を結び付けて餡を緑色にするのは理にかなっています。

コメントの方は「個人的には翁宇宙人説が面白くて好きです」と書いてくださいました。

しかしコメントを拝読した私は「松の翠説」が明らかに正解だと確信できて、何かモヤモヤがスッキリと晴れた気持ちになりました。

素晴らしいコメントどうもありがとうございました。

ねぶた小屋の夜

今日は7月16日。ただ今の時刻は19時です。

京都では今頃、祇園祭の宵山で賑わっているのでしょう。

一方の私は、北の街に来ております。

現在の気温は24℃ほどで、とても過ごしやすいです。

京都祇園祭は今月が本番ですが、青森の「ねぶた祭」は来月8月2日〜7日が本番なので、今がねぶた製作の真っ最中なのです。

今年もねぶた製作を見学に、ねぶた小屋に向かいました。

三角形の「アスパム」の麓、写真の左下に「ねぶた小屋」が並んでいます。

今は夜なので隙間からちょっと覗く事しかできません。

しかしこの時間でも小屋の中には煌々と明かりが灯り、人々が作業しています。

これは龍ですね。

こちらは武将。

題材がわからないのが残念ですが…。

そして今回は、完成したねぶたを載せる”台車”

を見つけました。

この巨大な台車がアスパムの麓に何台も据え置かれて、ねぶたの登場を待っていました。

…実は私は、ねぶた祭も、祇園祭の山鉾巡行も、生で見た事が一度も無いのです。

そろそろ一度くらい眼の前で観てみたいものです。

…そして更に続きです。

稽古を終えた22時頃に、私は再びねぶた小屋を訪ねてみました。

やはりまだ作業は続いていました。

先ほどの龍のねぶた小屋を始め、半数近い小屋に人の姿があり、音楽を流しながら作業されているようでした。

おそらく仕事を終えてからねぶた小屋に来て、夜を徹して作業されるのでしょう。

人々の熱い思いの詰まったねぶた祭、成功をお祈りしております。

サンタンカの見える部屋で

私の92歳になる父親は、先月に少し体調を崩して、今は三重県久居の実家からほど近い介護施設で過ごしています。

昨日も久居まで会いに行って参りました。

実家の膨大な父親の蔵書の中から、リクエストのあった本を持っていくようにしています。

昨日は岩波文庫の「唐詩選・上中下」

の3冊を持っていきました。

父親の部屋に着くと、ベッドから降りて車椅子に座っており、傍らのテーブルには数枚のスケッチが置いてありました。

野菜や花などの小さなスケッチです。

「唐詩選」を手渡すと、「これは楽しみだねえ」と喜んでくれました。

父親は日々読書やスケッチをして静かに過ごしているようでした。

よく陽の当たる部屋で、窓の外にオレンジ色の綺麗な花がたくさん咲いているのが見えます。

これは中国原産の「サンタンカ(山丹花)」という花だそうで、中国の伝説からその名がとられたようです。

沖縄でよく咲いているらしく、そういえば窓の外が何となく南国風に感じられました。

すでにサンタンカもスケッチしたようで、次に行く時には駅前の花屋で何本か、スケッチ用の花を見繕って行こうかと思います。

3日分歩きました

普段から歩ける限りは徒歩で移動するのを心がけています。

今はちょうど暑くも寒くもないので、歩くには絶好の季節です。

しかし一昨日の松本、昨日の青森と強い雨に降られてほとんど歩けませんでした。。

今朝は青森の宿を出ると雨が止んでいたので、3日分を取り戻そうと、思い切って青森駅から新青森駅まで歩いてみました。

およそ1時間の距離です。

新青森から仙台に移動して、仙台駅から稽古場の東北大学近くの公民館までも往復歩いたので、月曜火曜を足したよりも長く歩けて大満足でした。

途中で紫色の綺麗な花を見かけて、ラベンダーかと思って調べたらどうも違うようでした。

人の家のお庭に咲いていたので写真も撮れず…

色々調べて近そうなのが、

「セイヨウジュウニヒトエ」

という花でした。

確かに紫色の派手な見た目は、「十二単衣」を西洋風にした感じでした。

今度見かけたら何とか写真を撮ってみたいものです。

明日からは暫し東京なので、初夏の都内をどんどん歩こうと思います。

「ほおり」と「ホーリー」

昔「井筒」の謡を初めて辰巳孝先生に稽古していただいた時の事です。

シテ謡の出だし「暁ごとの閼伽の水」

で、「閼伽(あか)」はなんの事か知ってるかい?

と先生に聞かれたのです。

もちろん当時は知らず、「いえ、わかりません」と即答しました。

すると先生は、

「閼伽は元々は”アクア”と同じ語源だよ。だから”閼伽の水”というのは本当はおかしいんだ。”水の水”になってしまうからね」

と仰いました。

謡本の中の言葉とラテン語が同じ語源とは新鮮な驚きでした。

その後も「鳥居」の語源がストーンヘンジの三角柱”トリリトン”であるという説を歴史ミステリーの本で読んだりしました。

今では、意外な語源に繋がっていそうな日本語を見つけると、つい色々と語源を想像して楽しんでしまいます。

今日これを書いたのは、昨日松本稽古場で「三輪」の謡稽古をした時に、やはりそんな言葉があったからです。

「三輪」後場の最初の地謡に、

「ただ祝子が着すなる」

という言葉が出てきます。

“祝子”は”ほおりこ”と読み、「神職」を意味するそうです。

そして「holy」という英語は、名詞だと「聖人、聖者」を意味するのです。

“ほうり”と”ホーリー”

もちろん全く関係ない言葉なのでしょうけれど、響きと意味がこれほど似ていると、もしかしたら同じ語源かも…

あるいは、「神聖なる存在」を「ホーリ」と呼びたくなる、何らかの理由があるのだろうか…

などと想像して、ひとり楽しい気分になってしまうのです。

免許更新に行って参りました

今月は誕生月で、5年ぶりに免許更新に行って参りました。

内弟子を出てから運転することがめっきり減っております。

今では1年のうちで松本澤風会翌日の観光ドライブだけしか運転しない年があるくらいです。

以前は江東運転免許試験場に更新に行って、かなり時間がかかったと記憶しています。

しかし前回から近所の下谷警察署で更新できるようになり、また今回から事前予約制になったので待ち時間がほぼ無くなりました。

14時10分からの予約で、視力検査、写真撮影、講習など諸々終えて新しい免許を受け取るまでに1時間もかかりませんでした。

講習の時には講師の方から、

「5年後の講習はおそらくウェブ講習になるので、こうやって皆さんで映像をみるのは最後だと思います」

と言われて、こういう風に時間が短縮されていくのは大変良い事だと思いました。

運転回数は減りましたが、5年後もゴールド免許で更新できるように安全運転を心掛けて参ります。

大仁稽古場への坂道

今日は伊豆の大仁稽古でした。

大仁稽古場へは、伊豆箱根鉄道の「田京」という駅を降りて、東へ向かって山を登って行きます。

中々の急坂です。

途中で振り返ると…

伊豆長岡の「葛城山」が見えます。

ロープウェイもあるこの山は、御釈迦様が寝ているようにも見える事から「寝釈迦山」とも呼ばれるとか。

坂道自体は車道ですが、道の両側は緑に覆われており、鶯の囀りや蛙の合唱を聴きながら登っていくのは「放下僧クセ」のような風情でとても良い気分です。

遠くには薄っすらと富士山の影も見えます。

この急坂を10分程登ると稽古場の公民館があります。

急坂の先の稽古場と言えば「大山崎稽古場」の「宝寺」に向かう坂道が思い出されます。

(2017年2月20日のブログにこの坂道の事を詳しく書きました)

しかし実は宝寺は現在本堂などの改修工事中で、もう1年以上あの長くて急な坂道を登っていないのです。

何かちょっと寂しい気がして、早くまたあの急坂を登って大山崎稽古に行きたいと願っております。

外国人旅行者向けの古着物屋さん

昨日は午後に京都で時間があり、大きめのトートバッグが必要だったので探す事にしました。

寺町か新京極あたりにカバン屋さんがあるかと思い行ってみました。

するとカバン屋さんよりも先に目についたのが「古着物屋さん」でした。

以前は無かった場所に、男性用の着物もたくさん揃っているお店が何軒も出来ているのです。

男性用の古着物は意外に珍しいので、嬉しくなって覗いてみました。

3000円くらいの良いのがあれば、買ってみても…と思って安そうな着物の値札を見て仰天しました。

「10000円」

なんと、それは高過ぎるでしょう…

他の店でも、やはりいかにも安そうな古着物が

「3枚15000円」

とかで売られていました。

良くみれば、店の中にいるのは外国人ばかりです。

「そうか、インバウンドの外国人旅行者向けの古着物屋なのか」

と納得しました。

しかしこの高額な値段設定は驚きました。

心配になったのは、昔からある安い古着物屋さんまで、外国人向けに値上げしていないかという事です。

昨日は時間がありませんでしたが、今度は昔からのお店を覗いてみようかと思います。

ちょっと値札を見るのが怖いですが…

稽古の栄養補給

私は稽古中には、可能な限り飲食はしないのが好みです。

食べ物は食べた後に思考力が低下して、身体も重くなって、舞や謡がしんどくなるような気がするのです。

飲み物はほぼコーヒーだけです。コーヒーは少しずつ飲むとその度に頭が冴える気がします。

しかし稀に稽古中に栄養補給したくなる時もあります。

今日は昼過ぎの12時半頃から夜の21時まで、延べ40人以上の仕舞、舞囃子、謡の稽古をぶっ通しでしました。

夕方頃に燃料切れの感じになり、出されていた食べ物の中から「ゼリー状の栄養補給飲料」をいただきました。

色々と強烈な栄養素が入っていたようで、しばらくすると身体が燃焼している感じがして、残りの稽古を乗り切る事が出来ました。

しかし、私が稽古中にあまり食べないのは、「稽古が終わって帰宅してから食べるご飯を美味しくいただくため」という理由もあるのです。

今日も稽古を終えて三ノ輪の自宅に帰ると、ゼリー飲料の燃料もちょうど切れていて、晩御飯をしみじみと美味しくいただく事が出来ました。

特に先日松本稽古でいただいた小田原の「金目鯛の揚蒲鉾」が最高の美味しさでした。

明日の舞台を頑張るための万全の栄養補給になりました。

明日も頑張ります!