亀岡の花々〜兜巾か鈴懸か〜

今日は午後から亀岡稽古でした。

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京都市内で昼ごはんを食べようと思って歩いていると、空が段々と濃い色の雲に覆われて来ました。

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そして亀岡に到着する頃には今にも降りそうな気配です。

しかしなんとか稽古場まで天気はもってくれました。

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稽古の合間に少し花を見ようかと外に出ると、まず紫色が目に入りました。

「カザグルマ」の花でした。

去年は確か時期が合わなかったので、久しぶりに見ました。正に「風車」そのものの姿です。

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次に見つけた白い花ですが、こちらはオミナエシ科の「カノコソウ」という名前でした。

調べてみると、別名「ハルオミナエシ」とも呼ばれるそうです。

そう言われると、たしかに花を黄色くすると「女郎花」とそっくりになりそうです。

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次の花は…と探そうとしたところで、なんと急に雨が降って来ました。。

結構大粒の雨です。

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せめてあと1種類くらい、と思って大急ぎで撮影したのが下の花です。

ふわふわした鞠状の花がたくさん咲いています。

薄いホワイトチョコレートが丸く集まったようにも見えて、ちょっと美味しそうに見える花でした。

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名前は「トキンイバラ」というそうです。

漢字にすると「兜巾茨」でしょうか。

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しかし脳内でその漢字変換をした時に、”あれ?”と私は違和感を覚えたのです。

この花の形状は「兜巾」ではなく、「鈴懸」ではなかろうか?

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能「安宅」や、能「鞍馬天狗」などいくつかの能には「山伏」が登場します。

その山伏が身につける能装束の中に、「鈴懸」と「兜巾」というものがあるのです。

「兜巾」は頭に被る黒くて円形の小さな帽子です。

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そして「鈴懸」とは…。

形は”極太のサスペンダー”とでも言いましょうか。

幅5㎝ほどの極太サスペンダーに、ふわふわした鞠状の房飾りがいくつか付けられていると思ってください。

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そしてその「ふわふわした鞠状の房飾り」が、「トキンイバラ」の花にそっくりなのです。

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なぜこの花を見て「鈴懸茨」と名付けなかったのか、実に不思議に思われます。。

ちなみに本物の山伏は、能装束の「鈴懸」のことを「結袈裟」と呼ぶそうなので、「ユイゲサイバラ」でも良いかと思うのですが。

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もしどなたかこの命名の由来をご存知でしたら、どうか教えてくださいませ。

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今回はこれにて失礼いたします。また天気の良い日にたくさんの花をご紹介したいと思います。

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復活への第一歩

私の母親は2年半ほど前から、母校の日本女子大学構内にある和室を借りて、「日本女子大学宝生会」の復活に向けての新歓活動をコツコツとしておりました。

チラシを作成したり、先ずは職員など大人の稽古を始めて、学生に見学を呼びかけたり。

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何度か学生も見に来てくれたそうなのですが、卒業間近の4年生だったりしてなかなか定着まではしてくれませんでした。

20数年間も途絶えていたクラブの復活は、やはり相当に難しいと思われました。

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それが今春、大きな動きがあったのです。

京大宝生会の大先輩のお孫さんが、この春にめでたく日本女子大学に入学されたのです。

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4月の終わりには母親から、そのお孫さんが友達を連れて、合計3人で稽古見学に来てくれたと聞きました。

復活に向けて、大きな第一歩だと嬉しく思っておりました。

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そして昨日。

私は澤風会江古田稽古日で、普段通りに昼から江古田舞台で稽古をしておりました。

母親は例によって日本女子大に新歓活動に行っています。

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夕方になって、いつも元気なボーカリストの方の稽古をしていると、母親が帰って来ました。

横目で見ると、母親はなにやら非常にそわそわしている様子です。

するとなんと母親の後ろから、緊張した面持ちの3人の女学生さんが稽古場に入って来るではありませんか!

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母「見学に来てもらったの!」

聞くと3人の女学生さん達は、今日既に日本女子大で「羽衣キリ」の仕舞と謡を稽古して来たとのこと。

稽古の後に、「都営バス一本ですぐ江古田に行けるから!」と母親が強引に連れて来たようです。

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折良く稽古場には、日本女子大宝生会のOGの澤風会会員さんもいらして、大学の建物や授業の話などで盛り上がっていました。

3人は足袋も扇も持っていて、「稽古を続けるつもりです!」と言ってくれました。

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母親が新歓活動を始めて3年目、ついに「日本女子大学宝生会」が復活することになりそうです。

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とは言え、まだクラブとして安定するまでには時間がかかるでしょう。

復活組の先輩である神戸大学宝生会の歩みなどを参考にさせていただき、なんとか人数を増やして継続していけるように、私も出来る限り手伝って参りたいと思います。

皆さまもどこかで「日本女子大学宝生会」の姿を見かけたら、どうか応援をよろしくお願いいたします。

うれしい”ご質問”

このホームページには、今まで様々な読者の方から「お問合せ」をいただきました。

昨日もまたそのような「お問合せ」をいただいたのですが、今回はこれまでとは少々違う内容でした。

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“能に関するご質問”という題名で、都内の高校生からの問合せだったのです。

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その生徒さんは、以前小学生の時に夏休みの自由研究で「能楽」を取り上げてくれたそうです。

そしてそれから数年経って、今高校で伝統芸能について調べる課題に取り組んでおり、そこで再び「能楽」を、今度はより深く調べてみたいと考えたそうなのです。

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その後に質問がいくつか箇条書きで書いてありました。

「お忙しい立場だと思いますが、答えていただけるとありがたく思います」と最後に丁寧に書いてありました。

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全く接点のない私に、こうして能楽の事を質問するメールを書くのは大変な事だったと思います。

そして高校生が自発的に能楽に興味を持って調べてくれるとは、本当にありがたいことです。

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先ほど新幹線に乗りながら、早速質問に対するお返事を書かせてもらいました。

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拙い内容の回答ですが、どうか高校の課題に役立ててもらえるとうれしいです。

そして今回の課題で終わることなく、「能楽」に今後もずっと興味を持ち続けてもらいたいと願っております。

カンカン森通り散歩

10連休も終盤になりました。

今日は私にとって連休中最後の空いている1日でした。

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実は自宅近所に以前から気になっている道がありました。

そこを今日は探索してみようと思い立ったのです。

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「カンカン森通り」。

最初に発見したのは夜に家に帰る途中で、何か突拍子も無いネーミングに思われました。

しかし調べてみるとなんと「カンカン森」とは400年近い歴史のある古い名前だったのです。

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三ノ輪の自宅から徒歩3分で「カンカン森通り」の入り口があり、そこから日暮里駅方面に道なりに10分程歩くと…

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マンションの隙間に小さな社がありました。

境内の広さはせいぜい5×10m程です。

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この社は「猿田彦神社」。

そして「カンカン森」とは正式には「神々森」と書くのでした。

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境内に由緒書きがありました。

それによると、今から約370年前に猿田彦神を祀って建立された神社だということです。

ちょうどその頃に、この辺りが非常に風景が良くて日の暮れるのを忘れて過ごしてしまう里であったために「日暮里」の名前で呼ばれるようになったとも書いてありました。

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この神社は「日暮里」の歴史を現代までずっと見守ってきたのですね。

そして大正時代までは境内はもっとずっと広く、木々が生い茂って昼なお暗い雰囲気でした。

その神々しさに、人はこの地を「神々森」と呼んでいたのだそうです。

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この猿田彦神社では毎年9月1日に例大祭が行われるそうで、境内横には御神輿でも仕舞ってあるのか倉庫が並んでいました。

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今年の9月1日にはそのお祭りを是非見てみたいものです。

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旅の神様でもある猿田彦神様に、明日からまた始まる移動の日々の無事を祈って社を後にいたしました。

静かに暮れていく連休最後の1日でした。

三種の神器と能楽

今日から年号が改まり、いよいよ「令和時代」が幕を開けました。

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今朝「剣璽等承継の儀」をテレビで拝見いたしました。

三種の神器のうちの「草薙の剣」と「八尺瓊勾玉」を、テレビカメラ越しとはいえこの眼で見ることが出来るとは、実に感慨深いことでした。

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というのも、「三種の神器」は実は能楽にも深く関わっているのです。

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例えば「草薙の剣」は、能「草薙」においてシテ日本武尊が実際に手に持ち、その神剣の力で東夷を征伐した時の戦いを再現します。

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また「八咫の鏡」と「八尺瓊勾玉」は天照大神の「天の岩戸開き」の時に使われたと言われています。

この岩戸開きの有様が能「三輪」と能「絵馬」の中で詳しく描写されています。

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そして三種の神器は「壇ノ浦の合戦」において、平家と共に一旦海中に沈みます。

それを源義経がすくい上げたのです。

その壇ノ浦の合戦の模様は、能「大原御幸」のシテ建礼門院によって切々と物語られます。

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このように神話の時代や源平合戦での出来事を、我々能楽師は能の中で擬似体験しています。

とは言えそれらは余りにも遥かな昔の出来事で、もしかするとフィクションなのではないかと思ってしまう時もあります。

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しかし今回の「剣璽等承継の儀」で、「三種の神器」がその神性を古のままに保ちつつ、現代まで引き継がれているのを目の当たりに出来ました。

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連綿と継承されて来た「三種の神器」は、能の中の世界が遥か昔に確かに存在していた証のように私には思われて、なにか力強い気持ちになるのです。

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奇しくも今月は「草薙」を2回謡い、「絵馬」に関わるワークショップをする予定があります。

神秘なる「三種の神器」に思いを馳せつつ、新しい令和時代も一層能楽の道に励んで参りたいと思います。

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善知鳥峠の謎

昨日のブログを読んでくださった方より、「地名や会の名前に振り仮名をつけてほしい」とのお便りをいただきました。

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確かに「石和川(いさわがわ)」などは、山梨に縁の無い人や遠くの土地の人には読み辛い漢字ですね。

今後はそのような漢字には出来るだけ読み仮名をふるようにいたします。

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読みの難しい地名、というので思い出したことがありました。

先日松本稽古場の方より、長野県塩尻市に「善知鳥峠」という峠があると伺ってちょっと驚いたのです。

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謡をやっている人ならば、「善知鳥」という曲があるので「うとう峠」とすぐに読めるでしょう。

しかし驚いたのはそこではなく、「何故長野県の中心部に善知鳥峠があるのだろうか?」ということでした。

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能「善知鳥」は陸奥の話であり、”善知鳥(うとう)”という鳥もやはり北国に住む海鳥なのです。

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おそらく能の「善知鳥」とは全く関係無い由来があるのだろうと思い、調べてみると更に驚きました。

なんと「善知鳥峠」の由来になった昔話があり、それは能「善知鳥」の前日譚にあたるそうなのです。

以下がその昔話です。

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北の国の猟師が「善知鳥」という珍しい鳥の雛を捕らえました。

猟師は息子を伴って、その雛を都に売りに行こうとします。すると親鳥が子供を取り返そうといつまでも後をついて来ます。

やがて塩尻の峠にさしかかると吹雪になりました。

猟師はついに前に進めなくなり、その周りを善知鳥の親鳥は「うとう、うとう」と鳴きながら飛び回っていました。

翌朝吹雪が止んで、村人たちは猟師の息子の泣き声を聞きました。行ってみると、吹雪から息子を庇って死んだ猟師を見つけました。

そしてその横で、やはり鳴いている雛鳥と、雛鳥を庇って息絶えた親鳥を見たのです。

哀れに思った村人はそこを「善知鳥峠」と名付けて弔ったのでした。

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…という話の後に、能「善知鳥」のストーリーがあるというのです。

確かに2つの話は一応矛盾無く繋がります。

しかし、現在の青森県辺りの海岸から、海鳥の雛を京都まで歩いて運ぶというのは、かなり非現実的です。

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とは言えここまで詳細な昔話が残っているということは、長野県塩尻の「善知鳥峠」と、青森の海岸で「善知鳥」を捕らえた猟師との間には、やはり何らかの関わりがあったのでしょうか…。

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またひとつ興味深い謎が増えました。

この「善知鳥峠」に纏わる話は、今後もっと調べてみたいと思います。

また「善知鳥峠」という場所も、松本稽古の際にでも是非実際に訪れてみたいものです。

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今日はいよいよ平成最後の日になりました。

明日から始まる新しい時代に期待しつつ、静かに平成最後の数時間を過ごしたいと思います。

平成36年まで有効…?

今日は午前中に水道橋宝生能楽堂にて、明後日土曜日開催の「五雲会」の申合がありました。

私は能「巴」の地謡を勤めました。

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申合が終わってから、私は日比谷線入谷駅近くの「下谷警察署」に向かいました。

警察署とは言っても何かトラブルがあった訳ではありません。

免許の更新に行ったのです。

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幸いにここ10数年間は無事故無違反のゴールド免許なので、更新は5年に一度、近所の警察署で出来るのです。

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今回更新するとこの先5年変わらない免許証です。

直前に一応床屋さんで散髪などして、写真用に身なりを整えました。

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髪もさっぱりして、準備万端で下谷警察署に乗り込んだのですが、ひとつだけ心配事がありました。

「視力検査」です。

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両眼で一度に検査して、0.7以下だと落とされてしまい、更新料も返ってこないのです。

5年前の更新の時に、すでに視力が落ちているのを実感して、ギリギリで検査を通った記憶があります。

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これまでの人生で「眼鏡」というものを一度も作ったことの無い私ですが、今回の視力検査で落ちたらいよいよ眼鏡生活かも…

と覚悟して検査に臨みました。

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1つ目は余裕で「右です!」「はい良し」

2つ目ちょっと厳しいけど…「左?」「はい良し」

3つ目…これは小さいです。。

暫し考えて…「えー、上…?」「はい!大丈夫ですねー」

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おお!何と通ってしまいました。

これでこの先5年は眼鏡無しでいけそうです。

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そして30分の短い講習の後に、新しい免許証が発行されました。

やれやれ嬉しやと思って良く見ると、一ヶ所だけ「あれ?」と思いました。

有効期間が(平成36年)となっていたのです。

そこは(令和5年)と書いてほしかった気がします。。

おそらく来月になって元号が新しくなってから更新すれば、(令和5年)と書かれたのでしょう。

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しかし、むしろ絶対に存在しない(平成36年)という年号が書かれた免許証というのは希少価値があるかも…

と思い直して家路についたのでした。

鬼くすべは明日ではなく…

先ほど青森稽古から無事に帰って参りました。

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青森では、遠く雪をいただく雄大な八甲田山を見ました。

桜などまだまだ気配も無かったのですが、東京三ノ輪に帰って来ると…

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近所の小学校では、桜はすっかり終わって、入れ替わりにもう藤が咲いていたのでした。

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さて、明日4月18日は私にとって特別な日付でありました。

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昨年と一昨年の4月18日頃のブログを読んでいただけると、そこには大山崎宝寺の「鬼くすべ」のことが詳しく書いてあるはずです。

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「鬼くすべ」は1300年近く前から続く伝統的な”追儺式”で、毎年4月18日に執り行われてきました。

そして私はこの15年ほど、ほぼ毎年参加させていただき、本堂で謡「鶴亀」「高砂」を奉納していたのです。

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その「鬼くすべ」が、実は今年から「4月の第3土曜日」に開催されることになりました。

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…第3土曜日。

それは水道橋で「五雲会」が開催される日なのです。

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という訳で、残念ながら今年から私はあの濛々たる煙を体験出来ないことになりました。。

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しかし数日前にあった大山崎稽古の時に、「大山崎澤宝会」の皆さんに謡「鶴亀」と「高砂」をきっちり稽古させていただきました。

当日は澤宝会のメンバーが本堂で宝生流の謡を奉納いたします。

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繰り返しですが今年の「鬼くすべ」は明日18日ではなく、今週土曜日の20日に執り行われます。

土曜日に関西でお時間のある方は、マスクかハンカチを持って、少し早めの13時頃に是非大山崎宝寺にいらっしゃる事をお勧めいたします。

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先月から稽古を始めたばかりの澤宝会の新会員さんも、早速土曜日の「鬼くすべ」に参加されるそうなので、来月の稽古で煙の感想を聞いてみたいと思います。

扇を2本使う仕舞

今日は芦屋稽古から移動しての西荻窪稽古でした。

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西荻窪稽古では毎回沢山の仕舞を稽古いたします。

仕舞の曲目も多彩なのですが、稽古が難しいのは「扇を2本使う仕舞」、通称「二本差し」というカテゴリーのものです。

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同じ「二本差し」でも、例えば”八島”と”鵜之段”と”野守”では2本の扇の使い方が全く異なります。

その違いを言語化して表現するのは困難なのですが、試しにやってみます。

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袴と帯の間に2本の扇を差し、”先に抜く扇を外側”に、”後に抜く扇を内側”に差すところまでは同じですが、その後に…

八島…

①先に抜いた扇を”開いて”右手に持ち、始める。

②途中で扇を左手に持ち替えて盾にする。この時左手で扇の”竹の部分”を持つ。

③後に抜く扇を抜いて太刀にする。右手で”紙の部分”を握って持つ。

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鵜之段…

①先に抜いた扇を”開かずに”右手に持ち、松明にする。

②立ち上がってすぐに、後に抜く扇を抜いて開き、鵜籠にする。両手で”紙の部分”を持つ。

③後に鵜籠の扇から右手だけを離す。

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野守…

①先に抜いた扇を”開かずに”右手に持ち、下ニ居。

②下ニ居の状態で後に抜く扇を抜いて開き、鏡にする。左手で鏡の扇の”紙の部分”を持ってから始める。

③途中、鏡の扇を両手で持つ型が何度かある。

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…すみませんやはり訳がわかりませんね。。

これらの扇の扱い方を全て理解して会得するのは非常に困難なのです。

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しかし、仕舞の稽古がある程度進んだ方は是非この「二本差し」に挑戦していただきたいと思います。

最初苦労はしますが、適切な扇の使い方で舞うととても格好良い仕舞ばかりなのです。

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修羅物では、”経政”、”清経”、”生田敦盛”、”俊成忠度”、”兼平”など、”八島”とは少し違った2本の扇の扱い方をする仕舞がたくさんあり、どれも難しいですがやり甲斐がある曲目です。

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そしてまた、「二本差し」で苦労して稽古した後に扇1本だけの仕舞を稽古すると、前よりも簡単に感じられるかもしれません。。

花まつりの夜桜見物

毎年今頃の時期には色々な土地で桜を見るのですが、「その年一番記憶に残る桜」というのが必ずあります。

過去には大仁稽古に行く途中の「原木の枝垂れ桜」など。

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そして今年はまだ、そんな桜に出会っていませんでした。

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今日は夜から芦屋稽古で、少し早く芦屋駅に到着してしまいました。

どこかで本でも読んで時間を過ごそうかと考えて、「そういえば芦屋川の桜が見頃かもしれない」と思いつきました。

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駅から歩いて数分でもう芦屋川です。

期待した通り桜は丁度満開で、ライトアップもされていました。

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空を見上げれば切れそうな細い月が出ています。

魚は”釣針”と疑い、鳥は”弓”かと驚きそうな月です。

写真ではとても小さくて見えづらいですが、左上の角に写っています。

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桜並木は「業平橋」のところまで続いていました。

そこで「月やあらぬ…」という業平の歌が思い出されましたが、あれは梅が咲いている頃の歌でしたね。

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今日はお釈迦様の誕生を祝う「花まつり」の日でした。

花まつりの夜に満開の夜桜に行き逢うのも何かの縁かもしれません。

今年の「記憶に残る桜」は、今のところ今宵の”芦屋川の夜桜”ということになりそうです。

暮れかけの空の群青色と桜色のコントラストがなんとも綺麗でした。