打ち出の小槌と分福茶釜

大山崎稽古場のある天王山中腹の「宝積寺」には、寺宝として本物の「打ち出の小槌」が伝わっています。

正確には「打ち出」と「小槌」に分かれているそうです。

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一寸法師がお椀の舟にお箸の櫂竿で淀川を遡って都に上る途中、この宝積寺に立ち寄って修行したという伝説があるそうなのです。

その後のストーリーは確か、一寸法師は鬼退治をして「打ち出の小槌」を手に入れて、自らの身長を伸ばしたり金銀財宝を出したりして幸せに暮らしました、という感じだったと思います。

ということは一寸法師は、幸せになった更にその後に、若かりし頃に修行した宝積寺に「打ち出と小槌」を奉納したのでしょう。

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今回この「打ち出と小槌」の事を思い出したのには訳があります。

先日岩手県の「正法寺」で能楽教室をした時のこと。

行きは「岩手未来機構」の方に車で正法寺まで送っていただきました。

その車中で「正法寺には本物の”分福茶釜”があるのですよ」と伺ったのです。

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「おお、それはすごい!私の京都の稽古場のお寺には本物の”打ち出の小槌”があるのですよ。”分福茶釜”も本物が残っているのですねー」

と返事をしたのですが、そこで内心では

「えーと、分福茶釜はどんなお話だったかな…?」

となってしまいました。

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帰りの新幹線で早速調べると、狸が化けた茶釜ということのようでした。

そして群馬県の茂林寺というお寺にも”本物の分福茶釜”があると書いてあります。

どちらが本物なのだろう…と思ったら、正法寺でいただいた本にこんなことが書いてありました。

「正法寺にあった分福茶釜は、勝手にあちこち動き回るので鎖につながれてしまった。そして本堂が火事になった時に、あまりの熱さに蓋だけが飛んで行って、群馬の茂林寺まで逃げた。そこでは”守鶴の茶釜”と呼ばれて、日本昔話の”分福茶釜”のモデルになった」

つまり、”正法寺の分福茶釜伝説”は日本昔話の分福茶釜の前日譚にあたり、どちらも本物であるということなのでした。

なんだかホッと安心してしまいました。

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因みに今回の正法寺能楽教室の折にはこの”分福茶釜”を見ることは叶わず、また宝積寺の”打ち出と小槌”も未だに拝見できていないのです。

どちらもいつか必ずこの目で見てみたいと思っております。

その願いが叶った時にはまたご報告いたします。

明日はセンター試験

大学入試センター試験がいよいよ明日になりました。

今年はよく見知った高校生達が何人か受験するので、私も例年よりドキドキしています。

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先ずは良い体調で、予定通りに試験会場に到着できますように。

東京は穏やかな天気になるようですが、全国的には厳しい気候の所もあるでしょう。

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能の舞台とセンター試験には全く接点がありませんが、「とにかく冷静に、稽古(模試)のつもりで普段通りに臨むのが一番良い」という点は似ているかもしれません。

…とは言いながら私の場合、昔受験した時には試験会場で本当に直前までジタバタと暗記をしていた記憶があるので、実は全く冷静ではありませんでした。。

しかし、とりあえず解答用紙に名前と受験番号を確実に記入したところで「ああ、模試と同じ感覚になってきた」とちょっと落ち着いた記憶があります。

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また去年の試験では”ムーミン”の問題が話題になりました。ムーミン好きの受験生は問題を見て、内心ちょっとニヤリとしたのではないでしょうか。

私の時のセンター試験の国語では、馬場あき子さんの能に関係する文章からの出題があって、私は思わずニヤリとしてそこから少しリラックスできました。

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明日明後日のセンター試験、近しい高校生達、そしてこの春に京大宝生会に入るかもしれない受験生の皆さんが、頑張ってきた勉強の成果を発揮できるように、心よりお祈りしております。

3件のコメント

リンボウ先生の和歌の講義

今日のニュースで「歌会始」が皇居にて催されたと知りました。

歌会始で歌を読み上げる時の独特の抑揚は、一度聴いたら耳に残ります。

「変わった読み方をするなあ」と思う人も多いでしょうが、私にとってはあの抑揚はそれ程違和感を感じないものなのです。

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というのは、謡の中で和歌を詠むシーンは割と頻繁に出てきて、その時には和歌に”節”をつけて、歌会始風にゆっくりと読み上げるからです。

私は澤風会稽古の時など、逆に「和歌を読み上げる謡は、”歌会始”のような心持ちで謡うと良いです」と会員さん達に言っているくらいです。

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そういえば、東京芸大時代に和歌に関する林望先生の講義を受講した時のことを思い出しました。

試験はレポート形式で、和歌に関する事ならなんでも可、というゆるい条件のレポートでした。

ちょっと考えて、「百人一首」の何首かの歌に謡の節を付けて、それを私が歌会始風に読み上げた音源を提出したら単位を貰えたのです。

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その講義では、「1人一首の和歌を詠む」という回もあり、15分ほど時間を与えられて参加者全員で「う〜ん」と唸りながら和歌を考えたものです。

私は結局、京大能楽部の旧BOXでのことを詠みました。

「謡ひ終へ 窓辺に寄りて 涼み居れば

北山の上を 行く夏の雲」

夏の旧BOXは本当に暑くて、エアコンなど無いので大きな窓をとにかく全開にして稽古したのでした。

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いつか時間が出来たら、和歌を詠む勉強もしてみたいものです。

何もない一日

今日は予定の用事がキャンセルになり、何も仕事が無い一日になりました。

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ブログを毎日更新していると、よく「忙しい毎日を過ごしていて大変ですね」と言われるのですが、実は本当になんにもない日もあるのです。

というわけで、今日は特に何もせずにゆっくり過ごしてしまいました。

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昔京大にいた頃に、サカキナナオという詩人の詩に感動したことがありました。

「すばらしい一日」という題名で、

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水を汲み

薪を運び

隣で喋り

日が沈む

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という内容だったと覚えています。

私も今日はほんのすこしだけこの詩の気持ちで過ごしました。

短いですがこれにて。

謎の部品…

今日は近所の大きなホームセンターに行ってきました。

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そして色々見繕った結果、下の写真のようなパーツなどを購入いたしました。

まだ未完成なのですが、勿論能に使う何かです。

ちなみにパイプは1本が約二尺強の長さです。

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この部品が今回最大の収穫で、見つけて思わず「うおー、あった〜!」と1人で喜んでしまいました。こういうのを探していたのです。

皆さまには何のことやらわからないと思いますが。。

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パイプ寸法の微調整や足りないパーツの調達などを明日の田町稽古の前に済ませたら、とりあえずの形は出来上がると思います。

これを使う時が来たら、また皆さまに完成品を披露したいと思います。

以前に「竹生島の船」を稽古用に作ったことがありますが、今回はそれ以来の”作り物”製作になります。

完成が楽しみです…!

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ちょっと短いですが今日はこれにて。

万歩計データ2018

去年お正月のブログにて、「万歩計アプリ」のデータを紹介いたしました。

因みに私の一昨年2017年のデータを繰り返すと、

・1日平均8003歩。

・1日平均17階の階段を昇り降り。

・1年で約2200kmを歩いて移動。

・1日最高23278歩歩いた。

そうです。

そして去年のブログでは「2018年はこの記録を更新するのを目標にする」と書いてありました。

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という訳で、去年2018年の1年間の万歩計データを調べてみました。

結果は…

・1日平均7413歩。

・1日平均17階の階段を昇り降り。

・1年で約1860kmを歩いて移動。

・1日最高22228歩歩いた。

…なんと残念ながら、殆どが前年を下回る結果になっておりました。。

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このアプリには「チャレンジコーナー」もあり、私はこれまで「日本列島踏破」などの項目を達成しているようです。

今年達成出来そうなのが1日25000歩踏破の「散歩マスター」と、通算5464km踏破の「黄河流域の旅」という項目などです。

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色んなチャレンジ項目なども心の支えにして、今年こそ「2017年の記録」を超えるのを目標にしたいと思います。

結果はまた来年お正月のブログにて。

2019年どうぞよろしくお願いいたします

皆様

2019年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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このホームページも3年目に突入いたしました。

今年も変わらず出来る限り毎日ブログを更新していけたらと思っております。

年内に1000回目のブログ更新が来るはずなので、先ずはそこを目標にしたいと思います。

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今年は「亥年」です。

能関係で猪と言えば、能「鵺」で頼政の郎党として登場する”猪早太”が思い浮かびます。

頼政の矢に射られて落下した鵺にすかさず駆け寄り、刀で九回突いてとどめを刺したという勇猛果敢な武者です。

しかし”猪早太”は鵺退治の後には歴史の表舞台から忽然と消えてしまい、実在したかも定かでない人物なのです。

それでも、能「鵺」の中の「落つる所を猪早太、ツゥッと寄りて続けざまに…」という辺りのクセの謡が難しいのもあってか、不思議に私の印象に残っているキャラクターです。

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年末の大掃除で見つけた伊坂幸太郎さんのエッセイをパラパラと読んでいたら、「猪武者」という言葉があるのを知りました。

“猪早太”と関係がありそう…と一瞬思ったのですが、「猪武者」は「考え無しにがむしゃらに突進する武将」というような意味らしく、ちょっと猪早太とはイメージが違うと思いました。

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私自身もあまり「猪武者」的な要素は無い方なので、今年も淡々と、しかし着実に歩んで参りたいと思います。

いくつかは新しい試みにも挑戦する年にしたいです。

皆様重ねまして、本年も私と当ホームページをどうかよろしくお願いいたします。

一番下にあったのは…

昨日書きましたように、今日の私の最大のミッションは「机の上を片付ける」ということでした。

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思えば1年前の年末は、翌3月に控えた「郁雲会40周年・東京澤風会第5回記念大会」の番組作りに大半の時間を費やしておりました。

なので机の上の整理整頓まで全く手が回らなかったのです。

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おそらく2年ぶりとなる本格的な机掃除です。

上にあるものから順々に「要るもの・要らないもの」に仕分けしていきました。

それはまた今年の時間を徐々に遡っていく作業でもありました。

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つい先日の関西宝連番組と経政の絵のチラシ→11月の京大能と狂言の会の番組とサブパンフ→10月の松本澤風会番組と乗鞍高原の地図→澤風会京都大会の番組と大山崎聴竹居のパンフレット…

と遡っていき、更に8月の岡山子供能楽教室と吉備津神社のパンフレット、松本城薪能のチラシや前座発表会番組及び松本市民タイムズの記事、3月の郁雲会澤風会の番組とパーティやお弁当など諸々の書類…

と続いていきました。

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そして机の上の山はまだまだ残っており、去年の関西宝連や京大能狂、松本澤風会、澤風会京都大会…とまた少しずつ遡って行って、遂に一番下にはなんと一昨年平成28年春の「澤風会10周年記念東京大会」の番組が埋もれていたのでした。。

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つまり今日1日で、ほぼ3年前までの自分の足跡を振り返ったことになります。

色々とても懐かしい番組や資料があり、この機会に整理して保存しておこうと思います。

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そして机の上が見違えるように綺麗になり、非常に良い気分です。

明日はいよいよ大晦日です。

たまった本の整理などをして、あとは静かに新年の訪れを待とうと思っております。

あとは掃除のみ…

今日は午前中に水道橋で来年に繋がる仕事の打ち合わせがあり、午後から江古田で芸大を受験する高校生の稽古を夕方までしました。

これで今年の仕事は全て無事に終えることが出来ました。

皆さま誠にありがとうございました。

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明日明後日でやらねばならないのが家の掃除です。

私にとっては如何なる厳しい稽古や舞台よりもある意味で難行苦行です。。

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しかし前にも書いたと思うのですが、私にはある秘策がありました。

ほろ酔いで帰宅した時に、酔い覚ましに掃除などの仕事をちょっとだけしてから寝るようにするのです。

すると翌朝目覚めた時に色々片付いていてびっくりする、という技です。

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ここ数日稽古納めと忘年会が続いたので、この技を何日か続けて繰り出しておきました。

なので先ほど確認すると、なんと掃除も実はあらかた完了していました。

あとは最大の難関である「机の上」さえ綺麗にすれば、さっぱりとした状態で新年を迎えることができます。

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明日は頑張って机の上の山と格闘したいと思います。。

幣とタルチョ

今日の午前中に能「舎利」の申合が終わりました。

最近舞台関係のことばかり書いておりますが、ちゃんと澤風会稽古もしております。

昨日は田町稽古、今日は申合の後に先ほどまで江古田稽古でした。

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昨日の田町稽古でのこと。

田町稽古場には「和漢朗詠集」などに詳しい会員さんがいらして、謡の稽古の前後に色々解説をお願いしています。

昨日は「龍田」の解説をしていただきました。

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龍田の地謡に「殊更にこの度は、幣とりあえぬ折なるに、心して吹け嵐、紅葉を幣の神慮…」という言葉があり、これは菅原道真公の有名な「この度は 幣も取りあえず手向け山…」という百人一首の歌などから取った文句です。

そこから、「”手向け”という言葉は”峠”の語源であり、旅人が峠の道祖神やお地蔵様に幣を手向けて旅の安全を祈ったのが元になっている」というお話になりました。

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私はこの話を知らなかったので、ちょっと感動しました。

京都北山に無数にある峠には、よくお地蔵様が祀ってあったことを思い出したのです。

芦生原生林に入る峠はその名も「地蔵峠」といいました。

昔の旅人達はあの峠のお地蔵様に”幣”を手向けていたのでしょう。

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更に稽古の後に色々考えました。

「峠に幣を手向ける」という事が何か引っかかったのです。

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チベットやネパールの峠には必ず、「タルチョ 」呼ばれる五色の祈祷旗が掲げられて、峠の風にはためいている、という話に思い至りました。

改めて「タルチョ 」を調べると、「旅の安全、世界の平和などを願って掲げられる」とあります。

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幣の中には「五色の幣」というものもあり、これを峠の道祖神などに手向けるのは、もしや「タルチョ 」=五色の祈祷旗が起源になっているのではないでしょうか。

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…もしかして有名な話で、私が知らなかっただけかもしれません。

しかし昨日の田町稽古での解説のおかげで、龍田山から一気にヒマラヤ山脈の高い峠にまで想像を飛ばすことが出来ました。

解説では「龍田の神は風の神である」というお話もあり、風にはためくタルチョの風景がますます思い浮かんだのでした。

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どなたか「幣とタルチョ」の関係をご存知の方がいらしたら、どうかお教えくださいませ。