渡り鳥

今日は夜に香里能楽堂で、新作能「復活のキリスト」の稽古がありました。

京都から香里園に京阪電車で向かったのですが、途中車窓から、渡り鳥の編隊飛行を見ました。

淀を過ぎて八幡市との中間くらいの所で、遠くの空でしたが10数羽の比較的大型の鳥達が、逆V字の隊列を組んで、北東から南西方向に向かって飛んで行ったのです。

「ああ、秋だなあ」としみじみ思いました。

私が見たのは、推測ですが鴨の一種で、大阪城公園にある飛来池を目指していたと思われます。

能「花筺」のシテ照日の前は、南に渡っていく渡り鳥である「雁」を道案内にして、越前国を出発し大和国桜井にあった玉穂宮を目指しました。

しかし、実は現代日本においてはこの「花筺」のエピソードは成立し得ないのです。

…というのは、雁がシベリアから飛来する南限が、現在は島根県の宍道湖だそうだからです。

日本海側までしか渡って来ないと言うことは、福井県から奈良県に向かうための道案内にはなりません…。

これにはやはり地球温暖化が影響しているようです。

明治の頃には上野の不忍池にも雁がいたそうで、もっと昔の継体天皇の時代には、大和国辺りまで渡っていたかもしれません。

しかし、じわじわと暖かい地域が北上して行き、もしかすると遠い将来には、本州では雁の渡りが見られなくなる、という日が来るかもしれません。

一介の能楽師の私ですが、やはり地球の環境が変化していくのは気がかりなことです。

渡り鳥を見てしみじみと秋の深まりを感じる風情が、いつまでもこの日本にあってほしいと思うのです。

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落日の扇

今日もまた新幹線に乗って、東京から関西に向かいました。

途中米原辺りで夕陽が窓から眩しく差し込んで来て、やがて琵琶湖の対岸、京都東山連峰の向こうに空を赤く染めて陽が沈んでいくのが美しく見えました。

このような時に私の頭には「遠き山に日は落ちて」という曲が流れて来ます。

ドヴォルザークの交響曲「新世界より」の第三楽章のメロディで、小学生の頃戸隠山麓にキャンプに行くと毎日のように、夕焼けに赤く染まる山々を眺めながら歌ったものです。

その記憶があるからか、私は昔から「背景に山がある風景」が好きな傾向にありました。

大学で京都に来た時には、「どちらを向いても山がある!」と喜んだものです。

逆に東京では、綺麗な夕焼けを見ても「この夕焼けの向こうに山々が見えたら、もっと良いのになあ」と思ってしまうのです。

山に沈む夕陽の次に好きなのが、「海の向こうに沈む夕陽」です。

実はこの「海に落ちて行く夕陽」を描いた能の扇があります。

「負修羅扇」です。

これは能における五番立のうちの「二番目」、更にその中でも滅亡した平家の公達を描く曲のシテが持ちます。

都を追われ、最期は壇ノ浦の海底に沈んだ平家。その運命を象徴する「西海への落日」を描いた扇です。

この扇を能「兼平」に使うこともあります。源氏方とは言え、兼平は粟津が原で自害したので「負修羅」と見なすということなのでしょう。

しかしやはり「海に沈む太陽」は「平家」を象徴している気がするので、私としては「兼平」には源氏の武将が持つ「勝修羅扇」の方が合うと思うのです。

そのような事を夕焼けを見ながらつらつら考えているうちに、新幹線は京都に到着しました。

夜には香里能楽堂で「七宝会」の能「蟬丸」の申合があります。

地謡を頑張って謡おうと思います。

ホームページ開設

ホームページを開設いたしました。

この度は能楽師澤田宏司のホームページをご覧いただきましてありがとうございます。
私の家は代々繋がる能楽師の家柄では無いのですが、様々な御縁に支えられて能楽の道に進むことができました。
能楽の素晴らしさや稽古の充実感を、出会った方々と少しでも共有できたら幸いに存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。

能楽宝生流シテ方 澤田宏司