ビルの間に光る稲妻は…

昨晩の事です。

私は松本稽古を休みにして、東京三ノ輪の自宅で過ごしておりました。

外は天気予報通り大雪です。

20時頃だったでしょうか。

急に外がピカッと光った気がしました。

何かの事故だろうか?と心配になり、カーテンの隙間を開けて外を見ていると、

「ゴロゴロ…」

と腹に響くような音が聞こえてきました。

まさか…雷⁈

すぐに頭に浮かんだのが、

「葛城や 木の間に光る稲妻は…」

という葛城クセの一節です。

雪の中で鳴る雷というものを、私はこの謡の中でしか知りませんでした。

北陸では見慣れた光景という事を聞き、いつの日か北陸で見る事があるだろうか…と想像していたのです。

それがまさか東京の自宅で体験する事になろうとは…

半信半疑で外を伺っていると、再びピカッと稲妻が光り、ゴロゴロと雷鳴が轟きました。

間違い無く大雪の中で鳴る雷です。

「ビルの間に光る稲妻」か…

と不思議な感動に包まれました。

後でニュースを見て、これは「雷雪」という世界的にも珍しい現象だという事を知りました。

ちなみに2018年1月10日のブログ「木の間に光る稲妻は」で葛城クセなどにまつわる話をしていますので、よろしければご覧くださいませ。

大雪で…

私は普段から電車に乗る事が多いので、どうしても電車遅延に巻き込まれる事も多くなってしまいます。

今年に入ってからまだ1ヶ月ほどですが、合計ですでに約180分の電車遅延に巻き込まれて、稽古に影響もありました。

こうなると警戒心も強くなります。

今日は松本稽古の予定でしたが、昨夜に松本澤風会会員さんより、

「月曜日は昼頃から大雪だそうです」

とメールをいただき、それ以降はニュースと天気予報を随時確認するようにしました。

そして今朝10時の時点で、

「今日は松本に向かうと、雪で特急あずさが遅延したり、最悪運休になるぞ」

と判断して、稽古を延期にいたしました。

その後昼頃より東京でも雪が降り始めました。

松本の北の池田町に住む会員さんからは、

「2時間ほどで一気に10㎝雪が積もりました。今日は稽古があっても出て行けるか不安でした」

とメールと写真をいただきました。

夕方には特急あずさが雪の重みによる倒竹で止まっているとのニュースもあり、今日は稽古延期にして本当に良かったです。

急な事故での電車遅延は避けようがありませんが、大雪や台風など事前に予想可能な時は無理せず外出を控えたいと思います。

色々情報をいただいた松本の皆様ありがとうございました。

京大宝生東京OB会新年会

今日は宝生会春日教室舞台にて、「京大宝生東京OB会新年会」に参加してまいりました。

毎年恒例だった新年会も、コロナ禍により2019年以来の久々の開催でした。

素謡4番と仕舞で、若手からベテランまで各世代のOBが思う存分に舞台を満喫した1日でした。

京大宝生会伝統の、

「役も地頭も地謡も、誰もが等しく全力で謡う」

というスタイルはコロナ以前と全く変わらず健在で、この数年でzoomなどのリモート稽古も積極的に行われていたようで皆様それぞれ腕を上げておられて驚きでした。

この6月には、こちらも数年ぶりの「京大宝生会OB会全国大会」が東京で開催される予定です。

今日の東京新年会の勢いで、全国大会もきっと盛大に謡って舞う1日になると思います。

今からとても楽しみです。

「荒い型」と「柔らかい型」

昨日は京大宝生会の稽古でした。

今はオフシーズンで、1回生はこの時期には全員揃って荒い仕舞「国栖」を稽古する事が多いです。

2回生での「嵐山」「鞍馬天狗」などのちょっと長目の荒い仕舞の前に、短い「国栖」は丁度良いステップになる仕舞なのです。

しかし今年の1回生は覚えが早いので、短い「国栖」だとあっという間に終わってしまいます。

そこで、国栖とは雰囲気の違う仕舞を並行して稽古する事にしました。

仕舞「羽衣キリ」「右近」「田村クセ」

の3番です。いずれも”柔らかい”仕舞です。

1回生6人はこれらのうちから好きな仕舞を一番選んで、「国栖」と並行して稽古する訳です。

1人ずつ順番に、まず「国栖」、そして続けて柔らかい仕舞を稽古します。

このやり方には、実は隠れたもう一つの意味がありました。

国栖に続けて例えば「右近」を稽古すると、”行き掛かり”や”廻り返し”などの型が見事に「荒い仕舞」のようになってしまうのです。

そこで私が「荒い時の”行き掛かり”はこうで、柔らかい時はこう」

と比較して見せてあげると、彼らはすぐにコツを飲み込んで2種類の型を舞い分けてくれました。

“荒い仕舞”と”柔らかい仕舞”は、数ヶ月単位の長い期間をかけて交互に稽古するのが通常の私のやり方です。

しかし今年の1回生達は本当に吸収が早いので、このオフシーズンのうちに2種類の演じ分けをしっかりと体得してもらおうと思っています。

“千本の花盛り”とは?

今朝は松本の宿からリモートで「嵐山」の謡稽古をいたしました。

「嵐山の桜は、時の天皇が吉野の”千本の桜”を移植したものです」

と説明をしていて、ある別の謡が頭に浮かんで「あれ?」と疑問が湧きました。

その謡は「西行桜クセ」です。

クセの中で、

「千本の桜を植え置き その色を処の名に見する 千本の花盛り」

という一節があるのです。

西行桜を謡っている時には、何となくこの”千本の花盛り”とは京都の”千本通り”の事だと思っておりました。

しかし、「嵐山」に吉野の桜を移植して、尚且つ「千本通り」にも移植していたのでしょうか。

それでは都からちょっと離れた嵐山の桜の存在意義が薄れてしまうのでは…

と思い、ちょっと調べてみたのです。

結果は意外なものでした。

「千本通り」の名前の由来は、「千本の卒塔婆が立っていたから」

という説が有力だというのです。

しかし、別の説でやはり千本の桜が植えられていたからというものもあるそうで、真相ははっきりしないようです。

そもそも”千本の花盛り”とは千本通りの事では無い可能性もあり、そこもちょっと調べたのですが、京都にそれらしい桜の名所は見つかりませんでした。

「千本の桜を植え置いた」というのを地名の由来とした「千本の花盛り」…

いったい何処のことなのか、何か他に情報がありましたら是非お知らせくださいませ。

居心地の良い街

今日は午前中から京都の「ゲストハウス月と」にて紫明荘組の稽古、夕方に終えて夜は芦屋に稽古に行きました。

そして今は阪神電車に乗って、今夜の宿がある阪神尼崎に向かっております。

私は最近この「阪神尼崎」という場所に良く宿をとります。

「尼崎」という地名ですぐに頭に浮かぶ謡が、能「雲林院」の冒頭のワキ道行です。

ワキ芦屋公光が夢の導きで芦屋を出発して京都雲林院に向かう途中で、

「松陰に 煙をかづく 尼崎」

と謡うのです。当時の尼崎は、潮焼きの煙が漂う浜辺の村だったのでしょうか。

現代の尼崎市臨海部は工業地帯になり、工場の夜景が綺麗で撮影スポットにもなっているそうです。

そして阪神電車の尼崎駅周辺は、京都とも大阪ともちょっと違う、なんとも言えない「ゴチャゴチャ感」が魅力的な街なのです。

大きなアーケード街と、その裏道の昔からの飲み屋街。

何となく私が高校時代を過ごした東京の中野や、今住んでいる三ノ輪や千住辺りの雰囲気に似ているように思えて、とても居心地が良いのです。

今は基本的に宿で晩御飯を食べるので、まだこの街の飲み屋には行ったことが無いのですが、一度思い切って昔ながらの大衆居酒屋などに入ってみたいと思っております。

「翁」を持って久居へ

能「翁」から早くも2週間が経ちました。

今日は久しぶりに舞台も稽古も無い日でしたので、三重県久居の実家の父親を訪ねる事にしました。

父親と会うのは、一昨年の正月に久居に行って卒寿祝いに「三笑」の謡を謡った時以来です。

2年間ご無沙汰で元気かどうかちょっと心配しておりましたが、幸いに玄関に出てきた父親は92歳とは思えない元気な様子で安心いたしました。

元気とは言えさすがに真冬の東京に行くのは無理なので、父親は能「翁」には来られませんでした。

そこで今回の帰省は、「翁」のDVDと内祝の「翁最中」を父親に届けるというのが最大の目的だったのです。

居間の大画面テレビで早速DVD鑑賞です。

少々耳が遠くなってきた父親に大声で解説をしながら、私自身が初めて自分の「翁」を観ました。

改めて観ると改善すべき点も見えて、翁は一生に一度とは思いながら「次にやるとしたら…」という考えもぼんやりと浮かんできたり…

DVD鑑賞の後に私は1人で澤田家の菩提寺に行って、お花を手向けてお参り致しました。

そして再び実家に戻り、「翁最中」を父親とゆっくり食べてお茶を飲みました。

今日の久居は寒さが少し和らいだ穏やかな日で、四季の花が咲く実家の庭では、水仙が控えめに咲いておりました。

生まれた土地を訪ねるのは沁みじみと良いものです。

また時間を見つけて久居に帰ろうと思います。

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第16回澤風会京都大会を開催いたします

皆様 大変ご無沙汰いたしております。

世の中は依然として不安定な状況が続いておりますが、今週末の9月24日に京都大江能楽堂にて、

「第16回澤風会京都大会」

を開催させていただきます。

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2019年までは秋に大江能楽堂で澤風会京都大会を開催するのが常でしたが、コロナ禍以降は中止や延期をせざるを得ず、秋の京都大会開催は3年ぶりになります。

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番組もコロナ以前と比べるとやや少なめですが、舞囃子4番と、最後には能「蝉丸」が出ます。

能「蝉丸」の逆髪民谷渉君と蝉丸村井伊織君は、この度宝生流教授嘱託の資格を取る事になり、今回の能が嘱託披露の舞台になります。

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「蝉丸」は特に謡が逆髪蝉丸ともに難しく、それぞれが独りで謡う部分と、2人の掛け合いの部分で如何に曲の雰囲気を出せるかが大事だと思います。

本番前日まで稽古があるので、最後まで妥協せずに、より良い舞台を目指して頑張って稽古いたします。

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他にも初舞台の人、久々に仕舞を出す人、長刀に挑戦する人など、制約のある中でそれぞれが新たな目標に取り組んで参りました。

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これからはまた毎年秋に澤風会京都大会を開催したいと思っております。

澤風会のリスタートとも言える今回の舞台を、どうかご覧くださいませ。よろしくお願い申し上げます。

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第16回澤風会京都大会

9月24日午前11時半始曲

於京都大江能楽堂

巴塚を訪ねて

今週土曜日の「五雲能」にて、私は能「巴」のシテを勤めます。

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なので今日の午前中の隙間時間に滋賀県膳所にある「義仲寺」を訪ねてみました。

ここには木曽義仲のお墓と、巴御前の供養塔があるのです。

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JRに乗って雨模様の京都を出発。

大津のひとつ先の「膳所(ぜぜ)」で下車します。

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難読駅名のひとつ「膳所」。

昔琵琶湖の新鮮な魚を宮中に献上した場所で、それが名前の由来になったそうです。

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膳所駅から「ときめき坂」というやや照れ臭い名前の坂道を琵琶湖の方へ降りていきます。

10分ほどで旧東海道に行き当たり、左折してすぐに「義仲寺」はあります。

周りには、昔ここで激しい戦があったとは思えないような、平和な住宅街が広がっています。

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境内には義仲の大きなお墓があり、

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その横にひっそりと寄り添うように巴の供養塔「巴塚」がありました。

説明書きには、巴はこの場所で義仲の菩提を弔った後に木曽で90歳まで生きたとあります。

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しかし能「巴」では巴は若い姿で現れるのです。

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私は想像しました。

…巴は長生きして死んだ後も、義仲と一緒に戦いたかったのではなかろうか。

そして若い姿で修羅道に落ち、そこで再び義仲と出会って永遠に戦い続けている。

そういう幸せもあるのかもしれない…。

そう考えると、なんだか無性に切なくなってしまいました。

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義仲寺の入り口横には、「巴地蔵」という地蔵堂がありました。

その中にいらっしゃる「巴地蔵」はとても優しい顔をしています。

おそらく義仲と共にいる時の顔なのだろうな…と思いつつ、お参りして膳所駅への帰路につきました。

お正月気分かと言うと…

一昨日の元旦は宝生能楽堂にて謡初、昨日は三重の実家に日帰り帰省と、一見お正月らしい生活をしております。

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ところが実は心の中は全然お正月気分ではないのです。

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1月9日(日)の「月浪能特別公演」にて能「正尊」立衆。

1月15日(土)の「五雲能」にて能「巴」シテ。

と、正月早々に太刀や長刀を振り回す激しい役が続くのです。

なので正月行事と並行して毎日稽古も重ねております。

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能「巴」は14年前に大阪の「七宝会」で勤めさせていただきました。

二度目の演能でしかも前回から14年経っております。

今回はよりレベルアップした舞台になるように、頑張って稽古したいと思います。

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また明日からは3月5、6日の「澤風会郁雲会」に向けた舞囃子と能の稽古もスタートします。

明日だけでも舞囃子「山姥」「天鼓盤渉」「乱」「雲雀山」「三輪」、

能「井筒」「葵上」「夜討曽我」の稽古が予定されています。

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とりあえず3月の澤風会郁雲会までは「仕事全力モード」で進んで参ります。