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「しでょう」「ごでょう」

    数日前の「面白写真」のブログで、「かづき」のローマ字表記は「KAZUKI」で良いようだと書きました。

    現在は「ず」と「づ」は全く同じ発音なので同じローマ字表記で良いということなのです。

    「KADUKI」はPCで入力する時の書き方だそうです。

    「現在は」と書きましたが、実は古い日本語では「ず、づ」の発音が異なっていたそうなのです。

    ここから派生して思い出したことがあります。

    辰巳孝先生に昔、「四条」「五条」は少し前までは「しでょう」「ごでょう」と発音していたと伺ったことがあるのです。

    これも古い発音の例なのでしょう。

    しかしこの発音は現在の謡には全く残っておらず、能「熊野」でも「しじょう  ごじょうの 橋の上」と謡っています。

    また、宝生流には古い日本語の発音が残っている場合があり、「せ、ぜ」を「しぇ、じぇ」と謡う時があります。

    例えば能「国栖」では「根芹」を「ねじぇり」と発音すると教わります。

    ただしこれも私が聴いている限りでは、はっきり「じぇ」と謡う方と、「ぜ」と「じぇ」の中間くらいの発音で謡う方と、個人差があるようです。

    日本語の発音が変化して来たとすると、室町時代から変わらず伝えられて来た筈の謡の拠り所が揺らぐような、心許ない気持ちにもなります。

    しかしこれはごく一部の例外的な話で、大半の謡の発音は、やはり古い日本語の発音が残っているようです。

    私が生きているうちにタイムマシンが発明されたら、室町時代に行って、当時の能楽師と謡の発音を比べてみたい、というのも夢のひとつです。

    新しい仕舞の決め方

    今日は七葉会が終わってから初めての松本稽古でした。

    何人かの方々は、今日から新しい仕舞の稽古を始めます。

    新しい仕舞の曲を決める時には色々考慮する要素がありますが、私の場合先ず最初に考えるのが次の2つの要素です。

    ①始めてまだ日数が浅い方には、急に難しくならないように、経験して来た型が半分、新しい型が半分くらいある演目を。

    ②ベテランの方には、逆にガラリと違う雰囲気で、面白い特殊な型が幾つか出てくる仕舞を。

    更にこれに加えて、

    ③年齢、性別、性格、稽古の頻度、次の舞台までの時間。

    等を加味して、何曲か案を考えます。

    最後に決め手となるのは、

    ④本人の好み、本人の希望。

    ここで大逆転して、私の案とは全く違う演目になることも多いです。

    しかし私の経験では、余程の難しい演目でない限り、④を優先するのが一番良い結果に繋がります。

    やはり思い入れのある演目を稽古すると、稽古にも熱が入るので上達が早いのだと思います。

    今日もおかげさまで、無事に新しい仕舞が何曲か決まりました。

    10月の松本澤風会に向けて、また頑張って稽古して参りたいと思います。

    読者の皆様から

    このブログもおかげさまで開始から8ヶ月を過ぎました。

    その間に読者の皆様からは、暖かいコメントや面白写真、また折句の作品などをいくつかお送りいただきました。ありがとうございました。

    今日はそれらの写真や折句をご紹介させていただきたいと思います。

    先ずは「なりひらのかきつはた」の折句作品です。

    「眺むるばかりか

    理不尽なる雪

    ひと夜ばかり降りつつ

    乱舞する扇ことばは

    残りの冬の華歌留多」

    これは澤風会京都稽古場のIさんの作品です。
    Iさんは詩人なので、流石に美しい日本語です。また声に出して読むと綺麗なリズム感があります。

    次の作品です。

    「奈良遥か

    旅愁を抱き

    単衣着つ

    羅の帯巻けば

    野の草の詩」

    これは澤風会江古田稽古場のNさんの作品です。春に奈良に旅行にいらした時のことを折句にしてくださいました。奈良は業平に縁のある土地であり、また歌の雰囲気も業平の元歌に通ずる気がします。

    次は、そもそも「なりひらのかきつはた」の折句のネタを提供してくださった江古田稽古場の新入会員Iさんより。

    先日の七葉会を見た感想を折句にしてくださいました。Uターンで10文字の折り句です。

    「しののめに

    誓ひしこころ

    夜は迷ひ

    憂きを乗り越え

    晴れ舞台なす」

    ありがとうございます。本当に末広がりになるように、頑張って参ります。

    さて次は面白写真です。

    先日も「舌づつみ」「舌つづみ」という看板写真をお送りいただいた、松本稽古場のKさんより。

    こんな看板を見たら、逆にキョロキョロ見回してしまいそうです。

    これは京大宝生会の学生より。京都の宿で「花月」ならばそんなに珍しくないなあ、と最初は思ったのですが、よく見ると読みが「かげつ」でなく「かづき」でした。

    ローマ字は「KADUKI」が正しいのでは、と思ったのですが、これは「KAZUKI」でも良いようです。

    こちらも京大宝生会の学生より。
    能「羅生門」のシテの鬼は、顰(しかみ)という面をかけた男の鬼です。なので、「店名が羅生門なのに般若は無いだろう」と思ったのですが、日本昔話の「羅生門の鬼」の話では、鬼は若い娘や老婆に化けています。

    元々は女の鬼だったのかもしれません。

    という訳で、色々興味深いので採用させてもらいました。

    こうやって色々紹介させていただくと、学生の頃毎日聴いていたラジオのDJのような気分です。

    「それではここで一曲。近藤乾三師で”勧進帳”です、どうぞ!」とか出来たら、より楽しいのですが。。

    また皆様からの作品や写真が集まったら、ご紹介させていただきます。今日はこの辺で。

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    赤とんぼ

    私が「夏の終わり」をしみじみ感じるのは、例えば

    ・草叢で秋の虫の声を初めて聴いた時。

    ・赤とんぼが飛んでいるのを初めて見た時。

    ・ツクツクボウシの声に気付いた時。

    などなどですが、今年の場合「秋の虫の声」は早々と8月上旬に聴きました。

    そして、今朝は東京で初めて赤とんぼが沢山飛んでいるのを見たのです。これはやはりしみじみと「夏が終わっていくなあ」と思いました。

    そして例のごとく、能に「赤とんぼ」は出て来ただろうかと考えて、調べてみました。

    するとやはり面白いことがわかりました。

    とんぼは漢字で書くと「蜻蛉」ですが、これは「かげろう」とも読むのですね。

    どうやら中世の日本では、「とんぼ」と「かげろう」は「翅が薄くてフワフワ飛ぶ虫」として、同じくくりで認識されていたようなのです。

    そういえば平安時代に書かれた「蜻蛉日記」は「かげろうにっき」です。

    能においては間接的ですが、能「源氏供養」の中で源氏物語の帖名として「蜻蛉」が出て来ます。読みは「かげろう」です。

    ところが、ややこしいのは古代には「とんぼ」の事を「秋津」と呼んでいて、日本の形がとんぼに似ているので、日本国土を「秋津州」「秋津島」と称しているのです。

    「秋津」は能にもよく出てくる単語で、例えば能「岩船」の後シテは「我は〜秋津島根の龍神なり」と謡っています。

    「とんぼ」は「秋津」で、「蜻蛉」は「かげろう」…。

    これまた脳内整理が難しい問題です。。

    どなたか詳しい方がいらしたら、明快な区別を教えてくださいませ。

    さてこの次は、ツクツクボウシの声を聴くのがいつになるのか楽しみです。

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    大文字の思い出

    今日8月16日は、京都では「五山送り火」が行われます。

    私は「五山送り火」そのものよりも、送り火が焚かれる「大文字山」に、とても沢山の思い出があります。

    大文字山に最初に登ったのは、京大に入学してすぐの春の頃でした。

    始まったばかりの授業の冒頭で講師が「君達、京都は今最高の季節です。私の授業などに出ている暇があったら、何処か行って来なさい」と言って、真っ先に教室を出て何処かに行ってしまいました。

    そこでかねてから登ってみたかった大文字山を目指した訳です。

    何の情報も無く、ただ見えている「大文字」を目標に銀閣寺の裏手にまわると、登山口がありました。当時其処には馬小屋があって、林道を馬が歩いていて仰天しました。

    山道は分かりやすく、中尾城跡を過ぎて長い階段を登ると、30分程で大文字の火床に出ました。

    最初にあの景色を見た感動は、いまだに忘れません。

    京都盆地の端から端までが眼下一杯に広がる、正に大パノラマです。

    そしてすぐそこに京大のキャンパスも見えて、「こんなに素晴らしい眺望を見ないで、みんな授業を受けているのか。何と勿体無い」と妙な優越感に浸って、暫し火床で過ごしました。

    その後、数限りなく大文字山に登りました。

    1人で登り、京大宝生会の皆で登り、夜に登って100万ドルの夜景を楽しみ、冬に雪が積もればまた登り…。

    夜中にライト無しで登る時もありました。「真の暗闇」というものを初めて知り、夜の山に満ちる何とも知れない「畏れ」を感じました。

    能楽部で登る時には勿論山上で謡ったり、笛に合わせて舞ったりもしました。

    最近は京大宝生会の新歓企画で夜に登って、大文字で鍋を囲むということもしているそうです。

    「鴨川デルタ」「百万遍」などと並んで、京大生の大学時代の思い出に欠かせない存在である「大文字山」。

    今夜は私は東京ですが、京大を見下ろすように聳えるあの大文字山に、20時頃に火が灯るのを、想像しながら過ごそうと思います。

    面白写真  お盆編

    今日は面白写真シリーズです。

    能には関係無いか、たまに微妙に関係ある程度です。。

    4月に「開花宣言」というブログで紹介した上野駅構内のパンダ達が、夏祭りバージョンになっていました。そしてよく見ると…

    こちらのパンダにも赤ちゃんが生まれていました!

    上野動物園のパンダの赤ちゃんは今生後2ヶ月だそうです。御披露目が待ち遠しいですね。

    次は「何がメインのお店なのかわからない…」というお店をいくつか。

    お酒がメインなのか、お茶がメインなのか…?

    コーヒーショップにあえてこの店名…。

    飲みながら英会話レッスンをするのでしょうか。

    私が行くと、飲み過ぎて翌朝レッスン内容を忘れている恐れありです。。

    お次は某「世界の○○ちゃん」にて。

    お馴染みの「世界の○○ちゃん」社長ですが、京大生より、この格好だと某師匠に似ているとの指摘がありました。


    元はこうですが、コートと帽子を被ると…

    確かに似てますね!

    最後に電車で見かけたポスターです。


    これは読まなければ!京大の上回生も必読ですね。

    今回はこの辺で失礼いたします。

    七葉会の在り方

    一昨日の七葉会の宴会スピーチで、亀井雄二くんが「七葉会は上の2人(高橋憲正さんと私)が後輩の言うことに耳を傾けてくれるから、会がスムーズに出来る」ということを話してくれました。

    しかしむしろ私の目線から見ると、私以外の七葉会メンバーがあまりにしっかりしているので、任せっきりで申し訳無いといつも感じています。

    番組の取り纏めから印刷まで、また当日のめくりの作成は東川尚史くん。お弁当は内藤飛能くん。宴会は亀井雄二くん。当日の楽屋のお菓子や飲み物の調達を藪克徳くん。

    また受付や切戸や細々とした仕事を東大宝生会、また慶應大宝生会の学生さん達。

    これらは誰か偉い立場の人が決めた割り振りではなく、全員顔を付き合わせての話し合いの中で、自然に決まった役割分担なのです。

    一方私の役割分担はと言うと、事務所のパソコンとコピー機を使って、各会の名前をA3用紙サイズにプリントアウトして、楽屋に貼る位のことしかしていないのです。

    なので偉そうなこと等言える筈もなく、「みんなありがとう。何もしなくてすまん!」と思いながらせめて頑張って地謡を謡っているという次第なのです。

    宝生流としての楽屋での先輩後輩の序列は厳然としてあります。

    しかし「七葉会」という括りの中では序列云々ではなく、構成メンバーが対等に意見を言い合える関係でいたいと思いますし、これはひとつの大きな実験でもあると思います。

    七葉会が今の在り方でずっと存続していけたら、将来この会は何処まで成長していけるのか。

    とりあえず3年後の七葉会10周年に向けて、また来年も新しいチャレンジを続けていきたいと思っております。

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    貴船神社と鉄輪の井戸

    昨日までの七葉会もおかげさまで無事終了いたしました。

    関係者の皆様、応援にいらしていただいた沢山の方々、本当にありがとうございました。

    七葉会のことは中味が濃すぎるので、後日また書かせていただきたいと思います。

    今日は午前中から頑張って京都に移動して、京大若手OBの「能楽の会」の稽古をしました。

    来たる10月1日に京都大江能楽堂にて開催予定の京都澤風会で、京大若手OBは素謡「鉄輪」を出すことになっており、今日もその稽古をする為に遠くは金沢から若手OBOGが集まりました。

    実は先週の紫明荘稽古で何人かの若手OBOGに、「素謡鉄輪に備えて貴船神社に詣でて来ました。」という話を聞いていました。

    「貴船神社境内で鉄輪の謡を奉納したのですが、途中で観光客がすぐ後ろを通って、気まずかったですよ。ははは。」といった感じで、怖そうなスポットでも果敢に謡を謡ってきたそうです。

    一方今日の稽古に遥々金沢から来てくれたOGは、「夜行バスで金沢から来ました。朝京都に着いて、ひとりで貴船神社に詣でて来ました…」

    え、ではまさか「鉄輪」の謡もひとりで奉納…?と聞いたら、「しませんよそんなこと。」と言われて安心しました。

    今日の稽古場が四条烏丸で、実は能「鉄輪」のシテが住んでいた「下京辺」の近くです。

    なので稽古終了後に下京の「鉄輪の井戸」まで皆で足を延ばして、貴船神社との距離感を体感して参りました。

    「ここから出発して貴船神社で丑の刻参りする為には、多分夜10時位に出て3〜4時間かけて歩いたのだよ。。」「ひえ〜怖…」

    皆貴船神社と鉄輪の井戸に詣でて、「鉄輪」の舞台をしっかりイメージ出来たと思います。

    今度は七葉会の次の舞台、10月の京都澤風会が楽しみになって参りました。

    七葉会無事終了しました

    おかげさまで七葉会の今年の舞台も無事に終了いたしました。
    宴会の後に七葉の内の何枚かの葉っぱ達と二次会に繰り出し、普段はなかなか取れない仲間との気楽な時間を過ごせました。

    また詳しくはゆっくり書かせていただきます。

    今日はこれにて、おやすみなさいませ。

    七葉会初日

    今日から七葉会が始まりました。

    初日から素謡、独吟、仕舞も長刀あり、杖ありとバラエティに富んだラインナップでした。

    また今年気がついたのは、小学生以下の子供が増えたことです。

    20人以上はいたのではないでしょうか。

    能楽を後世に伝えていく為の様々な努力が、巡り巡って実を結んで来た結果ではないかと、大変嬉しく思いました。

    明日はベテランの舞囃子が沢山出る二日目です。

    皆様どうか明日も宝生能楽堂に応援にいらしてくださいませ。

    よろしくお願いいたします。