1件のコメント

名古屋の道成寺

今日は名古屋能楽堂にて、内藤飛能君の能「道成寺」がありました。

先月初めに、内藤君と東川尚史君と3人で鐘作りをしましたが、ついにその鐘が陽の目を見る時が来た訳です。

名古屋能楽堂は、客席数660で日本一、舞台の広さも通常の三間四方よりも少し大きくとってあります。

それに合わせて天井も水道橋宝生能楽堂よりも1メートル近く高くなっています。

そしてそのサイズに合わせたのか、鐘自体も水道橋のものよりも一回り大きく、いかにも重そうです。

私は3月の宝生会別会に続いて、鐘後見のひとりを勤めることになっていました。

実際に午前中に一度舞台に出して吊り上げてみると…

「う〜ん!」と力を込めて、鐘後見の大の男4人で綱を引くのですが、なかなか思うように上がってくれません。

「これは水道橋よりもかなり重いね…」と鐘後見メンバーは若干不安になりました。

しかし、鐘が上がらないと舞台は始まりません。

途中も、上げる高さを微調整しながら何度も鐘を上げ下げしないといけないのです。

足袋の裏を少し濡らしたり、それぞれちょっとした工夫をして、午後の本番をむかえました。

幕が上がって、狂言方によって鐘が舞台に運ばれて来ます。

やはり3月の時のように、ここで見所のテンションが上がっていくのを感じました。

綱が滑車に通されて、狂言方から家元に渡されます。いよいよ鐘を吊る時が来ました。

「むんっ!」と力を込めると、やはり本番はアドレナリンが出ているためか、午前中よりもスムーズに鐘が上がっていきました。

そうは言っても、やはり重い鐘です。

私は後ろから綱引き役の人を押さえるだけの役でしたが、今回は舞台が終わると手に力が入らない程に疲れてしまいました。。

先月苦労して作り、今日一日必死で上げ下げした鐘も、本番が無事に終わるとすぐに解体されてしまいます。

しかも作るのは2日がかりだったのに、こわすのにはたったの30分しかかからないのです。

今日も記憶に残る良い道成寺でしたが、名古屋の鐘での鐘後見は、次回は若者に譲りたいかも…と、筋肉疲労でちょっとプルプルする指でブログを打ちながら思ったのでした。

明日は第12回澤風会です

明日はいよいよ第12回澤風会大会が、京都大江能楽堂にて開催されます。

今日は朝から最後の仕上げの稽古をして、先ほど無事に終わりました。

今回も良い準備が出来たと思います。

きちんと稽古をされた方にとっては、本番はご褒美のようなものだと思います。

あまり緊張したり心配したりせずに、舞台を楽しんでいただけたら良いと思います。

私は澤風会の本番では基本的に、舞台上で多少間違いがあっても何も反応しないことにしています。

「稽古を積んでいれば、自然に正しい型や謡に戻る」というのが私の経験則なのです。

また、度々申し上げることですが、「稽古を積んだ上での間違いと、稽古が足りない為の間違いは、すぐに見分けられる」というのも経験則です。

能楽は勝敗がつくものではないので、努力してきた成果は、たとえ完璧な結果ではなくても、見所のお客様に必ずわかっていただけるのです。

直前稽古が出来なかった方も、型や謡は既に出来上がっているので、あとは可能な限り良いコンディションで切戸の前にいらしていただければと思います。

明日はどうかよろしくお願いいたします。

忙しいのは…

先週金曜日からこの方、東京→京都→大阪→東京→浜松→東京→京都→東京と、毎日東海道を新幹線で行ったり来たりしております。

相変わらずバタバタした日々だなあと思っていましたが、今日の紫明荘稽古で、もっと忙しくしている人が沢山いるのを知りました。

昨日同じ浜松の結婚式に出席したOBのY君は、その結婚式の後にそのまま会社の出張で京都に移動し、昼間働いた後に紫明荘稽古に夜来て、先ほど稽古を終えると明日の仕事のために新幹線で帰って行きました。

結婚式のスーツのまま、手には引き出物と長刀を持って。

また紫明荘で稽古している別のOBのK君は、大学の仕事で学会準備と論文締切が同時に来てとても大変だそうで、今日も奥さんだけが稽古に来て様子を伝えてくれました。

今日最後に来たOGのEさんも、「仕舞やろうか」と言ったら、「すみません、今日は18時20分までしかいられないので、謡だけお願いします。。」

皆それぞれ忙しい中を、何とか澤風会に出られるように頑張ってくれているのです。

勿論それ以上に、結婚したり子育てしたり、日々の生活はもっと忙しい訳で、皆本当に大したものだと思います。

一方私は最近うっかりミスが多くて、実は今朝も目覚ましが鳴らずに危うく寝過ごす所でした。

昨晩に「明日の目覚ましの時間は、今朝と同じく6時で大丈夫だな」と思った所で寝てしまい、スイッチを入れるのを忘れていたようです。。

そうしたうっかりミスを「最近バタバタ忙しいから、仕方ないかな…」と思っていましたが、紫明荘メンバーの話を聞いて、「忙しいのは皆同じ!私ももっとしっかり頑張らねば!」と気合を入れ直しました。

日々忙しかったり、色々大変な皆さん、どうか身体には気をつけて、一緒に頑張りましょうね。

第12回澤風会の申合

今日は、来たる10月1日に京都大江能楽堂にて開催される「第12回澤風会大会」の申合がありました。

今回は舞囃子が5番出ます。

「杜若」、「生田敦盛」、「邯鄲」、「橋弁慶」、「熊坂」です。

皆さんそれぞれ、これまで積み重ねた稽古(申合の1時間前まで稽古していたのです)の成果が出て、そして其々が何箇所か間違えられました。。

…しかしこの「何箇所か間違える」というのが、申合においてはむしろ大切なことだと私は思います。

経験則ですが、申合で完璧な人よりも、申合で課題が見つかった人の方が、本番が良い舞台になるようです。

例えばサッカーの日本代表チームも、ワールドカップ前の親善試合で手酷く負けてしまった時の方が、ワールドカップの成績が良いという記憶があります。

申合で間違えた人は、本番まで「上手く出来ないかも…」と心配したり、「覚えられていない気がする!」と追い詰められたりしてしまいます。

しかしその分、良い緊張感を持って当日を迎えられて、本番が無事に終わった時の喜びは一層大きいのだと思います。

たまに、稽古を始めたばかりの方で「仕舞の楽しさがまだわかりません…」と仰られるのを耳にすることがあります。

しかし私が思うに、一番嬉しくホッとする瞬間は「苦労して稽古した曲を本番で無事に舞い終えた直後」で、一番楽しいのは「その日の夜の宴会」なのです。

舞囃子の皆さん、そして仕舞や謡の方々も、終わった後の「嬉しい、楽しい」の為に、本番までのあと10日、もうひと頑張り稽古して参りましょう!

ウエストサイドストーリー

9月も半ばになると、高校の時の文化祭を思い出します。

私の母校である都立富士高校の文化祭は、「演劇祭」と呼んだ方が良い程に、各クラスがハイレベルな演劇を出すのが特徴でした。

そしてもう一つ、3年生による本格的な「ミュージカル」が出るのも目玉だったのです。

ところが私の学年はなかなかミュージカルの話がまとまらず、最後にたったの3人だけ「どうしてもやりたい!」という人間が残りました。

歌と踊りの得意な蓮さんは総監督。

甘いマスクで演劇部の末永くんが主役。

そしてやる気はあれど歌も踊りも演技も出来ない私は「総責任者」という曖昧なポジションに収まって、3人で人集めに奔走しました。

キャスト、オーケストラ、大道具、衣装、脚本、メイクなどなどの多彩な才能が学年を超えて100人、何とか集まって、ミュージカル「ウエストサイドストーリー」が始動したのです。

ウエストサイドストーリー。ロミオとジュリエットの舞台をマンハッタンに置き換えた、とても美しくとても悲しい、たった一晩の物語です。

キャストは互いに「トニー」「マリア」「ベルナルド」「ベビージョン」などと普段から呼び合い、我々の夏休みは「ウエストサイドストーリー」一色に染まっていきました。

学校のそばにある、神田川脇の公園。

夕暮れ時になると、部活や夏期講習を終えた「ジェッツ」や「シャークス」のキャスト達が、一人また一人と、まるでウエストサイドのオープニングそのもののように集まって来ます。

私が家から持って来たぼろいラジカセから流れるバーンスタイン指揮の「アメリカ」や「クール」などの曲に合わせて、蓮さん指導による稽古が始まりました。

すっかり日が暮れて、公園の街灯だけに照らされて一心に踊る仲間達。

それを見守る他のパートのチームの眼がキラキラと輝いて見えます。

それらの姿を見て私は「美しいなあ」と心から思いました。

私が世の中で「本当に美しい」と思う物事の基準は、この時この瞬間に形成されたと言っても良いくらいです。

そして、少しだけ「自分も歌や踊りや演技が出来たら良いのになあ」と思いました。

皆と一緒に踊れたら、もっと美しい景色が見られるのではなかろうか。。

あれから幾星霜を経て、私は「うたって、舞って、演技をする」仕事をしています。

今から思えば、あの「ウエストサイドストーリー」を見ているだけだった経験が、私を能楽の、舞台の世界に向かわせる原動力のひとつになった気がするのです。

いつかどこかでチャンスがあれば、ミュージカルの舞台も経験してみたい…などと、これまた大それたことを密かに思ったりしております。

院展に行って参りました

この度、上野の東京都美術館で開催されている「院展」に行って参りました。

実は澤風会田町稽古場の森田さんが日本画家で、毎年「院展」に出品されているのです。

昨年初めて券をいただいて行ってみたのですが、絵心の皆無な私にも明確にわかる程に素晴らしい作品が無数に展示されていました。

しかし昨年は閉館直前に行って駆け足で見て回っただけでしたので、今年は少し余裕を持って出掛けました。

会場に入ると、今年もやはり素晴らしい大作がずらりと展示されています。

その中の一枚の絵にふと心を奪われた私は、しばしその絵の前に茫然と佇んでしまい……と、いうような豊かな感受性を持ち合わせていない私は、「なんだかみんなすごいなぁ」などという曖昧な感想のまま、無限に続く絵の行列の前をふらふらと歩いていきました。

異国の街角、寂しい無人駅、飛翔する鷲、月夜に揺蕩う海月、眠る母娘、真夏の光射す森の道、南国の青い海、誰かの心の中、遺跡に住む猿達、平安貴族の春秋の御遊、象の親子、長崎の夜景、松明を持った修験者達…

これらの絵が掛けられている展示室は不思議な構造をしています。

大小幾つかの部屋がまとまってひとつの大きな区画を構成していて、その区画の出口の先には全く同じ構造の次の区画があり、またその先にも次の区画が現れ…というように、まるで同じ道を何度もぐるぐるまわる「リングワンデルング」に陥ったように感じます。

森見登美彦の小説に、京都祇園祭の路地を何度もぐるぐる回っているうちに、宵山の奥の奥にある異界に取り込まれていってしまう姉妹の話がありましたが、丁度そんな感覚でした。

無数のイメージの奔流に晒されて、このまま終わりなく「院展」の世界をぐるぐる回り続けるような錯覚を覚えながら絵の間を逍遥するのは、しかし大変心地良い時間でした。

それにしても、能楽のような再現芸術とは違って、全くの「無」から素晴らしい「作品」を生じさせる画家の人達は、一体どんな想像力を持っているのか不思議でなりません。

風景画にしても、無限に広がる世界の中から絵にするべき一画だけを的確に「切り取る」能力が必要です。

これらの「創造力」とでもいう力は、考えてみると最初に「能楽」を作った室町時代の人達は持っていたはずです。

しかし今の自分には「創造力」は全くありません。。

「絵を描く」という行為は、中学時代の美術の授業以来縁遠くなっているのですが、これはいつか自分も絵を勉強して、「創造力」の欠片でも身につけたいなあなどと、大それたことを思いながら「院展」の迷宮を抜け出して現実世界へ戻って来たのでした。

森田さんありがとうございました。夏から秋へと移ろう生命を描いた森田さんの作品には、今年も大変感銘を受けました。

会期はまだ続いています。「院展」皆様にもおすすめいたします。

七宝会重陽公演

今日はこれから香里能楽堂にて「七宝会重陽公演」に出演いたします。

二部制で第一部は舞囃子「枕慈童」と能「井筒」、第二部は舞囃子「小督」と能「船弁慶  後ノ出留ノ伝」です。

私は小督以外の地謡を謡います。

この中で能「船弁慶」には「後ノ出留ノ伝」という「小書」が付いています。

「小書」とは、特殊演出のことです。

能には小書が付く曲目が沢山ありますが、実は宝生流は五流の中では小書が少ない流儀なのです。

しかしその分、たまに付く小書は面白いものが多いです。

「船弁慶  後ノ伝留ノ伝」を初めて観たのがいつなのかは覚えていないのですが、鮮烈な感動を覚えたことは記憶しています。

・謡の速さを数箇所変化させる。

・シテの登場シーンと退場シーンを変化させる。

大まかにはこれだけの特殊演出で、特に大掛かりな作り物などもありません。

それなのに、通常演出とは印象が全く変わってしまうのです。

元々が究極的にシンプルな構成の能楽だからこそ、シンプルな変化で最大限の効果があるのでしょう。

通常演出の「船弁慶」を観たことがある方は勿論、先ず「後ノ伝留ノ伝」を観て、後日通常演出を観ても逆の感動があると思います。

「船弁慶」以外のプログラムも勿論お薦めです。

ご都合が合う方は、どうか本日の七宝会にお越しくださいませ。

よろしくお願いいたします。

京都のオーロラ

今日は江古田稽古でした。

次の舞台迄には少し間があり、通常モードの稽古を淡々とする日かな…と思っていたら、1月に体調を崩してお休みされていた会員さんが久々に顔を出されたり、見学の方が急にいらしたりと、色々賑やかな日になりました。

そして先ほど稽古を終えて携帯のニュースを見たところ、「太陽フレア」という文字が見えました。

太陽フレアとは太陽表面の爆発現象で、今回は10年に一度の大規模な爆発だそうです。

私が江古田稽古をしていた同時刻に、太陽から噴出した大量のガスが地球に向かっていたようで、明日午後に地球に到達して電子機器などに影響が出る可能性があるそうです。

それは深刻な話ですが、太陽フレアのガスは同時に「オーロラ」の活動を活発にするのです。

世界各地で綺麗なオーロラが見える可能性が高く、日本でも北海道でオーロラが見えるかもしれません。

明日のニュースで北海道のオーロラが見られると嬉しいですが、また思い出したのが、「鎌倉時代には京都でオーロラが観測された」という話です。

この記録を残したのが「藤原定家」。

能「定家」では、死してなお「定家葛」になって式子内親王に絡みつくという、ちょっとストーカー気味な存在になっています。。

しかし定家の日記「明月記」は鎌倉時代の貴重な記録で、様々な天体現象も克明に記されています。

そこには「1204年2月21日に京都の夜空に”赤気”が現れて恐ろしい」と書かれています。

この”赤気”がオーロラの事で、当時は地軸の関係で低緯度でもオーロラが観測出来たようなのです。

定家さんは「恐ろしい」と書いていますが、もしも万が一、現代の京都にオーロラが出現するようなことがあれば、何としてでも観てみたいものです。

壮大な宇宙の活動の中で自分が存在しているという事実を、久しぶりに思い出させてくれたニュースでした。

1件のコメント

タリーズ、レバー、ナルニア国

先日のいなかっぺ大将ネタのブログに関して、記憶術があれば教えてほしいとのコメントをいただきました。

私は特に記憶「術」のようなものは持っておりません。

前にも書きましたが、覚えるときには必ず正しい謡だけを口ずさむようにしております。

そうすれば、頭が一瞬空白になっても無意識に正しい謡が出て来るものです。

逆に、覚える途中で間違った謡を1度謡ってしまったら、正しい謡を5〜6回すぐに謡い直すようにしています。記憶の上書きですね。

あとは私の場合、同じ謡でも頭に入って来る順番があるようです。

①ストーリーがはっきりしている謡が一番早く頭に入ります。

②固有名詞が多い謡も比較的入りやすいです。

③ストーリー性があまり無く、例えば人の世の無情といった普遍的なテーマを延々と説く謡が最も記憶し辛いです。

またこれら全ての謡に共通して厄介なのが「助詞・助動詞の変化」です。

「なりけり、なりたり、なりしに、なれば…」などが一曲の中にランダムに出て来て、これを間違えると曲が「ループ」したり、逆に「ワープ」したりと言った恐ろしいことも起こります。

なので私は助詞助動詞を記憶するときには、先ず「インパクトのある文字」に置き換えて記憶するということをしています。例えば…

なりけり→なり蹴り

なりけん→な理研

なるとかや→NARUTOかや

なりたり→なりタリーズ

なりしに→なり死に

なるに→ナルニア国

なれば→なレバー

人の言うらん→人の遊覧

人の見るらん→人蚤るらん

人や聞くらん→人や菊蘭

~かな→女性の名前

~やな→関西弁

…つまり謡を浚いながら、「次は何だっけ。タリーズだ。その次は理研だ。」という具合に記憶を手繰っていくのです。

しかしあくまでこれは正しい謡を記憶する迄の話です。

決して舞台上で、「次はレバーだっけ、ナルニア国だっけ」などと考えている訳ではありません。念のため。

1件のコメント

禁野に続く天野川

今日は朝から大阪の香里能楽堂にて、今週金曜日に開催される七宝会の申合がありました。

終わって今度は京都の紫明荘稽古に移動する為に、京阪電車に乗りました。

その車窓から何気なく外を見ていると、枚方市を過ぎて小さな川を渡った時に名前の看板が目に入り、少々驚いたのです。

「天野川」

実は能「雲雀山」のワキが「交野の御野  禁野に続く  天の川」と謡う場面があります。

現在の「交野市」は枚方市の隣にあたります。

何となくイメージしていたのは、夜空に架かる天の川が地平線に向かって落ちていく先に「交野の禁野」があるという、スケールの大きな景色でした。

ところが「天の川」は「天野川」で、地面を流れる小さな「天野川」の上流に「交野」があるようなのです。

宇宙的なシーンを想像していたのに、ちょっとがっかりだなと思って更に調べたら、またしても意外なことがわかりました。

実は交野は「七夕伝説発祥の地」と言われており、「天野川」は元々「甘野川」だったのを平安時代の貴族が「天の川」に見立てて改称したというのです。

交野から枚方にかけては、何故か天体に関わる地名(星ヶ丘、星の森、星田など)が多くあり、また「織姫」を祀った神社や「牽牛」の宿った石などもあるとか。

かの在原業平も「交野の七夕伝説」に因む和歌を詠んでいて、結局やはり「天野川」は「天の川」と思って良いようです。

いつも何気なく通っていた京阪沿線にも、平安時代から続く不思議な伝説の地があったのですね。

車窓から「天野川」を見かけて良かったと、大満足して紫明荘稽古に向かったのでした。