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おまけ:「ん」のつく食べ物

先程投稿した本日のブログは、西荻窪稽古の行き帰りに書いたものです。

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その後三ノ輪に帰って来て、さて名前に「ん」が複数つく食べ物を食べて帰ろうと考えました。

関東風の「と」がつく物もちょっと考慮したいものです。

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…家の近所に「香港楼(ほんこんろう)」という中華料理屋さんがあります。

場所はここで決定でしょう。

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さて香港楼でメニューを見て、先ずは前菜「皮蛋豆腐(ぴーたんとうふ)」と「サントリーの瓶ビール」で「ん」と「と」をクリア。

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メインの「八宝菜」で「にんじん」を食べて「ん」重なりをクリアして、さて〆は。

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メニューを改めて見直すと、中華料理は「ばんばんじー」「とんぽーろー」「わんたん」「かんとんめん」など、「ん」と「と」で溢れています。

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色々迷った末に、ちょっと変化球の「天津麺」をオーダー。

「ん」がトリプルです。

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完食して「お腹ぽんぽん」で家路につきました。

東京満次郎の会無事に終わりました

おかげさまで東京満次郎の会は無事終了いたしました。

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能の地謡と仕舞と、受付などの諸々と、毎年大変に勉強になる経験をさせていただいております。

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また今日の経験をどこかの場面で活かして参りたいと思います。

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今日も短くて申し訳ございませんが、この辺で失礼いたします。

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いらしてくださいました沢山の皆様、本当にありがとうございました。

ニューヨークからの撮影隊

今日は宝生能楽堂にて月並能がありましたが、その前に私はもうひとつ仕事がありました。

江古田稽古場にて、ニューヨークから遥々いらした写真家のマグダレナ・ソレさんと彼女の生徒さん達による写真撮影があったのです。

「生徒さん達」と伺っていたので、学生さんかと思ったら、皆さん私の母親に近い年齢の方々でした。

マグダレナ・ソレさん一行は京都や東京で日本の様々な風物を撮影されていて、その中で「能楽師の写真が撮りたい」とのことで、私の所にいらしてくださった訳です。

ひとつ問題は、一行は日本語が殆んど話せず、私は英語が全く喋れないという事でした。

そこで私の知人の中で最も英語が堪能で、しかも宝生流の稽古もしているという人に助けを求めました。

プロフェッショナルの通訳で、先日宝生能楽堂にて、能楽通訳ガイド研修も受講してくれた勝木さんと、最近稽古を始めた高校英語教師の石崎さんです。

この2人に、私の内弟子同期の若手能楽師を2人加えて撮影が始まりました。

皆さん見るからに高性能な一眼レフカメラで、10人程で代わる代わる沢山の写真を撮影されました。

途中私が簡単な説明をするのを、すかさず勝木さんが英語に直して伝えてくれて、それを聞く度に皆さんは「ホォーッ」と感嘆の声を上げて、更に熱心にシャッターを切っておられます。

実は先日も書いたのですが、今回の撮影は私のこのホームページをご覧になった日本人の方から依頼を受けたお話でした。

ホームページ由来のお仕事は初めてで、どのような方々がいらっしゃるのかドキドキしていたのですが、結果的には皆さん大変良い方々で、撮影を通じて能楽に興味を持っていただけて、とても有り難く思いました。

ニューヨークに戻られてから、出来上がった写真をお送りくださるとのことで、非常に楽しみにしております。

ホームページがきっかけの縁が、今後もっと増えていけば良いと思います。

勝木さん始め本日お手伝いいただいた皆様、本当に色々どうもありがとうございました。

新作能の「小本」製作

10月1日の澤風会大会から始まって、10月は慌ただしく過ぎて行きました。

今日から11月です。

…とは言え、月が改まっても私の生活パターンは全く変わりありません。

今月は新作能の地が2番あり、そのうち「復活のキリスト」は全く初めて謡う曲です。

「復活のキリスト」という曲は、昭和32年に当時の家元宝生九郎先生のシテで初演され、今年6月にバチカン・カンチェレリア宮殿にて現宗家宝生和英先生が再演を果たされました。

私はこのバチカン公演には参加していないため、まだ曲の全貌が掴めていない状態です。

さてこのような新作を覚えるにあたって、私が何から始めるかと言いますと、先ずは「小本」を作るのです。

「小本」。正式には「袖珍一番本」と言われますが、通常の謡本の約4分の1サイズの小さな謡本のことです。

我々はこの小本を束にしていつも持ち歩き、電車の中などで広げて謡を浚う訳です。

余談ですが、以前この「小本」を見た女の子が「え〜何これ可愛い〜!」と言うのを聞いて驚いたことがあります。

我々にとっては単なる「謡記憶ツール」であり、可愛いさなど欠片も感じたことが無かったのです。。「小本」を表紙をもっと綺麗な柄にして、女性向けに売り出せば意外にヒットするかもしれません…。

それはさて置き、私の手元にある「復活のキリスト」の本はB5サイズで、電車で片手で広げるには大き過ぎます。

これをコンビニで縮小コピーして、「小本」と同じサイズにします。

帰って裁断して、ホチキスで留めて出来上がりです。

「小本」サイズに揃えるのは、覚え終わった後に小本と同じ棚に収容して、次の機会まで保管する為です。

さて無事に「復活のキリスト」の小本が出来ました。

ここですぐに覚えれば良いのですが、私の場合「よし!小本が出来たらもう大丈夫だ!」と根拠のない安心を感じてしまい、「覚えるのは明日からにしようかな…」などと独り言を呟き、鞄にしまって満足してしまうのでした。。

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台風22号→木枯らし1号

昨夜は台風22号が去ってから大阪を出て、東京に戻りました。

幸いに新幹線も空いていて、東京に到着した23時半頃には東京の空にも星が瞬いておりました。

しかし夜半になっても風が強いなと思っていたら、今日は東京と近畿に木枯らし1号が吹いたそうですね。

つまり「南風(はえ)」とも呼ばれる台風が、そのまま爆弾低気圧に変化して、大陸からの強い北風を呼び込んだことになります。

「最近の日本は秋が短い」と良く聞きますが、確かに「台風→木枯らし」という図式を見ると、「秋」が省略されてしまっているように感じます。

因みに宝生流においては「秋」の曲は、180番のうち約70曲もあります。

それはおそらく、秋から冬にかけてゆっくりと繊細に移ろっていくこの時期が、最も美しく、また侘しさや寂しさも一際強く感じられたからだと思います。

ところがここ数年の感覚だと、「秋」をじっくりと体感する時間がないままに、季節が大味に変わって冬になってしまう気がするのです。

舞台上で「松風」や「野宮」などの秋の名曲を謡いながら、「日本の秋の美しい情景は、いつまで現実に見られるのだろうか」と少し寂しく思ったここ数日なのでした。

富士山の雪

今朝の新幹線から、今シーズン初めて雪をいただく富士山を見ることができました。

新年にこのブログを始めた最初も富士山の写真だったので、感慨深く眺めました。

…本当はもう少し書きたいのですが、本日は覚える謡の量と、考えなければならない事の多さに、ここで失礼したいと思います。

こんな日もあると、どうかご容赦くださいませ。

台風とバーナム効果

今日はまた台風のために、大山崎の稽古をお休みにしてしまいました。

8月に続けて今年2度目で、大変申し訳なく思っております。。

どうも昔から私は台風の影響を受けやすい気がいたします。

…と言ってもまあ気のせいなのでしょう。台風に影響される人は全国に何千万人単位でいるはずですからね。

このように、「誰にでも当てはまる一般的な事象を、自分だけに当てはまる特別な事だと勘違いしてしまう」という心理にも実は名前がついていて、「バーナム効果」というそうです。

星占いなどはこの「バーナム効果」を上手く利用しているのでしょう。

本当を言えば、自然災害の台風を恨んでも仕方ないことですし、自分の他にも大変な目にあった人は沢山いるのだから、我が身を嘆くことも無いわけです。

それでもつい恨み節を吐いたり愚痴をこぼしたりしてしまうのが人間の性なのでしょう。

能「天鼓」のサシの謡にも、「恨むまじき人を恨み、悲しむまじき身を嘆きて…」とあるので、2000年も前の後漢時代の人も同じような「バーナム効果」の心理状態を味わっていたようです。

ここは寧ろ能「山姥」クセにある「ただ打ち捨てよ何事も」という心持ちを目指して生きていきたいものです。

今日は久しぶりに青空を見ました。これから「天高く馬肥ゆる秋」になっていくのでしょう。

大山崎の皆様、来月は必ず参りますので、どうかまたよろしくお願いいたします。

中入のパターン

能のうちで「中入」がある曲は沢山あります。

更にそのうちの大半には「間狂言」があり、1人の狂言方がその曲に関する話をワキ方に10分ほど物語る、というパターンが最もよくみられます。

しかし中には違うパターンの曲もあり、作り物の出し入れで時間をとったり、狂言方2人若しくは狂言方とワキ方で寸劇のようなものをしたりする場合もあります。

あくまで私の好みですが、前者の狂言方の語りだけの中入よりも、後者の方が色々面白い気がいたします。

今日の五雲会で地謡を謡った能「小督」の中入はというと…

①まず前シテが中入。

②その後にワキがゆったりとした運びで中入。

③それに続いてツレ小督の局とツレ侍女が静々と登場。

④更に続けて作り物「片折戸」が後見2人によって舞台に出される。

⑤狂言方による短い台詞。

⑥ツレ小督の局の謡。

⑦地謡。

というように進み、ここまでで10分ちょっとかかるので、シテが装束を取り換えるのには充分な時間がとれるのです。

この小督の中入は、ストーリーに途切れが少なくて良く考えられていると思いました。

また五雲会最後の曲「黒塚」の中入は、シテ里女の寝室を見たがる狂言方と、それを止めるワキ方の寸劇です。

この寸劇が本当に面白く、昔大阪の舞台で、地謡が思わずニヤリとしているのを見たことがある程です。

他にも「烏帽子折」「橋弁慶」「船弁慶」「放下僧」などの中入は面白いと思います。

これらの曲を御覧になるチャンスがあれば、中入にも是非御注目くださいませ。

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名古屋の道成寺

今日は名古屋能楽堂にて、内藤飛能君の能「道成寺」がありました。

先月初めに、内藤君と東川尚史君と3人で鐘作りをしましたが、ついにその鐘が陽の目を見る時が来た訳です。

名古屋能楽堂は、客席数660で日本一、舞台の広さも通常の三間四方よりも少し大きくとってあります。

それに合わせて天井も水道橋宝生能楽堂よりも1メートル近く高くなっています。

そしてそのサイズに合わせたのか、鐘自体も水道橋のものよりも一回り大きく、いかにも重そうです。

私は3月の宝生会別会に続いて、鐘後見のひとりを勤めることになっていました。

実際に午前中に一度舞台に出して吊り上げてみると…

「う〜ん!」と力を込めて、鐘後見の大の男4人で綱を引くのですが、なかなか思うように上がってくれません。

「これは水道橋よりもかなり重いね…」と鐘後見メンバーは若干不安になりました。

しかし、鐘が上がらないと舞台は始まりません。

途中も、上げる高さを微調整しながら何度も鐘を上げ下げしないといけないのです。

足袋の裏を少し濡らしたり、それぞれちょっとした工夫をして、午後の本番をむかえました。

幕が上がって、狂言方によって鐘が舞台に運ばれて来ます。

やはり3月の時のように、ここで見所のテンションが上がっていくのを感じました。

綱が滑車に通されて、狂言方から家元に渡されます。いよいよ鐘を吊る時が来ました。

「むんっ!」と力を込めると、やはり本番はアドレナリンが出ているためか、午前中よりもスムーズに鐘が上がっていきました。

そうは言っても、やはり重い鐘です。

私は後ろから綱引き役の人を押さえるだけの役でしたが、今回は舞台が終わると手に力が入らない程に疲れてしまいました。。

先月苦労して作り、今日一日必死で上げ下げした鐘も、本番が無事に終わるとすぐに解体されてしまいます。

しかも作るのは2日がかりだったのに、こわすのにはたったの30分しかかからないのです。

今日も記憶に残る良い道成寺でしたが、名古屋の鐘での鐘後見は、次回は若者に譲りたいかも…と、筋肉疲労でちょっとプルプルする指でブログを打ちながら思ったのでした。

明日は第12回澤風会です

明日はいよいよ第12回澤風会大会が、京都大江能楽堂にて開催されます。

今日は朝から最後の仕上げの稽古をして、先ほど無事に終わりました。

今回も良い準備が出来たと思います。

きちんと稽古をされた方にとっては、本番はご褒美のようなものだと思います。

あまり緊張したり心配したりせずに、舞台を楽しんでいただけたら良いと思います。

私は澤風会の本番では基本的に、舞台上で多少間違いがあっても何も反応しないことにしています。

「稽古を積んでいれば、自然に正しい型や謡に戻る」というのが私の経験則なのです。

また、度々申し上げることですが、「稽古を積んだ上での間違いと、稽古が足りない為の間違いは、すぐに見分けられる」というのも経験則です。

能楽は勝敗がつくものではないので、努力してきた成果は、たとえ完璧な結果ではなくても、見所のお客様に必ずわかっていただけるのです。

直前稽古が出来なかった方も、型や謡は既に出来上がっているので、あとは可能な限り良いコンディションで切戸の前にいらしていただければと思います。

明日はどうかよろしくお願いいたします。