ご当地ソング

昨日の京大OB会十和田大会では、「錦木」「遊行柳」「善知鳥」といった素謡が出ました。

これは東北地方の「ご当地ソング」とでも言える曲目で、秋田、福島、青森などが曲の舞台になっています。

ある場所が舞台の曲を、その土地に行って謡うのは、その曲への理解が一層深まる気がします。

また東北地方を旅する前にこれらの曲を勉強することで、東北地方の風土を理解する助けになる気もするのです。

「東北」の素謡が出たのはちょっと笑いましたが。。

「善知鳥」の素謡では、最後の仕舞の部分を謡わずにとっておいて、今日の観光で青森市内の「善知鳥神社」に行った時に境内で謡って奉納するということでした。

私は水道橋の月並能に出演する為に観光には参加しませんでしたが、善知鳥神社で謡う善知鳥は、また思い出に残るものだったろうと思います。

「ある曲の舞台に行って、その曲を謡って楽しむ」というのは、交通機関が発達した現代における「謡十徳」のひとつだと言えるのではないでしょうか。

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京大宝生OB会全国大会

本日青森の十和田市民文化センター能舞台にて、京大宝生OB会の全国大会が開催されました。

幹事の高橋さんの尽力により、盛大な素晴らしい舞台になりました。

全国から約30人のOBOGが集まり、また見所には高橋さんのお仲間の十和田宝生会の皆様始め、驚く程大勢のお客様がいらしてくださいました。

京大の舞台は皆さん出来るだけ沢山謡ったり舞ったりしたいので、時間が延びるのが常なのですが、本日もきっちり20分延びたのもまたOB会らしいと思いました。

OBの皆さんは全国それぞれの土地で、色々な職分に付いて宝生流を続けておられるのですが、年に一度しか顔合わせしない人でも謡うと声が良く揃うのは、宝生流の強みだと改めて実感いたしました。

これから宿で、これまた恒例の賑やかな宴会が始まります。

取り急ぎご報告まで。

京大宝生会の同級生達

私が京大宝生会の現役だった頃、同学年は私も含めて4人いました。

文学部が2人、医学部が1人、私が農学部でした。

その後みんな色々な人生を経て、文学部は1人がインド哲学の博士になってドイツ在住。

もう1人の文学部は青森県で高校の先生に。

医学部の1人は、宝生会の先輩と結婚して東京で耳鼻科の先生になりました。

そして農学部の私は能楽師に。。

ドイツの同級生とは、数年前にミュンヘンの能楽ワークショップで久々に再会しました。

東京の同級生は、私の舞台をご家族と一緒に度々見に来てくれます。

そして青森の同級生は、卒業後も宝生流をずっと続けて、今では教授嘱託になって藪克徳師の門下で活躍しています。

その青森の同級生が幹事になって、今年の京大宝生OB会全国大会が週末に青森県の十和田で開催されるのです。

私も数年ぶりにOB会全国大会に参加させていただきます。

京大宝生OB会は世代や立場に全く関係無く、同じノリの人々の集まりなので、いつも参加すると「またここに帰って来たなあ」としみじみ嬉しく思います。

皆さんとの再会を楽しみに、十和田に向かおうと思います。

中学校ワークショップ

今日は千葉県の中学で能楽教室をやって参りました。

体験型ワークショップで、型や謡などを少しずつ稽古して、最後に仕舞羽衣と鞍馬天狗を観てもらいました。

その後に質問の時間を設けたのですが、中学生らしい質問がいくつか出ました。

①舞台に出ると緊張すると思いますが、緊張感を克服する方法はありますか?

②舞台で大きな失敗をしない為に、何に気をつけていますか?

③能楽師という仕事をする上で、特に必要とされることは何ですか?

おそらく、日々の中学校生活の中で緊張したり失敗したりすることも沢山あるのでしょう。

また将来どんな職業に就てどんな大人になるのかを考える時期でもあると思います。

この世代の質問に答えるのは、ある意味責任重大です。

うーむと考えて、答えた内容は…

①緊張感を克服するには、やはり稽古するしかありません。稽古が足りない舞台は、不安で緊張してしまうので、その為に間違えることもあります。また「慣れ」という要素もあります。同じ内容でも、何度も繰り返し経験することで過度に緊張しなくなります。

②失敗は気をつけていてもしてしまうものです。寧ろ失敗した後が大切です。狼狽えずに何事もなく舞台を続けられたら、観客には間違いと気付かれないものです。失敗した瞬間に如何に冷静になれるかが重要と思います。

③一見理不尽に思える稽古にも耐えられる、忍耐力でしょうか。これは体育会系の部活でも同じ経験をするかもしれません。あとは謡を覚える記憶力です。

こんなことを、もっと取次筋斗に話して来ました。

中学生達は最後まで集中して見聞きしてくれました。

この中から将来1人でも2人でも、能を稽古したり舞台を観に来たりするようになってくれたら。

そう期待しながら、今後も学生向けの能楽教室を頑張って参ります。

御依頼があればいつでも何処でも参りますので、もし御希望の方はお気軽にご連絡くださいませ。

着物が好きな子供達

昨日6月6日は、子供が6歳になると芸事の稽古を始めるのに良い日だそうです。

世阿弥も満年齢の6歳位で稽古を始めるのが良いと書いていますが、最近はもう少し早く稽古開始する子が多い気がします。

澤風会松本稽古場でも、5歳にして早くも3番目の仕舞を稽古している男の子がいます。

一昨日の月曜日に稽古に行くとお母さんが、「子供が今日はどうしても紋付を着て稽古したいと言うのです」。

その子はこの8月の合同浴衣会「七葉会」で宝生能楽堂デビューも決まっています。本番を想定した稽古も良いと思い、きちんと紋付袴を着付けて仕舞「鶴亀」を稽古しました。

とても嬉しそうで、帰った後も「幼稚園にも紋付袴で行きたい!」と言ってお母さんに宥められているそうです。

そう言えば、江古田稽古場で今はもう高校生になった女の子も、稽古を始めた幼稚園の頃はいつも着物で、幼稚園にも着物で行っていたようです。中学生になった頃からさすがに洋服になりましたが、今では芸歴10年のベテランです。

松本の男の子も、8月に能楽堂デビューして、今後もずっと続けて行ってくれたらと思います。

着付けはいつでもしますので。

面白写真1

すみません、今回は能には殆ど関係無いのですが、毎日いろんな場所に行く中で見つけた面白い看板や事象などの写真をいくつか紹介させていただきます。

家の近くで。何故背後を威嚇するのでしょうか…?

この猫が行ったら、心の叫びにこたえてただで魚くれるのでしょうか…?

以前の「開花宣言」というブログに載せた写真の裏手には、子パンダが遊んでいました。

「落雪注意」

「鹿注意」

「武井砂糖店」の隣は、良く見ると「武井歯科」です。上手い商売です。

最後は多少能に関わるものを。この椅子は本気で欲しかったです。残念ながら売り物ではありませんでした。
今日はこの辺で失礼いたします。曲名看板も鋭意蒐集中です。

東山三十六峰

昨日は京都紫明荘での稽古でした。京都は良く晴れて実に爽やかな陽気でした。

紫明荘の入り口から振り返ると、賀茂川を挟んで向かい側には新緑の東山連峰が見渡せます。

先日「山紫水明」という題名でのブログに載せた写真と近い風景です。

写真左端が比叡山、右端が大文字山です。二峰の間は緩やかな弧を描いています。しかし、「東山三十六峰」では、確か比叡山と大文字山の間にも幾つか山があったような…。

という訳で東山三十六峰を調べてみると、また意外なことがわかりました。

そもそも江戸時代迄の「東山三十六峰」は36の山を特定しておらず、なだらかで美しい東山連峰を「およそ三十六峰はありそうに見える」という理由でそう呼んでいたそうなのです。

36という数字は、「三十六計」、「三十六歌仙」、「富嶽三十六景」など様々な区切りに使われる数字なので、東山にもそれを用いたのではないでしょうか。

1950年代になってから、三十六峰を特定する連載記事が京都新聞に掲載されて、現在はその記事の山を三十六峰とすることが多い、ということです。

また「大文字山」に関しても私は間違った認識を持っていました。

大文字山は「如意ヶ嶽」と同じ山だとずっと思っていて、能「鞍馬天狗」の後場で「比良、横川、如意ヶ嶽」と謡うシーンでは、何となく大文字山から天狗が飛び立つ場面を想像していました。

しかし実は如意ヶ嶽は大文字山の少し東側にある別のピークで、標高も大文字山よりも高いそうなのです。

京都にはもう30年近く往き来しているのに、今日までこれらを知らなかったのはちょっと恥ずかしいです。。

しかし、これからも何か私にとって意外な事実がわかった時は、このブログに書いていきたいと思います。

私と同じように真実を知らなかった人が、「おお!そうだったのか」と一緒に驚いてくださるとありがたいです。

涌宝会大会

昨日今日の2日間、名古屋能楽堂にて和久荘太郎師の同門会「涌宝会大会」に出演して参りました。

お弟子さんの舞台は、やはり師匠の気質を反映するものだと思います。

「涌宝会」の舞台は、「気合と迫力」に満ちていて、これは紛れもなく和久師のスタイルを色濃く映していると思いました。

能が2番と、舞囃子も沢山出てとても賑やかな会でしたが、私が特にすごいと感心したのが「独調」が多く出たことでした。

「独調」は大鼓、小鼓、太鼓のどれかひとつのお囃子に合わせて、お弟子さんが1人で無本で謡を謡うというものです。

時間にして5〜6分ですが、お囃子と謡が緊張感を持って対話しているようで、非常に見応えのある舞台でした。

しかし独調は、謡を正確に覚えて謡うのも大変ですし、教える師匠も囃子の手組を正確にわかっていないと教えられないので、これは難易度が高いです。

私の会でも、いつか独調を稽古出来たらと思います。まだ先の目標ですが。

また、和久師が指導されていて、自らの出身でもある名東高校の能楽研究部が沢山出演したのも素晴らしかったです。

高校文化連盟の全国大会にも出場するというハイレベルな高校生達は、長刀などの難しい曲でも大人顔負けの舞台を見せてくれました。

更に、大会の最後の飾る能「胡蝶」では、シテの方がすごい気迫で、「お幕」の声にまで力が漲っていました。

とにかく2日間ほとんど途切れなく舞台上におられた和久師の気力体力が、一番すごいと思いました。

今回の舞台では大いに刺激を受けましたので、私もまた澤風会の稽古を頑張りたいと思います。

和久先生、涌宝会の皆様、2日間どうもありがとうございました。

紫陽花と最中の共通点…?

以前に書いた「隙間花壇」。私の東京の自宅マンションと隣のマンションの隙間にある、日本の野の花が入れ替わりに咲く不思議な空間です。

そろそろガクアジサイが見頃になって来ました。

青い花と…

白い花。

あじさいは日本の原産種で、古くは万葉集にも詠まれています。

写真のガクアジサイの方が原種で、花が鞠のように全体に咲く所謂「あじさい」はそこから分かれた種のようです。

また面白いのは、あじさいに白居易の詩からとった「紫陽花」という漢字を当てたのは「源順」だそうなのです。

覚えていますか?「みなもとのしたごう」さん。

先日「みなもとの…」というブログで書いた、嵯峨源氏の一人でお菓子の「もなか」の名前の由来となった「水の面に照る月並みを数ふれば 今宵ぞ秋の最中なりけり」を詠んだ人です。

つまり「最中」と「紫陽花」は、源順さんがいなければおそらく全然違う単語になっていたのです。

因みに、これ程昔からある紫陽花ですが、能には「あじさい」という文字は見つかりませんでした。

もしも私の見落とした曲に「あじさい」を見つけた方は、是非御一報ください。

まだ咲き始めの隙間花壇の額紫陽花。しばらくの間楽しもうと思います。

ゴロゴロ、ドカーン

私の6月最初の朝は、雷から始まりました。

まだ夜が明けない早朝4時半頃に窓の外で「ゴロゴロ、ドカーン」という感じの大きな雷鳴が鳴って目が覚めたのです。

今、雷の音を「ゴロゴロ、ドカーン」と表現しましたが、能の中では「加茂」などで、雷鳴を「ほろほろ  とどろとどろ」と表現していますね。

能の時代の擬音語は、現代の擬音語と違うものがいくつかあって面白いです。

すぐに思いつくものを挙げてみます。

「ちょう」…能「小鍛冶」で、刀を鍛える為の槌を打つ音。

「きり  はたり  ちょう」…能「呉服」、能「松虫」で、機を織る音。転じて秋の虫の声。

「とうとう」…能「鳥追」で、鳥追いの太鼓を打ち鳴らす音。

「からり」…能「兼平」で、兜に矢が刺さる音。

「くわっ」…能「舎利」で、炎が燃え上がる音。

「ほろほろ  はらはら」…能「砧」で、砧で衣を打つ音。涙が落ちる音とも掛けている。

…頑張って考えてこの位で、意外に少ない気がします。

一方で現代には膨大な量の擬音語が溢れています。

これはやはり「漫画」の存在が大きいと思います。

例えば、野球漫画でボールを打つ音だけでも「カキーン」「キンッ」「ガッ」「ゴッ」「パァン」「バキッ」などなど。「ぐわらごわきーん」というのもあります。。

現代と室町時代と、どちらの在り方が良いとか悪いとか、難しいことはわかりません。

しかし、現代に溢れる新しい擬音語達の中で700年後に残るものがあるのか、あるならどんなものが残っているのか、それが興味あるところです。

因みに能楽に出てくる擬態語や擬声語なども中々面白いので、また別の機会に書いてみたいと思います。