海に潜ったり空を飛んだり

毎日こうも暑いと、無性に海に行きたくなったりします。

能で海の気分を味わえる曲といえばやはり「海人」、特に「玉之段」の部分ではないでしょうか。

「彼の海底に飛び入れば。空はひとつに雲の波…」

私は内弟子の頃、短い夏休みを使ってダイビング免許を取り、30を過ぎて初めて、深い海底に飛び入る経験をしました。

驚いたのは、海底から見上げる海面が本当に「雲の波」のように見えたことです。

「玉之段」には他にも、私がダイビング中に海底で経験したのと非常に似通った描写が幾つも出て来ます。

作者は世阿弥とも、もっと古い人とも言われますが、能「海人」の作者は作能の為に深い海に潜る事までもしたのでしょうか。

そう言えばもっと不思議に思うことがありました。

いわゆる「天狗物」の中入の時などに、シテが空に舞い上がって飛び去るシーンがあります。

このシーンでは、ゆっくりスタートした謡が徐々に早くなっていき、最もスピードに乗った所でシテが離陸する内容の謡があり、離陸後は急に「来序」というゆったりした囃子に移行して、遠くの空にゆっくり消えていく様を表現します。

これは、正に飛行機の離陸シーンを間近で眺めているのと同じ感覚なのです。

ジャンボ機は滑走路で徐々にエンジンの出力を上げ、ブレーキが解除されると一気に加速、ついに離陸すると高度を上げるに従って、地上からはゆっくりした速度で遠ざかるように見えます。

室町時代に空を飛ぶ物と言えば鳥くらいだと思いますが、この「来序」のシーンはもっと大きな物が離陸するのを実際に見てからでないと作れない気がするのです。

古の能の作者達が一体何を見て、どんな経験を踏まえて、「海人」や「天狗物」の能を作ったのか、これは一種の超常的なミステリーだと思います。

夏休みの思い出

江古田稽古では何人か高校生が稽古しています。

みんな今日が終業式だったらしく、明日から夏休みに入るようです。

夏休み…懐かしい響きです。

夏休みの思い出を色々考えてみたのですが、小学生の頃は夏休みになると毎年、「兼松キャンピングスクール」という野外学校に参加して、長野県の戸隠村にキャンプに行っていました。

大勢の小中学生が7〜8人ずつの班に分かれて、5泊6日テント泊で食事も自炊という、結構本格的なキャンプでした。

昼間は登山やオリエンテーリング、「水雷艦長」というゲームなどをして後は食事の準備。夜は毎晩キャンプファイヤーを囲んで、山の歌を歌いました。

「信濃の国」や「遠き山に陽は落ちて」、「燃えろよ燃えろ」など、いくつかの山やキャンプの歌を聴くと、兼松学校を懐かしく思い出します。

今でも焚き火やテント泊のキャンプはとても好きなのですが、なかなか行く機会が無くなりました。。

また、兼松学校では戸隠神社の奥社や戸隠山にも行ったので、その後に能「紅葉狩」をする時には、「あの戸隠山が舞台なのか…」と感慨深いものがありました。

暫く戸隠にも行っていません。いつの日か、また戸隠でキャンプをする…というのもひとつの夢です。
軟弱な都会暮らしが続いているので、すぐに音を上げてしまうかもしれませんが…。

通訳ガイド研修

今日は宝生能楽堂にて、「通訳ガイド研修」のお手伝いをして参りました。

これは日本人通訳の方々に、能楽を英語やフランス語、スペイン語やイタリア語などで紹介してもらう為の研修です。

私は今日初めてお手伝いしたのですが、通訳の方々10数人が、楽屋ツアーや体験型ワークショップを通して、能楽全般を所々英訳しながら研修しておられました。

能楽の歴史的背景のレクチャーから始まり、囃子や装束を見、また謡や型の稽古をして、更に面をかけて橋掛りから舞台へ出てみたりなど、研修内容は多岐にわたっていました。

その後通訳の皆さんは能「羽衣」の一部を、やはり通訳の為のアドバイスなどを受けてから鑑賞されました。

私のお手伝いはここまでだったのですが、更に座学の時間があり、最後に修了証が発行されるという事でした。

昨今は日本に来られる外国の方が増えて、これから先は更にそういう方々に能楽をPRする機会が増えていくと思います。

その時に能楽の精神性までも含めて正しく通訳してもらうことは、能楽のみならず日本そのものを知っていただく為に、重要なことだと思います。

実は今回、私の小中高の同級生で現在澤風会江古田稽古場の会員でもある、英語通訳の勝木一郎さんが研修に参加してくれました。

通訳の仕事をしている彼が、澤風会で能楽宝生流の稽古をしており、更に能楽を通訳するための研修も受けてくれたということは、大変意義深いことです。

これから彼には、能楽を英語圏の人に紹介する仕事をどんどんしていってもらえたらと思います。

勝木さんどうかよろしくお願いいたします。

祇園祭のエピソード

昨日は私は大阪能楽会館で松実会に出ておりましたが、京都では祇園祭の山鉾巡行が行われていたはずです。

実は私はこの「山鉾巡行」を生で見た事が一度もありません…。

学生の頃は、前日の宵山に繰り出して飲んでしまい、山鉾巡行の時間には部屋で爆睡…というパターンの繰り返しでした。

能の道に進んでからは祇園祭自体に行く時間がなくなってしまい、今の季節になると京都以外の何処かの土地で祇園祭を懐かしく思い出すばかりです。

祇園祭の思い出やエピソードを幾つか書き連ねてみます。

・京大宝生会現役だった頃のある日、BOXに行くと「辰巳先生が京都新聞に出てはる!」とみんなが新聞を囲んでいます。

覗いてみると…「祇園祭で大金拾う女神や!」というような見出しで辰巳孝先生の写真入りの記事が。内容は、辰巳先生が祇園祭の最中に現金二百万円入り(!)の財布を落としてしまったのを、見つけた京都女子大の学生が警察に届けてくれて事無きを得た、というものでした。

辰巳先生は能装束なども良い物を見つけると即金で買い求められた、というような豪気な伝説がたくさんある先生でした。

・同じく京大宝生会現役の頃、京大金剛会にI先輩という方がいらして、この方は毎年長刀鉾に乗って、祇園囃子の笛を吹いておられました。

そのご縁である年、私も長刀鉾に上がらせてもらいました。

思えばあれが祇園祭と最も深く関わった出来事でした。

I先輩は森田流の笛の名手で、また童顔な外見と裏腹に大酒豪で、よく楽しい大酒宴に参加させていただきました。

・つい先程、山鉾巡行翌日の京都を歩いていると、こんな鉾を見つけました。

「洛央小学校」の校門横にあった「洛央鉾」です。

この鉾は、祇園祭の山鉾ではありませんが、祇園祭と同じ時期に小学生が引いて、松原通りを巡行するようです。

洛央小学校は祇園祭の「山鉾保存会」に話を聞いて勉強したり、祇園祭の山鉾の「曳き初め」にも参加したりと、学校全体として祇園祭に積極的に関わっているそうで、とても羨ましい学校だと思いました。やはりお祭りは、見るだけではなく参加するものだと私は思うのです。

以上、祇園祭にまつわるエピソード三題でした。

松実会に出演して参りました

今日は大阪にて、石黒実都先生のお社中会「松実会」に出演して参りました。

今回の松実会は、実都先生のお父様の石黒孝先生の三回忌追善の会でもありました。

石黒孝先生は、私がまだ京大宝生会の学生だった頃から関西の宝生流の中心メンバーのお一人で、その後私が東京芸大に入り、内弟子になり、独立し…という道程の中で殆ど変わらぬお若いお姿でおられて、「この方は歳をとらないのだろうか…?」と不思議に思う先生でした。

一昨年、亡くなられる二日前の先生の最後の仕舞「三笑」の地謡に座らせていただきました。

私にはいつもと変わらないお姿に見えて、二日後の訃報に全く現実感を感じられなかったのを覚えております。

その石黒孝先生のお嬢様の石黒実都先生は、私と年齢も近く、私の意識としては同じ職業の同僚というよりも、幾多の山場修羅場を乗り越えた「戦友」と思っております。

その実都先生の本日の会では、今日はまたもう一つ下の世代、石黒孝先生のお孫さんの石黒空君と初めて一緒に舞囃子の地謡を謡いました。

空君は高校2年生。

これから彼と数え切れない回数の地謡を共にするであろう、その最初の舞台が今日であったと、これも未来にきっと思い出すであろう舞台でした。

実都先生お疲れ様でした。どうもありがとうございました。

五番立

昨日の五雲会では沢山の皆様にいらしていただきまして、誠にありがとうございました。改めて心より御礼申し上げます。

半蔀の後にロビーである方に、「半蔀は三番目なのです」というお話をしたところ、「三番目とは何でしょう?」と質問されました。

能の演目数は流儀によって異なりますが、及そ200曲前後です。

これをシテの属性や、曲の持つ特性によって5種類に区分したものを「五番立」と言います。

「神、男、女、狂、鬼」の5種類で、能の番組を組む時にもこの順番に沿って組んでいきます。

例えば昨日の五雲会では、

・初番目(神)-氷室

・二番目(男)-経政

・三番目(女)-半蔀

・五番目(鬼)-土蜘

の順で演じられました。

五番立をより詳しく例示する為に、私がこれまで舞った能を五番立で区分してみました。

①初番目(神)
「脇能」とも言われ、神様がシテです。鶴亀のシテ玄宗皇帝も神様として扱われているのですね。私が舞った脇能は…

嵐山、右近、加茂、高砂(後のみ)、竹生島、鶴亀、養老。

②二番目(男)
「修羅物」とも言われ、武将がシテです。勝者がシテの「勝修羅」は箙、田村、八島の3番のみで、あとは敗者がシテの「負修羅」です。負修羅が圧倒的に多いのも、能らしいことだと思います。私が舞った修羅物は…

生田敦盛、箙、兼平、俊成忠度、忠度、田村(前のみ)、巴。

③三番目(女)
「鬘物」とも言われ、優美な女性がシテです。能楽の幽玄性を最も強く深く表現します。

昨日の五雲会で私が舞った半蔀は、この三番目に入ります。これまで舞った鬘物は…

葛城、胡蝶、半蔀。

④四番目(狂)
「雑能物」とも言われ、ドラマチックなストーリー展開の演目が多いです。

私が舞った雑能物は…

花月、須磨源氏、忠信、道成寺、百万、富士太鼓、放下僧、巻絹。

⑤五番目(鬼)
「切能物」とも言われ、鬼や怨霊、天狗などがシテの、派手な動きが多い豪快な演目です。私が舞った切能物は…

春日龍神、黒塚、石橋、乱、是界、鵺、野守、船弁慶、紅葉狩、来殿。

こうして数えてみると、これまでに35番を勤めていたとわかりました。

生涯にあと何番勤められるかは神のみぞ知るところですが、これからも一番一番大切に舞わせていただきたいと思います。

1件のコメント

能「半蔀」終了いたしました

本日の五雲会にて、能「半蔀」が何とか無事に終了いたしました。

猛暑の中、お忙しいところ沢山の皆様にお越しいただきまして、本当にありがとうございました。

今回もまた、終了後に沢山のご感想やご注意や、今後の課題をご指摘いただきました。

この位置から少しずつでも進歩していけるように、明日からまた稽古に励んで参りたいと思います。

これから宝生能楽堂にて、本日使用した胴着や襟、その他諸々の品々を片付けてから帰路につきたいと思います。

重ねて本日はどうもありがとうございました。

明日に備えて

連日暑い日が続いております。

京都では今日は祇園祭の宵々々山だったのでしょう。

私はと言えば、明日に迫った能「半蔀」に向けて、最終の稽古を水道橋宝生能楽堂でして参りました。

たまたま本番とほぼ同時刻の14時半頃に稽古出来たのですが、やはり暑さが一番の問題でした。

しかし暑さも含めて色々調整出来ましたので、あとは明日、幕の前に良いコンディションで立てるまで、色々気を配って過ごしたいと思います。

…明日の舞台にいらしてくださる方々には、特に私の半蔀を御覧いただくにあたって、僭越ながらお願い致したい事がひとつございます。

それは、「今晩はどうかよく睡眠をとってから、明日の五雲会にいらしてください」という事なのです。

能「半蔀」は、おそらく私がこれまで勤めた曲の中で、最も眠りの世界に近い曲目だと思われます。

曲中で作り物の蔀戸が二重に見えて来た方は、ひとつは眠りの世界への門なので、くれぐれもそちらには行かないようにしてくださいませ。。

とはいえ能を観ながらうとうとするのは、私の経験上誠に心地良い時間です。能を見ながらの睡眠は、脳内にα波が出て身体に良いと聞いたことすらあります。

私自身も学生の頃は、見所で寝てしまって曲が終わった時の拍手で目覚めて、慌てて拍手をする、ということもありました。

しかしながら明日は、出来ましたら半蔀の朧げな世界に浸っていただいて、なおかつ現実世界に留まっていただければありがたく存じます。

明日は沢山の方々と能楽堂でお会い出来るのを楽しみにしております。

どうかよろしくお願いいたします。

能「半蔀」のシテとは誰か?

今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会の申合があり、私の「半蔀」も先ほど終わりました。

いつものように色々な御注意を頂き、明後日の本番までに最終調整をもうひと頑張りしたいと思います。

今年シテを勤めた「兼平」と「百万」の時には、稽古と平行してシテの人物像に迫ろうと色々調べたりしました。

しかし今回の半蔀のシテ「夕顔」は、ちょっとその作業が難しいと感じています。

「夕顔の上」は人物名としては、「兼平」や「百万」よりも有名だと思います。

しかしながら能「半蔀」のシテは、「源氏物語の夕顔」と、「植物としての夕顔」が微妙に融合した、能固有の存在であると思われるのです。

私の考えたところでは、前シテの夕顔は「植物」の部分が主体であり、後シテは同じ夕顔でも「人間」の要素が強くなり、特に後半の「クセ」に入ってから以降は、完全に源氏物語の「夕顔の上」になっていると思います。

そしてまた序の舞が終わってからの最後のシーンでは、花なのか人なのか判然としない存在となって消えていくのです。

今回はこの曖昧な「夕顔」の輪郭はあえてはっきりと捉えずに、植物と人間の間で移ろうあわあわとした儚い空気感を、そのまま表現するような事が出来たらと思っております。

明後日の五雲会に皆様どうかいらしてくださいませ。

よろしくお願いいたします。

夏のマスクの効用

1月26日のブログで「マスクの効用」について書きました。

これは、あくまで私の感覚ですがマスクを着けると能面と似た負荷が顔にかかり、いざ舞台で面をかけた時に違和感無く舞える気がする。

またマスクで階段を昇り降りすると更に効果が増す気がする。というような内容でした。

あの頃は真冬で風邪も流行っており、マスクをするのがむしろ当たり前でした。

実は私はここ数日、久々にまたマスクを着けて生活しております。

これは風邪予防ではなく、今週末の五雲会での能「半蔀」シテに向けての対策なのです。

私は何度も書いているように暑さが大の苦手で、ここ最近の暑さで面をかけて稽古すると、汗は目に入るし、息はすぐに苦しくなってしまいます。

この感覚に少しでも慣れようと、平常時からマスクで顔に負荷をかけようと言う訳です。

夏のマスク生活は冬場よりも格段に息苦しく、地下鉄日比谷線から総武線までの階段を早足で登ると、高校の頃に陸上部の練習で味わった苦しさが蘇ってくる感じです。。

…夏の最中にマスクを着けていて、気がついた事があります。

それは、「この暑さの中でも、マスクを着けている人が意外にいる」という事でした。

女性の場合は、紫外線対策という意味もあると思いますが、男性もちらほらと見かけます。

エアコンから喉を守る為かもしれませんね。

しかし私は最近のマスク生活で思うのですが、夏のマスクは何かから身体を守るというよりは、肺活量や、暑さに耐える忍耐力を鍛えるトレーニングになる気がします。

私はおそらく半蔀が終わったら、マスクは見るのも嫌!という感じになりそうですが、五雲会まで今少し、マスク生活を頑張ろうと思います。