能「邯鄲」の楽の舞

今日は水道橋宝生能楽堂にて明後日開催の「月並能」の申合があり、私は能「邯鄲」の後見を勤めました。

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「邯鄲」という能は見どころが多く、テーマも深淵で、正に名曲と言えます。

その数ある見どころの中でも、私が何度見ても凄いと思うのは、「楽」の舞です。

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シテ盧生は曲のクライマックスで、「一畳台」という畳一畳分の大きさの作り物の上で「楽」という舞を舞います。

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畳一畳分とは、能舞台(5.4m四方)の僅か18分の1のスペースです。

この空間で、通常と同じ「楽」を舞わねばならないのです。

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一畳台の上では、シテの足数は3足を越えることは決してありません。

また「まわり返し」などの型も、狭いスペースに合わせて非常に巧みにアレンジされています。

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舞が進むにつれて観客の目は、むしろ一畳台が狭いが故にシテに集中していきます。

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そして舞の後半、シテのある動きによって観客は、「一畳台の上は夢の世界で、台の下は現実世界が広がっているのだ」と気付かされます。

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やがてシテが一畳台を降りて広い舞台に出て行く時、それまで一畳分のスペースに気持ちが集中していた分、舞台は対照的に限りなく広大な空間に感じられます。

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シテは今度はその広い空間を縦横に使って、スピーディに動き回ります。

その若干異常にも感じられる盛り上がり方で、「何かが終局に近づいている」とまた気付かされるのです。

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このような様々な効果を、「一畳台を使って楽を舞う」というシンプルな要素だけで実現させてしまう。

こういった発想を目の当たりにすると、能作者とは全く超人的な才能を持った人間なのだと改めて痛感してしまいます。

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この名曲「邯鄲」を、明後日の月並能で是非ご覧くださいませ。

・宝生流月並能

6月10日14時開演 於宝生能楽堂

能「柏崎」シテ金森秀祥

能「邯鄲」シテ大坪喜美雄 ほか

一番しんどいのは…?

次の3つのうちで、一番しんどい状態はどれだと思いますか?

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①激しく動きまわっている時。

②ゆっくり動いている時。

③じっと動かないでいる時。

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普通なら①が一番疲れてしんどいと思われるでしょう。

しかし、能においては実は③が最も辛いのです。

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先日の涌宝会の能「船弁慶」の時、私は何人かの楽師と楽屋のモニターで見ていました。

曲も終盤に差し掛かって、後シテの平知盛が長刀を肩に差し当てていわゆる「休息の型」に入りました。

ここから「その時義経 少しも騒がず 打ち物抜き持ち 現の人に」という謡の間、シテはじっとして動かずにいるのです。

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そこで、隣で見ていたある先輩楽師が「ここが一番しんどいんだよね…」としみじみと言いました。

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船弁慶の「休息の型」は、右足に全体重をかけて半身で構えています。

なのでたとえ短い時間であっても、装束も加えた重量と、それまで激しく動いていた疲労が重なって、足がガクガク震える程の辛さなのです。

「休息の型」では全然休息出来ず、それが終わって再び長刀を振りかざした時に「やっと動けた!」とむしろホッとするのです。

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実は明後日の「京都満次郎の会」で出る能「熊野 膝行三段之舞」でも、比較的長くじっと動かずにいる時間があります。

その時間、舞台上の立ち方はかなりの力を使って気張ってじっとしていると思っていただけると有り難いです。。

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繰り返しですが、初めて能を見る方でも「綺麗だなあ」と楽しめて、ちょっと知っている人は途中で「おおっ」と驚きがあり、よくよく知っている方は更に細部にわたって沢山の驚きと発見がある能「熊野 膝行三段之舞」を明後日の舞台でどうか多くの皆様にお楽しみいただければと思います。

・京都満次郎の会

6月9日(土)16時始 於金剛能楽堂

能「熊野 膝行三段之舞」シテ辰巳満次郎

ワキ福王茂十郎 ツレ澤田宏司

仕舞「蝉丸」宝生和英 他

満を持しての…

私は何事も計画的に実行するのが大の苦手です。

2年後に大きな目標を設定して、それに向けて課題をひとつづつ着実にクリアしていくというような経験は、これまでの人生で一度もないかもしれません。

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しかし、今日の涌宝会2日目で能「船弁慶」を舞われたシテの方が正にそのような2年間を過ごされたのです。

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2年前の涌宝会の時に、その方は仕舞「船弁慶キリ」を舞われました。

私もその地謡を謡った後に、その方が私に「実は再来年にこの船弁慶の能を舞おうと決心したのです」と仰られたのです。

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その後、舞囃子「船弁慶」を経験されて、今回の涌宝会で満を持して能「船弁慶」に挑戦されたわけです。

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そして果てしない稽古と綿密な準備を経てようやく迎えられた今日の本番です。

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おシテは緊張感を通り越した何か透明な雰囲気で能楽堂にいらっしゃいました。

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見所はやはり2年越しの船弁慶を観るために集まった方々で殆ど満席です。

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そのような舞台に立ち会うだけで、私も緊張してしまいます。

私は楽屋でのお手伝いだけでしたが、舞台の成功を心底から祈りつつ、出来る限りの仕事をさせていただきました。

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関係した全ての方々の力が重なり合って、今日の船弁慶は素晴らしい舞台になりました。

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3日間にわたった涌宝会の最後を飾る、2年前から作ってこられた能。

その舞台を終えられたシテの方は、しかしまだ何かが続いているような引き締まったお顔で楽屋で挨拶をされていました。

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おそらく今後何日もかけて、ここまで御苦労された様々と、今日の素晴らしい舞台を噛み締めていかれることでしょう。

このような大切な舞台に立ち会わせていただいて、大変光栄に思いました。

御社中会のタイムテーブル

以前に倉本雅先生が御存命の頃には、毎年倉本先生の御社中会「梗風会」に呼んでいただいておりました。

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梗風会は4月の半ばに2日間にわたって開催されていましたが、その2日間のタイムテーブルが特徴的でした。

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初日の朝集合して、先ずは申合が始まります。

申合が昼過ぎに終わると、30分程休憩してすぐに本番が始まるのです。

その本番初日は17時頃には終わります。

そしてまた1時間程休憩したあとに、もう宴会をやってしまうのです。

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人によっては午前中に申合せ、午後本番でその後すぐに宴会があり、全てがギュッと1日に凝縮されるわけです。

そして宴会のあとに一泊して、翌朝から本番2日目が夕方まであり、終わるとそのまま解散という日程でした。

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因みに澤風会を2日間開催する時には、申合を本番の1週間くらい前にやり、本番の2日間を終えた後に最後に宴会をしております。

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また今回お世話になっております涌宝会では、昨日が申合で今日が本番初日。

そして本番初日の終了後に2日目の分の申合がありました。

明日はその2日目の本番があるわけです。

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このように、同じ御社中会でも会によってタイムテーブルは千差万別なのです。

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ある会のタイムテーブルで行動していると、「ああ、一年ぶりにこの日程で、また見知った方々がたくさんいらっしゃるなあ」と、ちょっと嬉しい気分になるのです。

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今日は涌宝会初日の見所に、澤風会の会員さんにも何人かいらしていただきました。ありがとうございました。

明日の涌宝会2日目も頑張ろうと思います。どうか明日も皆様宝生能楽堂にお越しくださいませ。

よろしくお願いいたします。

涌宝会大会が開催されます

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明日明後日開催の和久荘太郎師の御社中会「涌宝会」の申合がありました。

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毎年番組の量と質に驚かされるこの涌宝会なのですが、今年も能が「枕慈童」と「船弁慶」の2番出ます。

加えて舞囃子が20番ほどもあり、更に独調、独鼓、一調も計10番ほど出るのです。

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完全に記念大会レベルの番組量で、しかも舞囃子の種類も実に多彩です。

殆ど全ての舞が出ると言えます。

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また明日の15時半頃には和久師の番外舞囃子「老松」がありますが、「真之序之舞」はなかなか出ない舞で、貴重な舞台だと思います。

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このように観るととても勉強になる会なので、皆様是非明日明後日には宝生能楽堂にいらっしゃることをお勧めいたします。

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涌宝会は明日が11時半〜16時、明後日が9時半〜17時半の開催予定です。

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特に澤風会の皆様は是非観にいらして、大いに刺激を受けていただければと思います。

「くれは」の日

またしても語呂合わせなのですが、今日5月29日は「529」で「ごふく」、つまり「呉服の日」だそうです。

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「呉服」といえば、能にも「呉服」という曲があります。

しかしこれは「ごふく」とは読まないのです。

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能の曲名には、読みが非常に難しいものが何曲かあります。例えば…

「木賊」、「善知鳥」、「采女」、「女郎花」、「自然居士」、「大会」、「花筐」、「和布刈」、「大蛇」

などは、能を知っていれば難無く読めるのですが、一般の方には馴染みの無い読み方だと思われます。

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また、

「難波」、「海人」、「葛城」、「鉄輪」、「当麻」

と言った曲はすぐに読めそうですが、曲名として正確に読めていない人が意外に多いのです。

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早速答え合わせをすると…

「木賊」→とくさ。

「善知鳥」→うとう。

「采女」→うねめ。

「女郎花」→おみなめし。

「自然居士」→じねんこじ(しぜんこじ ではありません)。

「大会」→だいえ(たいかい ではありません)。

「花筐」→はながたみ。

「和布刈」→めかり。

「大蛇」→おろち(だいじゃ ではありません)。

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また、

「難波」→なにわ(なんば ではありません)。

「海人」→あま(うみんちゅ ではありません念のため…)。

「葛城」→かづらき(かつらぎ ではないのです)。

「鉄輪」→かなわ(てつわ と読む人がたまにいます)。

「当麻」→たえま(たいま ではありません)

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そして「呉服」は「くれは」と読むのです。

現代では殆ど失われてしまった漢字の読み方が、能の曲名や謡の文句には沢山残されています。

こう言った古い読み方は、能楽がある限り未来へと受け継がれていくでしょう。

そんな意味でも、1人でも多くの方に能楽を知っていただければ良いなあと思うのです。

能と仕舞で変わること

仕舞や舞囃子、或いは素謡の稽古をした曲を、能楽堂で能として一曲を通して観るのは楽しくまた勉強になるものです。

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しかし時にはそこで驚いてしまう事があるのです。

「あれ?このクセは、私が稽古した仕舞と型がちょっと違う!」

とか、

「舞囃子で稽古した時の型付には無かった謡や型をやっている!」

或いは、

「作り物が大きくて、舞台がかなり狭くなっている!本当はこんなに小さなスペースで、あの仕舞が舞われていたのか!」

などなど。

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そして、能「熊野」もそのような曲のひとつです。

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先日書きましたが、仕舞としての「熊野クセ」は入門して間もない人が稽古する曲です。

ところが、能「熊野」を観に行って、「私はこの曲を初めて観るけれど、”クセ”だけは稽古したから良くわかるはず」と思って観ていると、クセの前半で「あれっ?」という驚きがあるのです。

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また、舞囃子としての「熊野」はかなり上級者向けです。

「イロエ掛かり中之舞」という特殊な始まり方の舞があり、舞アトの型も謡と合わせるのが難しいのです。

そしてこの舞囃子「熊野」を頑張って稽古した人が「私は”熊野”に関しては舞囃子までやったのだから、かなり良くわかっているはず」と思って能「熊野」を観ると、これまた良く知っているはずの舞囃子の部分で「あれあれ?私と全然違う事をやっている!」とちょっとビックリされるはずなのです。

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一曲の能から「舞囃子」や「仕舞」を作るにあたっては、登場人物が減ったり作り物が無くなる関係でどうしても無理が生じます。

その矛盾を解消するために、型を変えたり謡を省略したりすることがあるのです。

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そのようなアレンジを観能中に発見するとちょっと驚いてしまいます。

しかしそのアレンジの手法に「へ〜、成る程そう変えてくるのか!」と感心したりして、また楽しくもあるのです。

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そしてこの「能」と「舞囃子」と「仕舞」でそれぞれ違う顔を見せてくれる曲「熊野」が、来週末に京都で演じられます。

・第2回京都満次郎の会

6月9日(土)15時開場16時開演 於金剛能楽堂

能「熊野 膝行三段之舞」シテ辰巳満次郎 ワキ福王茂十郎 ツレ澤田宏司

仕舞「蝉丸」宝生和英 ほか

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私もツレを勤めさせていただきます。

「熊野」は昔からの人気曲で、初めて観る方でも楽しめます。

また仕舞や舞囃子や謡を稽古された方は、上記のような「驚き」や「感心」が必ずやあると思います。

皆さまどうか「京都満次郎の会」にお越しくださいませ。

関西宝連無事終わりました

今日の関西宝連も、素晴らしい舞台と、表には出ないたくさんのドラマを内包しつつ賑やかに終わりました。

新入生のみなさんは初舞台おめでとうございました!

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京大の面々はおそらくこれからBOXへ。

私は力尽きて宿に向かいます。

あとは頼もしいOBOG達に任せたいと思います。

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大変短いのですが、今日はこれにて失礼いたします。

1件のコメント

夜討曽我の「走り込み」

本日おかげさまで夜能「夜討曽我」を無事に勤めることが出来ました。

いらしてくださいました大勢の皆様、誠にありがとうございました。

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一曲の能の終わり方には、実は様々な種類があります。

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一番多いのは、

①留拍子(とめびょうし)」と呼ばれる左右一回ずつの拍子を、シテが踏んで終わるパターンです。

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それ以外には、

②「留拍子」を踏むタイミングで拍子を踏まずに静かに終わる曲。(大原御幸、楊貴妃、俊寛、蝉丸など)

③シテが切戸から引いてしまい、ワキが留拍子を踏んで終わる曲。(紅葉狩、土蜘など)

④シテが先に幕に入り、ワキ又はツレが留拍子を踏んで終わる曲。(道成寺、羽衣盤渉など)

等々のパターンがあります。

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そして今日の能「夜討曽我」は、④の終わり方でした。

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シテ曽我五郎は、曲の最後に頼朝方の軍勢に縄をかけられて、頼朝の御前へと引っ立てられていきます。

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これを能では、シテの両手を2人の「縄取り」と呼ばれるツレが掴んで、3人並んで橋掛りを全力疾走で幕に入るという「走り込み」という型で表現するのです。

そして舞台に1人残ったツレの「御所の五郎丸」が留拍子を踏みます。

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シテとして一番を舞って、最後に「走り込み」で終わるというのは、なんだかちょっとだけ「美味しいところを”御所の五郎丸”に持っていかれた!」という残念な感じがしないでもありません。。

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しかし、縄取りと3人で舞台から橋掛りに入り、あとは全力で「ドドドドド〜‼️」と幕に向かって走っていくのは、ある種の爽快感があったのもまた確かなのです。

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因みに来る7月28日に香里能楽堂にて開催される「七宝会普及公演」では、またこの能「夜討曽我」が演じられ、私は今度は「御所の五郎丸」を勤める予定です。

その時は、心して「留拍子」を踏ませていただきたいと思います。

無くて七癖…

今日は午前中に宝生能楽堂にて、明日の夜能「夜討曽我」の申合がありました。

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終わってからいつものように家元や師匠や先輩方より諸注意をいただきました。

それらをしっかりと心に留めてから、江古田稽古に向かうべく更衣室で着替えていました。

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すると、やはり着替えていたある先輩から「澤田くん、これは注意という訳では無いんだけど…」と声をかけられたのです。

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先輩「…澤田くんは、気合いが入ると口が前にニュッと出る癖があるよね…」

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なんと‼️それは衝撃です。自分では全く気がついておりませんでした。。

例えば、終盤に御所の五郎丸と戦うところで刀を高く振りかざして詰め寄る時に、口がニュッと出るらしいのです。。

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能面を掛けないいわゆる「直面(ひためん)」で演じる曲でも、能面を掛けているつもりで常に中間表情にしていなければなりません。

それが気合いが入ると顔が動いてしまうとは、由々しき事態です。

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江古田稽古場で稽古が途切れて独りになった時に、鏡に向かって刀を振りかざして気合いを入れてみました。

すると確かに口元に不自然な力が入っています。

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明日夜の本番までに修正出来るか不安ではありますが、何とか中間表情で通せるように頑張ってみたいと思います。

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「無くて七癖」といわれますので、私にももっと色々な癖があるのかもしれません。

とりあえず舞台上での癖をもしもお気付きになられた方は、どうか遠慮なく御指摘いただけると有り難く思います。