後半は体育会系で

昨日は水道橋宝生能楽堂にて宝生流若手勉強会の「青雲会」が開催されました。

今年から能の地頭に青雲会OBが呼ばれる体制になり、今回はOBの私が能「田村」の地頭を勤めました。

私以外の7人の地謡は全員が20〜30代の若者達です。

このような若いメンバーと能地を謡うのは初めてのことで、普段とは違う緊張感と難しさがありました。

やはり舞台のシチュエーションによって地謡のあり方も微妙に変わると思います。

今回の「田村」をどう謡おうか…と色々考えて、

「前半は文化系、後半は体育会系」

というイメージでいってみようと思いました。

青雲会は若手勉強会なので、宝生流の若手の溌剌としたパワーをお客様に感じていただくのが目標です。

本番の前半「文化系」が終わって、後半が始まった時です。

大鼓のやはり若い楽師が、一セイの囃子を非常な気合いを込めて打ってきたのです。

それに呼応して、後シテ坂上田村麻呂の謡も最大限の気迫がこもったパワフルな謡になっていました。

最早申合とは全く違う迫力です。

しかし私の後半コンセプトは「体育会系」なので、望むところです。

力任せになって破綻しないように注意しつつ、ゴリゴリと腹に力を込めて謡っていきました。

若い地謡メンバーと声が合うか不安でしたが、皆伸び伸びと大きな声でついて来てくれて、最後までイメージ通りに溌剌と謡い切る事ができたと思います。

思えばこの先は、彼ら若手と一緒に謡う機会がどんどん増えていくはずなのです。

今回の「青雲会」は私にとっても今後に繋がる大変貴重な舞台になりました。

大同二年の謎

今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日21日開催の「青雲会」の申合がありました。

昨日書きましたように、私は能「田村」の地頭を勤めました。

「田村」の申合が始まって、前シテ童子の謡を聴いていて「おや?」と思いました。

語りの冒頭で、

「そもそも当寺 清水寺と申すは 大同二年のご草創」

と謡われているのです。

昨日「清水寺建立の日付までは謡われていない」と書いてしまいましたが、それは大間違いでした。お詫びして訂正いたします。

そして思い返してみれば、能「花月」のクセの冒頭にも、

「そもそもこの寺は 坂上田村麻呂 大同二年の春の頃 草創ありし…」

という謡がありました。

しかしここで不思議なことがあります。

清水寺建立は「延暦17年(西暦798年)」という史実がある一方で、謡では

「大同2年(西暦807年)春のご草創」

となっているのです。

色々調べてみると、東北地方を中心とした非常に多くの神社や寺が、この「大同2年」に建立された事になっているそうなのです。

ある説を読むと、

①なんらかの理由で清水寺建立の時期が「大同2年」とされ、それが能「田村」や能「花月」の謡の詞章になった。

②坂上田村麻呂の伝説と共に「大同2年」という謡の詞章も東北地方に広がった。

③いつしか清水寺との関わりが忘れられて、「大同2年」は「坂上田村麻呂に縁のある年号」として認識されて、田村麻呂が創建したとされる多くの寺社の創建年号になった。

という事だそうです。

謡にのって「大同2年」という年号が東北地方に広がったというのは大変興味深く、ロマンのある話です。

…しかし、何故「延暦17年」が「大同2年」に変化したのか、という理由はまだ謎のままなのです。

「善知鳥峠の謎」などとともに、またひとつ今後調べていきたい謎が増えました。

清水寺の建立された日

昨日の事になりますが、スマホのニュースで「清水寺は798年8月17日(旧暦延暦17年7月2日)に坂上田村麻呂によって建立された」というのを読みました。

能「田村」では前シテの童子によって清水寺の縁起が語られますが、建立の日付までは語られておりません。

私は昨日初めて知りました。

ニュースを見て先ず思ったのが、

「こんな暑い時期に建立されたのか…」

という事でした。

“平安時代は実は気温が高かった”

と聞いたことがあります。

いくら何でも最近の猛暑ほど暑くはなかったでしょうが、エアコンの無い時代の真夏に大きな寺を建てるのは、さぞかし大変な工事だったと想像します。

実は今日は亀岡稽古日で、その前に清水寺に行こうと思えば行けたのですが、今日の京都の予想最高気温は37℃。

そしておそらく清水道と境内は、外国人観光客などで溢れかえっている事でしょう。

真夏の暑さに耐えて大伽藍を建立した人々の苦労を偲びつつ、新幹線の中から遠く見える清水寺に小さく合掌したのでした。

ちなみに偶々なのですが、今週水曜日に宝生能楽堂にて開催される「青雲会」で能「田村」が出て、私はその地頭を勤めさせていただきます。

平日ですが、皆さまご都合よろしければどうか宝生能楽堂にいらしてくださいませ。

http://www.hosho.or.jp/wp/wp-content/uploads/2024/08/202408seiunkai.pdf

“静”から”動”へ

今日明日の二日間、水道橋宝生能楽堂にて

「宝生能楽堂四十五周年記念公演」

が開催されます。

初日の今日は、私は宝生和英御宗家の能「翁」の後見を勤めさせていただきました。

1月に「翁」の初シテを勤めさせていただき、今回はまた初めての「翁」の後見で大変貴重な経験になりました。

「翁」は非常に静かに始まります。

幕が開いてから面箱、翁、千歳、三番叟などがゆったりと歩いて登場して、そこから翁が座に着いて、面箱が翁の面を箱から出して蓋に置くまで、一切無音で時間が過ぎて行きます。

一方で切戸の内では15人近い能楽師が、「ある瞬間」を待ってじっと待機しております。

「ある瞬間」、

つまり「面箱が白式尉の面を蓋の上に置いて準備を終えて、両袖の露を取って立ち上がる瞬間」

が来ると、切戸がサッと開いて、シテ方の後見、囃子方後見、地謡がドッと舞台に出て行きます。

橋掛からも千歳、三番叟、囃子方などがやって来て、あれよという間に20人ほどが舞台や横板の定位置に着きます。

ほとんど間を置かずに笛と小鼓の演奏が始まります。

切戸がサッと開いてから笛の吹き始めまで、30秒も無いと思います。

このスタートの仕方は”緞帳”の無い能舞台の特徴を活かして、

「幕開けから準備段階までの”静”の時間」を全て見せる事によって、

「演奏が始まる時の”動”への転換」をより鮮烈に見せる効果を狙っているのかとも思われます。

この”静”から”動”への鮮やかな舞台転換もまた、能「翁」でしか味わえない醍醐味だと思います。

お祭りを終えて

全宝連京都大会から1週間と少し経ちました。

あの舞台では、みんな春先からの稽古の成果を遺憾なく発揮してくれました。

そしてそれからの1週間の間に早くも、京大と自治医大から「夏合宿のご案内」というメールが届きました。

京大からは、「秋の京大能楽部自演会の舞囃子のご相談」というメールも来て、既にシテと候補曲も決まっているようでした。

お祭りのような大きな舞台を終えて、この先は合宿と稽古で地力をつけて、また次の大きな舞台へのチャレンジが始まるのです。

…しかし、学生さん達はその前に大変な実習や前期試験などが待っているはずです。

とりあえず学業のヤマを越えて無事に夏休みが迎えられるように祈っております。

曇天の松本城にて

今日の松本は、午後に降った雨が夕方に上がると少し涼やかな空気になって、東京や京都の猛暑に比べるととても過ごしやすく感じました。

久しぶりに松本城にやって参りました。

流れる雲の下の天守閣は、また迫力が増して良い眺めです。

天守閣前から「二の丸御殿跡」に移動します。

この二の丸御殿跡に、8月8日には特設舞台が作られて「松本城薪能」が開催されるのです。

今年の松本城薪能では宝生和英御宗家の能「紅葉狩」が演じられ、私も能「経政」のシテを勤めさせていただきます。

入場無料ですので、皆さま是非お越しくださいませ。

情報は以下にリンクを貼っておきます。

https://www.matsumoto-castle.jp/topics/6883.html

京大OBOGが囃子方を勤めた舞囃子

先日の「全宝連京都大会」では、京大宝生会から舞囃子「草紙洗」を出させていただきました。

シテも地謡も全員2回生で、ちょっとだけ背伸びした舞台になります。

2回生達にとってはもちろん初めての舞囃子ですが、実は他にも”初めて”の要素がありました。

大鼓と小鼓をそれぞれ京大宝生会若手OBとOGが勤めたのです。

これまで新歓企画の舞台などではそういう事もありましたが、全宝連のような歴史ある大舞台では例の無い事でした。

しかし大鼓も小鼓も、緊張しながらも非常に気迫のこもった演奏で、笛の貞光智宣先生のリードによって大変素晴らしい囃子になりました。

また、シテや地謡にとっても、普段から京大BOXで大鼓小鼓と何度も稽古ができたので、若い2回生達にとっては安心感に繋がったと思います。

今回の舞囃子「草紙洗」が無事にできた事で、2回生は大きく成長しました。

そしてまた囃子方を勤めた若手OBOGにとっても、今回の舞台の成功によって、今後も同じように学生達の囃子が打てる可能性が広がりました。

秋の京大能楽部自演会「能と狂言の会」では、更にパワーアップした舞囃子が披露できる事と期待しています。

舞台を”言語化”して観るということ

先週土曜日の全宝連京都大会レセプションの時のお話です。

宝生和英家元は昼間の国立能楽堂での舞台の後すぐに京都に駆けつけてくださり、レセプションの冒頭でスピーチをしてくださいました。

その中で家元は、

「他の学生達の舞台を見るのはとても大事です。他人の芸の長所と短所を”言語化”して、それを自分の芸に活かすのです。私も常にそうしています」

と仰いました。

「長所短所を言語化する」

という考え方は初めて聞いたので、すぐには腑に落ちませんでした。

しかしよくよく考えてみると「成る程!」と目から鱗が落ちる思いがいたしました。

例えば、

「この人は運びの最中に下を向いている」

とか、

「今の飛び返りはとてもキレが良かった」

というのを、普段の私は感覚的にしか捉えていなくて、「何となく上手い」としか認識していませんでした。

それを”言語化”して改めて認識し直す事によって、

「運びの最中に下を向かないように気をつけよう」

とか、

「キレのある飛び返りを研究してみよう」

と具体的に自分の芸に活かす事ができるのです。

今後は私も他人の舞台を観て気付いた事は一度”言語化”して、自分の芸の改善に努めていきたいと思います。

家元の貴重なお言葉は学生達にもきっと響いたことでしょう。

有り難い事でした。

全宝連京都大会が盛大に開催されました

昨日一昨日と京都金剛能楽堂にて、

「全宝連京都大会」

が盛大に開催されました。

コロナ禍の時には開催見送りやオンラインでの開催、また開催されても学校毎に固められた番組で、学生同志の交流が制限されていました。

しかし今回からは、番組も色々な大学がランダムに配置され、また初日終了後には京都ガーデンパレスホテルにて、全国の学生と、宝生和英御宗家始めシテ方能楽師も参加した「レセプション」も開催されました。

完全にコロナ以前に戻った雰囲気の2日間で、特にレセプションでの学生達の楽しそうな様子は、見ているこちらも思わず笑顔になってしまうほどでした。

そしてもちろん、2日間にわたる舞台は非常に熱気溢れるもので、見所も学生やOBOG、また学生のご家族などで終日賑やかでした。

舞台でも楽屋でも、またレセプションやその前後にも、本当に多くの素敵なエピソードが生まれた「全宝連京都大会」でした。

また個別のエピソードも改めて書かせていただきます。

今回の全宝連に関わったすべての皆様、特に運営を担って大会を成功させた全宝連委員の皆様に心より御礼申し上げます。

全宝連での得難い経験

いよいよ明後日から「全宝連京都大会」が2日間にわたって開催されます。

私が全宝連委員長を勤めたのは確か平成3年の全宝連京都大会で、会場は四条室町上ルの旧金剛能楽堂、レセプション会場はコープイン京都でした。

今は金剛能楽堂は御所の西に移り、コープイン京都も無くなりました。

あれから幾星霜、コロナ禍も乗り越えて、また京都に全宝連が帰ってくるのは実に感慨深いです。

と言っても私が委員長を勤めた時は、私自身は2日間ほぼずっと玄関に座って、全国から来る皆さんや、能楽師の先生方をお迎えしたり、色んなトラブルへの対応に終始していました。

自分が出る時以外の舞台は全く見られなかったので、舞台の記憶は殆ど無いのです。

正直しんどい仕事でした。

しかし、例えば目上の人への手紙の書き方、口のきき方、フォーマルなレセプションでの挨拶の仕方などは、この全宝連委員長の時に初めて経験しました。

そしてその経験が今の私の日常にも確実に活かされているのです。

今回も神戸大の委員長さんを始め、全宝連委員や関西の大学の学生は、これから本番終了まで、間違いなく大変な数日間になる事でしょう。

でもその大変な経験は、将来きっと自分を助けてくれる、得難い経験になるというのもまた、間違いない事なのです。

全宝連京都大会が実り多い舞台になるように、私も全力でお手伝いしたいと思います。