成長した2回生

今日は京大稽古でした。

次の日曜日26日に迫った「関西宝連」に向けての稽古です。

思えば昨年の今頃は、4回生1人と新入生6人という布陣でした。

OGさんの力を借りての地謡でしたが、仕舞も謡も初舞台が6人という大変な状況で、現役もOGさんも本当に良く頑張ってくれました。

あれから1年。

今年は現役2回生がそれぞれ力をつけて、仕舞地謡はお互いに地頭を交代して2回生だけで謡っていました。

入ってすぐの今年の新入生はこの関西宝連では素謡「鶴亀」だけで、仕舞の初舞台は6月末の「全宝連京都大会」になります。

現役が1、2回生だけという状況なので、今しばらくはできるだけ2回生に負担がかかり過ぎないように活動していってもらいたいと思います。

おそらく来年あたりには、また全盛期に近い部員数になっているでしょう。

その頃にはおそらく久しぶりの「能」も視野に入って来るだろうと期待しております。

薪御能の「附祝言」

昨日の興福寺薪御能は、金曜日土曜日と2日間開催の2日目で、我々宝生流の能「鉄輪」が最後の演目でした。

番組の最後に「附祝言」と書いてあります。

長い催しの最後には附祝言を謡うことがありますが、薪能で謡うのは割合に珍しい事です。

宝生流だけの催しでは無いので、一番メジャーな附祝言である高砂「千秋楽」を謡う事になりました。

しかしこのような玄人が舞う舞台での”附祝言”

にはちょっと難しい要素もあります。

終わったばかりの演能のせっかくの余韻が壊れてしまう恐れがあるのです。

なので、このような時の附祝言は、シテが幕に入りかけて、ワキが横板で幕に向いたくらいのタイミングで謡い始める事が多いです。

昨日は最後の演目が「鉄輪」だった事もあり、附祝言の「千秋楽」もあまり明るくなり過ぎないように、ちょっと控えめに、でも目出たく終わるように、加減して謡わせていただきました。

鉄輪の”負のエネルギー”…?

今日は午前中に水道橋宝生能楽堂にて定期公演の能「忠度」地謡を勤めて、その後すぐに奈良に移動して、夜に興福寺薪御能の能「鉄輪」地謡を勤めました。

この「鉄輪」はとても恐ろしく、シテからは強い「負のエネルギー」のようなモノが放射されているのを感じます。

その負のエネルギーはあまりに純度が高いので、それがかえって”美しさ”にまで昇華して、観る人を魅了するのだと思うのです。

この鉄輪の”負のエネルギー”がちょっと実感できる出来事がありました。

私は普段から「袖珍小謡本」という4分の1サイズの小さな謡本を持ち歩いています。

宝生流の全ての曲が一番ずつ分冊になっている本で、「和綴じ」です。

この「和綴じ」に使われている糸は非常に丈夫で、滅多な事では切れたりしません。

ところが何故か「鉄輪」の小本の糸が、購入して割と早い時期に切れてしまったのです。

ちなみにもう1冊、和綴じの糸が早くに切れてしまったのが「通小町」なのです。

こちらもやはり”負のエネルギー”が強い曲です。

私の小本はもう25年以上使っておりますが、そのうちで、糸が切れたのはこの「鉄輪」と「通小町」の2冊だけなのです。

単なる偶然なのでしょうけれど、私は「鉄輪」の小本の切れた糸を見るたびに、何となく”負のエネルギー”を感じて薄ら寒くなってしまうのです。

稽古の栄養補給

私は稽古中には、可能な限り飲食はしないのが好みです。

食べ物は食べた後に思考力が低下して、身体も重くなって、舞や謡がしんどくなるような気がするのです。

飲み物はほぼコーヒーだけです。コーヒーは少しずつ飲むとその度に頭が冴える気がします。

しかし稀に稽古中に栄養補給したくなる時もあります。

今日は昼過ぎの12時半頃から夜の21時まで、延べ40人以上の仕舞、舞囃子、謡の稽古をぶっ通しでしました。

夕方頃に燃料切れの感じになり、出されていた食べ物の中から「ゼリー状の栄養補給飲料」をいただきました。

色々と強烈な栄養素が入っていたようで、しばらくすると身体が燃焼している感じがして、残りの稽古を乗り切る事が出来ました。

しかし、私が稽古中にあまり食べないのは、「稽古が終わって帰宅してから食べるご飯を美味しくいただくため」という理由もあるのです。

今日も稽古を終えて三ノ輪の自宅に帰ると、ゼリー飲料の燃料もちょうど切れていて、晩御飯をしみじみと美味しくいただく事が出来ました。

特に先日松本稽古でいただいた小田原の「金目鯛の揚蒲鉾」が最高の美味しさでした。

明日の舞台を頑張るための万全の栄養補給になりました。

明日も頑張ります!

加茂物狂のワキツレ

今日は国立能楽堂にて能「加茂物狂」の地謡に出演して参りました。

「加茂物狂」は宝生流の謡本では主な登場人物はシテ「狂女」とワキ「その夫」のみです。

しかし今日のワキ方の”福王流”ではその他にワキツレとして「賀茂明神の神主」も登場しました。

加茂物狂という曲は現在では一場ものですが、元々は前後に分かれていたようで、神主が出るのはその頃に近いやり方だそうです。

しかし神主が出ることで宝生流の謡本とはかなり違った構成になります。

謡が増える所があれば、ごっそり無くなる所もありました。

これだけ謡が変わるとシテや地謡にも影響しそうなのですが、驚いたことにシテ謡と地謡は全く変わらないのです。

我々シテ方は謡本通りの「加茂物狂」を謡って、ワキ方のみがガラリと変わるのです。

ワキ方の流儀によって微妙に謡が変わることは良くありますが、今日ほど大きく変化する曲はちょっと経験したことが無く、またひとつ勉強になりました。

みかん色の街

昨日今日と「松山城二ノ丸薪能」に出演するために愛媛県の松山に行っておりました。

愛媛県と言えばなんと言っても「愛媛みかん」が有名ですが、松山市内はこの「みかん」の色で溢れていたのです。

バスも”みかん色”

路面電車も…

普通の電車も全て”みかん色”で統一されています。

ゆるキャラも、みかんと犬が合わさった「みきゃん」です。

最近は「こみきゃん」や「ダークこみきゃん」など、キャラが増えてきたようです。

そして食べ物では…

空港の売店で見た「みかんごはん」が衝撃的でした。

ちょっと怖くて買えませんでしたが…

しかし、「愛媛みかん」そのものはやはり美味しいです。

今朝空港で飲んだ100%オレンジジュースは本当に美味しくて、普段ほとんどオレンジジュースは飲まない私が思わずおかわりしてしまいました。

ここまで名産品のカラーにこだわる街も珍しい気がします。

松山もまた面白い街でした。

やはり「みかんごはん」買えば良かったか…

2024年松山城二ノ丸薪能

今日は「松山城二ノ丸薪能」に出演して参りました。

6年前の2018年5月10日のブログに前回の二ノ丸薪能の事を書いておりますので、あれから6年ぶりの松山という事になります。

薪能の舞台はやはり滴るような新緑と重厚な石垣を借景にした、非常に趣きのあるものでした。

舞台の前に天守閣も見に行きました。

司馬遼太郎が、四国最大の城でありながら辺りの風景が優美なために厳しく感じられない、と書いているように、何処となく安心感を与えてくれるような落ち着いた城構えでした。

お城周辺には何故か猫がたくさんいて、薪能の間にも「ニャア」という声が微かに聞こえてきて、それも何か優しい感じがしました。

裃の手伝い

“裃(かみしも)”を着るのは、特別な舞台の時です。

今日は綾部での会の最後に辰巳満次郎師の番外仕舞「三山」があり、そこで裃を着ました。

裃はひとりで着るのがちょっと難しいのです。

字の通り”上”と”下”に分かれています。

先ず”上”を羽織った後に”下”を普通の袴と同じように着るのですが、この時に”上”の背中部分が邪魔になり、誰かが背中部分の布を持ち上げてくれていると助かるのです。

内弟子時代にはこの裃を何とか自分一人で着られるように練習しました。

楽屋の人員が裃の補助で結構削がれてしまうのです。

その頃は補助に来る人を、

「あ、俺は大丈夫だから楽屋の仕事して!」

と断っていたのですが、最近は逆に断らずに手伝ってもらう事が多くなりました。

今日も若手に手伝ってもらいながら裃の着け方を教えたりして、そう言えば私も昔、先輩の裃の補助をしていた時に、

「君、そんなに引っ張ったら格好悪くなるから駄目だよ」

と、逆に邪魔になって怒られて反省したのを思い出しました。

裃を着用する舞台はとても華やかですが、楽屋ではその着付けでまた色々な学びと修練が必要なのです。

伊勢神宮の舞楽

今日は久々に仕事で伊勢神宮に行って参りました。

実はこの書き出しは、丁度6年前の2018年4月29日の「伊勢神宮の舞女さん」というブログの書き出しと全く同じなのです。

その時は、神楽の時に「舞女」さん達が三宝などを神前に御供えする動きに感銘を受けたという事がブログに書いてありました。

今回も同じように神楽を拝見しました。

やはり「舞女」さん達の作法や、「倭舞」という4人での舞は見事でした。

しかし今回の神楽で特に「これはすごい!」と思ったのは、男性が面をつけて舞う「舞楽」でした。

緑色の面に、黄色を基調にした装束だったと思います。

舞楽の知識は何も無いのですが、舞人の足運びや、浮き沈みする動き、面をかけているのを感じさせないスムーズな移動などを見て、この舞人は名手だろうと確信しました。

後で調べると、今日の舞楽は「高麗楽(こまがく)」を伴奏とする「納曽利」という舞楽だったようです。

動画もいくつか見つけたのでまた見てみようと思います。

そして今日改めて気がついた事がありました。

「倭舞」も「納曽利」も、神様に向けて奉納されるので我々参拝者は舞の大半を”後ろ姿”しか見られない事になるのです。

それでも演者の力量によって、後ろ姿だけで「上手いなぁ」と感じさせる事ができるのです。

能楽もその昔は同じように、見所は横と後ろにしか無かったそうです。

その時代の観客は、今日の私のように”後ろ姿”に感銘を受けたのでしょう。

またもう一つ、「倭舞」も「舞楽」も、参拝者がどんなに感動しても”拍手”をする事はありません。

もちろん神様も拍手はされないわけで、あれだけの技芸を見せた舞人達が、喝采を受ける事なく静かに退場していくのもまた神楽の潔さ、美しさだと感じ入ったのでした。

拝見する度に違うところに感銘を受ける伊勢神宮の御神楽です。

またいつか拝見するのを楽しみにしたいと思います。

昭君の「萩箒」と「鏡台」

昨日の「七宝会」にて勤めました能「昭君」は、「作り物」の扱い方でいくつかの難しい点がありました。

昭君には「鏡台」という作り物が出て、また前シテは「萩箒」を持って登場します。

まず「萩箒」ですが、これは萩の枝を1.5m程の長さに束ねた反りのある箒です。

箒の上から20cm位の所を右手で持って、下端は地面スレスレになるようにします。

この「地面スレスレ」をキープするのが意外に難しいのです。

親指と人差し指で萩箒を強めに握り、残りの指の力の緩め加減で角度を調整します。

しかし謡を謡っているとつい指に力が入って、下端が地面から離れてしまったりします。

また同じ持ち物でも「棹」などは軽いのですが萩箒はちょっと重量があります。

これを20分程ずっと持っているので、うまく力を抜いて持たないと指が疲れて先端が震えてくることがあるのです。

更に難関だったのが「鏡台」の移動です。

前シテは中入の直前に、”常座”に置かれた鏡台を自分で持って”正先”に移動させます。

能面をかけていなければ何という事も無い所作です。

しかし能面をかけると、視界いっぱいに”鏡”が来てしまい、何も見えない状況になってしまうのです。

申合では正先からズレてしまい、本番では鏡台を持つ高さや能面の角度などを微調整して、なんとか狭い視界を確保して無事に置くことが出来ました。

こういった難しさは本番の会場の作りにも左右されたりするので、稽古だけでは乗り切るのが困難です。

当日の開場前に舞台を歩いてみて、五感と知恵を総動員して、なんとか打開策を考えます。

それだけに無事に終わった時の安堵感と充足感は一入なのです。