崇寶会第25回記念大会に出演して参りました

今日は水道橋宝生能楽堂にて、「崇寶会 第25回記念大会」に出演して参りました。

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山内崇生師のお社中会である「崇寶会」も、今年で目出度く25回の節目を迎えられたのです。

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山内崇生さんは、私が京大宝生会現役の頃には七宝会の舞台で若手のホープとして活躍しておられて、その舞台を私は見所で拝見しておりました。

その頃は遠い世界の存在だったのです。

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そしてちょうど「崇寶会」の第1回の頃に、私は東京芸大を受験することになりました。

大阪の楽屋で山内師に色々相談をしたのを覚えております。

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それから芸大に入学して、数年してから初めて「崇寶会」に呼んでいただきました。

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以来毎年の崇寶会のみならず、数多の舞台や楽屋で山内師にお世話になって参りました。

私にとっては正しく「頼れる兄貴分」のような存在であり、また「崇寶会」も私の澤風会が目標とする会なのです。

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今日の舞台でも、大変レベルの高い舞囃子や仕舞などを拝見して、大いに刺激を受けました。

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明日は私の「第6回東京澤風会・郁雲会」の申合があります。

崇寶会の”25回”は遠い先ですが、そこを目指して頑張って参りたいと思います。

山内崇生さん、崇寶会の皆様、本日はおめでとうございました。

仕舞や舞囃子は能の一部だということ

来たる3月9日に開催の「第6回東京澤風会・郁雲会大会」では、京都から京大宝生会の現役と若手OBOGがたくさん出演してくれます。

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その中で、若手OBの舞囃子「東北」と現役の仕舞「国栖」は、たまたま先週の七宝会で出た能「東北」と能「国栖」と同じ曲目です。

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舞囃子「東北」を舞う若手OBと、仕舞「国栖」を舞う現役達は、共に七宝会を観に来てくれました。

そして昨日は昼間の紫明荘組稽古と夜の京大稽古で、その「東北」と「国栖」の稽古をしたのです。

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まず紫明荘稽古での舞囃子「東北」を見て驚きました。

前回とは全く次元が違う程良くなっていたのです。

本三番目物の位になっていました。

待ち合いの部屋でお茶を飲んで話していた会員さん達の目が、いつか自然に「東北」に吸い寄せられていき、静けさの中で稽古が進んでいきました。

そして稽古が終わるとまた自然に拍手が起こりました。

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シテである若手OBのT君は、七宝会で能「東北」を観て、その位取りを理解して自分の舞囃子に反映させたのでしょう。

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その後夕方に京大稽古に移動して、今度は仕舞「国栖」でまた驚きました。

シテの謡の声が何だか前回よりも格段に大きくなって、全体的に勢いが増していたのです。

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これもおそらく七宝会で能「国栖」を観たイメージを謡と舞に投影させたのでしょう。

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仕舞や舞囃子だけを稽古しても、もちろん上達はします。

しかし、それらは元々はある能の一部なのです。

その元になっている能を観て、全体像を把握してから稽古するのはやはり大切なことなのだと、昨日の「東北」と「国栖」の稽古で改めて思ったのでした。

第6回東京澤風会・郁雲会大会に向けて

昨日は午後に江古田稽古、夜に田町稽古でした。

今日は朝から昼過ぎまで水道橋宝生能楽堂にて、日曜日開催の山内崇生師のお社中会「崇宝会25周年記念大会」の申合をして、その後芦屋稽古に移動、というように動いております。

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その合間に、いよいよ3月9日に迫った「第6回東京澤風会・郁雲会大会」の準備を色々しておりました。

番組は既に出来上がりました。

あとは申合と本番のお弁当の手配がそろそろタイムリミットです。

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いつもはデパ地下などに行ってお弁当の実物を見て決めるのですが、今回はどうにもその時間がとれず、スマホとPCを使って色々検索して予約、という方法をとることにしました。

そして昨日今日で何とか全てのお弁当を手配出来ました。

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会に向けた私の準備も進んでおりますが、昨日の江古田と田町の稽古では、会員の皆様の舞台への準備も着実に進んでおられるのがわかりました。

舞囃子の方、仕舞の方、素謡の役の方々それぞれ前回の稽古の後に相当な自主練をしてくださっていたようで、非常に上達されていて嬉しくなりました。

これは月曜日の松本稽古でも同じことを感じました。

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しかしこれまでの経験では、実はここから本番までの10日間ほどが集中力が増して、一番上達出来る期間なのです。

皆様まだまだ伸びしろはあると思われます。

私もますます気合いを入れて稽古したいと思いますので、会員の皆様もうひと頑張りどうかよろしくお願いいたします。

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「第6回東京澤風会・郁雲会大会」

於東急セルリアンタワー能楽堂(渋谷区桜丘町26-1地下2階)

3月9日朝10時〜17時半頃まで開催予定です。

舞囃子9番と、仕舞、素謡などが演じられます。

能「国栖」無事に終わりました

今日は香里能楽堂で開催された「七宝会」にて、能「国栖」のシテを無事に勤めることが出来ました。

大勢の方々にいらしていただき、見所からたくさんのパワーを頂戴いたしました。

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前シテは老人なのでどちらかといえば抑制された動きが多く、謡の細かな位取りも難しいので、精神力が試されているように感じて若干疲れました。。

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一転して後シテは強い神様である蔵王権現です。

短い時間で力を一気に爆発させて豪快に大きく舞うのはまるで100m走のようで、終わった後は同じ疲れでも何か完全燃焼して体内の雑物が全て燃え尽きたような、ある種の爽快感を感じました。

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終了後に能楽堂入口で見知った方々にご挨拶する時は、私が一番幸せを感じる瞬間でもあります。

今日も実に多くの方に声をかけていただき、何人かの方からは「国栖良かったです」と言っていただきました。

そこでまたパワーを頂戴して、それがまた次の舞台への原動力となります。

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次のシテは6月の「五雲会」にて能「鵜飼」を勤めさせていただきます。

また一層稽古を積んで臨みたいと思っております。

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本日お越しくださった皆様、誠にありがとうございました。

同明会に出演して参りました

今日は京都観世会館にて、京都の御囃子方主催の「同明会」に出演して参りました。

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御囃子方が主催の舞台なので、シテ方は観世流、金剛流もいらして、色々興味深い番組でした。

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我々宝生流の舞囃子「熊野 三段之舞」の直前には、金剛流舞囃子「弓八幡」がありました。

“舞金剛”と称される金剛流の五段神舞は、舞台狭しと縦横無尽に颯爽と駆け回っている印象でした。

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その一方で続く我々の「熊野 三段之舞」は、小書がついていることもあってシテも地謡も非常にしっかりとした位取りです。

花見をしながらも故郷の母親を案じるシテ熊野の複雑な心境を、丁寧に丁寧になぞるような繊細な舞と謡。

「好対照」という言葉が思い浮かびました。

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他にも、「五葉蘭曲」では笛と太鼓が下羽→乱→神楽→早笛→獅子と曲を次々と変化させながら演奏していたり、金剛流能「土蜘蛛」ではなんと「クセ」が途中に挟まったりしていました。

いずれも初めて拝見する番組で、大変勉強になりました。

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京大宝生会からも大勢観に来ていたようなので、後日また感想を聞くのが楽しみです。

京都の御囃子方の皆様どうもありがとうございました。

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色々考えながら謡うこと

今日は慶応初等部の能楽鑑賞会で、能「経政」の地頭を勤めて参りました。

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対象が小学生だったので、一番の能を途中で飽きないように観てもらうにはどうしたら良いだろう…などと色々な事を事前に考えておりました。

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よく「考えて謡っては駄目だ」と言われるのですが、私はまだ全くの未熟者なので、能が始まって謡いながらでも実に多くの事を考えてしまいます。

「シテの出の運びがゆったり目なので、地謡も少しスピードを緩めよう」

「お囃子方はこう謡ったらどう反応してくるかな…?」

「見所の子供達の話し声がちょっと大きくなってきた!これは飽き始めた危険信号かも。頑張って盛り上げていかねば!」

などなど、場面場面で無数の考えが泡のように次々と浮かんできます。

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しかし気が散っている訳ではなく、むしろ集中力が増しているので、舞台上のことはごく小さな事でもわかってしまいます。

そして今日は他の地謡メンバーも集中していたようで、終わって楽屋で話してみると、そういった細かい出来事を皆が共有していたのが面白かったです。

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頑張って勤めた「経政」が、慶応初等部の子供達の心に少しでも響いていると良いと思います。

美也子さんのこと

辰巳孝先生の妹にあたられる辰巳美也子様が先日亡くなられ、今日大阪での告別式に参列して参りました。

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失礼ながら生前のように”美也子さん”と書かせていただきます。

美也子さんに初めてお会いしたのは、香里能楽堂で開催される「七宝会」の受付をお手伝いした時でした。

当時私は京大2回生だったと思います。

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世間の常識など殆ど何も知らない私に、受付業務だけでなくマナーなど色々なことを教えてくださいました。

優しくも厳しい、そして頭が切れてユーモアのセンスのある方だと思いました。

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時は少し流れて、私が能楽の道を志した頃のこと。

東京芸大を受験する前の1年間、私は辰巳孝先生の鞄持ちとして、色々な稽古場にご一緒させていただきました。

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午前中に香里園末広町の御宅に伺い、そこから辰巳孝先生のお供をして電車か車で関西各地の稽古場に向かいます。

そして夕方か夜に稽古が終わると、また末広町の御宅まで先生と一緒に帰りました。

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御宅では美也子さんが自慢の料理の腕をふるって、美味しい出汁巻きや海老フライなどの晩御飯を作って待っていてくださいました。

私もご相伴にあずかり、時には居間のコタツで芸大の楽典の勉強などをさせていただいてから京都に戻る、という日々を過ごしました。

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あの1年間、辰巳先生と美也子さんは私のことをまるで家族のように可愛がってくださいました。

もちろん時には美也子さんから「澤田さん!あなたこんな事も知らへんの!」と叱られることもありました。。

今では全て懐かしい思い出です。

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今頃は天上で辰巳孝先生と再会されているのでしょうか。

あのお2人のウィットに富んだ掛け合いがきっと繰り広げられていることでしょう。

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辰巳美也子様のご冥福を心よりお祈りいたします。

新たな能楽師の誕生

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲会」が開催されました。

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能楽堂に到着すると、楽屋に熨斗紙のかかったお菓子の箱が出してあります。

“初舞台”や”楽屋入り”の時には楽屋にお菓子を出す慣例があります。

今日も誰かそのような人がいるのかな、と思って熨斗紙を見てみると…

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「初舞台 内藤瑞駿」

と書いてありました。

おお!内藤飛能さんの御長男瑞駿君が、もう初舞台なのですか!

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毎年夏の七葉会では楽屋に遊びに来て、ちょこちょこと走り回っていました。

それがもう4歳になって、いよいよ初舞台を迎えたのです。

今日最初の能「西王母」で、3000年に一度だけ実る”桃の実”を持って登場する、西王母の侍女の役でした。

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もちろん彼はまだ楽屋のことは何もわかりません。

装束を着けられるのもきっと苦しいことだと思われます。

お父さんの飛能さんが緊張感溢れる面持ちで、幕の直前まで付き添っていたのが印象的でした。

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しかし幕が上がってしまえば、もう誰も助けてくれません。

瑞駿君は毅然と前を向いて、一歩ずつゆっくりと橋掛りを歩んで行きました。

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楽屋で見ている楽師はなんだか皆が父親や母親の気分で、心配そうにモニターを見守っています。

子方が舞台の真ん中に無事到着すると、私も思わず「よしよし!」と頷いてしまいました。

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まだ本当に小さくて、後ろで座っている太鼓方よりも小さく見えるほどです。

その背格好では重く感じるだろう”桃の実”を、じっと動かずに持っています。

そしてやがてシテ西王母にその”桃の実”を渡すと、あとは笛座に最後まで行儀良く座っているのが仕事です。

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曲が無事に終わって、シテの後ろについて子方が橋掛りを帰っていきます。

幕が開くと、万雷の拍手が起こりました。

一人の能楽師が誕生した瞬間なのだと、私は感慨深くそれを見ておりました。

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帰って来た瑞駿君は、家元や三役に大きな声で「ありがとうございました!」ときちんと挨拶していて、今後が楽しみな良い子方だと思いました。

私もいつか彼の子方で舞えると嬉しいです。

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そして今日最後の能「船橋」のシテは、お父さんの内藤飛能さんでした。

私は地を謡いましたが、初番で子供の初舞台を終えての自分のシテはさぞかし大変だろうと思いました。

その「船橋」も先ほど無事に終わりました。

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内藤飛能さん本日はおめでとうございました!

瑞駿君の成長を私も楽しみにしております。

芸大へラストスパート

今年東京芸大を受験する高校3年生の男の子の稽古がいよいよ最終段階に入ってきました。

最初の実技試験まであと10日あまりなのです。

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このところ毎日稽古していて、今日も朝から水道橋宝生能楽堂で無本でガンガン謡っていました。

無本だと無意識にスピードが早くなり、また声が若干小さめになる傾向があります。

残りの期間でそこも修正して、慌てずに全開の声で謡えるようにしてもらおうと思います。

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確か一度このブログで書きましたが、以前ある能楽以外の伝統芸能の方と仕事をした時に、「朝から全力で声を出すのは喉に負担がかかるので避けたい」と仰っているのを聞いて驚いたことがあります。

私は普段、朝でも夜でも関係無くいつでも全開で謡うようにしておりますし、そう出来た方が良いと思っております。

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芸大の試験もおそらく午前中から始まると思われます。

試験開始時刻がわかったら、毎日その時間に合わせて謡う、ということもやってもらおうと思います。

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入試は何があるかわかりませんが、とにかく事前に出来る最善を尽くして、本番を迎えてもらいたいのです。

謡が難しい能「国栖」

最近は毎日、能「国栖」の稽古をしております。

来たる2月24日に大阪香里能楽堂にて開催の「七宝会」でシテを勤めさせていただくのです。

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「国栖」は、仕舞では割に最初の方に稽古する曲です。

京大宝生会では大抵、1回生の終わり頃には稽古する感じです。

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しかし、仕舞の部分は能「国栖」においては最後の3分ほどに過ぎず、実は前半にも見せ場が沢山あるのです。

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特に川船の作り物の陰に子方清見原天皇を隠して、シテとツレがその前に座って間狂言追手の武士から天皇を守るシーンが私は好きです。

前シテ老人は全く戦わずに、言葉の力だけで武士達を追い返してしまうのです。

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このシーンは、老人を演ずるシテの言葉に非常な力が込もっている事で初めて成り立つのだと思います。

“力を込める”とは決して大きな声を出す訳ではありません。

抑制された静かな声の中に”凄味”を含めないといけないのです。

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他のシーンでも謡の細かな抑揚が求められることが多く、これまで経験した曲の中でも謡の難しい曲だと、稽古をする中で実感しております。

これから本番までに謡をどう仕上げていくか、今少し試行錯誤して参りたいと思います。