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色々考えながら謡うこと

今日は慶応初等部の能楽鑑賞会で、能「経政」の地頭を勤めて参りました。

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対象が小学生だったので、一番の能を途中で飽きないように観てもらうにはどうしたら良いだろう…などと色々な事を事前に考えておりました。

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よく「考えて謡っては駄目だ」と言われるのですが、私はまだ全くの未熟者なので、能が始まって謡いながらでも実に多くの事を考えてしまいます。

「シテの出の運びがゆったり目なので、地謡も少しスピードを緩めよう」

「お囃子方はこう謡ったらどう反応してくるかな…?」

「見所の子供達の話し声がちょっと大きくなってきた!これは飽き始めた危険信号かも。頑張って盛り上げていかねば!」

などなど、場面場面で無数の考えが泡のように次々と浮かんできます。

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しかし気が散っている訳ではなく、むしろ集中力が増しているので、舞台上のことはごく小さな事でもわかってしまいます。

そして今日は他の地謡メンバーも集中していたようで、終わって楽屋で話してみると、そういった細かい出来事を皆が共有していたのが面白かったです。

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頑張って勤めた「経政」が、慶応初等部の子供達の心に少しでも響いていると良いと思います。

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  1. 先日、西平直先生の講演で、「似せる・似せぬ・似得る」や「守・破・離」という世阿弥の言葉の話が出ましたが、
    先生の仰った「似得る」ということが、まさにこの現象なのでしょう。
    不自然にはならないように、その場に応じた工夫が勝手に浮かんでくる。
    私は覚えたものを吐き出すだけで精一杯なのですが、言葉で説明しづらいこのスキルを学ぶことこそが「稽古」なのだろうと思います。

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