大山崎澤寳会の新年会

今日は大山崎稽古場の稽古始めでした。

稽古は朝9時半〜11時まで。その後に日本料理屋さんに移動して、私と会員さん3人で小さな新年会をいたしました。

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大山崎稽古場は私が一番最初に稽古を始めた思い出深い場所です。

当時はまだ「澤風会」の名前も無く、大山崎の「宝寺」で稽古を始めたので「大山崎澤寳会」という会名がついて、この名称は現在も使われております。

今年12月には稽古開始から20周年を迎えます。

最初期のメンバーの10人ほどの方々は全員が「大山崎ふるさとガイドの会」に所属しておられて、京都近郊の謡曲史蹟を色々と案内してもらいました。

鞍馬山や三井寺、嵯峨野に石山寺などなど…

どれも思い出に残る楽しいウォーキングでした。

その大山崎稽古場も、20年を経た現在では3人の会員さんで稽古を続けております。

今日の新年会の席で、澤風会最高齢の会員さんが「今年は何とかして新しい人を入れて、稽古場を続けていきたい」と何度も仰いました。

確かにこの数年はコロナ禍の影響もありますが、新しい人を勧誘するような活動は全くできておりませんでした。

新年会の美味しいお料理をいただきながら、

「来月までにチラシを作ってみましょう」

「地域のイベントに参加させてもらえないだろうか」

「京大の学生にも手伝ってもらって…」

などなど、”新歓活動”のアイデアを色々と出し合いました。

…と言う訳で今年の”大山崎澤寳会”の新年の目標は、「10月の澤風会京都大会までに2人は新しい人を入れる」という事になりました。

これから春の新年度などに向けて、新人勧誘の方法を模索して参りたいと思います。

藤栄の立衆

昨日の「宝生会定期公演」にて鶴田航己君が能「藤栄」の立衆を勤めました。

早くも先週の「千歳」に続いてのツレの役です。

実はこの「藤栄の立衆」という役はちょっと特殊な役なのです。

胴着を着て楽屋に降りるとたいてい先輩に、

「お、今日は何の役?」

と聞かれます。

立衆「藤栄の立衆です」

すると…

先輩「そうかぁ。ちゃんと声出ししておいた?

のど飴あげようか?」

立衆「いえ…」

先輩「開場前に舞台を歩いてみた?」

立衆「いやぁ…舞台には入らないので…」

そうなのです。

「藤栄の立衆」は謡が一句も無く、橋掛に出てちょっと止まるとすぐに切戸に直行して退場するという珍しい役なのです。

先輩方はそれをわかっていて立衆の後輩をイジっている訳です。

謡が無くて舞台にも入らないツレはこの役くらいだと思います。

とは言っても、この役でも注意するべき点はあります。

藤栄立衆は5〜6人いるので、橋掛で立ち並ぶ時にうまく等間隔で並ぶのが意外に難しいのです。

事前に一人一人の立ち位置を細かく決めて、また見る方向も同じになるように目印を調整します。

この作業は、将来のもっと難しいツレである「安宅の同行山伏」や、「七人猩々のツレ」の時などに役立つのです。

やはりどんな役でもきちんと勤め上げるのは大変な事なのです。

とは言え、藤栄立衆は役が終わって楽屋に戻って来ると…

先輩「お帰り〜!立衆大変だったねお疲れ様‼︎」

立衆「いやぁ…あまり疲れてないっす…」

などと言って、何か申し訳無さそうに自分が脱いだ装束の片付けをいそいそと始めたりするのでした。

第1回宝生会定期公演

本日は宝生能楽堂にて「宝生会定期公演」に出演して参りました。

昨年までの「月浪能」と「五雲会」という形式を1日にまとめて、午前と午後の2部制で行う新しい公演形態です。

午前と午後合わせて4番の能と2番の狂言の番組が演じられます。

私が内弟子の頃には1日4番の能が出る催しもあり、楽屋では内弟子仲間たちと久しぶりにその頃の話をしました。

思えば私は昨年末の最後の「五雲会」の留の能「土蜘」でツレの頼光を勤めたのです。

そして今日は新しい「定期公演」での最初の役である「藤栄」の後見を勤めさせていただきました。

公演形式は色々と変わって行きますが、気持ちは変わらず、一回一回の舞台をより良いものにする事を第一に精進して参りたいと思います。

希望の6人

先日の特別会の翁に関しては書くことが本当にたくさんあります。

特別会終演後には能楽堂近くの居酒屋「たかの家」にて、京大宝生OB会を中心とした後席がありました。

そこに昨春入ったばかりの一回生が3人参加して、初めてOB会の方々と顔合わせをしたのです。

コロナ禍でこのブログの更新が滞っている間に、実は京大宝生会は存亡の危機と思われるまでに部員が減りました。

昨春の新歓では正に最後の希望をかけて、京大近辺にいるOBOGが総出で様々な新歓活動を行ったのです。

幸いにもその成果があって、なんと6人もの新入生が入部してくれたのでした。

彼らはそれぞれ非常に個性的でありながら、6人の結束力も強く、昼間から夜遅くまで熱心に稽古しています。

彼らの舞台の様子は動画でOB会の皆様と共有されていましたが、実物の一回生と全国のOBOGとの対面は今回の翁の後席が最初の機会となったのです。

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後席は非常に盛り上がり、参加した一回生からは後日に「OB会の皆様とも交流でき、心強い応援のお言葉の数々をいただきました。我々の入部を喜んでくださっているのを改めて実感でき、とても嬉しく思います

というメールが届きました。

彼ら一回生6人は、これからの京大宝生会の核となって新しい歴史を作っていくことでしょう。

目前に迫った今春の新歓もとても楽しみです。

千歳一遇

宝生流の「翁」では、翁の他にもう1人シテ方が「千歳(せんざい)」という役を勤めて、若々しく颯爽と舞います。

私は20年ほど前に金森秀祥さんの翁の時に千歳を勤めました。

今回の千歳は鶴田航己君。私が小さな頃から稽古をしている青年です。

宝生流の定例会では翁も千歳も序列順に先輩から勤めるので、師弟や親子であっても翁と千歳を共演する事はまず無い事なのです。

今回も全くの偶然で、番組を見た時に驚きました。

しかし私が翁で鶴田航己君が千歳という組み合わせは、稽古においては非常に有益でした。

「翁」の冒頭では、翁は左足から出て左足で止まり、千歳は右足から出て右足で止まるなどの非常に細かい決まり事があります。

歩数も決まっている所があり、2人でピッタリ歩みを合わせるのは中々困難なのです。

それが今回は、翁稽古の時に毎回のように鶴田航己君と合わせる事が出来たので、本番では何の心配も無く幕から舞台まで歩む事が出来ました。

天から与えられた偶然に心から感謝したのでした。

私が千歳を勤めた20年ほど前には、鶴田航己君はまだ小さな子供でした。

その鶴田航己君が翁を勤める時には、おそらく今は小さな赤ん坊が立派な青年に成長して、千歳を颯爽と舞う事でしょう。

(ちなみに「千載一遇」は「千歳一遇」とも書くそうです。今回初めて知りました)

精進潔斎の苦労…

昨日のブログで翁の精進潔斎の事を少し書きました。

四つ足の獣は食べるのも身につけるのも禁止、というような様々な決まり事があります。

昨年末にいざ精進潔斎を始めてみて、改めて思い知らされたのが「自分はいかに四つ足の獣に囲まれた生活を送っているのか」という事でした。

食べ物に関しては、当初はそんなに苦労は無いと思っておりました。

「牛、豚、羊、猪肉などの入っていない食べ物」

など世の中に数多くあるし、そもそも、

「鶏肉、海鮮、野菜」

を選んで食べていれば安心な筈です。

ところが…

例えば「ポテトサラダ」

を買って食べていると、中に細かく刻んだベーコンが入っていたりしました。

また、「海鮮八宝菜」

なのに豚肉がサービスで入っていたり…

楽屋弁当にコロッケのような物があったので、「メンチカツならアウトだな」と思って割ってみるとカニクリームコロッケでした。

やれ嬉しやと思ったのですが、よくよく考えると「クリーム」が乳製品なのでアウトなのでした。。

そのような食べ物以外にも、身につける物の罠も色々ありました。

「ウール」は羊毛でだめなので、暖かいカーディガンやツィードのジャケットはしばしお役御免。

化繊のちょっと薄手のカーディガンやジャケットのみで年末年始を何とか乗り切りました。

元々が薄着好みで本当に良かったです。。

そして何とか迎えた本番の日。

「やはり翁を勤めるのだから、今日はスーツでいこうか」

と思って袖を通そうとした所で待てよ、と思って素材のタグを確認すると、

「ウール30%」と書いてありました。。

終わってみれば全く笑い話のようですが、自分としては本当に「四つ足の獣」から逃げ回っていた年末年始だったのでした。

今は打って変わって、当日にお客様からいただいたお手製の猪肉の燻製を美味しく食べたり、ハリスツィードのジャケットで暖かく過ごしたりしております。

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翁を勤めさせていただきました

一昨日1月14日(日)、宝生能楽堂にて開催された宝生会特別公演におきまして、能「翁」を勤めさせていただきました。

翁は能でありながら御神事でもあるという特殊な演目です。

翁を勤める楽師は「精進潔斎」をする慣わしがあり、その期間中は四つ足の獣は食べるのも身につけるのも禁じられるなどの幾つかの決まり事があります。

精進潔斎期間は1週間と言われていますが、別に3週間という説もあり、私は一生に一度の機会と思い本番3週間前の12月24日から精進潔斎に入りました。

年末年始は規則正しい生活をしながら、ひたすら翁の稽古をしておりました。

元旦には毎年恒例の宝生能楽堂での「謡初」の後に翁稽古をして、夕方に帰路につきました。

そして帰宅前に携帯に速報が入り、能登の地震の第一報を見たのでした。

翌日からの稽古では、「天下泰平 国土安穏」という文言がそれまでと全く違う切実さで胸に迫りました。

被災された皆様に対して私は何も出来ませんが、せめて心からの謡で平穏な日々が戻る事を祈念しようと思いました。

翁は「上手く」勤めるよりも「無事に」勤める事が重要だと言われます。

当日は楽屋での御盃事から舞台上の事まで、とにかく間違いの無いように細心の注意を払いながら過ごしました。

今回はおかげさまでチケットが完売ということで、満席のお客様の前でなんとか滞り無く翁を勤める事が出来ました。

心より安堵しております。

当日に至るまで、また終演後にも、たくさんの皆様から励ましや御祝の御言葉を頂戴いたしました。

皆様誠にありがとうございました。謹んで御礼申し上げます。

ブログ再開のお知らせ

皆様 大変ご無沙汰しております。

私は新型コロナワクチンの2回目接種を終えてから今日で丁度ひと月が経ちました。

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接種後には熱が出て3日間寝込みましたが、新型コロナウイルスの攻撃を防御する最低限の鎧を体内に装備出来た感覚があります。

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昨年以来、まるでずっと呼吸を止めて潜水しているような重苦しさを感じながら生活していました。

ブログ更新をする心の余裕すら無かった状態でした。

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しかしそろそろ、少しずつでも水面に顔を出していこうかと思っております。

なかなか元の世界には戻らないでしょうが、コロナウイルスと折り合いをつけながら出来る事を探っていきたいと思います。

ブログも可能な限り更新して参りますので、またどうかよろしくお願いいたします。

七葉會いよいよ明日開催です

昨日は午後に国立能楽堂にて宝生和英御宗家による能「道成寺」が、また夜には宝生能楽堂にて夜能「石橋 連獅子」がそれぞれ無事に演じられました。

宝生流にとって大きな1日になりました。

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そして明日8月9日には、いよいよ「七葉會」が宝生能楽堂にて開催されます。

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席数を半分に減らして、地謡は覆面を着けて謡うなど、様々な安全対策をとらせていただきます。

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当日券も50枚ご用意しております。

開場12時半、開演13時半です。

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それぞれ今の状況に負けずに研鑽を積んだ7人の舞台を、どうかご覧くださいませ。

皆様よろしくお願いいたします。

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会話のキャッチボール

昨日書きました通り、今日は水道橋宝生能楽堂にて「夜能」の動画配信用撮影がありました。

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能「野守」の撮影が滞りなく終わり、その後に「いとうせいこうの能楽紀行」の撮影が始まりました

粋な着流し姿のいとうせいこうさんと、紋付袴姿の私が、舞台上で床机に腰掛けて奈良春日野と能「野守」の世界をナビゲートします。

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いとうさんが何か喋っては、私がそれを受けて返答し、またそこからいとうさんが話を繋げて…という”会話のキャッチボール”で進んでいく番組です。

来たボールをちゃんと受け止められるか、またとんでもないボールを投げてしまわないか、私はやはり非常に緊張いたしました。。

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しかしいとうせいこうさんは、小説家でありながらTVやラジオ出演も多い「喋りのプロ」でもあるお方です。

私の危なっかしいボールをきちんと拾って、その都度取りやすいコースに投げ返してくださいました。

いとうさんは大変博識で、春日若宮おん祭りの話など色々と興味深いお話が聞けました。

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そしておかげさまで撮影は一発でOKが出て、私はホッと胸を撫で下ろしたのでした。

手が震えるほどの緊張は久しぶりでした。

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この動画は編集作業の後に6月上旬頃には配信される予定です。

詳しくは宝生会のホームページをチェックしていただければと思います。