夏至の豪雨

今日は夏至だったのですね。

北欧では沈まない太陽の下で「夏至祭」が盛大に行われるそうです。

しかし今日の日本は太陽を拝むどころか、空梅雨から一気に大雨になってしまいました。

能「歌占」のシテ渡会某の出身地である伊勢国の二見ヶ浦では、夏至の日の出に合わせて海中で禊をする「夏至祭」が毎年行われているそうですが、今年はその辺りは豪雨だった筈なのでどうなったのか気になります。。

かく言う私は実は今、豪雨の為に新幹線に缶詰め中なのです…。

京都から東京に向かっていたのですが、豪雨の影響で豊橋辺りでもう3時間以上止まったままなのです…。

近年の夏の雨は、降れば豪雨で新幹線が遅れることが多い気がします。

能「雨月」のツレ姥は「月が見えなくなるから屋根を葺かないでおきましょう」と言いますが、現代日本でそれをするとゲリラ豪雨の時には大変なことになってしまうでしょう。

新幹線の遅れの影響を受けやすい生活で、そのうえ暑さが大の苦手な私には、少々憂鬱な夏がまた始まったのだな…と、止まったままの新幹線車内で溜息などついているのでした。

全宝連委員長だった頃

先日もお知らせしましたが、今週末の6月24、25日に水道橋の宝生能楽堂にて全宝連東京大会が開催されます。

数年前と比べると加盟する学校が増えて、学生の数も徐々に上向きになっていると感じます。

熱意を持って指導される先生方と、親御さん始め学生の活動を支援してくださる様々な立場の皆様のおかげであると、深く感謝いたします。

私は大学3回生の時に全宝連京都大会の委員長を務めましたが、その頃の全宝連は、今とは違う点がいくつかありました。

初日の鑑賞能の後に、「シンポジウム」という時間がありました。学生がいくつかのグループに分かれて、討論や勉強会をするのです。

しかし私が入学した時には既にシンポジウムという名前は半ば形骸化しており、真面目に能楽を勉強するグループがある一方で、「能楽山手線ゲーム」といった全く学問的で無い時間を過ごすグループもありました。

当時はパソコンがまだ今ほど普及しておらず、番組などの下書は全て手書きでした。

また携帯も存在しなかったので、留守番電話が活躍する一方、割と頻繁に全宝連各支部の代表が集まって話し合いをしました。

これは「全宝連幹事会」と呼ばれましたが、私が委員長の時は例えば嵯峨野や大原辺りの民宿に集まって、1時間程真面目な話し合いをしたらあとは観光と大宴会、というかなり不真面目な幹事会でした。。

我ながら結構いいかげんな委員長でしたが、その時に初めて「大人の社会」との様々なやり取りを経験しました。

先生方への手紙の書き方や、楽屋での作法、またホテルや宴会の大人数の予約や、役料の計算なども、思えばその時の経験が今に活きている気がします。

今年の委員長さんも、今が一番大変だと思いますが、どうか頑張ってほしいです。

当日は私や京大の現役も、全宝連の舞台が円滑に進む為に出来る事があれば、なんでもやりたいと思っています。

学生達は舞台に向けた稽古は勿論のこと、この日の為に様々な準備を積み重ねて来ました。繰り返しですが、彼らの舞台をどうか1人でも多くの方に御覧いただければと思います。

どうかよろしくお願いいたします。

能の街・松本を目指して

昨日の松本稽古では、この半年ほどお休みされていた大切なメンバーが同時に何人か顔を見せてくださり、とても嬉しく賑やかな日になりました。

1人の方は、その人がもしいなければ、松本稽古場はおそらく存在すらしていないという非常に重要な方です。昨年の澤風会10周年大会では能も舞ってくださいました。

「これからまたよろしくお願いします」こちらこそ、どうかまたよろしくお願いいたします。

また、兼平の末裔かもしれない女の子とそのお母さんも、久々の稽古です。

女の子はこの春中学生になって卓球部に入り、毎日早朝と放課後遅くまで練習しているそうです。

でも昨日は、親子で着物と浴衣で頑張って稽古してくれました。

私「いつの日か兼平の仕舞を舞ってもらいたいのです」お母さん「それを目標に頑張ります!」

また昨日は、澤風会の稽古と平行して、別の公民館で幸流小鼓と金春流太鼓の稽古もありました。掛け持ちの人は慌ただしい中にも謡と仕舞をしっかり稽古してくださり、これも有り難いことでした。

松本に少しずつですが着実に能楽が根付いていっているのを実感しています。

この流れがより深く大きくなって、いつか松本が宝生流の一大拠点なるのを最終目標に、一回一回の稽古を大切に丁寧にして参りたいと改めて思いました。

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藤戸雑感

昨日の五雲会では、能「藤戸」の地謡を勤めました。

この藤戸という曲。ワキの佐々木盛綱は、戦功を立てたいが為に罪の無い漁師を自らの手で殺害し、その母親に向かって「これは前世の報いなのだから恨むなよ」と言ってのけます。

現代の私にはこの「武士の理論」は到底理解出来ません。

しかし、前シテである漁師の母親と、後シテである漁師その人に焦点を当てて考えると、また違った見方が出来そうです。

この母子を「理不尽な力で人生を翻弄された名も無い人々」と私は見てみます。

すると、現代においてもこの曲と同じように、世界中が「理不尽な力」とそれに「翻弄される人々」で溢れているように思えて来るのです。

そしてこの900年近く前の名も無い母子を襲った悲劇を、能楽は目の前の舞台で体感させてくれます。

前シテ母親はクセのクライマックスで、盛綱に向かって自分も子供と同じように殺せ!と走り寄ります。その瞬間の迸るような悲しみ。

後シテ漁師の、胸を二度も刺される瞬間の痛み、暗い海底に沈み漂う無念と苦しみ。

この能は観る人に直接の救いを与えてはくれません。しかし「はるか昔の先祖達にも、このような悲しみや苦しみがあった」と確かに思えることで、現代の我々が悲しみや苦しみに耐える為の「生きる力」のようなものが得られる気がするのです。

そしてこの母子は、「藤戸」という曲に封じ込められたことで、千年先の人々をも「生かす」ことが出来る存在になったのだとも思います。

先日千葉の中学生達にも話したのですが、このように先人達の喜怒哀楽を曲に封じ込め、後世の人々がそれを追体験出来るということが、能楽の凄さ、素晴らしさなのだと私は思うのです。

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半蔀の旧蹟を訪ねて  後編

「五条辺りの夕顔の宿」を後にして、紫野にある雲林院を目指しました。

堺町通りを少しだけ南下して、松原通りを東に歩きます。

松原通りは元々の五条大路でした。

牛若丸と弁慶が出会ったのも松原通りに掛かっていた「旧五条大橋」の上なのです。

他にも「鉄輪の井戸」や「藤原俊成屋敷跡」など、松原通り周辺には能に関わる見所が多いのですが、今回はスルーして河原町通に直行。

河原町通から市バス205系統北行きに乗って、京都北山は紫野方面に向かいました。

40分ほど乗って、「大徳寺前」バス停で降ります。

大徳寺前交差点をほんの少し南下した東側に、こぢんまりした現在の「雲林院」がありました。境内は30m四方位でしょうか。

しかしこれは江戸時代に建てられたもので、雲林院は昔はもっと広大なお寺でした。鎌倉時代に大徳寺が出来るまでは、250m×300m位の敷地があったようです。

それにしても能「半蔀」のワキが「雲林院の僧」であり、前半の舞台が五条辺りではなく、雲林院のある紫野辺りなのは何故なのでしょうか。

それは、そもそも源氏物語の作者である「紫式部」がこの紫野の雲林院辺りの生まれだったからだと思われます。

紫式部の「紫」の字は「紫野」からとったそうです。

上に写真を載せた雲林院縁起の看板に、紫式部の墓所が雲林院の近くにあると書いてありました。

これは行ってみなければ!

雲林院から歩いて数分、堀川通沿いの島津製作所紫野工場のすぐ北隣に、「紫式部墓所」の碑がありました。碑に被さるように、小さく可憐な薄紫色の花が咲いています。

これはもしかして…

やはりムラサキシキブの花でした!秋に生る鮮やかな紫色の果実が馴染み深いですが、花が咲くのはちょうど6月の今頃だったのです。

ムラサキシキブの開花に合わせて紫式部の墓参をするのも、また不思議な縁だと思いました。

お墓そのものは更に奥にあります。墓所の写真撮影は控えましたが、小野篁の墓所と並んで、築山になったお墓でした。

今度は夕顔の墳と違って、墓所を前にしてきちんと長い時間をかけてお参りいたしました。

能「半蔀」の舞台の無事を祈念しつつ、堀川北大路バス停から今度は市バス206系統東行きに乗って、京大稽古に向かったのでした。

半蔀の旧蹟を訪ねて  前編

私は来月7月15日の五雲会で能「半蔀」のシテを勤めます。

今日は夕方からの京大稽古まで時間があったので、「半蔀」に関わる旧蹟を訪ねてみることにしました。

最初の目的地は「五条辺りの夕顔の宿」の跡です。

宿のある四条河原町から、先ずは西に向かい、堺町通りまで来ました。

四条堺町北西角には謎の石像があり、「お気張りやす」と励ましてくれます。

励ましを受けた後信号を渡って、堺町通りを五条方面へ南下開始。

しかし仏光寺通でフランス風(?)町家に突き当たってしまいました。。

少し西に行くと、仏光寺沿いに道が続いていました。更に南下すると…

「夕顔町」にやって来ました。マンション名も夕顔。

バケツも夕顔。

消火器も夕顔。そばには何故か朝顔ですが…。

只ならぬ「夕顔愛」を感じます。そして…

道端に「夕顔の墳」の石碑が。「夕顔の墳」そのものはこちらの民家の庭にあり、見る事は出来ません。庭の外から手を合わせました。

…しかし、思えばフィクションである「源氏物語」の登場人物である「夕顔」さんにお墓があるというのは不思議な話です。

これはやはり「源氏物語  夕顔の巻」が如何に人気があり、「夕顔」その人も如何に人々に愛されているかの印であると思われます。

何せ町名にしてしまうほどなのです。

しばらくの間「五条辺りの夕顔の宿」の風情を体感した後、今度は紫野にある雲林院を目指しました。

雲林院のお話は後編で。

満次郎先生の舞囃子稽古

昨日は香里能楽堂にて、全宝連東京大会に出す京大宝生会の舞囃子「高砂」と「班女」を辰巳満次郎先生に稽古していただきました。

超御多忙なスケジュールの中、学生にも熱い稽古をつけてくださる満次郎先生。

京大宝生会が到着した時には、舞台では神戸大学宝生会が熱い稽古の最中でした。

昨年復活して、今年もめでたく新入生を迎えた神戸大学。東京大会での舞台が楽しみです。

そして京大の稽古になりました。

満次郎先生の稽古は、皆本番と同様か、むしろ本番以上の緊張感で臨みます。

私もまた同じように緊張いたします。何しろ学生は、もしかすると一生に一度かもしれないという覚悟で舞囃子に挑戦するのです。

一通り舞い終えての先生のご注意を、シテは無論のこと地謡も頷きながら食い入るように見聞きしています。

「構えた時の上体はもっと力を抜いて、下に向かって力をグッと入れて」「中ノ舞の笛が吹き出す時の囃子の手を覚えること」と言った様々なご注意をいただき、最後に「大体良いでしょう」というお言葉をいただいて、稽古は無事終わったのでした。

あとは京大で最後の仕上げの稽古をして、全宝連当日の早朝にある申合を迎えるわけです。

この他に仕舞や素謡もあり、学生は授業やバイトの合間を縫って、本番までBOXで毎日稽古することでしょう。

彼らの熱い舞台を是非ご覧いただければと思います。

全国宝生流学生能楽連盟自演会:

6月24日(土)25日(日)  水道橋宝生能楽堂にて両日とも朝10時始曲。

因みに舞囃子は土曜日の12時半〜13時頃からです。

食堂に入れない話

今日はひと際ゆるいお話です。

ここ最近、京都で晩御飯を食べようと行ったお店に何故かことごとく入れない、というお話。

最初は、京都駅近くの「じじばば」というすごい名前のお店でした。稽古が終わってから遅めの時間に行ったので、まあ入れるだろうと思ったらサラリーマンの皆さんで満席でした。

これはまあよくある事で、仕方ないです。

次は一昨日。

京大稽古が23時半過ぎまでかかり、四条河原町の宿近くに着いた時には日がかわっていました。

もう空腹で目が霞みそうです。

しかし私は、四条河原町近くで安くて美味しい晩御飯を、その時間からでも確実に食べられるお店を知っていました。

午前0時開店、朝8時閉店の「深夜食堂」のようなお店で、「夢屋」という名前です。

頼む物まで考えながら店の前に行くと、無情にも「月曜定休」の看板が…。仕方なく晩御飯はチェーン定食屋で簡単に済ませました。

そして昨日。

曲名看板シリーズの撮影も兼ねて、下のお店に行ってみました。敷居の低い大衆居酒屋さんで、私の好きなタイプの非常に気軽なお店です。火曜日は営業しているようです。今度こそは入れるでしょう。

…と思ったら入口が閉まっています。あれあれ?と思って扉をよく見ると…。

なんと!これはさすがに「がーん」とショックを受けてしまいました。

もしや私が食べに行こうと思った為に、店主が骨折したのでは…とまで思いました。

今夜も晩御飯を何処かで食べないといけないのですが、今度は何が起こるのか、こわいような楽しみのような気分です。。

紛らわしい地謡

昨日は京大宝生会現役の稽古でした。

全宝連東京大会の舞台を約2週間後に控え、大変熱のこもった稽古になりました。

先月の関西宝連から仕舞の演目を変える部員が沢山いる為、シテもさる事ながら地謡が苦労することがあります。

謡の中には、非常に似通った言い回しが出てくることがあるのです。

例えば羽衣クセと半蔀クセで「内外の神の御末にて」と「御嶽精進の御声にて」。「みすえにて」と「みこえにて」が紛らわしいのです。

また竹生島と嵐山で「有縁の衆生の諸願を叶え」と「悪業の衆生の苦患を助け」。同じ曲で「国土を鎮め」と「国土を照らし」。

また国栖と嵐山でも、同じ「一足を引っさげ」という文句の後に「東西南北〜」と続くか「悪業の衆生の〜」と続くか等々、キリがありません。

別々の舞台で謡うならばそれ程問題にはならないのですが、これら全部が同じ日にある時には結構大変です。

しかも昨日の稽古は19人フル参加だった為、長い人では「謡い放題7時間コース、舞囃子付、食事無」だったので、気力体力も限界に近かったと思います。何度か地謡が上のような紛らわしい文句の罠にはまって、ちょっとだけ混乱していました。

まだ本番まで2週間ありますし、地謡は一番につき4〜5人いるので、何とか頑張ってほしいものです。

曲名看板5  舞物編

曲名看板シリーズ、今回は曲名ではなく「舞」の名前です。

「ギャラリーかけり」と読んでください。

これは「」のかっこみたいですが、あえて「羯鼓」と脳内変換してみてください。

「楽」が寝ているので、これは「邯鄲」の楽だと思われます。


「完全個室」に「隠れ」る神楽ならば、これは「三輪」でしょう。

おまけです。そのうちやりたい「舞の型編」の予告です。

今日はこの辺で失礼いたします。