全宝連委員長だった頃

先日もお知らせしましたが、今週末の6月24、25日に水道橋の宝生能楽堂にて全宝連東京大会が開催されます。

数年前と比べると加盟する学校が増えて、学生の数も徐々に上向きになっていると感じます。

熱意を持って指導される先生方と、親御さん始め学生の活動を支援してくださる様々な立場の皆様のおかげであると、深く感謝いたします。

私は大学3回生の時に全宝連京都大会の委員長を務めましたが、その頃の全宝連は、今とは違う点がいくつかありました。

初日の鑑賞能の後に、「シンポジウム」という時間がありました。学生がいくつかのグループに分かれて、討論や勉強会をするのです。

しかし私が入学した時には既にシンポジウムという名前は半ば形骸化しており、真面目に能楽を勉強するグループがある一方で、「能楽山手線ゲーム」といった全く学問的で無い時間を過ごすグループもありました。

当時はパソコンがまだ今ほど普及しておらず、番組などの下書は全て手書きでした。

また携帯も存在しなかったので、留守番電話が活躍する一方、割と頻繁に全宝連各支部の代表が集まって話し合いをしました。

これは「全宝連幹事会」と呼ばれましたが、私が委員長の時は例えば嵯峨野や大原辺りの民宿に集まって、1時間程真面目な話し合いをしたらあとは観光と大宴会、というかなり不真面目な幹事会でした。。

我ながら結構いいかげんな委員長でしたが、その時に初めて「大人の社会」との様々なやり取りを経験しました。

先生方への手紙の書き方や、楽屋での作法、またホテルや宴会の大人数の予約や、役料の計算なども、思えばその時の経験が今に活きている気がします。

今年の委員長さんも、今が一番大変だと思いますが、どうか頑張ってほしいです。

当日は私や京大の現役も、全宝連の舞台が円滑に進む為に出来る事があれば、なんでもやりたいと思っています。

学生達は舞台に向けた稽古は勿論のこと、この日の為に様々な準備を積み重ねて来ました。繰り返しですが、彼らの舞台をどうか1人でも多くの方に御覧いただければと思います。

どうかよろしくお願いいたします。

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