謎の”コンコン!”

色々な土地の宿に泊まる事が多いので、やはり色々な経験をします。

今朝は少し不思議な事がありました。

昨夜は松本稽古を夜に終えて、最終の特急しなので名古屋まで移動して泊まりました。

先日ブログで書いた時と同じパターンです。

宿も先日と同じ所で、新幹線改札口から程近い格安ビジネスホテルです。

フロントから部屋まで、昭和の雰囲気が色濃く漂う中々に渋い宿です。

食事は車内で済ませたので、部屋に入るとさっさとシャワーを浴びてベッドに入りました。

名古屋まで移動しておけば、明朝は比較的ゆっくり寝ていられるなと、ホッとしてすぐに眠りについたのです。

明け方頃にふと目が覚めました。

外は薄明るく、時計を見ると6時半頃でした。

なんで起きたのだろうか…と半分寝ている頭で考えていると、

“コンコンコン!”

と何かを打つ音が聴こえて来たのです。

隣ではないけれど、割と近くの部屋からと思われます。

表現が難しいのですが、金槌で釘を打つ程の煩さではなく、木槌でテーブルを軽く叩いているくらいの音量です。

最初は、「こんな早朝に何か修理でもしているのかな…?」

と不審に思いながらも、再び眠りに入っていこうとしました。

ところが、1〜2分くらい経つとまた、

“コンコンコン!コンコンコンコン!”

と来て起こされてしまうのです。

その”音”は、それからずっと1〜2分おきに聴こえて来ました。

ある時は”コン!”と短く、その次には”コンコンコンコンコンコン!”と長めに鳴ったりします。

一旦静かになって、うとうとし始めるタイミングを見計らうようにまた突然”コンコン”と来るので、完全に安眠を妨害されてしまいました。

最終的に私は、ティッシュペーパーで耳栓をして、テレビをつけて音を流しながら何とか眠ろうとしました。

しかしあの”コンコン!”がまたいつ鳴り出すかと気になって、結局その後は寝られずに寝不足気味で京都稽古に向かったのでした。

私は霊感はほとんどないし、今回もその音以外には全く異常はありませんでした。

時間も夜中ではなく明るくなってからの事なので、その時は全然怖いとは感じなかったのですが、後から考えると不可思議な音でした。

これからは、鞄に耳栓を忍ばせておいた方が良いだろうか…と思いつつ、京都稽古から帰る新幹線で今からゆっくり寝て睡眠時間を取り戻すつもりです。

イグルーの達人

今日は冷たい北風が強く吹く中、松本稽古に行って参りました。

松本もやはり寒く、気温も前回より大幅に下がりました。

松本駅から見える北アルプスの山々も、半ば雪雲に覆われていました。

きっと山の上は非常に厳しい寒さなのでしょう。

そして稽古場には、久しぶりに「イグルー作り日本一」の方がいらしてくださいました。

前回まではイグルー講習会の講師でお休みだったのです。

稽古が終わって晩御飯をご一緒しながら、イグルーのお話を色々伺ってみました。

「○○岳のリフトを降りて3分くらいの所に、イグルー作りに最適な場所があるのですよ」

「先ず私が3〜40分で見本のイグルーを作って、それから参加者の皆さんに2〜3時間かけてイグルー作りをしてもらいます」

なるほど、やはり初心者だと2〜3時間かかるのですね。

イグルーに向いている雪は3000m近くの高所にあるそうです。それだけで私には未知の世界です。

先程の松本駅から見えた北アルプス山上のような厳しい環境でも、イグルーの中では快適に過ごせるそうです。

イグルーの世界はやはりとても魅力的です。

「この間は、1人用の小さなイグルーを12人で12個作りました。それを全部トンネルで繋げて、自由に行き来できるようにしたのです」

おお、なんだか子供の頃の”秘密基地あそひ”みたいでワクワクします。

イグルー講習会には何人くらいの受講者が来られるのか聞いてみると、

「多くて30人ほどですかね」

では私もいつかそこに参加したいものです。と言うと、

「いや先生ならマンツーマンで教えますよ」

…何か非常に厳しいイグルー講習会になりそうですが、機会があれば2〜3時間かけて作ったイグルーの中で寛いでみたいと思っています。

晩御飯を終えて松本駅前の宿に戻る途中、駅の気温計は氷点下でした。

イグルーの恋しくなる寒さです…

引き算の宿

昨日青森で泊まった宿は、私が各地で泊まる中でも最も安いところです。

昨日は一泊3000円でした。

部屋やベッドの広さは普通のビジネスホテルと変わりません。

では何故そんなに安いのかというと、いわゆる「アメニティ」がほとんど無いのです。

歯ブラシ、ティッシュペーパー、タオル、バスマット、髭剃りなどは全て無しで、必要な物だけ別途レンタルできます。

また「冷蔵庫」や「テレビ」もありません。

要するに「部屋」、「ベッド」、「風呂」、「トイレ」だけで、あとはなにも無し。という宿なのです。

ここまで来ると、何か能楽にも通ずるような「引き算の美学」すら感じます。

私はこういう思想にはとても共感いたします。

歯ブラシは家から持参して、あとはバスタオルだけ1枚100円でレンタルすれば充分に事足ります。

「冷蔵庫」はちょっと欲しいところなのですが、そこは青森の真冬の寒さを逆手に取ります。

窓際に冷やしたいモノを並べてカーテンを閉めれば、外は氷点下なので「即席冷蔵庫」になってしまうのです。

昨日は到着してすぐに購入した青森の食材を「即席冷蔵庫」に置いて稽古に行き、稽古を終えて22時頃に宿に戻って美味しくいただいたのでした。

(宿代が安い分、地物のお刺身などちょっと贅沢なモノを買っても心が痛みません)

私の行く地域では青森にしか無いこのタイプの宿、もっと全国的に流行ってくれたらと密かに願っております。

予報通りの氷点下…

昨日の東京は最高気温が23℃まで上がったようです。

私は天気予報を見越して、昨日は今年初めてシャツ1枚で出かけて、それで丁度良いくらいでした。

道を歩いていると沈丁花の花をやはり今年初めて見かけて、春の香りを楽しみました。

そして今日。

水道橋の「来殿」申合に行くために家を出る時のことです。

私はやはり天気予報を見越して、今日は厚手のシャツに、持っている中で一番暖かいウールのジャケットを着込んで、更に鞄にはカーディガンを入れておきました。

今日の最終目的地の予想気温は氷点下なのです。

申合を終えた正午頃の東京の気温が15℃。霧雨模様でやや肌寒い感じです。

能楽堂を出て東京駅に向かい、東北新幹線に乗りました。

車内でひと眠りして目が覚めると、外の景色が一変しています。

雪が降りしきる寒々とした東北の風景です。

更に北上して、日が暮れてから到着した街は…

気温マイナス2.5℃。

やはり天気予報通りの氷点下の寒さでした。

この日この街の最高気温は0℃で、いわゆる「真冬日」だったようです。

昨日は春、今日は真冬を体感しております。

ここまで来ると体調管理がとても難しいですが、何とか服装や食べ物などで健康維持に努めたいと思います。

車内ごはんの裏技

昨夜は松本稽古を終えてから最終20時31分発の特急しなのに乗って名古屋まで行って泊まりました。

今朝の大山崎稽古に間に合うためには名古屋まで行っておく必要があったのです。

名古屋に着いてから晩御飯だととても遅くなるので、特急の中で晩御飯を済ませようと思いました。

松本駅近くのバスターミナルの地下に大きなスーパーマーケットがあり、昨夜のような時にはそこで食料を買い込む事にしています。

20時を過ぎてお惣菜はとても安くなっています。

しかし逆上して無差別に買うと大変な事になるので、私なりの一応の基準で素早く買い物をしていきます。

先ずは栄養バランスです。揚げ物は大抵安いのですが、そこは控え目にして野菜物を多めにします。昨日は”エビと青菜の中華炒め”とか。

また地元の物があればひとつは混ぜてみたいです。

昨日だと”鯉の煮付”とか。

そして地味に重要なのが、

「セロテープで蓋が止められている」

という事なのです。

なんの事かと思われるでしょう。

しかし、中央本線のようなカーブが多い路線だと、テーブルに並べたお惣菜類がカーブ毎に左右に振られて、最悪落ちてしまうのです。

なので、蓋からセロテープを慎重に外して輪っかにして、それでお惣菜をテーブルに固定する訳です。

この”技”に気づいてから、特急や新幹線車内の晩御飯が非常に快適になりました。

松本は地酒も非常に美味しいので、昨夜は15分程で素早く吟味したお惣菜を肴に、純米酒の小瓶と共に至福の車内ごはんをいただいたのでした。

稽古お休みの理由は…

今日は松本稽古日でした。

2週間前に大雪で行けなかった分の代替稽古です。

今回は無事に行けて安堵しました。

松本は晴れて気温も上がり、16時前の気温が17℃もありました。

今回は代替稽古日という事もあり、お休みの方もいらしたのですが、そのお休みの理由がなんと、

「本日のお稽古はお休みさせていただきます。
昨日のH3ロケット打ち上げを観に種子島に来ています。
申し訳ありません」

というものでした。

それは羨ましい…

また別の方は、

2/18はイグルー講習会をやる予定で残念ながらまた次回、よろしくお願いいたします」

イグルーとは雪洞の事で、この方はイグルー作りにかけては日本一という凄い方なのです。

私も一度イグルー作りに挑戦したいと思っております。

更に稽古にいらした方のお一人は、

「この度世界一周旅行に行こうと思いたちまして、5月頃までお休みさせてください」

なんだか松本稽古場の皆様は、私のやってみたい事ばかりされているようで、繰り返しですが実に羨ましい限りです。

世界一周旅行の方は、

「お土産話を楽しみになさってください」

確かにとても楽しみです。

私は皆様のお土産話を期待しながら、日々の稽古と舞台を引き続き頑張っていきたいと思います。

居心地の良い街

今日は午前中から京都の「ゲストハウス月と」にて紫明荘組の稽古、夕方に終えて夜は芦屋に稽古に行きました。

そして今は阪神電車に乗って、今夜の宿がある阪神尼崎に向かっております。

私は最近この「阪神尼崎」という場所に良く宿をとります。

「尼崎」という地名ですぐに頭に浮かぶ謡が、能「雲林院」の冒頭のワキ道行です。

ワキ芦屋公光が夢の導きで芦屋を出発して京都雲林院に向かう途中で、

「松陰に 煙をかづく 尼崎」

と謡うのです。当時の尼崎は、潮焼きの煙が漂う浜辺の村だったのでしょうか。

現代の尼崎市臨海部は工業地帯になり、工場の夜景が綺麗で撮影スポットにもなっているそうです。

そして阪神電車の尼崎駅周辺は、京都とも大阪ともちょっと違う、なんとも言えない「ゴチャゴチャ感」が魅力的な街なのです。

大きなアーケード街と、その裏道の昔からの飲み屋街。

何となく私が高校時代を過ごした東京の中野や、今住んでいる三ノ輪や千住辺りの雰囲気に似ているように思えて、とても居心地が良いのです。

今は基本的に宿で晩御飯を食べるので、まだこの街の飲み屋には行ったことが無いのですが、一度思い切って昔ながらの大衆居酒屋などに入ってみたいと思っております。

「翁」を持って久居へ

能「翁」から早くも2週間が経ちました。

今日は久しぶりに舞台も稽古も無い日でしたので、三重県久居の実家の父親を訪ねる事にしました。

父親と会うのは、一昨年の正月に久居に行って卒寿祝いに「三笑」の謡を謡った時以来です。

2年間ご無沙汰で元気かどうかちょっと心配しておりましたが、幸いに玄関に出てきた父親は92歳とは思えない元気な様子で安心いたしました。

元気とは言えさすがに真冬の東京に行くのは無理なので、父親は能「翁」には来られませんでした。

そこで今回の帰省は、「翁」のDVDと内祝の「翁最中」を父親に届けるというのが最大の目的だったのです。

居間の大画面テレビで早速DVD鑑賞です。

少々耳が遠くなってきた父親に大声で解説をしながら、私自身が初めて自分の「翁」を観ました。

改めて観ると改善すべき点も見えて、翁は一生に一度とは思いながら「次にやるとしたら…」という考えもぼんやりと浮かんできたり…

DVD鑑賞の後に私は1人で澤田家の菩提寺に行って、お花を手向けてお参り致しました。

そして再び実家に戻り、「翁最中」を父親とゆっくり食べてお茶を飲みました。

今日の久居は寒さが少し和らいだ穏やかな日で、四季の花が咲く実家の庭では、水仙が控えめに咲いておりました。

生まれた土地を訪ねるのは沁みじみと良いものです。

また時間を見つけて久居に帰ろうと思います。

巴塚を訪ねて

今週土曜日の「五雲能」にて、私は能「巴」のシテを勤めます。

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なので今日の午前中の隙間時間に滋賀県膳所にある「義仲寺」を訪ねてみました。

ここには木曽義仲のお墓と、巴御前の供養塔があるのです。

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JRに乗って雨模様の京都を出発。

大津のひとつ先の「膳所(ぜぜ)」で下車します。

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難読駅名のひとつ「膳所」。

昔琵琶湖の新鮮な魚を宮中に献上した場所で、それが名前の由来になったそうです。

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膳所駅から「ときめき坂」というやや照れ臭い名前の坂道を琵琶湖の方へ降りていきます。

10分ほどで旧東海道に行き当たり、左折してすぐに「義仲寺」はあります。

周りには、昔ここで激しい戦があったとは思えないような、平和な住宅街が広がっています。

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境内には義仲の大きなお墓があり、

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その横にひっそりと寄り添うように巴の供養塔「巴塚」がありました。

説明書きには、巴はこの場所で義仲の菩提を弔った後に木曽で90歳まで生きたとあります。

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しかし能「巴」では巴は若い姿で現れるのです。

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私は想像しました。

…巴は長生きして死んだ後も、義仲と一緒に戦いたかったのではなかろうか。

そして若い姿で修羅道に落ち、そこで再び義仲と出会って永遠に戦い続けている。

そういう幸せもあるのかもしれない…。

そう考えると、なんだか無性に切なくなってしまいました。

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義仲寺の入り口横には、「巴地蔵」という地蔵堂がありました。

その中にいらっしゃる「巴地蔵」はとても優しい顔をしています。

おそらく義仲と共にいる時の顔なのだろうな…と思いつつ、お参りして膳所駅への帰路につきました。

卒寿祝いの「三笑」

今日は私の生まれ故郷の三重県久居に日帰りで行って参りました。

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ここが私の実家です。1939年築のまあまあ古い家で、今は父親が中をリフォームして暮らしています。

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ここ数年の帰省の時には、

父親と顔を合わせる→父親と墓参りに行く→そのまま少し散歩→日が暮れたら近所のハンバーグ専門店で一緒に晩御飯→東京に戻る

というコースがほぼ決まっています。

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でも今回は、ちょっと違う目的がありました。

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実は父親は昨年末の誕生日で卒寿を迎えて、12月25日に親類が集まって卒寿祝いの会を催したのです。

しかし私はその日は奈良と京都で舞台があり、お祝い会への出席が叶いませんでした。

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そこで父親には、「お正月に久居に帰った時に、卒寿祝いの謡をプレゼントするよ」

と伝えておいたのです。

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曲を何にしようかと考えて、「三笑」の

「菊の白露つもりつもって 不老不死の薬の泉よも盡きじ…」

という部分から最後までを謡うことにしました。

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リフォームしたリビングのフローリングの床に正座して、マスクに洋服というなんとも風情の無い有様でしたが、お祝いの心を込めて「三笑」を謡いました。

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父親は喜んでくれて、御礼という訳でもないのでしょうが、趣味で描いた絵をくれました。

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今日はまだハンバーグ屋さんが正月休みなので、2人で珈琲を淹れてゆっくり飲んで、それで帰ることにしました。

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帰り際に1人でお墓参りをした後に、やはり1人で少し散歩してみました。

久居は本当になんにも無い静かな町で、遠くに見える布引山も実に穏やかな姿です。

「子供の頃この辺で土筆採りをしたっけなあ…」

などとしみじみ思いながら、布引山に背を向けて久居駅へと帰路についたのでした。