散歩心に火がついて…

普段電車での移動ばかりで、文字通り「地に足のつかない」生活をしているためか、私は実は散歩が大好きです。

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今日は稽古のキャンセルなどがあり、ぽっかりと時間の空いた1日でした。

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ゆっくり休んで午後遅くに、細々とした買い物などをしようと近所のジョイフル三ノ輪商店街に行ったのですが、関係無いお店をぶらぶら見てまわったり、途中テレビの撮影(リリーフランキーと少年が商店街で買い物をするシーンでした)に出くわしたりしているうちに「散歩心」に火がついてしまいました。

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三ノ輪橋からぶらぶらと南下して、根岸辺りを抜けて鶯谷駅の横を通ると、上野寛永寺に出ました。

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そこから上野駅の公園口の横を通ってアメ横の方におりました。

上野駅越しにスカイツリーが綺麗でした。

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上野から今度は不忍池のほとりを通って、上野動物園をかすめて根津方面へ。

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言問通りに出てからは通称「へび道」と言われるくねくねした一本道を日暮里方面へ進みました。

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やがて「谷中銀座商店街」に辿り着き、日暮里駅に向かいます。

日が暮れた谷中銀座は、地元の人だけが行き交う懐かしい商店街でした。

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突き当たりの「夕焼けだんだん」を登って振り返ると、もうすっかり夜の谷中銀座が望めました。

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そして日暮里駅を横目に見て、今度はいわゆる「日暮里繊維街」に入ります。

ここを抜けると、三ノ輪まではもう僅かの道のりです。

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ここ最近は本当に身も心も地に足のつかない日々が続いていましたが、下町の何気ない暮らしを見ながら散歩して、ちょっと落ち着くことが出来ました。

雪の青森から

雪の青森から今朝何とか帰って参りました。

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「何とか」というのは、実は今朝青森駅で停電トラブルに巻き込まれてしまったのです。

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雪の影響なのかはわからないのですが、早朝に宿を出て青森駅に行くと、構内の停電で電車が始発からすべて止まっていて、タクシーで新青森駅まで代行輸送をするとの事でした。

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しかしタクシーには長蛇の列。

新青森駅に着いた時には私の乗る筈の新幹線はとうに出発していました。

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次の新幹線は1時間後です。

しかもその新幹線に乗ると今度は停電が復旧したとかで、青森から遅れて来る在来線を待ってなかなか出発してくれません。。

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それやこれやで、冷や汗をかきながら水道橋の宝生能楽堂に駆け込み、何とか五雲会申合に間に合ったという訳なのです。

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雪と寒さと停電と、最後まで気が抜けない東北巡業でした。

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今回の雪と氷の写真を何枚か。

新青森駅に巨大な天然のクリスマスツリーが出現していました。

左端のクレーンの先端にいる人と比べると、大きさがわかると思います。

実はこのツリーは一本ではなく、9本の「青森ヒバ」が円形に植えられているのだそうです。

しかし雪だけのシンプルなデコレーションがとても美しく見えました。

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先日のブログで書いた「雪だるま〜る」も雪を被って「雪だるま」になっていました。

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居酒屋 弁慶のキャラ、弁慶君も雪に覆われて寒そうです。。

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「つらら」を久しぶりに見ました。

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次の東北は来年1月の予定です。

その時にはまた北の町の有様を色々書きたいと思います

「緊張感」と「不安感」

今日の仙台稽古にて、お弟子さん達から色々なお話を聞きました。

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①舞台に出た時に頭が真っ白になる事がある。それは稽古の途中段階で舞台に出てしまった時で、それを超えてしっかり稽古した時の舞台では真っ白にならず冷静でいられる。

②能のシテで幕が上がった時に、地謡の先生方と視線が合った気がしてとても怖かった。

③同じく能のシテの時に、幕が上がって歩み始めようとしたら、金縛りみたいになって前になかなか進まなかった。

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まだまだ色々聞いたのですが、いずれも興味深い内容でした。

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例えば①に関しては、「緊張」と「不安」という異なる二つの要素の絡みだと思うのです。

稽古が足りないと思っている時には、当然「不安感」が大きく、それが「緊張感」と重なった時に頭が真っ白になって何もわからなくなるのだと思います。

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しかし充分な稽古をして舞台に臨めば不安感は少なく、そのような場合の「緊張感」は逆に舞台に集中させてくれる気がします。

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②は実は私も感じることで、視線を感じると無用な不安感を抱いてしまうので、私は地謡や後見とあまり目線が合わないように面の位置を調整したりいたします。

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③は、橋掛りには傾斜があって、舞台に向かって僅かに登り坂になっています。

あくまで推測なのですが、それが緊張感と相まって、金縛りのようになかなか前に進めないように感じてしまったのではと思います。

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私が普段感じていても、なかなか具体的に認識していなかった事を、お弟子さんに聞いて改めて考えてみて、「成る程そういう事だったのか」とわかる事があります。

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今日はたまたま「緊張感」と「不安感」に関して、仙台の皆さんに非常に有意義なお話を伺うことが出来ました。

とても有り難い時間でした。

東京の地下鉄は…

「東京の地下鉄はややこしい」というのは、昔からよく聞く話です。

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昨日は夕方に水道橋から装束を持って、六本木のあるレストランに行くというミッションがありました。

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乗り換え案内に従って地下鉄三田線で水道橋を出発。

日比谷で地下鉄日比谷線に乗り換えようと思いました。

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ところが日比谷駅の三田線から日比谷線までは、結構距離がある上に、階段のアップダウンも沢山あるのですね。。装束を持っている身には辛い道程でした。

余裕を持って出たのですが、予想よりも時間がかかって、疲れてしまいました。

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今日はより複雑で、

①三ノ輪から地下鉄日比谷線で秋葉原へ→

②秋葉原から歩いて岩本町駅に行き、都営地下鉄新宿線で九段下へ→

③わんや書店で謡本を受け取り、再び九段下駅から、地下鉄半蔵門線で三越前へ→

④三越で御歳暮をひとつ送る→

⑤歩いて日本橋駅に行き、都営地下鉄浅草線で三田へ移動→

⑥田町稽古。

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という、書くと余計に複雑に感じる地下鉄移動日でした。

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そして、何箇所かで罠に嵌ってしまいました。

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③でわんや書店を出て九段下駅に戻り、地下鉄半蔵門線に乗った筈が、気がつくと「次は曙橋〜」というアナウンスが。

方向が逆で、そもそも何故か都営地下鉄新宿線に乗ってしまっています。。

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狐につままれた気持ちでまた九段下へ引き返し、今度は慎重に半蔵門線に乗り換えました。

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次に④三越で御歳暮を済ませ、⑤日本橋駅まで歩いたのは良かったのですが、都営地下鉄浅草線のホームに入ると逆方向で、それでは向かいのホームに行こうとすると、「このホームから向かいのホームには行けません」という看板が。

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何故か改札の外にしか階段が無かったのです。

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合計で20分以上時間をロスしてしまい、稽古ギリギリに何とか三田駅に到着できました。

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そして田町稽古を終えて、またまた地下鉄浅草線→地下鉄日比谷線と乗り継いで、只今無事に三ノ輪駅に戻って参りました。

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間違いを含めると、今日の夕方以降だけで8回地下鉄に乗ったことになります。

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東京暮らしも長いので、「東京の地下鉄」といっても、そう苦労することは最早無いと思っておりましたが、なんの地下鉄の手強さを改めて思い知らされた昨日今日だったのでした。

元伯先生のこと

私が初めて「太鼓」を習ったのは、東京芸大に入学してからのことでした。

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当時の太鼓の先生は「観世元信先生」でした。

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落語がお好きな先生で、稽古の口調もどこか落語に似た穏やかな江戸言葉でした。

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そして一年が過ぎ、翌春から先生が替わられました。

今度は元信先生の息子さんの「観世元伯先生」です。

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外見は元信先生と似ていらして、どんな稽古なのか興味深く思いながら初めての元伯先生稽古に臨みました。すると…

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「(刻みを高く)上げろ〜‼️」

「(刻みを上げるのは)まだだ〜‼️」

「そこは、まっつぐ(真っ直ぐ)打て〜‼️」

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もしも手を間違えようものなら「おい‼️‼️」

とドスの効いた声と眼光が飛んで来ます。

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親子で同じ江戸言葉なのに、これほど雰囲気が違うものかと妙な所に感動しながら、「これは今後の太鼓は大変な稽古になるな…」と内心恐れを抱いたことを覚えております。

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4年生になった頃の「真の序の舞」物の「老松」の稽古など、半ば命懸けの心持で稽古部屋に入ったものでした。

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しかし元伯先生の厳しい稽古と、その芯の通った厳格な稽古の在り方それ自体に、とても大切なものを教えていただいたと感じております。

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その観世元伯先生が、全く信じられない話なのですが51歳の若さでお亡くなりになりました。

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一年前に体調を崩されたと伺い心配しておりましたが、あの気迫と生命力に溢れた先生のこと、必ず治して舞台に戻って来られると信じておりました。

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先生御自身が想像を絶する厳しい稽古や無数の舞台を潜り抜けて、血の滲む修行をして身につけられたその芸は、これから一層舞台で花開き、そしてこの先数十年かけて多くの後進に伝えられる筈の大切な宝物でした。

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その舞台を、その稽古を出来ないままに旅立たざるをえなかった先生の無念さは、私には想像すら出来ません。

世にこんな残酷なことがあるのかと思います。

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せめて残された我々に出来ることは何でしょうか。

先生という宝物はこの世には居なくなってしまわれましたが、また先生が遺していかれたものも沢山あるのだと思います。

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私が受けた教えなどはほんの僅かですが、それでも強烈に心に残っております。

自分の舞台の稽古をする時、また澤風会で太鼓物をあしらいながら稽古したりする時には、先生の厳しい稽古を思い出すことが多いです。

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せめて今までに教えていただいたことはしっかりと忘れずに、今後の舞台や稽古に活かしていくこと。

それが私に出来る唯一のことのような気がします。

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元伯先生、今はゆっくりとお休みください。

そしてどうかこれからも能楽界を見守っていてくださいませ。

数々のお教えどうもありがとうございました。

1件のコメント

マグダレナ・ソレさんからのメール

今朝早くにメールの着信音が鳴りました。

この時間のメールは、ドイツの後輩からのことが多いのですが、朝起きて開いてみると全く違う人からでした。

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先月にニューヨークから遥々撮影にいらした、写真家のマグダレナ・ソレさんからのメールだったのです。

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「出来上がった写真はお送りします」と聞いて楽しみに待っておりました。

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先月の写真撮影は江古田稽古場で行われました。

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装束は松本稽古場の会員の古美術商の方からお借りした「色無唐織」と、京大宝生会の和裁が堪能な四回生が織ってくれた「箔」と「鬘帯」を着付けて、面は母親の旧知の方からお借りしている「深井」を掛けての撮影でした。

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これらは私が用意出来る唯一の装束です。

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もっと沢山の装束をお持ちの適切な方がおられるとは思いましたが、今回は是非ともこの撮影をお引き受けしたいと考えたのです。

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「私のホームページをご覧いただいての依頼であった」というのが第一の理由です。

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そして更に、上に記した唯一の装束セットは、昨年夏のブレーメン公演に際して様々な方との御縁で揃ったものであり、「縁あって揃った装束で、また新たな縁を作れる」というのがとても有り難い事に思えたからです。

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ソレさんからの今朝のメールには、「能楽という芸術に触れる大変印象的で素晴らしい経験が出来て心より感謝します」というような内容が書かれていて、何とか役目を果たせたかと安堵いたしました。

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願わくば今回の御縁がこの先も繋がって、またソレさんや仲介の日本人の方と何かお仕事が出来れば有り難いことです。

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ソレさんにお送りいただいた写真はとても沢山あるのですが、これらはまた何らかの方法で改めて皆様にご覧いただきたいと思っております。

いい肉の日

今日11月29日は、どうやら「いい肉の日」らしいです。

「1129」で「いいにく」。しかも今年は平成29年なので、さらに「にく」が重なっています。

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日本人は、このような所謂「語呂合わせ」というのが非常に好きな民族なのだと思います。

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冒頭のような数字の語呂合わせだけに限っても、電話番号や車のナンバープレート、歴史年号の覚え方など、そこら中で目にします。

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実はこの「数字の語呂合わせ」の原型のような「言葉遊び」は、「能楽」の中にも頻繁に見られるのです。

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一曲にひとつは必ずあると言っても良いくらいです。

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つい先程、香里能楽堂にて能「自然居士」の申合の地謡を謡ったのですが、その曲中にもシテ自然居士が船の「一櫂(ひとかい)」を「人買い」と引っ掛けて、ワキの人商人を慌てさせるシーンがありました。

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他にも能「小鍛冶」では、「御劔(みつるぎ)」の「みつ」を「三つ」に掛けて、「天下第一の。二つ銘の。御劔にて。四海を治め給へば。五穀成就もこの時なれや」と「一、二、三、四、五」を読み込む言葉遊びが見られます。

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また能「野守」に「一矜羯羅。二制咜迦。三に倶利伽羅。七大八大金剛童子。」の後に「東方〜」と謡が続くのですが、この「東」も「十」と掛けてあるのだと私は思います。

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千年近く前の知識人が、真面目な顔でこういった言葉遊びを考えている図はちょっと微笑ましい気がします。

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その言葉遊び文化が綿々と繋がって、現代では「いい肉の日企画!先着29名様は肉食べ放題コースが1129円!」という風に使われるわけですね。

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…残念ながら今日は焼肉屋さんに行く時間は無かったのですが、今年は酉年ということで、今日のお昼は東京駅で「鳥照り焼き弁当」を購入して、京都に向かう新幹線車内にて美味しいお肉を食べることが出来たのでした。

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今は帰りの新幹線です。これから東京まで、少し休もうと思います。

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それでは皆さま0843731…。

「お問い合わせフォーム」の使い方

このホームページには「お問い合わせフォーム」があります。

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これは澤風会稽古に興味を持たれた方にお問い合わせいただく為に作ったものです。

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しかしながら、最近この「お問い合わせフォーム」に新しい使い方があることを知りました。

しかもとても素敵な使い方なのです。

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先週の京大「能と狂言の会」に関するブログで、昔の「学生能」時代の話を書いたところ、読んでくれた当時の狂言会の同期の仲間から「懐かしさのあまり一言伝えたくなり、お問い合わせフォームで連絡しました」との嬉しい便りが届きました。

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卒業以来なので随分と時間が経ち、なんと息子さんはもう大学生で、今の京大宝生会の現役に友人がいるとか。

時の流れを感じて、私自身しみじみと懐かしく大学時代を思い出しました。

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宝生会以外の会の同期とは、今は全く疎遠になってしまっているので、出来ることなら何人かでも連絡をつけて、集まったりできたら素晴らしいと思いました。

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私はフェイスブックもツイッターもやらないので、この「お問い合わせフォーム」が唯一世界に開けた連絡ツールと言えます。

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これを読んだ同期の人がいたら、「お問い合わせフォーム」で連絡を貰えると大変嬉しいです。

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…もちろん、お稽古に興味を持たれた方は、どうかお気軽にこの「お問い合わせフォーム」でお問い合わせくださいませ。

捻くれ者向けの予防接種

能「黒塚」の間狂言は、「私は生まれつき捻くれ者で、”見よ”と言われた物は見たくもないが、”見るな”と言われるとどうにも見たくなってしまうのだ」というような事を言っています。

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私にも実はこのような捻くれた傾向がある気がするのですが、今日は思いもよらない場面でそれを実感いたしました。

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今日はインフルエンザの予防接種を受けて来たのです。

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注射が好きな人はいないと思いますが、私もあまり好きではありません。。

待合室で、嫌がる子供の声など聞くと、より憂鬱な気分になってしまうのです…。

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私の名前が呼ばれて診療室に入ると、看護師さんが「はい、座ってくださいね〜。」と明るく声をかけて来ました。

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そしていざ注射をする時。

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「はい、ちょっと痛いですよ〜。」と言って、チクリと針が刺さる感じがしました。そこまでは想定内です。

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しかし続けて看護師さんは、「結構痛いですよね〜」と言って来たのです。

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「結構痛いですよね〜」と言われると、捻くれ者の私は無意識のうちに「いやいや、そんなに痛くないですから!」と思ってしまうのです。

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そして「痛くないですから!」と思った瞬間には予防接種は終わっていました。

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これは「看護師さん上手い!」と思いました。

人間の「捻くれ者傾向」も、利用の仕方によっては良いこともあるのですね。

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「黒塚」の間狂言も、この方法で予防接種を受けたら、痛いと感じること無く終えられるでしょう。

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ともあれ、これでひと安心です。

今シーズンは早々に風邪をひいてしまったので、この先は風邪やインフルエンザに一層気をつけて生活しようと思います。

ニューヨークからの撮影隊

今日は宝生能楽堂にて月並能がありましたが、その前に私はもうひとつ仕事がありました。

江古田稽古場にて、ニューヨークから遥々いらした写真家のマグダレナ・ソレさんと彼女の生徒さん達による写真撮影があったのです。

「生徒さん達」と伺っていたので、学生さんかと思ったら、皆さん私の母親に近い年齢の方々でした。

マグダレナ・ソレさん一行は京都や東京で日本の様々な風物を撮影されていて、その中で「能楽師の写真が撮りたい」とのことで、私の所にいらしてくださった訳です。

ひとつ問題は、一行は日本語が殆んど話せず、私は英語が全く喋れないという事でした。

そこで私の知人の中で最も英語が堪能で、しかも宝生流の稽古もしているという人に助けを求めました。

プロフェッショナルの通訳で、先日宝生能楽堂にて、能楽通訳ガイド研修も受講してくれた勝木さんと、最近稽古を始めた高校英語教師の石崎さんです。

この2人に、私の内弟子同期の若手能楽師を2人加えて撮影が始まりました。

皆さん見るからに高性能な一眼レフカメラで、10人程で代わる代わる沢山の写真を撮影されました。

途中私が簡単な説明をするのを、すかさず勝木さんが英語に直して伝えてくれて、それを聞く度に皆さんは「ホォーッ」と感嘆の声を上げて、更に熱心にシャッターを切っておられます。

実は先日も書いたのですが、今回の撮影は私のこのホームページをご覧になった日本人の方から依頼を受けたお話でした。

ホームページ由来のお仕事は初めてで、どのような方々がいらっしゃるのかドキドキしていたのですが、結果的には皆さん大変良い方々で、撮影を通じて能楽に興味を持っていただけて、とても有り難く思いました。

ニューヨークに戻られてから、出来上がった写真をお送りくださるとのことで、非常に楽しみにしております。

ホームページがきっかけの縁が、今後もっと増えていけば良いと思います。

勝木さん始め本日お手伝いいただいた皆様、本当に色々どうもありがとうございました。