“秋”のつく食べ物

昨日は大江能楽堂をお借りしての稽古の後に、夜は芦屋で稽古いたしました。

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21時頃に終えて京都の宿に戻るともう22時半を過ぎていました。

まさに空腹のピークです。

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烏丸錦西入ルの目当てのお店に急ぎました。

ビールと枝豆を頼んで、改めてゆっくりメニューを見ると秋の食べ物が沢山並んでいます。

とりあえず”秋刀魚の炙り”と”秋茄子の揚げ出し”を注文。

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秋刀魚が驚きの美味しさで、至福の時間を過ごしました。

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その季節の名前がついた食べ物を食べると、何か季節そのものを味わったような幸せな気持ちになります。

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充分に秋の栄養をいただいて、今日はまた昼間に澤風会の能「小袖曽我」と舞囃子「玉葛」などの仕上げの稽古をいたしました。

そして夜には香里能楽堂にて、明日開催の「七宝会」の申合があり、能「舎利」の地謡を頑張って参りました。

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今は全部無事に終わって帰りの京阪電車です。

またもや腹ペコなので、今日もどこかで秋の食べ物を味わいたいと思っております。

文化祭の出し物は…?

今日は8月末以来久しぶりの江古田稽古でした。

「9月も下旬になれば涼しくなっている筈なので、稽古日を後半に固めましょう」という目論みで今日と来週にしたのですが、思惑通りすっかり秋めいてきて、帰りはむしろ肌寒いくらいでした。

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今日も終盤に高校生が何人かやってきました。

そのうちの1人が「明後日から文化祭なのです!」

というので、何の気なしに「へえ、クラスで何をやるの?」

と聞いたところ、

「カジノです!」

と返って来てひっくり返りそうになりました。

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「カジノ!?どんなギャンブルをするの?」

と聞くと、ルーレットやトランプだということでした。

ルーレットは市販のものですが、台は生徒達の手作りだそうです。そしてゲームに勝つと、生徒が持ち寄った景品がもらえるとか。

成る程、そのくらいならば、学校の許可も出そうですね。

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高校の文化祭の出し物というのは、学校や時代によって千差万別なのです。

ちなみに私のいた頃の都立富士高校では「演劇」が8割を占めていました。

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先日の京大宝生会では、吹田東高校宝生会のOGの部員が「明日は高校の文化祭の仕舞の発表を手伝ってきます!」と言っていました。文化祭で仕舞を出す高校生もいるのです。

また別の宝生会部員は、「高校の文化祭ではお化け屋敷のお化けをやって、本気で怖がられました!」お化け屋敷は王道ですかね。

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そして今日最後にやって来た高校2年生に、若干の期待を込めて「文化祭では何を出すの?」と質問してみました。やはり何かとんでもない出し物かもしれません。すると…

「綿菓子屋さんです!」

…意外と普通なのでした。。

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文化祭で面白い出し物をした経験のある方、よろしければコメント欄で教えてくださいませ。

皓月会に出演して参りました

今朝は夜明けと共に羽田空港を飛び立ち、福岡に向かいました。

大濠能楽堂にて開催の「皓月会」に出演するためです。

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飛行機に乗ったらすぐさま福岡まで寝ようと思っていたのですが、窓際の席だったので、ついつい外を見てしまいます。

離陸後すぐに眼下に”富士の高嶺”が…!

これは正に能「羽衣」のシテ、月世界の天人の目線です。

この絶景にテンションが微妙に上がってしまい、結局一睡も出来ずに無事福岡空港に着陸。

目をこすりながら地下鉄で大濠能楽堂に直行しました。

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能楽堂到着時刻が朝9時過ぎ。日本は意外に狭いです。

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今日は先週のブログでも書いた能「芦刈」が出ることになっていました。

楽屋に向かうとこんな張り紙が…

会主のユーモア心、感服いたしました。

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今回の皓月会は会主の石黒実都師が取り仕切っておられましたが、何番かの仕舞などの地謡に出させていただいた時、謡いながら故石黒孝先生の事を無性に思い出しました。

古くからの皓月会の会員さんの型や謡に、孝先生の面影が宿っていたのでしょう。

しみじみとした気持ちになりました。

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素晴らしい舞台だった能「芦刈」をはじめ、盛り沢山の舞台が盛会のうちに終わったのが17時半前。

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その後能楽堂から移動して、会員さんのなさっている「光寿司」という大変美味しいお寿司屋さんで晩御飯をいただき、福岡空港へ移動して到着したのが21時。

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そして帰りの飛行機で今度こそは寝ようと思っていたのですが、また席は窓際なのです。。

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夜景好きな私のテンションはまた微妙に上がっており、23時到着予定の羽田空港まで結局眠らずに行ってしまうのだろうな…と思っております。

福岡空港は連休を満喫した人々で混み合っておりましたが、私は日帰りでも大変に充実した濃い皓月会の1日を過ごさせていただきました。

石黒実都師はじめ皓月会関係者の皆様、誠にありがとうございました。

(機内モードにて執筆したブログでした)

“高砂尽くし”の披露宴

昨日は五雲会の後に、恵比寿のウェスティンホテルにて大鼓方の大倉栄太郎さんの結婚披露宴に出席して参りました。

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大倉栄太郎さんは東京芸大時代の同級生で、当時能楽専攻の仲間たちと栄太郎さんの鎌倉の自宅に泊まりがけで遊びに行ったりしたのが懐かしい思い出です。

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我々能楽師の結婚披露宴では、乾杯の前に「高砂」の祝言小謡「四海波」を謡うのが慣例になっております。

昨日も宝生和英御宗家の御発声のもと、出席した能楽師が全員立ち上がって「四海波」を謡いました。

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昨日はシテ方と三役のたくさんの流儀が勢揃いした披露宴でしたが、実は「四海波」の詞章や節は流儀によって異なるのです。

私も初めて能楽師の披露宴に出席した時は、違う節が聞こえてきて戸惑いました。

しかし今ではそれにも慣れており、昨日も宝生流の「四海波」を大声で謡いました。

ところが最後の部分の「君の恵みぞ有り難き」を「君の恵みぞ有り難や」と謡う流儀があるので、そこは「き」と「や」がせめぎ合って微妙な謡になって終わりました。

聴いていた一般の方は違和感を感じられたかもしれませんが、決して誰も間違えてはいないのです。。

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そして、開宴後しばし経った頃、ふと気がつくと新郎新婦が座る”高砂”の横にあるステージに、いつのまにか数人の能楽師が座っていました。

シテ方、笛方、小鼓方、太鼓方…

あれ?1人足りません。するとおもむろに高砂席の新郎栄太郎さんが立ち上がりました。

なんと手には大鼓を持っています!

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栄太郎さんが座につくと、シテ方の金春流山井綱雄さんが謡い始めました。

「高砂や この浦船に 帆をあげて…」

おお、今日は”高砂尽くし”なのですね!

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そしてまた面白いことがありました。

結婚式で「高砂」を謡う場合、文句を一部変える習わしがあります。

「出汐」を「入汐」としたり、「遠く」を「近く」と謡ったり。

これを謡文句を「かざす」と言ったりするそうです。

昨日の山井さんもこの「かざし謡」で待謡を謡われており、「遠く鳴尾の沖過ぎて」が「春に鳴尾の沖過ぎて」となっていたり、聞きながら思わずニヤリとしてしまいました。

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新郎熱演の「高砂」居囃子も無事に終わり、やがて和やかな披露宴は終盤に差し掛かりました。

最後は新郎栄太郎さんの挨拶です。ところが…

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栄太郎さん「え〜、どうしよう何を言うのかすっかり忘れてしまいました…。あんなに練習したのに!!」

おいおい。

昔からこういうキャラで愛すべき人なのですが、ここは何とか頑張ってほしいところです。

すると…

「そうだ!思い出しました。先ほどの皆様の”四海波”の謡!」

え?

「これまでの披露宴では謡う方だったので、今日初めて高砂席から聴かせていただきましたが、”おめでとう!”というすごいエネルギーが伝わって来て、めちゃくちゃ感動しました!!」

能楽師一同大ウケです。会場全体も温かい空気に包まれました。

栄太郎さんその後なんとか挨拶をまとめて、披露宴は目出度くお開きになりました。

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高砂で始まり、高砂で締めた感じのとても良い披露宴でした。

栄太郎さん、どうか末永くお幸せに!

四つ葉タクシー!

今日は午前中から夕方までノンストップで紫明荘組稽古、そこから間髪いれずに京大に移動して、21時過ぎまでみっちり稽古しました。

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その時間まで稽古すると、京都駅まではバス移動だと最終の新幹線に間に合いません。

贅沢だとは思いながら、京大BOX棟の前からタクシーに乗ることになります。

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今日の京都は雨模様だったのでタクシーの需要が大きいのか、なかなか空車が通りません。。

一緒に待ってくれている現役に、「雨だからもういいよ」と声をかけて、1人で待とうと思っていると、ようやく遠くに空車のタクシーが見えました。

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すかさず手を挙げて止まってもらうと、クローバーマークの”ヤサカタクシー”でした。

そして私は瞬時に気づきました。

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「おお!四つ葉タクシーだ!!」

ヤサカの四つ葉タクシー!

普通は三つ葉のクローバーマークが”四つ葉のクローバー”になっている車です。

半ば都市伝説的に噂を聞いていましたが、京都に来てから数十年、一度たりとも姿を見かけたこともありませんでした。

それが遂に私の目の前に…!

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大喜びで乗り込んで、「四つ葉ですね!初めて見ました!!」と興奮気味に話しかけると、「夜道で、乗車される前に気がつく方は珍しいですね。」と笑いながら運転手さん。

そして、「これは記念にどうぞ」と何やら差し出してくれました。

見ると、乗車記念カードでした。

なんと、1300台のうち4台しか無いと書いてあります。

ましてや他の会社のタクシーも入れると、出会えたのは全く奇跡的なことです。

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せっかくなので、運転手さんに色々聞いてみました。

私「四つ葉以外にも、レアなタクシーがあった気がするのですが…」

運転手さん「はい、上賀茂神社さんとのコラボ企画で”ふたばタクシー”があります。それは2台だけです。あとは、バレンタイン期間限定で女性ドライバーの車がピンク色のクローバーになります!」

おお、ヤサカタクシー色々頑張っているのですね!

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私「四つ葉タクシーのドライバーはどうやって選ばれるのですか?」

運転手さん「様々な規定に照らして、会社から任命されるのです。」

その時は、後ろ姿なのに運転手さんがちょっとだけ胸を張ったような気がしました。

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話しながら気がつくと、京都駅に向かう道順がいつもと少し違うことに気づきました。

車は東大路をひたすら南下して、やがて七条も越えた先の細い路地を右折しました。

私「珍しい道を行くのですね…」

すると、

運転手さん「この道をずっと行くと、”京都タワー”が真正面に見えて来るのです。お客様のようにこれから京都を発って行かれる方に、思い出でも無いのですが最後に京都タワーを見ていただきたくて、この道を通るようにしております。」

なんと、たしかに道の向こうには、京都タワーが”ドーン”と屹立していました。

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今日も朝から晩までノンストップ稽古で少々ハードな1日だったのですが、最後に”四つ葉タクシー”に出会えて非常にハッピーな気分になりました。

そして、「乗る人皆が幸せな気持ちになる車」を運転出来るあの運転手さんが、ちょっとだけ羨ましいと思ったのでした。

簡略化か伝統保全か。

先週の盛岡でのセミナーの時のお話です。

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盛岡の伝統的な踊り”さんさ踊り”が最近盛岡の大学生に流行っていて、大勢が熱を入れて踊っているという話が出ました。

それは大変良いことだと思ったら、その”さんさ踊り”は簡略化されたもので、本当に伝統的で複雑な”さんさ踊り”を踊れる人は逆に少なくなったというのです。

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すると今度は”大償神楽”を継承されている方が、「大償神楽は難しいところもあるが、簡略化することなく子供達に伝えていきたい。その難しい部分にこそ面白みがあるのです」と仰いました。

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私は大償神楽の方に、「神楽の演目には子供向けのものは無いのですか?」と聞いてみました。

すると、「いえ、一切ありません。いわゆる”子役”も無く、子供も大人も全く同じ神楽を稽古します」とのことでした。

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簡略化されて人口が増えた踊りと、後継者不足に苦しみながらも、頑固に形を変えずにその本質的な面白さを伝えていこうとする神楽。

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どちらが正解かを、簡単に決めつけることは出来ないと思います。

私自身は、大償神楽の考え方にとても共感を覚えますが、それだけでは今後続けていくのが難しい気もするのです。

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この”さんさ踊り”と”大償神楽”の命題は、今後長い時間をかけて考えて行きたいと思います。

盛岡でのセミナー

今日は「岩手未来機構」の皆さんに招かれて、盛岡でとあるセミナーに参加しました。

「岩手県の伝統文化芸術活動の担い手が、今後より良い活動をしていくにはどうしたら良いか」というテーマのセミナーでした。

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ユネスコ無形文化遺産にもなっている”大償神楽”の伝承者の方や、茶道、華道など、様々な分野の人達が集まりました。

私は能楽師の立場から、子供向けのワークショップや能楽教室の話、また大学での能楽部の話などをさせていただきました。

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大償神楽の方は、「昔は地域ごとのまとまりが今より強く、神楽の後継者育成もやりやすかった。

顔見知りの子供達の中から、この子はいけると思う子供に声掛けして、神楽に参加してもらっていた。

しかし複数の地域の学校が統合されてしまい、昔からのやり方で子供達に神楽を教えるのが難しくなった」と仰いました。

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また、「学校や幼稚園の先生のカリキュラムが忙し過ぎて、伝統芸能の体験まで手が回らない」

「担い手が高齢化して、助成金などの申請手続が困難である」

など、厳しい現状を憂う意見が相次ぎました。

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私は子供達や大学生と言った将来を担う後継者に能楽を伝える為ならば、報酬は無くても構わないと、極端な話私自身が経済的負担を負っても良いと考えていました。

しかしその考えに対しても、「そのやり方では、あなたは一代では可能でも誰かに代替わりした後が続かなくなる。やはり担い手への金銭面の保証は不可欠である」

というお言葉をいただき、確かにその通りだと思いました。

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今回は私の能楽師としての事例をお話しする為に呼ばれたのですが、結果的に私の方が色々勉強させていただきました。

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岩手未来機構では、今回の趣旨のセミナーを今夏5回にわたって県内各地で開催して、其々の地域の文化芸術活動の担い手の声を集計して、県への働きかけなどをしていくということです。

これは大変に労力が必要で、また非常に意義深い活動だと思います。

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日本中の伝統文化活動において、おそらく同様の問題が同時進行で起こっていると思われます。

この岩手未来機構のような積極的な活動が全国的に行われて、それが県を超えて連携していければ、日本の伝統文化の維持と発展に大きな力になるだろうと思いました。

桃太郎の猪…?

今日は緩めのお話です。

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初めて一人で泊まる街での晩御飯は、ちょっと緊張します。

今週岡山で初めて1泊した時のこと。

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その名も「桃太郎大通り」という駅前の目抜き通りを歩いていると、またまたその名も「ももたろうの屋台」というお店を見つけました。

お店の前の看板によれば、何とビール5種類が付いた飲み放題が1200円。ビール大好きな私には夢のようなお店です。

名前も良いし、ここにしよう!と決めて早速中に入りました。

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私「すみません、1人なんですが…」

するとカウンター内にいたお兄さんが「じゃあそちらに。」とカウンター席を指し示してくれました。

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私は左利きなので、無意識のうちにカウンターの左端を選んで座ることが多く、この時も左端の椅子を引きかけました。すると…

「いやいや、そちらにお願いします!」

とお兄さんがやや強めの調子でさっきの席を再び指し示します。

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ああ、すみません…と思いながら、ほとんど空いているカウンター席の中ほどに座りました。

「これはもしや、頑固な店員さんのいるちょっと怖いお店かも…」

と早くも若干気弱になった私ですが、心を奮い立たせて注文をしていきます。

「えー、ハートランド生ビールと、チーズのサラダ、鶏肉とナッツのピリ辛炒めをお願いします…」

ビールも、地元の食材を使ったお料理も美味しいのですが、何となくあの店員さんとの間に緊張感が漂っている感じです。。

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実は先程から私は、気になっているメニューがありました。

「猪のフランベ」という品で、小さな字で”獲れたてを自社処理なので新鮮!お薦めです‼︎”と書いてあります。

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「岡山の猪」に関しては以前から、何とか一度食べたいものだと思っていました。

「山賊ダイアリー」という漫画で、岡山在住の猟師が猪を獲って自分で食べるシーンが実に美味しそうだったのです。

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頑固そうな店員さんに恐る恐る、「あのー、この”猪のフランベ”いただけますか…?」と声をかけると…

「ああ猪!昨日獲れたてが入っているから、美味しいですよ!」

なんと、固かった表情がいきなり満面の笑顔になりました。

猪、相当自慢の品のようです。

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そしてやがて出てきた”猪のフランベ”を食べて驚きました。

これまで何度も猪肉を食べましたが、ベスト3に入る程の柔らかさで、臭みも皆無だったのです。

目を丸くしていると店員さんが、

「うちと提携している猟師さんが、罠で獲れた猪をすぐに処理して運んでくれるから、新鮮で美味しいんですよ。

しかもそれはまだ冷凍もしてないから、柔らかいでしょ?」

と言って、またもやニヤリと会心の微笑みです。

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私は感動のあまり、「猪のフランベ、もう一つお願い出来ますか?」と頼んでしまいました。何しろこのレベルの猪がなんと一皿690円なのです。

すると…

店員さん「気に入っていただけて良かったです!では次は、ちょっと味付けを変えてみましょうか。」

と言って、今度はステーキ風にして出してくれました!

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ビールも「岡山作り」という地元の銘柄に変えました。

地元のビールと猪ステーキ。ステーキがまた絶品なのでした。

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最初はちょっと頑固そうな雰囲気でしたが、やはり「桃太郎大通り」の「ももたろうの屋台」。

「桃太郎」にこだわって大正解でした。

「桃太郎」と言えば当然「犬、猿、雉」ですが、今の私にとっては桃太郎と言えば「猪!」なのです。

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猪で元気をつけて、翌日の吉備津神社での子供能楽教室を無事に乗り切ったのでした。

今回は何故かグルメリポート風になってしまいましたが、この辺で失礼いたします。

熱海での台風の思い出

台風一過の今日は、熱海のMOA能楽堂で”能楽サークル”という舞台がありました。

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実はMOA舞台では、忘れられない台風の思い出があります。

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もう15年近く前になると思いますが、演能中に台風の直撃を受けて、見所のお客様と一緒に能楽堂に閉じ込められてしまったことがあるのです。

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“MOA定期能”という催しで、能は「紅葉狩」。

シテは先代の家元でした。

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昼前にMOA能楽堂に到着した時は、まだ雨風ともにそれ程強くありませんでした。

しかし最初の狂言が終わって「紅葉狩」が始まる15時頃になると、様子が変わって来ました。

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外に面していないので、本来なら風雨の影響は全く無い筈のMOA能楽堂。

それなのにヒューヒューと吹きすさぶ風の音が聞こえ始め、やがて楽屋に水が吹き込んで来たのです。

何処からかと言うと、換気扇からでした。

換気扇は確かに外と繋がっている筈ですが、外までの距離はかなりあるのです。

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一箇所だけ窓のある小部屋から見ると、外の杉林が強風に煽られて激しく波打っているのが見えました。

しかし、既に演者もお客様も能楽堂内に入っており、寧ろ能楽堂が一番安全だと思われました。

なので、能「紅葉狩」はとにかく普通に演じられたのです。

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そして「紅葉狩」が終わってからニュースを見ると…

「台風は伊豆半島に向かっており、間もなく熱海付近に上陸する見通しです。」

なんと、熱海直撃ですか…。

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…という訳で、我々はお客様と共に、MOA能楽堂で台風直撃を迎えることになったのです。

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今スマホで調べてみたのですが、この台風は「平成16年台風22号」だったようです。

資料によれば、戦後最大級の920hPaというとんでもない勢力のまま伊豆半島付近に上陸。静岡県を中心に大きな被害を出した台風ということです。

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台風直撃前後には、窓のない部屋でじっと時間の過ぎるのを待ちました。

台風さえ過ぎてしまえば、なんとか帰れるだろうと思ったのです。しかしそう甘くはありませんでした。。

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熱海から東京に帰るには、JR、海沿いの道、山中を通る箱根ターンパイクの3つの経路があるのですが、これらが土砂崩れや高波などで全て通行不可能に。

つまり熱海は”陸の孤島”と化してしまったのです。

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雨風が弱まった20時過ぎ、我々演者とお客様はMOA美術館に併設されたホテルに移りました。

そして今度は交通の復旧をひたすらに待ち続けたのです。

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やがて日が変わる頃に、海沿いの道が通行可能になったという情報が入りました。

何台かあった車に強引に分乗して、能楽師達はまさに這々の体で熱海を脱出したのでした。

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今年もまだ台風シーズンは暫く続くことでしょう。

とにかく大きな被害が無く過ぎるように、安全を第一に行動したいと思います。

吉備津神社の鳴釜神事

今日は3回目の岡山子供能楽教室の日でした。

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いつものように吉備津神社に到着すると、吉備津造りの本殿の前には無数の赤蜻蛉が飛び交っています。

先週は大粒の雨が降る社殿の写真を載せましたが、今週は強烈な残暑の日差しと赤蜻蛉の群舞です。

吉備津神社は来る度に違う顔を見せてくれる所なのです。

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今回私は、「鳴釜神事」を体験しようと思っておりました。

御釜殿の中にある大きな釜を焚いた時に鳴る音で、吉凶を占うという神事です。

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事前に聞いた情報として、

「この鳴釜神事は必ず当たるので、心して願い事を考えていくべし」とか、

「団体で行っても、全員同じように聴こえるとは限らず、1人だけ聴こえない場合もある」

とか、他にもかなりリアルな体験談があり、

「全然鳴らなかったらどうしよう…」と心配になってしまいました。。

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しかし折角吉備津神社に何度も訪れるこの機会に、やはり鳴釜神事を体験しない手はないと腹をくくり、社務所で祈祷料を払ってまずは「祈祷殿」で御祈祷を受けました。

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私の他に、母娘とおぼしき2人が御祈祷を受けていました。

彼女達は毎年のように鳴釜神事を訪れているベテランで、御祈祷の後に「御釜殿」まで道案内をしてくれました。

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長い長い回廊を通って御釜殿に向かいます。

母娘は、「来る度に違う音に聴こえるのです。」「前から聴こえたり後ろから聴こえたり、床から湧き上がるように聴こえることもあります。」などなど、色々体験談を話してくれました。

「でも、全然鳴らないことは一度も無かったので、きっと今日も鳴りますよ。」と心配そうな私を励ましてくれました。

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ドキドキしながら御釜殿に入り、暫し釜が焚かれるのを見て時間を過ごします。

10分程して、「阿曽女」と呼ばれる巫女さんと、祝詞を奏上する神職の方がいらっしゃいました。

阿曽女さんが鳴釜神事の簡単な説明をしてくださいます。

「天気の具合などで、どうしてか幾らやっても鳴らないことがあります。」と聞き、またまた心配になってしまいました。。

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いよいよ祝詞が始まり、同時に阿曽女さんが大釜に載った蒸籠の上で、玄米の入った笊を振り始めました。

ここからどのくらいで釜が鳴り出すのだろうか…

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と思った瞬間。

玄米の笊はまだ僅か3回程しか振られていなかったと思います。

出し抜けに「ボォーッ!」というような太く大きな音が聴こえてきたのです。

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私の横にいた母娘も思わずビクッと顔を起こしてしまう程の、腹に響くような大迫力の音が長く長く鳴り続けました。

ややして音は少し落ち着いた調子になり、祝詞も終わって鳴釜神事は無事終了しました。

阿曽女さんは釜から離れて、「直会です」と言って我々の所に来て玄米の粒をいくつかくださいました。

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そしてそれを食べようとした瞬間。

もう阿曽女さんがいない釜から、控えめながら再び「ボォーッ」という音が!

また母娘と一緒にビクッとしてしまいました。

「あら、今日はよく鳴りますわね。」と阿曽女さんは平然とされているので、まあ普通にあることのようです。

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しかし、正直ここまで大きくはっきり聴こえるとは驚きました。

何を祈願したのかは言わぬが花ですが、ちゃんと聴こえて安堵いたしました。

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御祈祷の効果か、子供能楽教室もとても順調に進みました。

仕舞も謡も前回より格段に良くなっていて、これは各々がこの1週間でちゃんとおさらいをして来てくれたのだと嬉しくなりました。

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いよいよ来週は、拝殿で神様に向けて謡と仕舞を奉納する本番があります。

今年吉備津神社に参るのもあと1回になりました。

なんだか既に少し寂しい気分なのです。

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いつもの松並木を通って、吉備津駅へと向かいました。

松の影が、青海波ならぬ緑の海に映ってそよいでいました。