小本を仕舞うこと

私のカバンの中には、いつも小型の謡本が何冊か入っています。

スマホよりも一回り小さなサイズで、正式名称は「袖珍一番本」ですが我々は大抵「小本」などと呼んでおります。

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この小本で謡を覚えたり、あるいは能の型や後見のやり方を書き込んだりするのです。

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普段は10冊ずつまとめて箱に入っているのですが、忙しい時は使った小本を箱に戻さずに机の上に積んでおいたりします。

そして仕事の山場を越えてちょっと余裕が出来た時に一気に片付けるのが私の習慣なのです。

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昨日大きな素人会がなんとか無事に終わりました。

机の上には、ここ数ヶ月で使った小本が山になっています。

床に並べるとこんな感じです。

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これを、まだこの先も続けて使う曲と、当面使わないので箱にしまう曲に仕分けしてから箱に仕舞っていきます。

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これは芦屋で稽古した曲、こっちは青森仙台でやった曲、こちらは先月の五雲会で謡った曲…

などと、曲名を見ると最近の稽古と舞台が蘇って来て、何か感慨深い気持ちになります。

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そして、使わない小本を仕舞うと同時に、この先すぐに使いそうな小本を何冊か出しておくのも習慣にしております。

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「今度は君達にお世話になるよ」などと思いながら新しい小本を出していくのもまた、何か新たな物語が始まるようで新鮮な気分になるのです。

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早速今日からまた、新しい小本達と共に頑張って参りたいと思います。

能楽にもゲリラ豪雨が?

連日猛暑が続いております。。

能楽が生まれた室町時代の頃には、きっとこんな猛暑は無かったのだろうと思って、ちょっと調べてみました。

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すると、確かに室町時代から昭和に入るくらいまでの期間は現代よりも気温の低い状態だったようです。

しかし意外なことに、それより以前の平安時代や鎌倉時代は、今よりもむしろ平均気温が高かったらしいのです。

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能楽は主に平安時代や鎌倉時代のエピソードを題材にして作られています。

そういえば、能の曲の中には頻繁に「雷」や「稲光」、「にわかに振り来る雨」といった表現が出て来ます。

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昨日謡った能「舎利」では、今まで晴天だった空が急に掻き曇り、泉涌寺舎利殿の辺りが稲光に包まれます。

そして前シテ「足疾鬼の化身」は、その稲妻の光に紛れて牙舎利を奪って逃走するのです。

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これは現代で言う「ゲリラ豪雨」のような天気の急変を表現しているのかもしれません。

能「舎利」の典拠となった「太平記」が出来た時代は、意外に現代と似たような「猛暑」や「台風」、「ゲリラ豪雨」などがあった可能性もあるのです。

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だからといってここ数日の猛烈な暑さが和らぐ訳ではありません。。

しかし、エアコンも冷蔵庫も無い時代に暑さに耐えていたであろう平安時代や鎌倉時代の人々を思って、この暑さをなんとか乗り切って参りたいと思います。

青森と東京の気温差

昨日の青森稽古の行きがけ、新幹線が新青森に到着してホームに降りると、横にいた会社員グループが「青森寒っ」と声を上げました。

確かに、寒いとまでは感じませんでしたが涼しい空気です。

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夜に入って道路の気温計を見ると「17℃」の表示。

流石に少し肌寒く感じました。

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そして今朝。

新幹線で青森から東京に戻り、そのまま西荻窪の稽古に向かいました。

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西荻窪駅に到着して外に出ると、熱い空気の塊がブワンとぶつかって来るような感覚を覚えました。

全く信じられないくらいの暑さです。

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おそらく気温としては30℃を少し越えたくらいで、まだ本格的な真夏の暑さではないはずです。

しかし昨日の青森とのギャップが激しすぎて、私にとっては35℃にも感じられたのだと思われます。。

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夜までぶっ通しで稽古して、外に出るとまだ大気には昼間の暑さが残っています。

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「青森の涼しさが懐かしい…」などと思いながら、ヨロヨロと家路についたのでした。

地震の影響は…

今日は朝から大山崎稽古でした。

あの6月18日の地震以来の稽古です。

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JR山崎駅を出ると、すぐ前に千利休が建てたという国宝のお茶室「待庵」がありますが、この待庵の壁に地震でひびが入ったと聞いておりました。

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たしかに今朝9時半頃に山崎駅に到着すると、待庵の脇にはすでに作業車が止まっていて、職人さんが何人か待庵に出入りしていました。

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稽古場の宝積寺は大丈夫だっただろうかと心配しながら、いつもの急坂を登って行きました。

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山門に到着すると、仁王様がいつものようにギョロリとした目でお元気に(?)辺りを睨みつけておられます。

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秀吉が一夜で建立したという三重の塔や、本堂の様子も全く変わらず、まずは一安心いたしました。

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稽古場の会員さん達もほとんど被害は無かったようですが、「昨日もまた揺れたね〜」と話しておられて、まだまだ油断は出来ないようでした。

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大山崎稽古を終えて、午後から今度は6月18日の地震の影響で行けなかった伊豆大仁の稽古に向かいました。

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私「先日は地震で来れなくてすみませんでした」

大仁の会員さん「いえいえ。しかしこちらも南海トラフが怖いですよ。。」

確かに、南海トラフ地震はいつ起こってもおかしくないと言われています。

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会員さん「でも結局、怖がってばかりいたら何も出来ないですからね。」

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そうですね。

私も毎日のように東海道を行ったり来たりしているので、地震に遭う可能性はかなり高めだと思います。

しかしこの日本に住んでいる以上、絶対に地震に遭わない土地など存在しないとも言えるのです。

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ナーバスになり過ぎるのもある意味で地震の悪影響かと思いますので、覚悟はしつつもあまり怖がらずに移動生活を続けていこうと思っております。

喉休め

今日は朝から番組作成作業に忙殺されておりました。

7月にある大きな催しの番組作りを私が担当しているのです。

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家から一歩も出ずにひたすらPCに向かい合うという作業は、通常の私ならば大変なストレスなのですが、今回は良い面もありました。

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喉を全く使わずに1日を過ごせたのです。

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実は先週末から2日間の全宝連名古屋大会では、私は珍しく「謡」というものを一句も謡わずに2日間を過ごせました。これは本当に久々のことでした。

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ひと月前から続いた喉の不調は、私自身かつて無い長さのもので若干の不安を感じておりました。

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しかし、全宝連での2日間の「喉休め」を経て昨日小田原で能「黒塚」を謡ってみると、喉の調子がほぼ通常通りに回復しておりました。

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これでまた今日1日「喉休め」が出来ましたので、どうやらこの先は本調子に戻っていけそうです。

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皆さまには色々とご心配をおかけいたしました。

全宝連が迫って来ました

今日6月21日は「夏至」、太陽の出ている時間が一番長い日です。

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去年も夏至のことを書いた記憶があり、読み返してみました。

すると去年の今日は大雨で、新幹線が途中で止まって私は6時間ほど閉じ込められたようです。

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今年は幸い豪雨にはならず、4時を過ぎても太陽が高く輝いています。

また今日は新幹線車内もいたって平穏で、無事に座って移動出来ました。

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この夏至の時期はまた、「全宝連」が近づく時期でもあります。

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全宝連-全国宝生流学生能楽連盟自演会は、今年は名古屋で開催されます。

今週末の23日、24日の両日、場所は名古屋能楽堂で朝9時40分始曲です。

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京大の出番は23日土曜日に集中しています。

素謡「三山」、舞囃子「右近」「敦盛」と、仕舞が沢山出ます。

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関西からは同志社、神戸大、京女、甲南女子大、羽衣国際大などが大勢で参加します。

また番組を見ると、地元名古屋の高校生が沢山出演されるようで、こちらも楽しみです。

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京大の舞囃子では、御囃子が普段ほとんどお相手することのない流儀なので稽古が少し大変でした。

また当日午前中に申合で、午後に本番という日程なので、申合からの修正時間が非常に限られています。

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明後日23日は、朝から学生も私も集中して舞台に臨みたいと思います。

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全宝連はまた続報を書かせていただきます。

皆さま、23日、24日はどうか名古屋能楽堂にいらして学生の熱い舞台をご覧くださいませ。

よろしくお願いいたします。

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全国宝生流学生能楽連盟自演会 名古屋大会

6月23日(土)24日(日)於名古屋能楽堂

両日とも朝9時40分始曲

24日午後1時より鑑賞能「俊成忠度」「藤」

なかなか席に座れない…

新幹線にいる時間は、以前も書きましたが私にとっていくつかの大事な意味を持っています。

謡を覚えて、本を読んで、睡眠をとって、このブログも書く、といったことを一番ゆっくり出来るのが新幹線車内なのです。

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しかし、最近は新幹線内も必ずしも安心な場所ではなくなってしまいました。

席に着くと、おかしな様子の人がいないかと思わず辺りを一度見回してしまいます。

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今朝は東北新幹線に乗ったのですが、ホームに上がると私の乗る号車の前に何故かバスガイドのような女性が数人並んで、プラカードを掲げています。

見ると「歓迎○○小学校御一同様」と書いてありました。

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珍しい光景だなと思っていると、やがて新幹線が到着しました。そしてドアから大量の小学生が溢れ出てきたのです。

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結構な人数で、いつまでも小学生の列が途切れません。

ようやく全員が降りて、ホーム上の我々は急いで乗り込みました。

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私は昨日は稽古の後で番組作成作業を遅くまでしていたため、朝の新幹線では少し休みながら移動したいと思っておりました。

やれやれと思って座席につこうとすると、私の座席に何やら茶色い粉が沢山こぼれています。。

「むむ?」と思って少し掬って匂いを嗅ぐと、チョコレートの粉末でした。

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「これはさっきの小学生か…。」

朝からお菓子を車内で食べ散らかすとは。

再びやれやれ…と思い、とりあえず隣に座って車掌さんを待つことにしました。

しかしこんな時に限って車掌さんは全然来てくれず、またこんな時に限って次の駅で隣の席のお客さんが乗って来ました。

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仕方なく車掌さんを探して行って、漸く見つけて一緒に私の座席に戻り、チョコレートを見せました。

車掌さん「すみません、違う席を用意します」

そして新しい席に行ったところ、そこには既にお客さんが座っています。

車掌さん「指定券はお持ちですか?」

お客さん「持っていないです。」そして立ち上がって別の席を探しに行ってしまいました。

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なんだかとても申し訳無い気分になりましたが、こうなった以上座るしかありません。

三度やれやれと思って席につきました。

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なんだかんだで、旅程の半分近くが過ぎてしまいました。

ややぐったりして、それでもやはり一応周りを見渡しておかしな人がいないか確認してから目を閉じました。

あっという間に眠ったらしく、アナウンスで目覚めるとそこはもう雨模様の東京だったのでした。

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明日は今度は東海道新幹線での移動です。

明日こそは普通に座って、平穏な車内生活を送りたいものです。。

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今日は愚痴のような内容で申し訳ございませんが、これにて失礼いたします。

街を沸かせたW杯

4年に一度のサッカーW杯が始まっています。

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今夜はいよいよ日本代表が登場しますが、私はその時間まだ稽古中だと思われるので、後でニュースでハイライトを見たいと思います。

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W杯は能楽とは全く関わりがありませんが、個人的に能楽の仕事絡みでひとつだけ思い出に残っている出来事があります。

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2002年6月7日、日韓W杯の予選リーグ、札幌ドームで行われたアルゼンチン対イングランドの試合。

この2チームの対戦は、「因縁の対決」と言われた予選リーグ最大の好カードでした。

(ちなみに1986年メキシコW杯の同カードでは、ディエゴ・マラドーナの伝説的な「神の手ゴール」と「5人抜きゴール」が生まれています)

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そしてその2002年6月7日、私は内弟子として「新潟能」という催しに出演しておりました。

夜にあった舞台が無事に終わり、内弟子達は車に乗り込んで窓を開けて走り出しました。

やがて新潟市街に差し掛かった時。

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街全体から一瞬、「オーッ!」という大きなどよめきがはっきりと聞こえたのです。

本当に街の底から湧き上がって来たようなすごい歓声でした。

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「今のはなんだろう?」と誰かが言って、「そうだ!アルゼンチン対イングランドがやっている時間だよ」と助手席の内弟子がカーラジオをつけました。

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ラジオのサッカーはひたすら騒々しく、しばらくはプレーの内容がわかりませんでした。

しかしどうやらイングランドの"ワンダーボーイ”マイケル・オーウェンが抜け出して、ペナルティーエリア内でDFと一対一になってシュートを放ったという決定的なシーンがあったようです。

それが先ほど新潟市街を沸かせた歓声の瞬間だったのです。

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それまで「街全体」という規模で発せられる人間の声など聞いたことがありませんでした。

W杯開催国の盛り上がりとは、ここまでのものなのかと大変驚きました。

そして世界の名だたる選手達が、今この瞬間にも日本で戦っているのだと、何やら感慨深い気持ちになりました。

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私はサッカーに関しては全く詳しくありませんが、何故か昔から日本代表の試合だけは気になってしまいます。

京大時代に先輩の家で「ドーハの悲劇」の試合をテレビ観戦した時のあの悔しさが、今でも忘れられないからかもしれません。

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今回も、色々難しい状況と聞きながらも、日本代表の健闘を心の底から祈っているのです。

今朝のこと

今朝は伊豆の大仁稽古に行くために、朝自宅を出て三ノ輪駅に向かいました。

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朝8時前の地下鉄日比谷線はいつものことながら物凄い混雑で、最初の一本には乗れずにホームで呆然と見送りました。

次の電車には必ず乗らなければと思ったところで、携帯が震えてニュース速報が入って来ました。

「地震発生 大阪北部で震度6弱」

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身体の真ん中がスッと寒くなるようなとても嫌な感覚を覚えました。

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しかしとにかく次の電車にねじ込むように乗って、東京駅を目指しました。

東京駅に到着して新幹線改札が見えたところで、もう異変に気がつきました。

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改札前は黒山の人だかりで、マイクを持った駅員が、大阪での地震の影響で新幹線は運転見合せと説明しています。

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携帯には次々と情報が入って来ました。

「強い揺れを観測したのは、高槻、茨木、枚方、山崎など…」

どこも私にとって一番身近で大切な人達がいて、大事な香里能楽堂や、稽古場である宝寺のある地名です。

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東京駅に停滞している自分を本当にもどかしく思いながら、何人かの人にメールで安否を問いました。

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結局しばらく待っても東海道新幹線は動く気配を見せず、伊豆の稽古は延期になってしまいました。

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そして夜からは仙台稽古の予定だったので、今度は東北新幹線に乗って移動を始めました。

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何人かの知人からは無事だったというメールが返って来て少しホッとしたのですが、並行して現地の被害状況もわかって来て、これは大変な災害だと思いました。

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しかし、東日本大震災の時もそうでしたが、結局私には直接出来ることは何も無く、ただ行ける稽古場があればそこに行って、頑張って稽古をすることしか出来ないのでした。

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仙台には無事に到着して、夕方から先ほどまで稽古をしました。

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今も大阪や京都や神戸の人達が、そして私の大切な知人達も、余震の心配などをしながら過ごしているかと思うと、いたたまれない気持ちになります。

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どうか被害が広がらないように心から祈りつつ、私は明日もまた別の場所に移動して、私に出来る唯一の事、稽古をしようと思います。

鍛え直す。

舞台と稽古が立て込んでおり、なかなか喉を休める時間がとれない日々が続いております。

しかし昨日会員さんから良い言葉をいただきました。

正確にはその会員さんの知り合いのボイスパフォーマーの方の言葉です。

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「喉が枯れたら、そのガラガラ声から新しい声を発見する!」という内容の言葉で、成る程、そんな前向きな考え方もあるのかと感心いたしました。

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「新しい声」という訳ではないのですが、喉が不調な分、それ以外の部分でいかにカバーするかを毎日考えています。

「口の開け閉めはきちんと大きく」とか、「腹筋に力を入れて、喉には余計な力をかけずに」など、人には毎日のように言っていることを、もう一度自らの身体で確認することが出来ています。

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数年前に、膝を怪我したサッカー選手が、その治療期間を使って上半身など膝以外の部分を鍛え直して、結果より強い選手となって戻って来たのをニュースで見ました。

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私も喉の調子が戻ってきたら、その前よりも良い謡になっているように、この機会に喉以外の要素を色々と鍛え直しておきたいと思っております。