熱海の”月の道 薪能”

今日は熱海の海岸で開催された「月の道 薪能」に出演して参りました。

毎年恒例となった薪能で、辰巳満次郎師が沖合から船で登場して、浜辺で舞うというのが大きな目玉になっています。

私は去年はその船に乗ってお手伝いをしましたが、今年は出航する桟橋でのサポートでした。

夜のヨットハーバーは、たくさんのヨットに灯りがともっていて幻想的な景色です。

ただ、水平線から昇っている筈の月は雲に隠れてしまっていました。

.

.

シテ満次郎師を載せた船が出航していき、やがて浜辺の舞台での”能舞”が終わってヨットハーバーに戻って来ても、まだ月は顔を出してくれません。

今日は雨が降らなかっただけでも良かったのかな…と思いつつ、私は最後の演目である能「乱」の地謡座に座りました。

浜辺の客席に向けて座るので、月には背を向けるかたちになります。

.

満次郎師は早変わりでシテ猩々になって、今度は橋掛りから登場です。

毎度のことながら、満次郎師の超人的な体力には圧倒されます。。

.

そして「乱」が無事に終わって、舞台から降りるために背後を振り返った時、「おお…!」と驚きました。

.

いつのまにか中天に見事な月が浮かんでいたのです。

「乱」の中の、「月星は隈も無し」という文句に誘われるように、顔を見せてくれたのでしょうか。

私は一瞬だけ明月を仰ぎ見てから、舞台を降りました。

.

.

終了後の橋掛りから撮影した、熱海の夜景と月光の射すビーチ。実に美しい光景でした。

.

今日の薪能が無事に終わったことを感謝しつつ、我々は月に見送られながらサンビーチを出発して、熱海駅までの長い階段をよいしょよいしょと登って帰途に着いたのでした。

亀岡の花々・隙間花壇〜花実の時を違えず〜

「隙間花壇」のコーナーがすっかりご無沙汰になってしまいましたが、ちゃんと去年同様に夜には”オシロイバナ”がたくさん咲いており、また今朝は亀岡稽古の行きがけに真っ赤な”ヒガンバナ”が咲いているのを見つけました。

「草木心無けれども、花実の時を違えず」という謡の通り、ちゃんと昨年と同じ時期に顔を見せてくれました。

.

.

その後亀岡に移動して稽古場に到着すると、こんな光景が目に入りました。

先日の台風21号の影響で、何十本という木が倒れてしまったそうなのです。

中には100年近い樹齢の木もあったとか。

痛々しい光景でした。

.

.

そして去年ブログで書いた、渡りをする蝶”アサギマダラ”がやって来るという”フジバカマ”の花が今年も咲き始めていました。

何ヶ所かの”フジバカマ”を見てみたのですが、”アサギマダラ”はまだ時期が早かったのか見つかりませんでした。

これから来ると思われますが、「もしかしたら台風の影響を避けて、関西を迂回して渡ってしまった可能性もある」と聞きました。

.

今年の異常気象は、蝶や鳥の渡りにも影響するのかもしれません。

アサギマダラがこの秋も無事に南国への旅を終えてくれるように、ただ祈るのみです。

.

.

今回は新しい花を探す時間があまりありませんでした。

急いで探したのがこちら。

これは「イヌショウマ(犬升麻)」です。

食用になる「サラシナショウマ」に似ているけれど異なるので、「非升麻(イナショウマ)」から訛って「イヌショウマ」になったという、ちょっと可哀想なネーミングの花です。

花自体は白とピンクが混じった綺麗な色どりでした。

.

.

熱帯植物園の中に鮮やかな花を見つけました。

これは「ショウキズイセン(鍾馗水仙)」という植物で、ヒガンバナの仲間だそうです。

黄色いヒガンバナがあると最近聞いたばかりなのですが、これがそうなのでしょうか。

写真は私の好きな田中一村の絵にありそうな構図になりました。

.

.

今日はこれにて失礼いたします。

次回の亀岡稽古はもう10月半ばになるので、季節はだいぶ移ろっていることでしょう。

またその折の花をご紹介したいと思います。

文化祭の出し物は…?

今日は8月末以来久しぶりの江古田稽古でした。

「9月も下旬になれば涼しくなっている筈なので、稽古日を後半に固めましょう」という目論みで今日と来週にしたのですが、思惑通りすっかり秋めいてきて、帰りはむしろ肌寒いくらいでした。

.

今日も終盤に高校生が何人かやってきました。

そのうちの1人が「明後日から文化祭なのです!」

というので、何の気なしに「へえ、クラスで何をやるの?」

と聞いたところ、

「カジノです!」

と返って来てひっくり返りそうになりました。

.

「カジノ!?どんなギャンブルをするの?」

と聞くと、ルーレットやトランプだということでした。

ルーレットは市販のものですが、台は生徒達の手作りだそうです。そしてゲームに勝つと、生徒が持ち寄った景品がもらえるとか。

成る程、そのくらいならば、学校の許可も出そうですね。

.

.

高校の文化祭の出し物というのは、学校や時代によって千差万別なのです。

ちなみに私のいた頃の都立富士高校では「演劇」が8割を占めていました。

.

先日の京大宝生会では、吹田東高校宝生会のOGの部員が「明日は高校の文化祭の仕舞の発表を手伝ってきます!」と言っていました。文化祭で仕舞を出す高校生もいるのです。

また別の宝生会部員は、「高校の文化祭ではお化け屋敷のお化けをやって、本気で怖がられました!」お化け屋敷は王道ですかね。

.

そして今日最後にやって来た高校2年生に、若干の期待を込めて「文化祭では何を出すの?」と質問してみました。やはり何かとんでもない出し物かもしれません。すると…

「綿菓子屋さんです!」

…意外と普通なのでした。。

.

.

文化祭で面白い出し物をした経験のある方、よろしければコメント欄で教えてくださいませ。

“夏物”から”秋冬物”へ

今日は田町稽古でした。

田町は2回ほどお休みを挟んだので、なんと会員の皆さんにお会いするのは8月4日の七葉会以来になります。

.

何となく”懐かしい”という感覚もありつつ田町の港勤労福祉会館に向かいました。

和室の玄関に入ると、部屋の中から皆さんの楽しそうな話し声が聞こえてきます。

私「こんばんは!若干お久しぶりです。」

.

皆さん変わらずお元気な姿でお揃いで、大変嬉しく思いました。

「先生!机の上のお菓子は、Kさんのマチュピチュ土産ですよ!」

なんと!それは羨ましい。

Kさんは11日間のペルー旅行で、マチュピチュの他にもアマゾン川でクルーズしたり、ピラニアを釣ったりしてきたそうです。

.

それぞれの夏の話を少しずつ伺って、稽古に入りました。

謡の曲は「氷室」。

しかしこの曲は夏の前から稽古を始めており、その頃は「暑いから曲だけでも涼しげなものを」という意図で選曲した”夏物”の曲なのでした。

会員さん「早く氷室を終えないと、むしろ謡うと寒くなってしまいますね。」

確かにその通りです。

田町は夏に休んだ分、10月から11月には毎週のように稽古が続きます。

頑張って「氷室」を稽古し終えて、次の”秋冬物”の曲に移行したいと思います。

地謡が凄すぎて…

先週青森稽古に行った時のこと。

青森稽古場の方が、

「この前の舞台の仕舞、全然駄目でした…。横板に正座して自分の出番を待ってる時に、真後ろの先生方の地謡があんまり凄い迫力で、それを聴いていたら一気に緊張して頭が真っ白になってしまったのです。。」

という内容のことを仰いました。

その方は「国栖」の仕舞で、確か3人組パートの最後の出番だったのです。

.

そして昨日、福岡の皓月会の後にご馳走になった”光寿司”のご主人も、カウンターの向こうでやはり「今朝仕舞を舞った時に横板に座っていたら、地謡の声がもの凄くて、すぐ前で聴いていて圧倒されてしまいました。」と仰ったのです。

最もご主人は2人組パートの最初の仕舞「俊成忠度キリ」を舞われたので、こちらは出番が終わってからの話です。

.

.

奇しくも青森と福岡で同じ内容の言葉を聞いたわけですが、ともあれこれは中々難しい問題だと思いました。

.

私は誰かの仕舞の地謡を謡う時には、当然出来る限りの力で一所懸命に謡います。

しかしその一所懸命な声のせいで、横板で出番を待っている方を緊張させてしまうとしたら、それはそれで不本意なことだと思うのです。

.

だからと言って、修羅物などを弱い声で優しく謡う訳にもいきません。

「力はこもっていつつ、至近距離で聴いても緊張させないような謡」

というのが可能なのか、今後研究してみたいと思います。

.

澤風会などのいわゆる”同門会”での仕舞の地謡というのは、上記のようなこと以外でも本当に色々と気をつかう、難しいものです。

様々に試行錯誤した結果、私は結局「シテが遅くても早くなっても、こちらは動ぜずに淡々と普通の速さで謡う」のが一番だと言う結論に今は至っております。

しかしこれもまだ通過点なので、今回の”凄すぎる地謡”問題なども考慮しながら、最善の地謡を目指していきたいと思っております。

皓月会に出演して参りました

今朝は夜明けと共に羽田空港を飛び立ち、福岡に向かいました。

大濠能楽堂にて開催の「皓月会」に出演するためです。

.

飛行機に乗ったらすぐさま福岡まで寝ようと思っていたのですが、窓際の席だったので、ついつい外を見てしまいます。

離陸後すぐに眼下に”富士の高嶺”が…!

これは正に能「羽衣」のシテ、月世界の天人の目線です。

この絶景にテンションが微妙に上がってしまい、結局一睡も出来ずに無事福岡空港に着陸。

目をこすりながら地下鉄で大濠能楽堂に直行しました。

.

能楽堂到着時刻が朝9時過ぎ。日本は意外に狭いです。

.

.

今日は先週のブログでも書いた能「芦刈」が出ることになっていました。

楽屋に向かうとこんな張り紙が…

会主のユーモア心、感服いたしました。

.

.

今回の皓月会は会主の石黒実都師が取り仕切っておられましたが、何番かの仕舞などの地謡に出させていただいた時、謡いながら故石黒孝先生の事を無性に思い出しました。

古くからの皓月会の会員さんの型や謡に、孝先生の面影が宿っていたのでしょう。

しみじみとした気持ちになりました。

.

素晴らしい舞台だった能「芦刈」をはじめ、盛り沢山の舞台が盛会のうちに終わったのが17時半前。

.

その後能楽堂から移動して、会員さんのなさっている「光寿司」という大変美味しいお寿司屋さんで晩御飯をいただき、福岡空港へ移動して到着したのが21時。

.

そして帰りの飛行機で今度こそは寝ようと思っていたのですが、また席は窓際なのです。。

.

夜景好きな私のテンションはまた微妙に上がっており、23時到着予定の羽田空港まで結局眠らずに行ってしまうのだろうな…と思っております。

福岡空港は連休を満喫した人々で混み合っておりましたが、私は日帰りでも大変に充実した濃い皓月会の1日を過ごさせていただきました。

石黒実都師はじめ皓月会関係者の皆様、誠にありがとうございました。

(機内モードにて執筆したブログでした)

“高砂尽くし”の披露宴

昨日は五雲会の後に、恵比寿のウェスティンホテルにて大鼓方の大倉栄太郎さんの結婚披露宴に出席して参りました。

.

大倉栄太郎さんは東京芸大時代の同級生で、当時能楽専攻の仲間たちと栄太郎さんの鎌倉の自宅に泊まりがけで遊びに行ったりしたのが懐かしい思い出です。

.

.

我々能楽師の結婚披露宴では、乾杯の前に「高砂」の祝言小謡「四海波」を謡うのが慣例になっております。

昨日も宝生和英御宗家の御発声のもと、出席した能楽師が全員立ち上がって「四海波」を謡いました。

.

昨日はシテ方と三役のたくさんの流儀が勢揃いした披露宴でしたが、実は「四海波」の詞章や節は流儀によって異なるのです。

私も初めて能楽師の披露宴に出席した時は、違う節が聞こえてきて戸惑いました。

しかし今ではそれにも慣れており、昨日も宝生流の「四海波」を大声で謡いました。

ところが最後の部分の「君の恵みぞ有り難き」を「君の恵みぞ有り難や」と謡う流儀があるので、そこは「き」と「や」がせめぎ合って微妙な謡になって終わりました。

聴いていた一般の方は違和感を感じられたかもしれませんが、決して誰も間違えてはいないのです。。

.

.

そして、開宴後しばし経った頃、ふと気がつくと新郎新婦が座る”高砂”の横にあるステージに、いつのまにか数人の能楽師が座っていました。

シテ方、笛方、小鼓方、太鼓方…

あれ?1人足りません。するとおもむろに高砂席の新郎栄太郎さんが立ち上がりました。

なんと手には大鼓を持っています!

.

栄太郎さんが座につくと、シテ方の金春流山井綱雄さんが謡い始めました。

「高砂や この浦船に 帆をあげて…」

おお、今日は”高砂尽くし”なのですね!

.

そしてまた面白いことがありました。

結婚式で「高砂」を謡う場合、文句を一部変える習わしがあります。

「出汐」を「入汐」としたり、「遠く」を「近く」と謡ったり。

これを謡文句を「かざす」と言ったりするそうです。

昨日の山井さんもこの「かざし謡」で待謡を謡われており、「遠く鳴尾の沖過ぎて」が「春に鳴尾の沖過ぎて」となっていたり、聞きながら思わずニヤリとしてしまいました。

.

.

新郎熱演の「高砂」居囃子も無事に終わり、やがて和やかな披露宴は終盤に差し掛かりました。

最後は新郎栄太郎さんの挨拶です。ところが…

.

栄太郎さん「え〜、どうしよう何を言うのかすっかり忘れてしまいました…。あんなに練習したのに!!」

おいおい。

昔からこういうキャラで愛すべき人なのですが、ここは何とか頑張ってほしいところです。

すると…

「そうだ!思い出しました。先ほどの皆様の”四海波”の謡!」

え?

「これまでの披露宴では謡う方だったので、今日初めて高砂席から聴かせていただきましたが、”おめでとう!”というすごいエネルギーが伝わって来て、めちゃくちゃ感動しました!!」

能楽師一同大ウケです。会場全体も温かい空気に包まれました。

栄太郎さんその後なんとか挨拶をまとめて、披露宴は目出度くお開きになりました。

.

高砂で始まり、高砂で締めた感じのとても良い披露宴でした。

栄太郎さん、どうか末永くお幸せに!

3000人の潮汲み

今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会が開催されました。

私は能「融」の地謡を勤めさせていただきました。

.

すみません、本筋とはあまり関係ない話をさせていただきます。

以前たしかブログに書いたと思うのですが、融の大臣が京都の六条河原院に、毎日大阪湾から膨大な量の海水を運ばせたというのは非常に無茶な話だと思います。

河原院の塩釜が融の大臣の死後に相続されることが無かったのは、この作業の困難さによるのでは、と考えておりました。

.

そして今日、能「融」の地謡に座って、中入で間狂言の語りを聞いていた時。

その海水を運ぶ人足の話が出てきたのです。

「御津の浜に1000人、道中に1000人、河原院に1000人を配置して、合計3000人を用いて毎日潮を運んだ」

という内容でした。

.

これはかなり具体的な数字です。

3000人の人足がいれば、人数的には確かに大阪から京都への海水の輸送は可能かもしれないなと一瞬思いました。

しかし良く考えてみると、現代においても1日3000人のスタッフを導入する程の大イベントはそうそう無いと思われます。

ましてやそれが毎日で、しかも一貴族の雅やかな趣向を満たすだけの為に潮汲みを繰り返す人足は、正直「やってられん!」と感じていたのでは…と思ってしまいます。

.

現代ならばさしづめ「ブラックバイト」とも言われそうなこの仕事、当時の従業員にあたる人足達の話を聞いてみたいと、間狂言の後半を聞きながら思ったのでした。

四つ葉タクシー!

今日は午前中から夕方までノンストップで紫明荘組稽古、そこから間髪いれずに京大に移動して、21時過ぎまでみっちり稽古しました。

.

その時間まで稽古すると、京都駅まではバス移動だと最終の新幹線に間に合いません。

贅沢だとは思いながら、京大BOX棟の前からタクシーに乗ることになります。

.

今日の京都は雨模様だったのでタクシーの需要が大きいのか、なかなか空車が通りません。。

一緒に待ってくれている現役に、「雨だからもういいよ」と声をかけて、1人で待とうと思っていると、ようやく遠くに空車のタクシーが見えました。

.

すかさず手を挙げて止まってもらうと、クローバーマークの”ヤサカタクシー”でした。

そして私は瞬時に気づきました。

.

.

「おお!四つ葉タクシーだ!!」

ヤサカの四つ葉タクシー!

普通は三つ葉のクローバーマークが”四つ葉のクローバー”になっている車です。

半ば都市伝説的に噂を聞いていましたが、京都に来てから数十年、一度たりとも姿を見かけたこともありませんでした。

それが遂に私の目の前に…!

.

.

大喜びで乗り込んで、「四つ葉ですね!初めて見ました!!」と興奮気味に話しかけると、「夜道で、乗車される前に気がつく方は珍しいですね。」と笑いながら運転手さん。

そして、「これは記念にどうぞ」と何やら差し出してくれました。

見ると、乗車記念カードでした。

なんと、1300台のうち4台しか無いと書いてあります。

ましてや他の会社のタクシーも入れると、出会えたのは全く奇跡的なことです。

.

.

せっかくなので、運転手さんに色々聞いてみました。

私「四つ葉以外にも、レアなタクシーがあった気がするのですが…」

運転手さん「はい、上賀茂神社さんとのコラボ企画で”ふたばタクシー”があります。それは2台だけです。あとは、バレンタイン期間限定で女性ドライバーの車がピンク色のクローバーになります!」

おお、ヤサカタクシー色々頑張っているのですね!

.

私「四つ葉タクシーのドライバーはどうやって選ばれるのですか?」

運転手さん「様々な規定に照らして、会社から任命されるのです。」

その時は、後ろ姿なのに運転手さんがちょっとだけ胸を張ったような気がしました。

.

話しながら気がつくと、京都駅に向かう道順がいつもと少し違うことに気づきました。

車は東大路をひたすら南下して、やがて七条も越えた先の細い路地を右折しました。

私「珍しい道を行くのですね…」

すると、

運転手さん「この道をずっと行くと、”京都タワー”が真正面に見えて来るのです。お客様のようにこれから京都を発って行かれる方に、思い出でも無いのですが最後に京都タワーを見ていただきたくて、この道を通るようにしております。」

なんと、たしかに道の向こうには、京都タワーが”ドーン”と屹立していました。

.

.

今日も朝から晩までノンストップ稽古で少々ハードな1日だったのですが、最後に”四つ葉タクシー”に出会えて非常にハッピーな気分になりました。

そして、「乗る人皆が幸せな気持ちになる車」を運転出来るあの運転手さんが、ちょっとだけ羨ましいと思ったのでした。

地上版ドリフトダイビング

スキューバダイビングのやり方のひとつに「ドリフトダイビング」というのがあります。

これは、最初に海に入った場所から潮流に乗って流れて行き、途中何ヶ所かのポイントに立ち寄って、魚や地形を観察するという方法です。

.

そして今日の私は、青森から芦屋迄の「地上版ドリフトダイビング」のような1日を過ごす予定なのです。

①青森にて起床→新幹線で東京に移動。

②水道橋宝生能楽堂にて五雲会申合、能「融」地謡→新幹線で大阪に移動。

③大槻能楽堂にて大阪養成会下申合、能「経政」後見→地下鉄とJRで芦屋に移動。

④芦屋で稽古→JRで京都に移動、宿泊。

.

…という感じです。

海中のドリフトダイビングは、流れに乗って軽々と泳げて中々快適なのですが、地上版はそうはいきません。

ポイント毎に舞台や稽古をこなしていかなければいけないのです。

.

現時点で大阪まで無事流れて来て、③大槻能楽堂での養成会下申合がこれから始まります。

果たして④まで無事流れていけるでしょうか…。

.

今日はこれにて失礼いたします。