3000人の潮汲み

今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会が開催されました。

私は能「融」の地謡を勤めさせていただきました。

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すみません、本筋とはあまり関係ない話をさせていただきます。

以前たしかブログに書いたと思うのですが、融の大臣が京都の六条河原院に、毎日大阪湾から膨大な量の海水を運ばせたというのは非常に無茶な話だと思います。

河原院の塩釜が融の大臣の死後に相続されることが無かったのは、この作業の困難さによるのでは、と考えておりました。

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そして今日、能「融」の地謡に座って、中入で間狂言の語りを聞いていた時。

その海水を運ぶ人足の話が出てきたのです。

「御津の浜に1000人、道中に1000人、河原院に1000人を配置して、合計3000人を用いて毎日潮を運んだ」

という内容でした。

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これはかなり具体的な数字です。

3000人の人足がいれば、人数的には確かに大阪から京都への海水の輸送は可能かもしれないなと一瞬思いました。

しかし良く考えてみると、現代においても1日3000人のスタッフを導入する程の大イベントはそうそう無いと思われます。

ましてやそれが毎日で、しかも一貴族の雅やかな趣向を満たすだけの為に潮汲みを繰り返す人足は、正直「やってられん!」と感じていたのでは…と思ってしまいます。

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現代ならばさしづめ「ブラックバイト」とも言われそうなこの仕事、当時の従業員にあたる人足達の話を聞いてみたいと、間狂言の後半を聞きながら思ったのでした。

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