亀岡の花々〜春の定点観測〜

昨日は、朝に松本を出て亀岡稽古に向かいました。

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実は1年前の2018年2月27日のブログを見てみると、やはり朝に松本から亀岡に移動して稽古したようなのです。

1年を経ても、ほとんど変わらない行動をとっているのか…と内心苦笑してしまいましたが、亀岡に到着すると花々もきちんと1年前と同じように咲いていてくれました。

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「福寿草」は、2週間前はまだポツポツとしか咲いていませんでした。

しかし今回はたっぷりと日差しを浴びてたくさん花開いていました。

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隣の「節分草」も…

やはり昨年同様控え目ながら、楚々とした姿を見せています。

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“百花の王”こと「牡丹」の芽吹きは、昨年よりもちょっと早めなのでしょうか、芽のボリュームが多いようです。

毎年思うのですが、牡丹は芽吹きの段階で既に圧倒的なパワーを感じて、芽吹く姿が何故か”百獣の王”である「獅子」を想起させます。

「獅子身中の虫」に纏わる話とは別に、牡丹と獅子には何か不思議な関係があるような気がします。

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そしてこれも毎年会うのが楽しみな…

「ふきのとう」。

今年は顔を出して少しだけ開いた絶妙な状態でした。

ここ数年で一番”ふきのとうらしい”写真が撮れました。

去年は”ふきのとうの天ぷら”が好きと書きましたが、今の時期に”蕗味噌”をほんの少し食べるのも好きです。

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そして、これは去年の3月のブログに載せた花ですが…

「ユキワリイチゲ」が咲き始めていました。

一部の地域では”雪割草”と言われるこの花は、亀岡においては3月よりも今頃に見る方が名前に合っている気がします。

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以上、2019年春の定点観測でした。

よろしければ、昨年の2月27日のブログと見比べてくださいませ。

サッカー少年!

昨日は松本稽古でした。

松本では大変有り難いことに、このところ毎月のように新しい見学の方がいらしてくださいます。

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昨日もまた見学者が。

そして今回はなんと”サッカー少年”でした。

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お父さんと一緒に来てくれた凛々しい少年は、礼儀正しく正座してきちんと挨拶をしてくれました。

私「何年生なのですか?」

少年「開智小学校の3年生です。」

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なんと、その時稽古場には、開智小学校5年生の女の子がちょうど来ていたのです。

私「こちらの女の子は開智小5年なのですよ!」

するとお父さんが「息子の兄が開智小5年なので、同級生ですね。」

と仰ってまたまたびっくりしました。

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そこへまた開智小学校を卒業して今は中学2年の女の子もちょうどやって来て、稽古場はなんだか開智小関係者で溢れてしまいました。。

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お父さんと一緒に少し仕舞の稽古を体験してもらい、日曜日はサッカーがあるとのことなので次回月曜日の稽古を約束して、そしてまたきちんと挨拶をしてくれて、少年は帰っていきました。

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仕舞の体験でも、「手の握り方は小指に力を入れて、親指の方は力を抜いて。これは肩の力が抜ける方法なので、サッカーの時にも使えると思います。」などと、何となくサッカー寄りの解説をしたりしてみました。

「サッカー向きの仕舞」は流石になさそうですが、彼には最初の方から元気の良い仕舞をしてもらおうかと考えています。

今後の稽古がまた楽しみになりました。

春はもうそこまで

今日から全国で国立大学の入試が始まるというのに、東京は朝から中央線総武線が停電事故で止まってしまいました。

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この事故で28万人に影響が出たとニュースでやっており、その中には受験生も大勢いたことでしょう。何もこんな日に…とやり場の無い憤りを感じてしまいました。

受験生の皆さんは様々な困難をどうか乗り越えて、最善を尽くしてほしいと祈っております。

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三ノ輪の自宅マンション敷地内にある「隙間花壇」では、日当たりの悪い中でも梅の蕾が膨らんでいました。もう数日で開花すると思われます。

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松本稽古に向かう中央本線の特急あずさから見える八ヶ岳は、雪がほとんど無くなりました。

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春は確実にもうそこまで来ています。

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今春京大に入学して宝生会に入ってくれるはずの人達も、今まさに試験会場で闘っているのでしょう。

繰り返しですが、受験生の皆さん最善を尽くして良い結果が出るように、心から祈っております。

能「国栖」無事に終わりました

今日は香里能楽堂で開催された「七宝会」にて、能「国栖」のシテを無事に勤めることが出来ました。

大勢の方々にいらしていただき、見所からたくさんのパワーを頂戴いたしました。

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前シテは老人なのでどちらかといえば抑制された動きが多く、謡の細かな位取りも難しいので、精神力が試されているように感じて若干疲れました。。

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一転して後シテは強い神様である蔵王権現です。

短い時間で力を一気に爆発させて豪快に大きく舞うのはまるで100m走のようで、終わった後は同じ疲れでも何か完全燃焼して体内の雑物が全て燃え尽きたような、ある種の爽快感を感じました。

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終了後に能楽堂入口で見知った方々にご挨拶する時は、私が一番幸せを感じる瞬間でもあります。

今日も実に多くの方に声をかけていただき、何人かの方からは「国栖良かったです」と言っていただきました。

そこでまたパワーを頂戴して、それがまた次の舞台への原動力となります。

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次のシテは6月の「五雲会」にて能「鵜飼」を勤めさせていただきます。

また一層稽古を積んで臨みたいと思っております。

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本日お越しくださった皆様、誠にありがとうございました。

同明会に出演して参りました

今日は京都観世会館にて、京都の御囃子方主催の「同明会」に出演して参りました。

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御囃子方が主催の舞台なので、シテ方は観世流、金剛流もいらして、色々興味深い番組でした。

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我々宝生流の舞囃子「熊野 三段之舞」の直前には、金剛流舞囃子「弓八幡」がありました。

“舞金剛”と称される金剛流の五段神舞は、舞台狭しと縦横無尽に颯爽と駆け回っている印象でした。

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その一方で続く我々の「熊野 三段之舞」は、小書がついていることもあってシテも地謡も非常にしっかりとした位取りです。

花見をしながらも故郷の母親を案じるシテ熊野の複雑な心境を、丁寧に丁寧になぞるような繊細な舞と謡。

「好対照」という言葉が思い浮かびました。

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他にも、「五葉蘭曲」では笛と太鼓が下羽→乱→神楽→早笛→獅子と曲を次々と変化させながら演奏していたり、金剛流能「土蜘蛛」ではなんと「クセ」が途中に挟まったりしていました。

いずれも初めて拝見する番組で、大変勉強になりました。

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京大宝生会からも大勢観に来ていたようなので、後日また感想を聞くのが楽しみです。

京都の御囃子方の皆様どうもありがとうございました。

3億4000万km先の竜宮城

今朝のニュースで探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したというのを読み、実に感慨深い気持ちになりました。

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というのも、先代の「はやぶさ」が2010年に、満身創痍の苦しい旅路の末に地球に帰って来たニュースで感動した事を思い出したからです。

大気圏に突入して寿命を終える直前の「はやぶさ」が撮影したという、半分かすれたような地球の写真をその時見ました。

JAXAのスタッフが、「はやぶさ」に最後に地球の姿を見せてあげたいという気持ちで撮影させたのだと聞いて、なんだか涙が出ました。

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そしてその「はやぶさ」の経験を活かして作られた後継機「はやぶさ2」が、2014年暮れに打ち上げられたのです。

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今から4年と少し前。

例えば京大宝生会で今年卒業を迎える学年が、まだ京大を目指して受験勉強をしていた頃です。

それからの4年間に、地球全体でも私の周りでも色々様々なことがありました。

沢山の人と新しく出会い、いくつかの別れもありました。

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その間に「はやぶさ2」は遥か3億4000万㎞の飛行を続けていて、そして日本時間の今朝にその目標地点である「リュウグウ」にたどり着いたというのです。

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能楽における「竜宮」は、「面向不背の珠」とか「獅子丸」という琵琶の名器などの宝物があり、それらが守護神によって厳重に護られているちょっと怖い場所、というイメージです。

能「海人」のシテ海人は、命懸けで竜宮に赴いて「面向不背の珠」をとって地上に還ります。

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今回「はやぶさ2」は小惑星「リュウグウ」の地表から、土砂などのサンプルを持ち帰ってくる予定だそうです。

そして今朝の着陸後にそのミッションの成果を尋ねられたJAXAの方の返答がふるっていました。

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「成果は玉手箱なので、地球に帰って開けてみるまでわかりません」

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「はやぶさ2」が命懸けの旅路の末に地球に還って来るのは、2020年の暮れになるそうです。

それまでの間に地球全体でも私の周りでも、また沢山の出来事があるのでしょう。

その間にまた遥かな旅路を辿って故郷を目指す「はやぶさ2」。

その帰還のニュースを聞いたら、またきっと私は深い感慨に包まれることでしょう。

彼の旅の無事を祈りつつ。

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色々考えながら謡うこと

今日は慶応初等部の能楽鑑賞会で、能「経政」の地頭を勤めて参りました。

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対象が小学生だったので、一番の能を途中で飽きないように観てもらうにはどうしたら良いだろう…などと色々な事を事前に考えておりました。

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よく「考えて謡っては駄目だ」と言われるのですが、私はまだ全くの未熟者なので、能が始まって謡いながらでも実に多くの事を考えてしまいます。

「シテの出の運びがゆったり目なので、地謡も少しスピードを緩めよう」

「お囃子方はこう謡ったらどう反応してくるかな…?」

「見所の子供達の話し声がちょっと大きくなってきた!これは飽き始めた危険信号かも。頑張って盛り上げていかねば!」

などなど、場面場面で無数の考えが泡のように次々と浮かんできます。

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しかし気が散っている訳ではなく、むしろ集中力が増しているので、舞台上のことはごく小さな事でもわかってしまいます。

そして今日は他の地謡メンバーも集中していたようで、終わって楽屋で話してみると、そういった細かい出来事を皆が共有していたのが面白かったです。

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頑張って勤めた「経政」が、慶応初等部の子供達の心に少しでも響いていると良いと思います。

カフェに聴こえるように…

今日は昼前から紫明荘組稽古でした。

場所は熊野神社近くの「ゲストハウス月と」の2階和室です。

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この「月と」さんでは、ゲストハウス以外に13時から1階でカフェも開店します。

古民家を改装した、とても落ち着いた空間です。

以前にこのカフェのお客様が、2階まで稽古の見学に来てくださったことがありました。

しかし一度だけで、その後はなかなか見学者は現れません。

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今日の京都は春めいた穏やかな陽気で人出も多く、午後には1階のカフェからも大勢のお客様の声が聞こえてきました。

「これは何とか見学に来てもらいたい」

と密かに思い、私は階段を上ってすぐの場所で仕舞稽古の地謡を謡うことにしました。

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うるさくない程度にカフェに謡が聴こえる位置なのです。

そこで暫くの間謡って稽古していたのですが、どなたも上がって来てくれません。。

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「空振りか…」と内心残念に思いつつ、最後の京大OGさんの仕舞「鵺」の稽古にかかりました。

やはり階段の踊り場付近で頑張って謡っていると、1回目が終わった時でした。

「すみません、ちょっと見学したいという方がおられるのですが…」とゲストハウスのスタッフさんが言ってこられたのです。

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私「どうぞどうぞ!上がって来てください!」

するとなんと3人の方々がぞろぞろと階段を上って来られました。家族連れだったのです。

そして今日最後の「鵺」稽古を、仲良く並んで座って、喜んで観ていただけました。

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私「どちらからいらしたのですか?」

見学者お父さん「大阪なんです」

ということで、七宝会などの宣伝も出来ました。

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やはり最後まで諦めずに頑張ってみるものです。

次からも、カフェに程よく聴こえるように稽古しようと思ったのでした。

蘇る京大OB謡会の思い出

昨日は夕方から京大宝生会の稽古に行きました。

そこで部長より、「関西京都大学宝生OB謡会の歩み」という大判の本をもらいました。

吉本正春先輩始め関西のOBの方々が中心となって製作出版された力作です。

世代や大学を越えたたくさんの人たちの文章が掲載されており、帰りの新幹線ではとても読み切れないボリュームでした。

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色々懐かしく、また面白く頁をめくっていたのですが、中で特に心を動かされた箇所がありました。

1986年から2018年までの月例謡会の詳細な記録です。

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今私の手元には、月例OB謡会で坪光先生の鸚鵡返しを受けた時の「野宮」の謡本があります。

まだ現役だった私がOB会にお邪魔して、少々背伸びしてこの難曲の稽古を受けたのです。

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この「野宮」の鸚鵡返しは、数ある坪光先生の稽古の中でも特に心に残っているものでした。

冒頭のワキの謡の位取りからして、現役の京大宝生会として習ってきた謡とは全く次元の違う謡だったのです。

このような深い味わいのある世界もあるのかと、内心非常に興奮しながら鸚鵡返しを受けた記憶があります。

この深淵のような謡の世界に、もっとのめり込んでいきたいと初めて心から思った稽古でした。

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その、ある意味で私のターニングポイントになった「野宮」鸚鵡返しの日時、場所、参加者が、”月例謡会の記録”に詳細に記されていたのです。

1991年10月19日、場所は合宿で使ったこともある妙蓮寺。

13時〜17時の間に、徳永先輩、米澤先輩、新妻先輩、吉本先輩、正木先輩、中村先輩と共に、私と、同期の高桑さんが「野宮」の鸚鵡返しを受けたと記録にあります。

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年次を見ると、私は2回生の後半だったようです。確かにその頃ならば、まだ難しい謡はそれ程習っていなかったのでしょう。

そしてまだ能楽師になりたいなどとは露ほども思っていなかった筈です。

しかしもしかすると、この「野宮」の後にそんな気持ちが少し芽生えたのかもしれません。

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忘れかけていた微かな、けれど大切な記憶を、この本のおかげで思い出すことが出来ました。

ゆっくり読むと、きっとまだ色々な発見や驚きがありそうな本です。

関西OBの皆様素晴らしい本をどうもありがとうございます。

美也子さんのこと

辰巳孝先生の妹にあたられる辰巳美也子様が先日亡くなられ、今日大阪での告別式に参列して参りました。

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失礼ながら生前のように”美也子さん”と書かせていただきます。

美也子さんに初めてお会いしたのは、香里能楽堂で開催される「七宝会」の受付をお手伝いした時でした。

当時私は京大2回生だったと思います。

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世間の常識など殆ど何も知らない私に、受付業務だけでなくマナーなど色々なことを教えてくださいました。

優しくも厳しい、そして頭が切れてユーモアのセンスのある方だと思いました。

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時は少し流れて、私が能楽の道を志した頃のこと。

東京芸大を受験する前の1年間、私は辰巳孝先生の鞄持ちとして、色々な稽古場にご一緒させていただきました。

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午前中に香里園末広町の御宅に伺い、そこから辰巳孝先生のお供をして電車か車で関西各地の稽古場に向かいます。

そして夕方か夜に稽古が終わると、また末広町の御宅まで先生と一緒に帰りました。

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御宅では美也子さんが自慢の料理の腕をふるって、美味しい出汁巻きや海老フライなどの晩御飯を作って待っていてくださいました。

私もご相伴にあずかり、時には居間のコタツで芸大の楽典の勉強などをさせていただいてから京都に戻る、という日々を過ごしました。

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あの1年間、辰巳先生と美也子さんは私のことをまるで家族のように可愛がってくださいました。

もちろん時には美也子さんから「澤田さん!あなたこんな事も知らへんの!」と叱られることもありました。。

今では全て懐かしい思い出です。

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今頃は天上で辰巳孝先生と再会されているのでしょうか。

あのお2人のウィットに富んだ掛け合いがきっと繰り広げられていることでしょう。

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辰巳美也子様のご冥福を心よりお祈りいたします。