大雪で…

私は普段から電車に乗る事が多いので、どうしても電車遅延に巻き込まれる事も多くなってしまいます。

今年に入ってからまだ1ヶ月ほどですが、合計ですでに約180分の電車遅延に巻き込まれて、稽古に影響もありました。

こうなると警戒心も強くなります。

今日は松本稽古の予定でしたが、昨夜に松本澤風会会員さんより、

「月曜日は昼頃から大雪だそうです」

とメールをいただき、それ以降はニュースと天気予報を随時確認するようにしました。

そして今朝10時の時点で、

「今日は松本に向かうと、雪で特急あずさが遅延したり、最悪運休になるぞ」

と判断して、稽古を延期にいたしました。

その後昼頃より東京でも雪が降り始めました。

松本の北の池田町に住む会員さんからは、

「2時間ほどで一気に10㎝雪が積もりました。今日は稽古があっても出て行けるか不安でした」

とメールと写真をいただきました。

夕方には特急あずさが雪の重みによる倒竹で止まっているとのニュースもあり、今日は稽古延期にして本当に良かったです。

急な事故での電車遅延は避けようがありませんが、大雪や台風など事前に予想可能な時は無理せず外出を控えたいと思います。

色々情報をいただいた松本の皆様ありがとうございました。

京大宝生東京OB会新年会

今日は宝生会春日教室舞台にて、「京大宝生東京OB会新年会」に参加してまいりました。

毎年恒例だった新年会も、コロナ禍により2019年以来の久々の開催でした。

素謡4番と仕舞で、若手からベテランまで各世代のOBが思う存分に舞台を満喫した1日でした。

京大宝生会伝統の、

「役も地頭も地謡も、誰もが等しく全力で謡う」

というスタイルはコロナ以前と全く変わらず健在で、この数年でzoomなどのリモート稽古も積極的に行われていたようで皆様それぞれ腕を上げておられて驚きでした。

この6月には、こちらも数年ぶりの「京大宝生会OB会全国大会」が東京で開催される予定です。

今日の東京新年会の勢いで、全国大会もきっと盛大に謡って舞う1日になると思います。

今からとても楽しみです。

「荒い型」と「柔らかい型」

昨日は京大宝生会の稽古でした。

今はオフシーズンで、1回生はこの時期には全員揃って荒い仕舞「国栖」を稽古する事が多いです。

2回生での「嵐山」「鞍馬天狗」などのちょっと長目の荒い仕舞の前に、短い「国栖」は丁度良いステップになる仕舞なのです。

しかし今年の1回生は覚えが早いので、短い「国栖」だとあっという間に終わってしまいます。

そこで、国栖とは雰囲気の違う仕舞を並行して稽古する事にしました。

仕舞「羽衣キリ」「右近」「田村クセ」

の3番です。いずれも”柔らかい”仕舞です。

1回生6人はこれらのうちから好きな仕舞を一番選んで、「国栖」と並行して稽古する訳です。

1人ずつ順番に、まず「国栖」、そして続けて柔らかい仕舞を稽古します。

このやり方には、実は隠れたもう一つの意味がありました。

国栖に続けて例えば「右近」を稽古すると、”行き掛かり”や”廻り返し”などの型が見事に「荒い仕舞」のようになってしまうのです。

そこで私が「荒い時の”行き掛かり”はこうで、柔らかい時はこう」

と比較して見せてあげると、彼らはすぐにコツを飲み込んで2種類の型を舞い分けてくれました。

“荒い仕舞”と”柔らかい仕舞”は、数ヶ月単位の長い期間をかけて交互に稽古するのが通常の私のやり方です。

しかし今年の1回生達は本当に吸収が早いので、このオフシーズンのうちに2種類の演じ分けをしっかりと体得してもらおうと思っています。

1件のコメント

お母さんの目線で

先ほどまで私は京都大学吉田構内の文学部2号館内の教室にて講義を受けておりました。

…と言っても、またもや大学に入り直したという訳ではありません。

文学部のフランス人女性の先生主催のワークショップに、先輩の女性能楽師が講師として参加されたので私も京大宝生会現役達と共に拝聴してきたという訳なのです。

「女性と教育」

というテーマで、先輩楽師はご自分の能楽師として、また母親としての経験を話されました。

その中で、「自分の娘を育てていく過程において、子供の目線から、また子育てをするお母さんの目線から、能楽は子供達のために何が出来るのか、何を求められているのかを考えて来ました」

というお話がありました。

これは「能楽師」であり、「母親」であるという立場で初めて体感できる事です。

これまでの私には無かった視点であり、新鮮に感じました。

無論私は「お母さん」にはなれませんが、「お母さんの目線」を想像して子供向けの能楽教室などに活かしていくのは大切だと思います。

今日の「受講」は大変意義深いものでした。ありがとうございました。

“千本の花盛り”とは?

今朝は松本の宿からリモートで「嵐山」の謡稽古をいたしました。

「嵐山の桜は、時の天皇が吉野の”千本の桜”を移植したものです」

と説明をしていて、ある別の謡が頭に浮かんで「あれ?」と疑問が湧きました。

その謡は「西行桜クセ」です。

クセの中で、

「千本の桜を植え置き その色を処の名に見する 千本の花盛り」

という一節があるのです。

西行桜を謡っている時には、何となくこの”千本の花盛り”とは京都の”千本通り”の事だと思っておりました。

しかし、「嵐山」に吉野の桜を移植して、尚且つ「千本通り」にも移植していたのでしょうか。

それでは都からちょっと離れた嵐山の桜の存在意義が薄れてしまうのでは…

と思い、ちょっと調べてみたのです。

結果は意外なものでした。

「千本通り」の名前の由来は、「千本の卒塔婆が立っていたから」

という説が有力だというのです。

しかし、別の説でやはり千本の桜が植えられていたからというものもあるそうで、真相ははっきりしないようです。

そもそも”千本の花盛り”とは千本通りの事では無い可能性もあり、そこもちょっと調べたのですが、京都にそれらしい桜の名所は見つかりませんでした。

「千本の桜を植え置いた」というのを地名の由来とした「千本の花盛り」…

いったい何処のことなのか、何か他に情報がありましたら是非お知らせくださいませ。

翁、ブログ再開、そして…

2024年の1月が早くも終わろうとしております。

元日から大変な事が起きたので、何かとても長く感じるひと月でした。

個人的には、やはり「翁」を勤めさせていただいたのが最も大きな出来事でした。

そしてこのブログを翁終了後から自然に再開して、なんとか毎日途切れずに続けて来れたのも、自分としては嬉しく思っております。

また小さな事ではありますが、歩く事が増えました。

コロナ禍の時には日々やる事が無くて、主に自宅のある三ノ輪を中心に東京23区の北東部をひたすらに歩きまわっておりましたが、去年あたりから仕事が戻ってきて、また歩く時間が減っていたのです。

それがここ数ヶ月でまた仕事中心の日々に慣れてきたのか、歩く事が多くなりました。

今月は37万歩で、2年ぶりくらいに多い歩数です。

散歩ではなく仕事の行き帰りでの歩数なので、これより増えるのは難しいと思われますが、来月またも歩きを中心にした生活を続けていこうと思っております。

ブログも頑張って更新して参りますので、皆様どうか来月もよろしくお願いいたします。

旧仮名遣いの「旅の友」

私は関西や松本の稽古に行く時には、しばしば「宝生流旅の友」という3冊で宝生流の謡が全曲入っている本を携えていきます。

「旅の友」にも何種類かあって、今よく使っているのは昔に発行された少し小さめのものです。

やはりちょっとでも小さくて軽い方が有り難いです。

百均の化粧ポーチにぴったり入ってしまうのも便利なのです。

この古い「旅の友」、謡の印刷の内容は最近のものと変わらないのですが、無意識に使っていると偶に「あれ?」と戸惑う事があります。

例えば「葵上」という曲、「あ.お.い」なので全曲中で一番最初に載っているはずです。(「翁」は別格で冒頭にあるので、厳密には翁の次の2曲目です)

しかしそこを探しても「葵上」は無くて、「阿漕」が翁の次に載っているのです。

「葵上」は何処だろう…?

と一瞬考えて、そうか”旧仮名遣い”か、と思い至りました。

「あ.ふ.ひ」

かな…と見当をつけて探すとやはり、

「敦盛」と「海人」の間に「葵上」があったのです。

同じ事が「猩々」を探す時にも起こりました。

「昭君」の次…と何時もの癖で探すと無くて、

「ああ、”しやうじやう”か…」

と少し戻って引くと「猩々」があるのです。

ちなみに「正尊」も「しやうそん」なので猩々の次に載っています。

この旧仮名遣いが残っている「旅の友」、いつ頃の発行なのか見てみると…

「昭和7年12月25日初版発行」

とあり、やはり戦前でした。

(ちなみになんとこれは私の父親の誕生日の翌日の日付で驚きました)

第二次大戦を境になくなった旧仮名遣いが、私の普段使いのアイテムの中に残っている訳です。

この貴重な「旅の友」をこれからも大切に使っていこうと思います。

居心地の良い街

今日は午前中から京都の「ゲストハウス月と」にて紫明荘組の稽古、夕方に終えて夜は芦屋に稽古に行きました。

そして今は阪神電車に乗って、今夜の宿がある阪神尼崎に向かっております。

私は最近この「阪神尼崎」という場所に良く宿をとります。

「尼崎」という地名ですぐに頭に浮かぶ謡が、能「雲林院」の冒頭のワキ道行です。

ワキ芦屋公光が夢の導きで芦屋を出発して京都雲林院に向かう途中で、

「松陰に 煙をかづく 尼崎」

と謡うのです。当時の尼崎は、潮焼きの煙が漂う浜辺の村だったのでしょうか。

現代の尼崎市臨海部は工業地帯になり、工場の夜景が綺麗で撮影スポットにもなっているそうです。

そして阪神電車の尼崎駅周辺は、京都とも大阪ともちょっと違う、なんとも言えない「ゴチャゴチャ感」が魅力的な街なのです。

大きなアーケード街と、その裏道の昔からの飲み屋街。

何となく私が高校時代を過ごした東京の中野や、今住んでいる三ノ輪や千住辺りの雰囲気に似ているように思えて、とても居心地が良いのです。

今は基本的に宿で晩御飯を食べるので、まだこの街の飲み屋には行ったことが無いのですが、一度思い切って昔ながらの大衆居酒屋などに入ってみたいと思っております。

「翁」を持って久居へ

能「翁」から早くも2週間が経ちました。

今日は久しぶりに舞台も稽古も無い日でしたので、三重県久居の実家の父親を訪ねる事にしました。

父親と会うのは、一昨年の正月に久居に行って卒寿祝いに「三笑」の謡を謡った時以来です。

2年間ご無沙汰で元気かどうかちょっと心配しておりましたが、幸いに玄関に出てきた父親は92歳とは思えない元気な様子で安心いたしました。

元気とは言えさすがに真冬の東京に行くのは無理なので、父親は能「翁」には来られませんでした。

そこで今回の帰省は、「翁」のDVDと内祝の「翁最中」を父親に届けるというのが最大の目的だったのです。

居間の大画面テレビで早速DVD鑑賞です。

少々耳が遠くなってきた父親に大声で解説をしながら、私自身が初めて自分の「翁」を観ました。

改めて観ると改善すべき点も見えて、翁は一生に一度とは思いながら「次にやるとしたら…」という考えもぼんやりと浮かんできたり…

DVD鑑賞の後に私は1人で澤田家の菩提寺に行って、お花を手向けてお参り致しました。

そして再び実家に戻り、「翁最中」を父親とゆっくり食べてお茶を飲みました。

今日の久居は寒さが少し和らいだ穏やかな日で、四季の花が咲く実家の庭では、水仙が控えめに咲いておりました。

生まれた土地を訪ねるのは沁みじみと良いものです。

また時間を見つけて久居に帰ろうと思います。

静岡能での「石橋 赤黒」

今日は静岡のグランシップホールでの「静岡能」に出演して参りました。

今回は宝生流では170年ぶりに作られた”小書”である「石橋 赤黒(しゃっこく)」

が演じられ、私は地謡を勤めました。

これまであった小書の「石橋 連獅子」は親子の赤獅子と白獅子が舞いますが、今回の「赤黒」では対立する赤獅子と黒獅子が出てきます。

私は今回初めて拝見したのですが、一畳台の上で2頭の獅子が腕(前足?)をぶつけ合ったり、確かに対立し合っているように見えました。

しかし2頭は最後には互いの立場を認め合う、という演出で、これは昨今の世界情勢を考えると非常に深い意味が込められていると感じました。

能楽は室町時代から基本的には変わらないといわれていますが、「赤黒」のような小書は、後世の人が見ると令和時代の日本を知る手掛かりにもなるのかと思われ、大変興味深く思いながら地謡を勤めさせていただきました。