地謡後列左端の仕事

今日は枚方市総合文化芸術センター小ホールにて「七宝会」が開催されました。

能「春日龍神」と能「源氏供養」が演じられ、私はこの2曲の地謡でどちらも後列左端に座りました。

この”後列左端”という位置はワキが座る「ワキ座」に近いので、曲によっては地謡以外の仕事があります。

例えばワキが位の高い僧侶の場合、「鬘桶」という漆塗りの丸椅子に腰掛ける場合があります。

その場合は鬘桶を地謡左端からワキ座に持って行き、ワキに腰掛けてもらうのです。

今回のワキは、春日龍神が「明恵上人」

源氏供養が「安居院の法印」。

どちらも位の高い僧侶です。

事前に確認しなければと思い、申合の時に御ワキに「鬘桶にかけられますか?」と尋ねてみました。

すると、

「いえ、うちの流儀はどちらの曲も鬘桶には座らず、”下ニ居”します」

と言われました。

少し意外に思いましたが、例えば「明恵上人」は非常に謙虚な性格だったと聞いた事があります。

また春日明神への敬いの心もあり、椅子に腰掛けずに地面に直接座ったのかな、とも思いました。

やはり流儀によってこう言った細かい違いがあるので、舞台に出る前の確認は大事だと再認識いたしました。

2024年全宝連京都大会の打ち合わせ

今日は大阪で七宝会申合がありました。

明日2月9日が七宝会の本番で、枚方市総合文化芸術センター小ホールにて17時開演。

能「春日龍神」シテ辰巳和磨

能「源氏供養」シテ辰巳孝弥

他狂言が演じられます。

その申合の後で、関西宝連の学生数名と楽師での打ち合わせがありました。

これは

「全国宝生流学生能楽連盟自演会(全宝連)」

の打ち合わせです。

来たる6月29日(土)30日(日)の2日間、京都金剛能楽堂にて

「2024年全宝連京都大会」

が開催されるのです。

宝生流を稽古している全国の学生達が年に一度集まって盛大に開催される「全宝連」。

コロナ禍で1年延期の年があったので、5年ぶりの京都大会になります。

番組作りの事、鑑賞能(30日に開催予定)のチラシやチケット制作、全宝連委員による謡蹟巡りの事などなど…

たくさんの内容を話し合いました。

なにしろ前回全宝連京都大会の時には皆まだ中高生であり、彼らは何も知らないところから委員をしないといけないのです。

我々楽師は出来るだけ委員の負担を軽くしつつ、楽しい全宝連にするためのお手伝いをして行けたらと思っております。

鑑賞能の詳細な番組など、また正式に決まり次第お知らせしてまいります。

繰り返しですが、

今年6月29日(土)30日(日)金剛能楽堂にて開催の「全宝連京都大会」

どうかよろしくお願いいたします。

舞台上での「高い」と「低い」

先日ある稽古場で舞囃子の稽古をしている時の事です。

私「そこは大小前のもっと高めで前を向いてください」

シテの方「?高めと言うのは、前めですか?後ろめですか?」

私「…!すみません、前の方という事です」

なるほど、確かに舞台上で前寄りを「高い」後ろ寄りを「低い」というのは、能楽師の使う専門用語です。

他にも謡の速さで「運ぶ」は早くする事、「締める」は遅くする事、と言った専門用語が沢山あります。

普段私は、これらの専門用語はあまり積極的に使わずにより平易な言葉で稽古するようにしています。

しかし、専門用語でしか表現できない微妙なニュアンスもあるので、これらが廃れてしまうのは良くないと思います。

時間がある時には用語の解説も織り交ぜて稽古する事が大切だと思いました。

ビルの間に光る稲妻は…

昨晩の事です。

私は松本稽古を休みにして、東京三ノ輪の自宅で過ごしておりました。

外は天気予報通り大雪です。

20時頃だったでしょうか。

急に外がピカッと光った気がしました。

何かの事故だろうか?と心配になり、カーテンの隙間を開けて外を見ていると、

「ゴロゴロ…」

と腹に響くような音が聞こえてきました。

まさか…雷⁈

すぐに頭に浮かんだのが、

「葛城や 木の間に光る稲妻は…」

という葛城クセの一節です。

雪の中で鳴る雷というものを、私はこの謡の中でしか知りませんでした。

北陸では見慣れた光景という事を聞き、いつの日か北陸で見る事があるだろうか…と想像していたのです。

それがまさか東京の自宅で体験する事になろうとは…

半信半疑で外を伺っていると、再びピカッと稲妻が光り、ゴロゴロと雷鳴が轟きました。

間違い無く大雪の中で鳴る雷です。

「ビルの間に光る稲妻」か…

と不思議な感動に包まれました。

後でニュースを見て、これは「雷雪」という世界的にも珍しい現象だという事を知りました。

ちなみに2018年1月10日のブログ「木の間に光る稲妻は」で葛城クセなどにまつわる話をしていますので、よろしければご覧くださいませ。

大雪で…

私は普段から電車に乗る事が多いので、どうしても電車遅延に巻き込まれる事も多くなってしまいます。

今年に入ってからまだ1ヶ月ほどですが、合計ですでに約180分の電車遅延に巻き込まれて、稽古に影響もありました。

こうなると警戒心も強くなります。

今日は松本稽古の予定でしたが、昨夜に松本澤風会会員さんより、

「月曜日は昼頃から大雪だそうです」

とメールをいただき、それ以降はニュースと天気予報を随時確認するようにしました。

そして今朝10時の時点で、

「今日は松本に向かうと、雪で特急あずさが遅延したり、最悪運休になるぞ」

と判断して、稽古を延期にいたしました。

その後昼頃より東京でも雪が降り始めました。

松本の北の池田町に住む会員さんからは、

「2時間ほどで一気に10㎝雪が積もりました。今日は稽古があっても出て行けるか不安でした」

とメールと写真をいただきました。

夕方には特急あずさが雪の重みによる倒竹で止まっているとのニュースもあり、今日は稽古延期にして本当に良かったです。

急な事故での電車遅延は避けようがありませんが、大雪や台風など事前に予想可能な時は無理せず外出を控えたいと思います。

色々情報をいただいた松本の皆様ありがとうございました。

京大宝生東京OB会新年会

今日は宝生会春日教室舞台にて、「京大宝生東京OB会新年会」に参加してまいりました。

毎年恒例だった新年会も、コロナ禍により2019年以来の久々の開催でした。

素謡4番と仕舞で、若手からベテランまで各世代のOBが思う存分に舞台を満喫した1日でした。

京大宝生会伝統の、

「役も地頭も地謡も、誰もが等しく全力で謡う」

というスタイルはコロナ以前と全く変わらず健在で、この数年でzoomなどのリモート稽古も積極的に行われていたようで皆様それぞれ腕を上げておられて驚きでした。

この6月には、こちらも数年ぶりの「京大宝生会OB会全国大会」が東京で開催される予定です。

今日の東京新年会の勢いで、全国大会もきっと盛大に謡って舞う1日になると思います。

今からとても楽しみです。

「荒い型」と「柔らかい型」

昨日は京大宝生会の稽古でした。

今はオフシーズンで、1回生はこの時期には全員揃って荒い仕舞「国栖」を稽古する事が多いです。

2回生での「嵐山」「鞍馬天狗」などのちょっと長目の荒い仕舞の前に、短い「国栖」は丁度良いステップになる仕舞なのです。

しかし今年の1回生は覚えが早いので、短い「国栖」だとあっという間に終わってしまいます。

そこで、国栖とは雰囲気の違う仕舞を並行して稽古する事にしました。

仕舞「羽衣キリ」「右近」「田村クセ」

の3番です。いずれも”柔らかい”仕舞です。

1回生6人はこれらのうちから好きな仕舞を一番選んで、「国栖」と並行して稽古する訳です。

1人ずつ順番に、まず「国栖」、そして続けて柔らかい仕舞を稽古します。

このやり方には、実は隠れたもう一つの意味がありました。

国栖に続けて例えば「右近」を稽古すると、”行き掛かり”や”廻り返し”などの型が見事に「荒い仕舞」のようになってしまうのです。

そこで私が「荒い時の”行き掛かり”はこうで、柔らかい時はこう」

と比較して見せてあげると、彼らはすぐにコツを飲み込んで2種類の型を舞い分けてくれました。

“荒い仕舞”と”柔らかい仕舞”は、数ヶ月単位の長い期間をかけて交互に稽古するのが通常の私のやり方です。

しかし今年の1回生達は本当に吸収が早いので、このオフシーズンのうちに2種類の演じ分けをしっかりと体得してもらおうと思っています。

1件のコメント

お母さんの目線で

先ほどまで私は京都大学吉田構内の文学部2号館内の教室にて講義を受けておりました。

…と言っても、またもや大学に入り直したという訳ではありません。

文学部のフランス人女性の先生主催のワークショップに、先輩の女性能楽師が講師として参加されたので私も京大宝生会現役達と共に拝聴してきたという訳なのです。

「女性と教育」

というテーマで、先輩楽師はご自分の能楽師として、また母親としての経験を話されました。

その中で、「自分の娘を育てていく過程において、子供の目線から、また子育てをするお母さんの目線から、能楽は子供達のために何が出来るのか、何を求められているのかを考えて来ました」

というお話がありました。

これは「能楽師」であり、「母親」であるという立場で初めて体感できる事です。

これまでの私には無かった視点であり、新鮮に感じました。

無論私は「お母さん」にはなれませんが、「お母さんの目線」を想像して子供向けの能楽教室などに活かしていくのは大切だと思います。

今日の「受講」は大変意義深いものでした。ありがとうございました。

“千本の花盛り”とは?

今朝は松本の宿からリモートで「嵐山」の謡稽古をいたしました。

「嵐山の桜は、時の天皇が吉野の”千本の桜”を移植したものです」

と説明をしていて、ある別の謡が頭に浮かんで「あれ?」と疑問が湧きました。

その謡は「西行桜クセ」です。

クセの中で、

「千本の桜を植え置き その色を処の名に見する 千本の花盛り」

という一節があるのです。

西行桜を謡っている時には、何となくこの”千本の花盛り”とは京都の”千本通り”の事だと思っておりました。

しかし、「嵐山」に吉野の桜を移植して、尚且つ「千本通り」にも移植していたのでしょうか。

それでは都からちょっと離れた嵐山の桜の存在意義が薄れてしまうのでは…

と思い、ちょっと調べてみたのです。

結果は意外なものでした。

「千本通り」の名前の由来は、「千本の卒塔婆が立っていたから」

という説が有力だというのです。

しかし、別の説でやはり千本の桜が植えられていたからというものもあるそうで、真相ははっきりしないようです。

そもそも”千本の花盛り”とは千本通りの事では無い可能性もあり、そこもちょっと調べたのですが、京都にそれらしい桜の名所は見つかりませんでした。

「千本の桜を植え置いた」というのを地名の由来とした「千本の花盛り」…

いったい何処のことなのか、何か他に情報がありましたら是非お知らせくださいませ。

翁、ブログ再開、そして…

2024年の1月が早くも終わろうとしております。

元日から大変な事が起きたので、何かとても長く感じるひと月でした。

個人的には、やはり「翁」を勤めさせていただいたのが最も大きな出来事でした。

そしてこのブログを翁終了後から自然に再開して、なんとか毎日途切れずに続けて来れたのも、自分としては嬉しく思っております。

また小さな事ではありますが、歩く事が増えました。

コロナ禍の時には日々やる事が無くて、主に自宅のある三ノ輪を中心に東京23区の北東部をひたすらに歩きまわっておりましたが、去年あたりから仕事が戻ってきて、また歩く時間が減っていたのです。

それがここ数ヶ月でまた仕事中心の日々に慣れてきたのか、歩く事が多くなりました。

今月は37万歩で、2年ぶりくらいに多い歩数です。

散歩ではなく仕事の行き帰りでの歩数なので、これより増えるのは難しいと思われますが、来月またも歩きを中心にした生活を続けていこうと思っております。

ブログも頑張って更新して参りますので、皆様どうか来月もよろしくお願いいたします。