京大宝生会は全宝連東京大会にて、舞囃子2番、素謡東北、仕舞17番を1人も欠けることなく気迫を込めて演じ切ってくれました。
これだけ人数が増えると賑やかで嬉しい反面、1人あたりの仕舞稽古時間が短くなってしまうのが悩ましいところです。
しかし彼らは色々工夫して、少ない稽古時間で最大の効果を得られるようにしてくれています。
「稽古ノート」を作って、私が直した内容を書き記すことは随分前からやっていました。
それに加えて最近は、各自のスマホで稽古を撮影することもしています。
その効果でなのか、先日面白いことがありました。
私は仕舞稽古の合間に、後から来た部員の為に「舞台を自由に使って良い時間」をちょっとずつ挟むようにしています。
その日も「自由時間」になると10数人がわらわらと舞台に上がって自主練習を始めたのですが、私のすぐ近くで2回生のKくんが新入生に仕舞を教えているのを見て、あれ?と思いました。
Kくんの振る舞いが、私の稽古のやり方や口調ととても似ていることに気がついたのです。
実は以前から不思議に思うことがありました。
しばらくの間稽古に行けずにいて、間を置いて稽古に行くと、久しぶりに見る部員が以前より上手になっているのです。
「僕が行かない方が上手になるね」などと半ば冗談半ば本気で言っていたのですが、本当に私がいなくても私そっくりの稽古がなされていたようなのです。
これは大変嬉しくありがたいことです。バンドの曲やダンスなどを、細部まで完璧に物真似することを「完コピ」というそうですが、私の稽古を「完コピ」してくれていたわけです。
私は京大の舞台を見る時には、無事に終わっても拍手をしないことにしているのですが、これは「彼らの舞台は私自身の分身の舞台なので、自分に向けて拍手をするのはおかしい」という考えでそうしているのです。
今回の「稽古完コピ」を見て、その考えがやはり正しいと再認識しました。
京大の皆さん、私が拍手しなくても、「舞台がいまいちだったからかな?」と思わないでください。
これは皆んなを信頼している証なのです。