「楽しく、熱い」京大稽古

昨日は全宝連以来の京大宝生会稽古でした。

皆新しい仕舞を稽古したのですが、いくつか面白い出来事がありました。

3回生で秋に舞囃子を出す男子2人は、共に中ノ舞物なので、一緒に稽古することにしました。

2人並べて、私も横に立って中ノ舞の稽古を始めると、当然初めてなので型や場所はバラバラにずれたりします。たまにぶつかったり。

それが笑いのツボに入るらしく、見ている部員がニヤニヤし始め、ついに舞っている者まで、私も含めて笑い出してしまいました。。

また4回生で仕舞「三山」を稽古した女の子は、稽古を終えるとやけにテンションが高く嬉しそうです。

「そんなに三山が気に入ったのかな…?」と思っていると、その女の子は「だって私、4回生にして初めて招き扇とハネ扇をしたんですよ!!」と満面の笑みで、握り拳に力を込めて言いました。そこが喜びのツボだったのか。。

そしてまた全宝連で舞囃子を無事終えた男の子は、「え〜。…何かクセがやりたいです…」(テンション低め)

しかし、良さそうなクセの仕舞は他の若手OBが稽古していて、なかなか曲が決まりません。そこでちょっと難しいのですが、誰もやったことのない「雲林院クセ」を提案してみました。

すると本人を含め4回生のテンションが急に高くなって、「なんと!うんりんいんくせ!!」と盛り上がっています。

更に稽古を始めて、途中いわゆる「遍昭節」と言われる所に来ました。これは「下の下」という高さから「ウキ」の高さに一気に上がる珍しい節ですが、私がそれを説明してから「かの・  へ・えんじょおおが…」と謡うと、謡本を見ながら稽古を見ていた4回生達が「ひょえ〜」というような声を出して、また実に嬉しそうにニヤニヤしています。

…稽古の時にニヤニヤしたり嬉しそうにするのは、不真面目だと言う向きもあるかもしれません。しかし、京大宝生会の場合は純粋に仕舞や謡の中に「面白さのツボ」や「嬉しさのツボ」を見出して、それが笑顔になって現れているのです。

能楽の中にこれほど楽しさを見つけられる人達はなかなかいないと、私はむしろそちらを褒めてあげたいのです。

「楽しく熱い稽古」を今後も続けて行きたいと思います。

半蔀の作り物

本日も水道橋にて能「半蔀」の稽古を受けて参りました。

半蔀の能には「作り物」が出ます。

能に使う「作り物」は、基本的には竹を包地(晒を細く裂いたもの)で巻いただけのシンプルな構造です。

そこに布をかけたり屋根を載せたり、植物を飾ったりして変化をつけます。

中には芸術作品や工芸品のように手の込んだ精緻な作り物もあります。

「道成寺の鐘」、熊野などに使う「花見車」、「鉢木」などがその代表格と思います。

そして「半蔀」の作り物もまた、シンプルながらとても美しいものです。

四隅の柱と蔀戸には夕顔の緑の蔓が伝い、金銀色の瓢箪と白い花が、派手にならないように気を配って散りばめられています。

能の場合、作り物は舞台の度に一回一回作り直すので、毎回微妙に違う作り物になります。

作り手のセンスが問われる所もあるので、私も内弟子の頃には半蔀の作り物には気を遣ったものです。

蔀戸に巻く蔓がシテの顔を隠さないように、また吊るした瓢箪がシテの頭に当たらないように、それでいてバランス良く美しく見えるように…。

手前味噌ですが、鍛え上げられてチームワークも良い宝生流の内弟子達が作る作り物は、どれもきちんと丁寧に作られているので、鑑賞に堪える「作品」と言えると思います。

7月15日の五雲会では、「半蔀」以外にも能「氷室」、能「土蜘」にも作り物が出ます。

内弟子の腕の見せ所です。是非作り物にも注目して、舞台を御覧くださいませ。

宝生流五雲会:7月15日(土)正午始  於宝生能楽堂

能「氷室」シテ藤井雅之

能「経政」シテ亀井雄二

能「半蔀」シテ澤田宏司

能「土蜘」シテ高橋憲正  頼光当山淳司 ほか

隙間花壇  7月

私の自宅マンションと隣のマンションの間の極小自然空間、隙間花壇のガクアジサイはもう散りかけになりました。

すると今度は地面に近いところに別の黄色い花が。

何の花かわかりますか?


1枚目と2枚目は共に昨日の夕方、田町稽古に向かう途中に撮影しました。

ところが不思議なことに、今朝江古田稽古に行く時には下の写真のようになっていたのです。

一晩で全部萎れてしまいました。

更に近くには、赤い花も。こちらの色の方が馴染み深いかもしれません。


最終ヒントは、秋になって出来る種子を割ると、中から白い粉が出てきて、昔はそれで子供がお化粧ごっこをして遊んだのです。

答えは「オシロイバナ」でした。

この花は夕方に咲いて、翌朝には萎れてしまいます。しかし次の蕾が次々に出来て、毎日夕方になると花開くのだそうです。

その為に日本では「夕化粧」という美しい別称があり、アメリカでは同じ仲間を「Four  o’clock」と呼ぶそうです。4時位に咲く花という意味なのでしょう。

赤い花のオシロイバナは小さな頃から見慣れていましたが、黄色や白もあるようです。

秋に種子が出来たら、白粉のような胚乳を収穫してみたいのですが、隙間花壇の管理人さんは、花が終わるとあっさり剪定してしまわれることが多いのでちょっと心配です。。

白粉が採れたらまたご報告させていただきます。

今日の江古田稽古も無事終わったので、隙間花壇のオシロイバナを見るのを楽しみに帰りたいと思います。

撮影のお手伝い

昨日は水道橋で、写真撮影のお手伝いをして参りました。

私は、どんな分野であれ、プロフェッショナルがチームを組んで働いているのを見るのが好きなのです。

昨日の撮影カメラマンは2人組のチームでした。

お2人は沢山のカメラ、三脚、レフ板や、私の知らない機材を駆使して、やはり私にはわからない専門用語を交わしながらスムーズに撮影を進めておられます。

特に「光」がシテのどの部分をどれ位照らすかに気を遣っておられるようでした。

ほんの僅かな光量の変化によって、写真は全く別の物になってしまうようです。

カメラマンの方から「ここは装束の裾から足が見えていても良いのでしょうか?」とか「作り物の柱がバランス良く見えるように、少し角度をずらしても大丈夫ですか?」といった質問や要望が出ると、我々が能楽サイドの眼線で可能な限り対応します。

ひとつのシーンを美しく見せる為に、写真家はどこにポイントを見出し、どう調整してほしいのか。

これらを知ることは、「自分の舞台をどうやって美しく見せるか」ということにも通ずると思います。

プロフェッショナルの小気味良いお仕事ぶりを拝見出来ると共に、色々自分の勉強にもなった一日でした。

松本の七夕

JR松本駅に列車が到着すると、少し哀愁漂う女性の声で「まつもと〜、まつもと〜」という到着アナウンスがあります。

他の駅には無い独特のトーンのアナウンスで、これが何とも言えず旅情を掻き立ててくれるのです。

昨日の松本稽古を終えて、今朝は新宿行きの特急あずさに乗る為にまた松本駅に向かいました。

改札をくぐると例の哀愁漂う「まつもと〜、まつもと〜」が聞こえてきて、「やはり良いなあ」と思いながらホームに降りようとしました。

すると改札の横で、駅員さんが何か飾り付けをしています。

七夕の飾りでしょうか。しかし笹の葉や短冊ではなく、紙で作った人形です。雛人形ともまた違う雰囲気です。


説明文がありました。

松本の七夕では人形を軒に吊るして、家族の厄を人形に託して風に吹き払ってもらう、という風習があるそうです。

人形がちょっと大陸的な雰囲気なのは、牽牛と織女をかたどっているからなのでしょう。

能においては、「砧」の前半で夫の帰りを待つシテが七夕の例え話を引いて、自らの身の上を嘆きます。切なく哀しいシーンです。

松本の七夕人形も、華やかなのですがやはり少しだけ哀愁を感じます。

年に一度だけの逢瀬を、雲に邪魔されないよう祈りながら待っている織姫と彦星の切ない気持ちが表れているのでしょうか。

例のアナウンスと相待って、一層の旅情を感じながら、新宿行きの特急あずさに乗り込んだのでした。

能「半蔀」の稽古

昨日は夜に能「半蔀」の稽古を受けて参りました。

稽古を受ける時には、型付から一通りの流れを覚えた後、更に自分の感覚での謡の位取りや、舞台上の細かい位置取りなどを決めておいてから臨みます。

それを叩き台にして稽古で色々ご注意をいただくのです。

よく「考えて謡や型をやっては駄目だ」という言葉を聞きますが、私の場合は深く考えずにやってしまった型や謡で注意を受けることが多い気がします。

例えば、半蔀のクセで打切の後に左前方に歩んで、「源氏この宿を見初めたまひし」と振り返って夕顔の宿の作り物を見る所。

私が左前方に出て行くと、「そんなに前に行くな」と言われました。

そこも私は「どれ位前に出るのが適切なのか、それは何故なのか」を考えずにやっている所でした。

型としては、光源氏が初めて夕顔の家を見つけるシーンを表現します。…という事は、作り物に近過ぎてもいけませんが、遠く離れ過ぎても印象がぼやけてしまいます。

またその後に大小前近くまで右回りをするので、やはり前に出過ぎると円が大きくなって、回る時間が足りなくなります。

舞台を思い浮かべながらそれらの要素をじっくり考えていると、自ずから左足をかけて振り返るべき位置が見えてくる気がします。

こういった作業を舞台全体、最初から最後まで細かく区切って行います。

更にそれらを繰り返し稽古することで身に付けて、何も考えずに無意識で出来るまでにするのが、私にとっての最終目的地なのです。つまり…

・型付通りやってはいるが深い考察が足りていないのが第一段階。

・色々考えた事を「こういう風にやろう」と思いながら稽古するのが第二段階。

・稽古した型や謡が自然に出せて、見所から観ると何も特別な事は考えていないように見える状態が最終段階。

だと私は考えます。

五雲会の本番まで後二週間足らず。

これから「半蔀」の世界により深く潜って考察して、当日の舞台までにそれらを型や謡に練り上げていきたいと思います。

若手OBOGの稽古

今から6〜7年前に、関西に住む京大宝生会若手OBOGが集まって、澤風会稽古とは別の稽古を月に1回していました。

「能楽の会」という名前で京都市内の青少年活動センターを借りての稽古で、この稽古から澤風会5周年の能「夜討曽我」と半能「藤」や、沢山の舞囃子、仕舞、素謡が生まれたのでした。

その後、中心メンバーがドイツや英国や宮崎や福井、金沢、関東地方などに散らばってしまい、「能楽の会」を私が稽古することは久しく途絶えていました。

今日はその「能楽の会」名義の稽古が、久しぶりに伏見区青少年活動センターにて行われました。

以前のメンバー数人に加えて、この春卒業した新OBOG3人と、英国留学から帰国して大阪に居を構えたOBなど、20〜30代の総勢8人が集まりました。

謡は「自然居士」と「鉄輪」の二番を鸚鵡返し。あとは各人の仕舞をみっちり稽古しました。流石に皆、一を聞いて十を知る歴戦の勇士達なので、ハイレベルな稽古が出来ました。

この世代のOBOGがまた増えてくれて、しかも熱心に稽古してくれるのは、現役にとっても大変有り難いことです。

出来れば以前のように、月1回定期的に「能楽の会」稽古をしていきたいと思っています。

そしてまたこの「新生能楽の会」から、能や舞囃子が沢山出てくれることを願っています。

半年経ちました

今日から7月になりました。

1月5日から始めたこのブログも、何とか半年間1日も休まずに書き続けることが出来ました。

生まれて此の方日記など書いたことが無かった私が、何故ブログを毎日書いているのか、自分でも正直わからないところがあります。

しかし「ブログを毎日書く」と決めたことで、良い事がいくつかありました。

①少し時間が空いた時に、本屋で時間を潰すのではなく、積極的に動いて能楽に関わる色々な場所を観るようになった。(今井神社や、鷲の尾の寺、半蔀の旧蹟など)

②うろ覚えの知識が、ブログを書く為に調べることで正確なものになった。(東山三十六峰や、南京玉すだれなど)

③関心の無かった事象にも眼を向けるようになって、新しい興味や趣味の対象が増えた。(隙間花壇や亀岡の花々の名前、かきつばたの折句など)

などなどです。

世の中には面白い看板が沢山あることもわかりました。

私のブログは地味なホームページの下の方にありますが、「大通りから一本入った所にある、行ってみると居心地の良いお店」というようなスタンスを目指して、これからも更新して参りたいと思っております。

どうか下半期もよろしくお願いいたします。

盲亀の浮木

「盲亀の浮木」という言葉があります。

これは「100年に一度だけ海面に姿を現わす盲目の老亀が、偶々浮かんでいた流木に空いていた穴に首を突っ込むような、起こる確率が非常に低い事象」というような意味の故事です。

この確率を計算してみた奇特な人がいるらしく、114京9286兆4919億5633万3945年に一度位に起こるそうです。今の宇宙があるうちには全然無理そうですね。。

この言葉は能にも度々出て来ますが、例えば能「蝉丸」の冒頭、蝉丸を逢坂山に捨てに行くワキの道行の中に出て来る「盲亀の浮木」は、その後の蝉丸と逆髪の偶然の邂逅を暗示しているのでしょうか。

私も過去には、北海道の羅臼岳山頂で偶然予備校の友人に再会したり、憧れていたカヌーイストの野田知佑さんにアラスカで偶然出会ったりというような嬉しいことがありました。

しかし元々は有り難い仏教説話に基づいた「盲亀の浮木」なのですが、「あまり有り難く無い盲亀の浮木」というのも存在するのです。

一昨日は、仕事で行った青森で平日にもかかわらず宿が全然取れず、また昨日朝の帰りの東北新幹線も席が立席しか取れなくて、新青森から上野までデッキの床に何とか座って帰って参りました。

人に聞いたら、一昨日は「29年ぶりに青森県でプロ野球の試合が行われた」そうなのです。

「29年ぶりにプロ野球の試合が行われる日に、月に一度だけの仕事で偶然行ってしまう確率」はどのくらいなのでしょうか…。

今回はあまり有り難く無い盲亀の浮木でしたが、また嬉しい偶然もきっとあると思いつつ、これからもいろんな場所に行ってみたいと思います。

1件のコメント

今月の慶事

今日は久々の江古田稽古でした。

月初めの6月1日に稽古して以来なので、ほぼ1ヶ月ぶりになります。稽古場に到着すると…

私「おお、おかえりなさいませ!」Nさん「無事帰って参りました!」

実は澤風会江古田稽古場の会員であるNさん御夫妻は、その1ヶ月の間に「バチカン勧進能」を観能する約1週間のツアーに参加して来られたのです。

宝生和英家元による能「翁」と復曲能「復活のキリスト」、更に金剛流若宗家の金剛龍謹師による能「羽衣」を2日間にわたって観能して、観光も盛り沢山だったとのこと。

舞台がとにかく素晴らしかったそうで、Nさんの奥様は「出演の先生方ひとりひとりが極限まで集中して、気持ちの入った感動の舞台でした。終演後に起こった拍手が徐々に盛り上がって、ついに会場全体を包むスタンディングオベーションになり、それがまた感動的でした」と目を輝かせてお話されていました。

重要な公演の大成功、宝生流全体にとっても大変喜ばしいことだと思います。

そして実は、今月には更なるおめでたい出来事がありました。

さる6月5日に、宝生和英御宗家に第一子となるご長男「知永(ともはる)」さんがお生まれになったのです。

「一点だけを観るのではなく、色々な景色を観て育ってくれることを望みます」との家元のお言葉、御自身のことを仰っておられるようで、素敵なお言葉だと思いました。

私も及ばずながら、和英家元と知永さんのお側で精一杯お仕えして参りたいと思います。

宝生流にとっての慶事が重なった6月でした。