ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハ問題

昨日のブログに「ヤの間、ヤアの間、ヤヲの間、ヤヲハの間」を民宿の部屋の名前にした、という笑い話を書きました。

しかしこれは一部のマニアックな方にしかわからないギャグなのでした。

これらは謡における「地拍子」という理論に関わる記号で、能楽に使われる打楽器の「掛け声」を表しています。

「ヤ」が一番短くて、「ヤヲハ」が一番長い掛け声なのですが、これらを理論から理解して、実際の謡に反映させるのは実に困難な作業です。

私も主に東京芸大在学中に、大変苦労して地拍子を勉強しました。

地拍子の苦労話を書き出すと、本が一冊書ける分量になってしまうのですが、「掛け声」に関してはまた別の苦労があったのです。

芸大では能楽囃子の楽器の稽古もあったのですが、ここで「ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハ」の「掛け声」を実際に掛ける必要がありました。

ところが、先輩の稽古を聴いても「ヤ」とか「ヤヲハ」とかいう掛け声は掛けていないのです。

・ヤ→ヨォ

・ヤア→ヨォ〜ッ

・ヤヲ→ヨォ〜〜ッ、ホォ!

・ヤヲハ→ヨォ〜オォ〜ッ、ホォ!

という感じに聴こえます。

また、先生の掛け声を聴くとこれらに「裏声」も交えて、微妙な強弱も付けて掛けておられます。

そして最初の頃に問題だったのが、「大声で掛け声を掛けるのは、結構恥ずかしい」ということでした。かと言って、中途半端な力で掛けると一層情け無く恥ずかしい掛け声になってしまうのです。

なので羞恥心をかなぐり捨てて、頑張って声を張り上げて「ヨォ〜〜ッ、ホォ!」とやっているうちに、逆にストレス解消というか爽快な感覚を味わうことが出来るようになって来ました。

更に学年を重ね、内弟子に入る頃には、今度は御流儀や先生によって微妙に異なる掛け声の違いを摸倣することにもチャレンジし始めました。

私は現在澤風会で舞囃子や能の稽古をする時にも、一応出来る範囲で、御囃子の御流儀によって掛け声を変化させています。

しかしまだまだ研究途上です。

「ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハの間」という楽しいギャグの裏にもまた、実に奥が深い世界があったのでした。

2件のコメント

合宿謡納

京大合宿のお話が続きますが、やはり合宿の「謡納」のことは書いておきたいと思います。

「謡納」とは通常は年末に、その年最後の謡を謡う時に使われる言葉です。

しかし京大宝生会においては、合宿最終日に合宿中稽古した5曲を通して謡って終わることも「謡納」と呼ぶのです。

朝から全員が民宿離れの大広間に集合します。

今回の5曲は「氷室」「敦盛」「葛城」「咸陽宮」「紅葉狩」。

役は公平に籤引きで決めます。

ということは、1回生がシテになったりもするのです。

最初の「氷室」は、前シテ4回生、後シテ1回生、ワキ1回生、ツレ2回生、地頭3回生という布陣。

ワキ1回生は、なかなか正確に謡っています。

他の部員達は、広間の端の方で足を伸ばして聴いています。

行儀悪いと思われるでしょうが、これは彼らの足が正座をし過ぎて限界に達している為に、仕方ないことなのです。

初同(最初の地謡)が近づくと、皆どっこらしょという感じで立ち上がり、役の後ろに座っていきます。

座布団をたたんで座椅子にする部員もいます。

座るまでは辛そうですが、謡が始まると雰囲気はガラリと変わります。

17人が合宿最後の力を振り絞って謡う声には、ある種の凄味や、また一種の爽快感などが混ざった独特な雰囲気があって、聴いていると感慨深いものがあります。

彼らは本当に全力で謡うので、空調が効いた部屋にもかかわらず、「氷室」が終わると皆汗だくで戻って来ました。

私はその後「敦盛」「葛城」と聴いて、彼らの昼食に合わせて民宿を後にしました。

午後の2曲もきっと無事に終わったことでしょう。

今年の夏合宿も良いものになりました。

彼らは能漬けの日々の中でも、色々面白いことを考えてくれます。

例えば、合宿所の民宿離れには2階に部屋が4つありますが、「先生、2階の部屋に名前が付きました。手前からヤの間、ヤアの間、ヤヲの間、ヤヲハの間で、先生の部屋はヤヲハです」などなど。

また、何とダッチオーブンを持ってきた部員もいて、昨夜の打ち上げではケーキや燻製を作ってくれたりもしました。

「最近の若い者は…」とは批判的に使われる言い回しですが、京大宝生会に関しては「最近の若い者は大したものだなあ」と、自らの学生時代と比較してしみじみ感じます。

合宿お疲れ様でした。よく頑張りました。

夏の成果は秋に出る

今日も京大合宿のお話です。

合宿中に5曲の鸚鵡返しをすると、先輩も後輩も声がガラガラに枯れてしまいます。

その鸚鵡返しの合間に私の仕舞稽古に来るので、仕舞のシテ謡も半ばかすれた声で謡うことになります。

しかし昨日今日の仕舞稽古でそのかすれ声を聞いていて、気付いたことがあります。

「一回生の声が格段に良くなった」ということです。

ついこの間の全宝連までは、大きな声ではあってもまだ謡の声にはなっていなかったのが、3人それぞれ立派な謡の声になっているように聞こえました。

ただし、枯れた声なのでまだ本来の姿ではないと思われます。

合宿から帰って、少し喉を休めてから謡うと、驚くほど良い声が出るはずです。

これは勿論先輩達も同様で、合宿で究極まで謡い込んで枯れてしまった声が、下界に帰って暫くして元に戻った時、合宿前よりも何段階も上の謡になっているのです。

昔まだ私が中高生だった頃、「夏に勉強を頑張った人は、秋に成果が出てくる」とよく言われました。

京大宝生会の謡もまさに同様だと思うので、秋以降の彼らの舞台がまた非常に楽しみになって来ました。

教える側が学ぶということ

3月の春合宿に続いて、京大宝生会の夏合宿が始まっています。

今回も合宿中に5曲の謡を鸚鵡返しして、2曲の仕舞を覚えるのが課題です。

謡は先輩と後輩がペアになって鸚鵡返しをするのが京大宝生会の伝統で、昨夜は日が変わってからも元気な謡の声が合宿所に響いていました。

短期間に5曲も教わることで後輩達は急速に上達しますが、実はそれよりも勉強になっているのは教えている先輩の方だと私は思います。

誰かに「教える」ということは、教える内容を自分が理解してからでないと不可能だと思われますが、私の経験上必ずしもそうではありません。

家庭教師のバイトをしていた時、自分では苦手で成績もさっぱりだった数学を、さも全てわかっているように中高生に教えなければなりませんでした。

その時、授業を終える度に「なんだ、こんなに簡単だったのか。今試験を受けたら、もっとマシな点数がとれたかも」と思ったものです。

「理解していなかった事柄を、人に説明することで自分も理解できる」ということがあるのだと思います。

苦労して後輩に教えることで、京大宝生会の先輩達は急速に頼もしさを増していくのだと思われます。

合宿も折り返しを過ぎて、声も足も辛い感じだと思われますが、先輩も後輩もどうかもう一息、頑張ってほしいです。

6件のコメント

「しでょう」「ごでょう」

    数日前の「面白写真」のブログで、「かづき」のローマ字表記は「KAZUKI」で良いようだと書きました。

    現在は「ず」と「づ」は全く同じ発音なので同じローマ字表記で良いということなのです。

    「KADUKI」はPCで入力する時の書き方だそうです。

    「現在は」と書きましたが、実は古い日本語では「ず、づ」の発音が異なっていたそうなのです。

    ここから派生して思い出したことがあります。

    辰巳孝先生に昔、「四条」「五条」は少し前までは「しでょう」「ごでょう」と発音していたと伺ったことがあるのです。

    これも古い発音の例なのでしょう。

    しかしこの発音は現在の謡には全く残っておらず、能「熊野」でも「しじょう  ごじょうの 橋の上」と謡っています。

    また、宝生流には古い日本語の発音が残っている場合があり、「せ、ぜ」を「しぇ、じぇ」と謡う時があります。

    例えば能「国栖」では「根芹」を「ねじぇり」と発音すると教わります。

    ただしこれも私が聴いている限りでは、はっきり「じぇ」と謡う方と、「ぜ」と「じぇ」の中間くらいの発音で謡う方と、個人差があるようです。

    日本語の発音が変化して来たとすると、室町時代から変わらず伝えられて来た筈の謡の拠り所が揺らぐような、心許ない気持ちにもなります。

    しかしこれはごく一部の例外的な話で、大半の謡の発音は、やはり古い日本語の発音が残っているようです。

    私が生きているうちにタイムマシンが発明されたら、室町時代に行って、当時の能楽師と謡の発音を比べてみたい、というのも夢のひとつです。

    新しい仕舞の決め方

    今日は七葉会が終わってから初めての松本稽古でした。

    何人かの方々は、今日から新しい仕舞の稽古を始めます。

    新しい仕舞の曲を決める時には色々考慮する要素がありますが、私の場合先ず最初に考えるのが次の2つの要素です。

    ①始めてまだ日数が浅い方には、急に難しくならないように、経験して来た型が半分、新しい型が半分くらいある演目を。

    ②ベテランの方には、逆にガラリと違う雰囲気で、面白い特殊な型が幾つか出てくる仕舞を。

    更にこれに加えて、

    ③年齢、性別、性格、稽古の頻度、次の舞台までの時間。

    等を加味して、何曲か案を考えます。

    最後に決め手となるのは、

    ④本人の好み、本人の希望。

    ここで大逆転して、私の案とは全く違う演目になることも多いです。

    しかし私の経験では、余程の難しい演目でない限り、④を優先するのが一番良い結果に繋がります。

    やはり思い入れのある演目を稽古すると、稽古にも熱が入るので上達が早いのだと思います。

    今日もおかげさまで、無事に新しい仕舞が何曲か決まりました。

    10月の松本澤風会に向けて、また頑張って稽古して参りたいと思います。

    読者の皆様から

    このブログもおかげさまで開始から8ヶ月を過ぎました。

    その間に読者の皆様からは、暖かいコメントや面白写真、また折句の作品などをいくつかお送りいただきました。ありがとうございました。

    今日はそれらの写真や折句をご紹介させていただきたいと思います。

    先ずは「なりひらのかきつはた」の折句作品です。

    「眺むるばかりか

    理不尽なる雪

    ひと夜ばかり降りつつ

    乱舞する扇ことばは

    残りの冬の華歌留多」

    これは澤風会京都稽古場のIさんの作品です。
    Iさんは詩人なので、流石に美しい日本語です。また声に出して読むと綺麗なリズム感があります。

    次の作品です。

    「奈良遥か

    旅愁を抱き

    単衣着つ

    羅の帯巻けば

    野の草の詩」

    これは澤風会江古田稽古場のNさんの作品です。春に奈良に旅行にいらした時のことを折句にしてくださいました。奈良は業平に縁のある土地であり、また歌の雰囲気も業平の元歌に通ずる気がします。

    次は、そもそも「なりひらのかきつはた」の折句のネタを提供してくださった江古田稽古場の新入会員Iさんより。

    先日の七葉会を見た感想を折句にしてくださいました。Uターンで10文字の折り句です。

    「しののめに

    誓ひしこころ

    夜は迷ひ

    憂きを乗り越え

    晴れ舞台なす」

    ありがとうございます。本当に末広がりになるように、頑張って参ります。

    さて次は面白写真です。

    先日も「舌づつみ」「舌つづみ」という看板写真をお送りいただいた、松本稽古場のKさんより。

    こんな看板を見たら、逆にキョロキョロ見回してしまいそうです。

    これは京大宝生会の学生より。京都の宿で「花月」ならばそんなに珍しくないなあ、と最初は思ったのですが、よく見ると読みが「かげつ」でなく「かづき」でした。

    ローマ字は「KADUKI」が正しいのでは、と思ったのですが、これは「KAZUKI」でも良いようです。

    こちらも京大宝生会の学生より。
    能「羅生門」のシテの鬼は、顰(しかみ)という面をかけた男の鬼です。なので、「店名が羅生門なのに般若は無いだろう」と思ったのですが、日本昔話の「羅生門の鬼」の話では、鬼は若い娘や老婆に化けています。

    元々は女の鬼だったのかもしれません。

    という訳で、色々興味深いので採用させてもらいました。

    こうやって色々紹介させていただくと、学生の頃毎日聴いていたラジオのDJのような気分です。

    「それではここで一曲。近藤乾三師で”勧進帳”です、どうぞ!」とか出来たら、より楽しいのですが。。

    また皆様からの作品や写真が集まったら、ご紹介させていただきます。今日はこの辺で。

    1件のコメント

    赤とんぼ

    私が「夏の終わり」をしみじみ感じるのは、例えば

    ・草叢で秋の虫の声を初めて聴いた時。

    ・赤とんぼが飛んでいるのを初めて見た時。

    ・ツクツクボウシの声に気付いた時。

    などなどですが、今年の場合「秋の虫の声」は早々と8月上旬に聴きました。

    そして、今朝は東京で初めて赤とんぼが沢山飛んでいるのを見たのです。これはやはりしみじみと「夏が終わっていくなあ」と思いました。

    そして例のごとく、能に「赤とんぼ」は出て来ただろうかと考えて、調べてみました。

    するとやはり面白いことがわかりました。

    とんぼは漢字で書くと「蜻蛉」ですが、これは「かげろう」とも読むのですね。

    どうやら中世の日本では、「とんぼ」と「かげろう」は「翅が薄くてフワフワ飛ぶ虫」として、同じくくりで認識されていたようなのです。

    そういえば平安時代に書かれた「蜻蛉日記」は「かげろうにっき」です。

    能においては間接的ですが、能「源氏供養」の中で源氏物語の帖名として「蜻蛉」が出て来ます。読みは「かげろう」です。

    ところが、ややこしいのは古代には「とんぼ」の事を「秋津」と呼んでいて、日本の形がとんぼに似ているので、日本国土を「秋津州」「秋津島」と称しているのです。

    「秋津」は能にもよく出てくる単語で、例えば能「岩船」の後シテは「我は〜秋津島根の龍神なり」と謡っています。

    「とんぼ」は「秋津」で、「蜻蛉」は「かげろう」…。

    これまた脳内整理が難しい問題です。。

    どなたか詳しい方がいらしたら、明快な区別を教えてくださいませ。

    さてこの次は、ツクツクボウシの声を聴くのがいつになるのか楽しみです。

    1件のコメント

    大文字の思い出

    今日8月16日は、京都では「五山送り火」が行われます。

    私は「五山送り火」そのものよりも、送り火が焚かれる「大文字山」に、とても沢山の思い出があります。

    大文字山に最初に登ったのは、京大に入学してすぐの春の頃でした。

    始まったばかりの授業の冒頭で講師が「君達、京都は今最高の季節です。私の授業などに出ている暇があったら、何処か行って来なさい」と言って、真っ先に教室を出て何処かに行ってしまいました。

    そこでかねてから登ってみたかった大文字山を目指した訳です。

    何の情報も無く、ただ見えている「大文字」を目標に銀閣寺の裏手にまわると、登山口がありました。当時其処には馬小屋があって、林道を馬が歩いていて仰天しました。

    山道は分かりやすく、中尾城跡を過ぎて長い階段を登ると、30分程で大文字の火床に出ました。

    最初にあの景色を見た感動は、いまだに忘れません。

    京都盆地の端から端までが眼下一杯に広がる、正に大パノラマです。

    そしてすぐそこに京大のキャンパスも見えて、「こんなに素晴らしい眺望を見ないで、みんな授業を受けているのか。何と勿体無い」と妙な優越感に浸って、暫し火床で過ごしました。

    その後、数限りなく大文字山に登りました。

    1人で登り、京大宝生会の皆で登り、夜に登って100万ドルの夜景を楽しみ、冬に雪が積もればまた登り…。

    夜中にライト無しで登る時もありました。「真の暗闇」というものを初めて知り、夜の山に満ちる何とも知れない「畏れ」を感じました。

    能楽部で登る時には勿論山上で謡ったり、笛に合わせて舞ったりもしました。

    最近は京大宝生会の新歓企画で夜に登って、大文字で鍋を囲むということもしているそうです。

    「鴨川デルタ」「百万遍」などと並んで、京大生の大学時代の思い出に欠かせない存在である「大文字山」。

    今夜は私は東京ですが、京大を見下ろすように聳えるあの大文字山に、20時頃に火が灯るのを、想像しながら過ごそうと思います。

    面白写真  お盆編

    今日は面白写真シリーズです。

    能には関係無いか、たまに微妙に関係ある程度です。。

    4月に「開花宣言」というブログで紹介した上野駅構内のパンダ達が、夏祭りバージョンになっていました。そしてよく見ると…

    こちらのパンダにも赤ちゃんが生まれていました!

    上野動物園のパンダの赤ちゃんは今生後2ヶ月だそうです。御披露目が待ち遠しいですね。

    次は「何がメインのお店なのかわからない…」というお店をいくつか。

    お酒がメインなのか、お茶がメインなのか…?

    コーヒーショップにあえてこの店名…。

    飲みながら英会話レッスンをするのでしょうか。

    私が行くと、飲み過ぎて翌朝レッスン内容を忘れている恐れありです。。

    お次は某「世界の○○ちゃん」にて。

    お馴染みの「世界の○○ちゃん」社長ですが、京大生より、この格好だと某師匠に似ているとの指摘がありました。


    元はこうですが、コートと帽子を被ると…

    確かに似てますね!

    最後に電車で見かけたポスターです。


    これは読まなければ!京大の上回生も必読ですね。

    今回はこの辺で失礼いたします。