3日ぶりに謡うと…

昨日までの3日間、つまり5月4〜6日は全く謡を謡わない3日間でした。

三重県の実家で能とは関係ない家の色々な用事で動いていたのです。

こんなに長い時間謡わない事は滅多にない事です。(覚え物のために謡本は開いていましたが…)

今日は終日リモート稽古の予定でしたので、3日ぶりに謡を謡いました。

3日喉を休めたので、喉の調子が良くなっているのか、或いは逆に謡わない事で感覚が鈍っているのか。

謡ってみるまでわかりませんでした。

そして最初の稽古で謡い始めてみると…

まあ全然普段と変わりませんでした。。

3日くらいでは良くも悪くもそんなに影響はないようです。

しかし思い返してみると、去年は今頃から喉の調子が悪くなり、夏頃まで3ヶ月ほど全く声が出なくなってしまったのでした。

今年は今のところ普段通りなので、気をつけてこのままの調子を保っていこうと思います。

実家にて

今日は三重県久居の実家に来ております。

今後ちょっとブログが休みがちになる可能性がありますが、私は全く変わらず元気にやっております。

遠く見える「布引山」。

布を引いたような平らな山は、今日も優しい表情で私を迎えてくれました。

裃の手伝い

“裃(かみしも)”を着るのは、特別な舞台の時です。

今日は綾部での会の最後に辰巳満次郎師の番外仕舞「三山」があり、そこで裃を着ました。

裃はひとりで着るのがちょっと難しいのです。

字の通り”上”と”下”に分かれています。

先ず”上”を羽織った後に”下”を普通の袴と同じように着るのですが、この時に”上”の背中部分が邪魔になり、誰かが背中部分の布を持ち上げてくれていると助かるのです。

内弟子時代にはこの裃を何とか自分一人で着られるように練習しました。

楽屋の人員が裃の補助で結構削がれてしまうのです。

その頃は補助に来る人を、

「あ、俺は大丈夫だから楽屋の仕事して!」

と断っていたのですが、最近は逆に断らずに手伝ってもらう事が多くなりました。

今日も若手に手伝ってもらいながら裃の着け方を教えたりして、そう言えば私も昔、先輩の裃の補助をしていた時に、

「君、そんなに引っ張ったら格好悪くなるから駄目だよ」

と、逆に邪魔になって怒られて反省したのを思い出しました。

裃を着用する舞台はとても華やかですが、楽屋ではその着付けでまた色々な学びと修練が必要なのです。

亀岡の花々〜杜若のイメージトレーニング〜

昨日亀岡稽古に行くと、つい先日満開だった「牡丹」が早くも葉っぱだけになっておりました。

入れ替わりに咲いていたのが、”顔佳花(かほよばな)”とも呼ばれるあの花…

「杜若」です。

今年もちょうどいい時期に再会することが出来ました。

毎年のように見るのですが、今年も亀山城跡のお堀に無数の紫色の点が散らばっているのを見ると、

「おおっ…!」

と思わず感嘆の声を上げてしまいました。

私にとって今年の杜若にはまた特別な意味がありました。

実は来年の澤風会で能「杜若」が出る予定なのです。

そしてこの亀山城跡の杜若は、三河の沢から移植されたもので、正に能「杜若」に出てくる花と遺伝子的にも同じものなのです。

来年に向けてこの「杜若」をじっくりと見て、「イメージトレーニング」をいたしました。

あまりに綺麗だったので、来年に能「杜若」のシテを勤める予定の方にも写真を送って

「イメージトレーニング」をしてもらうようにお願いしたのでした。

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佐藤孝靖先輩のこと

私が京大宝生OB会の集まり(主に宴会)に参加する時には、たいていが舞台を終えてからの途中参加になりました。

そんな時、会場に到着すると真っ先に声を掛けてくださるのが佐藤孝靖先輩でした。

「オウッ!澤田クンッ、こっちこっち!」

そして私が席に落ち着くと、

「それじゃあ澤田君よ、ひとつ次の舞台の宣伝も兼ねて、一言お願いしますよ!」

と自然に宣伝の機会を作ってくださいました。

私だけでなく、久しぶりにOB会に来られた方などにも、

「オイッ、○○君!久しぶりに謡ったにしては中々に味のあるワキだったよ!何か感想を一言!」

という風に、チャキチャキとした中にも細やかな心配りと親愛の情が感じられる独特の口調が大変魅力的でした。

佐藤先輩の軽妙な仕切りで、京大宝生OB会の宴会はいつも笑いの絶えない楽しいものになりました。

私の舞台や澤風会大会の折には、毎回佐藤先輩が京大宝生OB会の皆様の参加の取りまとめをしてくださいました。

またコロナ禍で能楽師の仕事が激減した時には、「zoomでの団体稽古を試験的にしてみませんか?」と何人かのOBの皆さんを集めてzoom稽古を設定してくださり、おかげ様で何とか生活を維持する事が出来ました。

この1月に私が「翁」を勤めた時にも、これまでと変わらずにチケットの取りまとめから後席まで全てを取り仕切っていただき、久々に大勢のOBの皆さんとの楽しい後席になりました。

そのすぐ後に、入院手術をされることになったと伺いました。

それでも3月末には、退院が決まったというお元気そうなメールを拝読して、また次のOB会でお会いするのを楽しみにしておりました。

しかし一昨日のこと、佐藤先輩が御自宅で眠るように息を引き取られたとの報せを受け取り、未だ信じられない思いでおります。

4月半ばに退院された後は、6月のOB会での復帰に向けて、気合を込めてリハビリに励んでおられたという事です。

京大宝生会の精神を正に体現されたようなお人柄と人生を、最後の最後まで全うされた偉大な先輩でした。

きっと今頃は、

「イヤァどうも!お久しぶりです!」

と小川先生や植田竜二先輩などと、あの軽妙な口調で楽しくお話しされている事でしょう。

心よりご冥福をお祈りいたします。

また誠にありがとうございました。

医大生と能楽

自治医大宝生会の学生さんと話していた時の事です。

6年生で実際に病棟で実習があり、色々な事情を抱えた患者さん達をたくさん見て、しんどくなった事があったそうです。

その時に、能の事を思い出して、

「医師は”ワキ方”に徹すれば良いのだ」

と考えて気持ちが救われたというのです。

ワキ方は、まずシテに話しかけます。

そして、シテの出身地を聞いたり、外見上の特徴を指摘してその理由を尋ねたりします。

するとシテは詳しい身の上話をワキに語ります。

身の上話や悩み事を聞くと、大抵はそれに対して何かアドバイスを与えたりするでしょう。

しかし能楽に置けるワキはそれを聞いても、すぐにシテに影響を与える立場にはならず、最後の方までひたすら聞き役に徹します。

自治の学生さん曰く、

「ワキとシテの間には一本線が引かれていると思います。

一方でシテとツレは同じ立ち位置で繋がっていると思います」

なるほど確かに。

ワキがお医者さん、シテが患者さんで、ツレが患者さんの御家族とします。

医師がワキに徹すれば、過度にシテツレに干渉する事なく、適切な関係を保てるでしょう。

その同じ学生さんは3月の澤風会郁雲会で能「砧」などの舞台を観て、

「このシテの心情は現代の患者さん達と変わらないなあ」

と、そこにも何か救いを感じたそうです。

病棟での実習は命との向き合いの日々で、本当に大変な事ばかりだと思います。

能楽がそういう人の気持ちの助けになるならば、それは私のような能楽師にとって何よりの喜びです。

自治医大宝生会では、普通の稽古とはまた違った意味で、気持ちを込めて大切に稽古させてもらいたいと思ったのでした。

伊勢神宮の舞楽

今日は久々に仕事で伊勢神宮に行って参りました。

実はこの書き出しは、丁度6年前の2018年4月29日の「伊勢神宮の舞女さん」というブログの書き出しと全く同じなのです。

その時は、神楽の時に「舞女」さん達が三宝などを神前に御供えする動きに感銘を受けたという事がブログに書いてありました。

今回も同じように神楽を拝見しました。

やはり「舞女」さん達の作法や、「倭舞」という4人での舞は見事でした。

しかし今回の神楽で特に「これはすごい!」と思ったのは、男性が面をつけて舞う「舞楽」でした。

緑色の面に、黄色を基調にした装束だったと思います。

舞楽の知識は何も無いのですが、舞人の足運びや、浮き沈みする動き、面をかけているのを感じさせないスムーズな移動などを見て、この舞人は名手だろうと確信しました。

後で調べると、今日の舞楽は「高麗楽(こまがく)」を伴奏とする「納曽利」という舞楽だったようです。

動画もいくつか見つけたのでまた見てみようと思います。

そして今日改めて気がついた事がありました。

「倭舞」も「納曽利」も、神様に向けて奉納されるので我々参拝者は舞の大半を”後ろ姿”しか見られない事になるのです。

それでも演者の力量によって、後ろ姿だけで「上手いなぁ」と感じさせる事ができるのです。

能楽もその昔は同じように、見所は横と後ろにしか無かったそうです。

その時代の観客は、今日の私のように”後ろ姿”に感銘を受けたのでしょう。

またもう一つ、「倭舞」も「舞楽」も、参拝者がどんなに感動しても”拍手”をする事はありません。

もちろん神様も拍手はされないわけで、あれだけの技芸を見せた舞人達が、喝采を受ける事なく静かに退場していくのもまた神楽の潔さ、美しさだと感じ入ったのでした。

拝見する度に違うところに感銘を受ける伊勢神宮の御神楽です。

またいつか拝見するのを楽しみにしたいと思います。

昭君の「萩箒」と「鏡台」

昨日の「七宝会」にて勤めました能「昭君」は、「作り物」の扱い方でいくつかの難しい点がありました。

昭君には「鏡台」という作り物が出て、また前シテは「萩箒」を持って登場します。

まず「萩箒」ですが、これは萩の枝を1.5m程の長さに束ねた反りのある箒です。

箒の上から20cm位の所を右手で持って、下端は地面スレスレになるようにします。

この「地面スレスレ」をキープするのが意外に難しいのです。

親指と人差し指で萩箒を強めに握り、残りの指の力の緩め加減で角度を調整します。

しかし謡を謡っているとつい指に力が入って、下端が地面から離れてしまったりします。

また同じ持ち物でも「棹」などは軽いのですが萩箒はちょっと重量があります。

これを20分程ずっと持っているので、うまく力を抜いて持たないと指が疲れて先端が震えてくることがあるのです。

更に難関だったのが「鏡台」の移動です。

前シテは中入の直前に、”常座”に置かれた鏡台を自分で持って”正先”に移動させます。

能面をかけていなければ何という事も無い所作です。

しかし能面をかけると、視界いっぱいに”鏡”が来てしまい、何も見えない状況になってしまうのです。

申合では正先からズレてしまい、本番では鏡台を持つ高さや能面の角度などを微調整して、なんとか狭い視界を確保して無事に置くことが出来ました。

こういった難しさは本番の会場の作りにも左右されたりするので、稽古だけでは乗り切るのが困難です。

当日の開場前に舞台を歩いてみて、五感と知恵を総動員して、なんとか打開策を考えます。

それだけに無事に終わった時の安堵感と充足感は一入なのです。

七宝会「昭君」無事終了いたしました

本日は「七宝会第二回公演」にて能「昭君」を何とか無事に勤めさせていただきました。

ご来場頂きました皆様誠にありがとうございました。

本日の諸々を書きたいところなのですが、「昭君」でほぼ完全燃焼しましたので、また明日以降にさせていただきたいと思います。

鞄の代替わり

私の持ち物の中で、「鞄」は大変重要な位置を占めています。

移動の多い生活なので、鞄の機能性によって旅の快適度は大きく左右されるのです。

収納性、ポケットの数、ファスナーの位置と開く方向、キャスターの数などなど、色々と拘って選んだ鞄は、ある意味で「人生の相棒」とでも言える存在なのです。

その鞄が壊れてしまいました。。

こんな形のキャリーバッグです。

ドイツ製の頑丈な作りで、2輪の大きなキャスターは無茶な引きずり方にもよく耐えてくれました。

この鞄を買った時の思い出があります。

大阪で「道頓」という新作能があった時に、会場の道頓堀に行く途中に”先代の鞄”のキャスターが壊れて、慌てて近くの難波アーケード街の鞄屋さんに駆け込んで購入したのが上のキャリーバッグだったのです。

その難波の「ジャガー鞄店」が大変素晴らしいお店で、私の好みにぴったりの上のバッグとすぐに出会えたのでした。

新作能「道頓」を調べてみると2015年上演だったので、もう8年以上前のことになります。

そして今日。

関西で昼間に時間があったので、難波の同じ「ジャガー鞄店」に足を延ばして、8年ぶりの新しいキャリーバックを購入いたしました。

色々吟味して買って鞄ですが、まだ慣れるまでは時間がかかると思います。

これからの移動の日々の中で、だんだんと「相棒」としての協力関係を築いていきたいと願っています。