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コザの町、叫ぶ人

また台風が来ています。今回は勢力が強いらしく、被害が出ないように祈るばかりです。

私自身は、今日は松本稽古なので雨模様の中を特急あずさで松本に向かっております。

つらつらと台風の経験を思い出してみると、中でも印象深いのが沖縄で遭遇した台風でした。

私は内弟子時代にダイビングの免許を取り、短い休みの時には毎回沖縄に潜りに行っていた時期がありました。

もう10年以上前のある年、近づく台風のコースを気にしながらも無事にダイビングを終えて、あとは帰るだけだと翌朝空港に行ったら、なんと私の便から飛行機が欠航になってしまいました。

日程に1日余裕を持たせていたとは言え、これは困ったことです。。

とりあえず携帯で国際通り近くに宿を確保すると、あとは夜まで何もすることが無くなりました。まだ午前10時です。

空港のバスターミナルに出て、適当なバスで終点まで行ってみようと思いました。

見知らぬ町にバスで向かうというのは、何故知らず気分が高揚します。

目に止まったのが「コザ」という行き先表示でした。

何となく米兵が行き交うエネルギッシュな町、というイメージがあります。

しかし1時間ほどバスに揺られて到着した真昼のコザは私のイメージとは全く異なり、人影まばらな寂しい町でした。

商店街も台風に備えてなのか開いている店はあまりなく、かろうじて見つけた「元祖タコライスの店」という所で美味しいタコライスをいただき、またバスで国際通りまで戻りました。

宿に入ると今度こそする事がなくなり、ベッドでゴロゴロしているとメールが来ました。

今回のダイビングで世話になった、荒くれ男のインストラクター、忍さんからです。

「飛行機どうだった?」

「欠航でした。国際通りの宿にいます。」

返信すると、今度は電話が。

「海見に行こうや」

「いやいや、危ないですって!やめましょう!」

「絶対安全な場所があるから!これから車で迎えに行くよ」と言って電話は切れました。

忍さんは、ゴマモンガラ(気性が荒い魚)の模様をデザインした名刺を持っていて、本人も何となくゴマモンガラのイメージなのです。

忍さんの車で、空港近くの大きな橋に向かいました。

橋は高い所にあるので、路肩に停めた車内から、確かに安全に荒れ狂う海を見ることが出来ます。

驚いたことに、我々の車の側で外国人男性が1人、車外に出て橋の欄干に掴まり、シャツと髪を強風にはためかせながら海に向かって何か叫んでいました。

それを見た忍さん「お前もあれやってみるか?」

「絶対いやです。」

それから夜までをどう過ごしたのか、晩御飯を忍さんと食べたのかどうか、全く記憶に残っていません。

というか、その旅はダイビングの記憶も何故か殆ど無く、寂しいコザの町と、荒れ狂う海に叫ぶ外国人だけが今も強く印象に残っている、不思議な旅だったのです。

台風のことをつらつらと考えるうちに、特急あずさは甲府までやって来ました。

重ねて今回の台風の被害が少ないことを祈りつつ。

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夜討曽我の鬼王

今日は水道橋の五雲会にて、能「夜討曽我」のツレ鬼王を無事に勤めて参りました。

「夜討曽我」は7年前に京都において、チーム京大宝生会で思い出深い舞台を経験しております。

また私自身が鬼王を勤めるのも2回目で、稽古では山ほどやっているのですが、やはり本番に直面すると色々考えて緊張してしまいます。

特に本番だけでやる所作の「素襖の片袖を脱いで、また元に着直す」というのが、舞台上でスムーズに行くかが最大の問題でした。

「舞台に立つ時は緊張感を持って」とは良く言われることで、当然のことと思うのですが、一発勝負の所作をする場合には、むしろ「いかに緊張せずに静かな心持ちでいられるか」が大切なように感じます。

落語の古今亭志ん生師匠が高座で居眠りをして、それをお客様もあたたかく見守っていたという話を聞いたことがあります。

高座でそこまで弛緩出来るのは志ん生師匠ならではと思いますが、舞台上で「緊張」しながらもどこかで「リラックス」というか、「心に余裕を残しておくこと」が必要なように思います。

今日の舞台もまた勉強することが沢山ありました。

因みに来年5月には、今度は私がシテの能「夜討曽我」があります。

今日の経験も活かして、また良い舞台を作って参りたいと思います。

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隙間花壇  9月

今朝久々に隙間花壇に新しい花を見つけました。


まだまだ勢いのあるオシロイバナの向こうに、特徴的な赤い花が。


ヒガンバナでした。

葉っぱも無しに地面からいきなりズイッと伸びた茎の先端に、真紅の大きな花がひとつだけ咲く…と認識していたのですが、これは5〜7個の花が放射状に固まって咲いているそうです。

それにしても、インパクトのある立ち姿です。

その凄みさえ感じさせる外見から、あまり良くないイメージも持たれている花ですが、お彼岸の近い9月のこの時期。

列車の車窓などから、田圃の畦道がヒガンバナで赤く染まっているのを見るのは、また季節が深い秋へと進むのをしみじみ実感させてくれます。

埼玉県高麗の巾着田には、なんと500万本のヒガンバナが咲くそうです。

しかし「隙間花壇」のヒガンバナは「2本」…。何しろ隙間ですからね。

このくらいの本数が、この花にはちょうど良い気もします。

また、日本に無数に咲くヒガンバナは、何と総て遺伝的に同一の個体だそうです。

稲作の伝来と共に大陸から来たという、その時のままの個体を今自分が見ているということになります。

ヒガンバナにもまた、悠久の時間の流れを感じてしまいました。

ウエストサイドストーリー

9月も半ばになると、高校の時の文化祭を思い出します。

私の母校である都立富士高校の文化祭は、「演劇祭」と呼んだ方が良い程に、各クラスがハイレベルな演劇を出すのが特徴でした。

そしてもう一つ、3年生による本格的な「ミュージカル」が出るのも目玉だったのです。

ところが私の学年はなかなかミュージカルの話がまとまらず、最後にたったの3人だけ「どうしてもやりたい!」という人間が残りました。

歌と踊りの得意な蓮さんは総監督。

甘いマスクで演劇部の末永くんが主役。

そしてやる気はあれど歌も踊りも演技も出来ない私は「総責任者」という曖昧なポジションに収まって、3人で人集めに奔走しました。

キャスト、オーケストラ、大道具、衣装、脚本、メイクなどなどの多彩な才能が学年を超えて100人、何とか集まって、ミュージカル「ウエストサイドストーリー」が始動したのです。

ウエストサイドストーリー。ロミオとジュリエットの舞台をマンハッタンに置き換えた、とても美しくとても悲しい、たった一晩の物語です。

キャストは互いに「トニー」「マリア」「ベルナルド」「ベビージョン」などと普段から呼び合い、我々の夏休みは「ウエストサイドストーリー」一色に染まっていきました。

学校のそばにある、神田川脇の公園。

夕暮れ時になると、部活や夏期講習を終えた「ジェッツ」や「シャークス」のキャスト達が、一人また一人と、まるでウエストサイドのオープニングそのもののように集まって来ます。

私が家から持って来たぼろいラジカセから流れるバーンスタイン指揮の「アメリカ」や「クール」などの曲に合わせて、蓮さん指導による稽古が始まりました。

すっかり日が暮れて、公園の街灯だけに照らされて一心に踊る仲間達。

それを見守る他のパートのチームの眼がキラキラと輝いて見えます。

それらの姿を見て私は「美しいなあ」と心から思いました。

私が世の中で「本当に美しい」と思う物事の基準は、この時この瞬間に形成されたと言っても良いくらいです。

そして、少しだけ「自分も歌や踊りや演技が出来たら良いのになあ」と思いました。

皆と一緒に踊れたら、もっと美しい景色が見られるのではなかろうか。。

あれから幾星霜を経て、私は「うたって、舞って、演技をする」仕事をしています。

今から思えば、あの「ウエストサイドストーリー」を見ているだけだった経験が、私を能楽の、舞台の世界に向かわせる原動力のひとつになった気がするのです。

いつかどこかでチャンスがあれば、ミュージカルの舞台も経験してみたい…などと、これまた大それたことを密かに思ったりしております。

院展に行って参りました

この度、上野の東京都美術館で開催されている「院展」に行って参りました。

実は澤風会田町稽古場の森田さんが日本画家で、毎年「院展」に出品されているのです。

昨年初めて券をいただいて行ってみたのですが、絵心の皆無な私にも明確にわかる程に素晴らしい作品が無数に展示されていました。

しかし昨年は閉館直前に行って駆け足で見て回っただけでしたので、今年は少し余裕を持って出掛けました。

会場に入ると、今年もやはり素晴らしい大作がずらりと展示されています。

その中の一枚の絵にふと心を奪われた私は、しばしその絵の前に茫然と佇んでしまい……と、いうような豊かな感受性を持ち合わせていない私は、「なんだかみんなすごいなぁ」などという曖昧な感想のまま、無限に続く絵の行列の前をふらふらと歩いていきました。

異国の街角、寂しい無人駅、飛翔する鷲、月夜に揺蕩う海月、眠る母娘、真夏の光射す森の道、南国の青い海、誰かの心の中、遺跡に住む猿達、平安貴族の春秋の御遊、象の親子、長崎の夜景、松明を持った修験者達…

これらの絵が掛けられている展示室は不思議な構造をしています。

大小幾つかの部屋がまとまってひとつの大きな区画を構成していて、その区画の出口の先には全く同じ構造の次の区画があり、またその先にも次の区画が現れ…というように、まるで同じ道を何度もぐるぐるまわる「リングワンデルング」に陥ったように感じます。

森見登美彦の小説に、京都祇園祭の路地を何度もぐるぐる回っているうちに、宵山の奥の奥にある異界に取り込まれていってしまう姉妹の話がありましたが、丁度そんな感覚でした。

無数のイメージの奔流に晒されて、このまま終わりなく「院展」の世界をぐるぐる回り続けるような錯覚を覚えながら絵の間を逍遥するのは、しかし大変心地良い時間でした。

それにしても、能楽のような再現芸術とは違って、全くの「無」から素晴らしい「作品」を生じさせる画家の人達は、一体どんな想像力を持っているのか不思議でなりません。

風景画にしても、無限に広がる世界の中から絵にするべき一画だけを的確に「切り取る」能力が必要です。

これらの「創造力」とでもいう力は、考えてみると最初に「能楽」を作った室町時代の人達は持っていたはずです。

しかし今の自分には「創造力」は全くありません。。

「絵を描く」という行為は、中学時代の美術の授業以来縁遠くなっているのですが、これはいつか自分も絵を勉強して、「創造力」の欠片でも身につけたいなあなどと、大それたことを思いながら「院展」の迷宮を抜け出して現実世界へ戻って来たのでした。

森田さんありがとうございました。夏から秋へと移ろう生命を描いた森田さんの作品には、今年も大変感銘を受けました。

会期はまだ続いています。「院展」皆様にもおすすめいたします。

桜井市民会館にて

今朝9月12日は信州松本で目覚めたのですが、携帯のニュースを見ると奈良で豪雨が降って、桜井市にも避難勧告が出たとか。

バスツアーで行った辺りは大丈夫だったのか心配です。。

その9月9日にあった「能楽師と周るバスツアー」は、桜井市民会館に到着して皆さんをホールの座席に御案内したところでなんとか無事終了いたしました。

私はツアコンから能楽師に戻って、急いで楽屋へ。

今度は「桜井外山座宝生流〜能の故郷公演〜」に出演するのです。

宗像神社では翁に続いて仕舞「高砂」を奉納された辰巳満次郎師による、仕舞「三山」。そして京都茂山家の狂言に続いて、最後には再び宝生和英宗家の能「三輪」という番組です。

天香久山、耳成山、畝傍山の「大和三山」がすぐ間近にあるこの地で舞われる仕舞「三山」。

そして先程参詣したばかりの大神神社周辺が舞台の能「三輪」。

朝からの宗像神社→多武峰→大神神社というツアーを経て舞台に臨むと、体験してきたばかりの光景と、眼の前で展開される能のシーンが奇妙にシンクロして、不思議な既視感を覚えました。

能「三輪」が終わったところで扇を置くかと思いきや、附祝言「五雲」がありました。

朝一番のバス車内での附祝言「五雲」鸚鵡返しから始まったこの日を、最後にまた「五雲」を謡ってめでたく締めくくれた訳です。

帰りの近鉄電車のホームで、東京から来られた3人組のお客様に声をかけられました。

それぞれ別の先生に宝生流を習っておられるのとこと。

また今日は他にも、遠くは熊本や、富山、福島などからいらした方々から「私は○○先生について宝生流を稽古しております。今日は宝生流発祥の地をひと目見たいとやって参りました。」とお声をかけていただきました。

普段はなかなか一堂に会することのない全国各地の流友が、今回のツアーと公演のおかげで宝生流発祥地にて集まることが出来たのです。

今後これらの方々に何処かの舞台でお会いした時に、「あの時のバスツアーに参加していたのです!」などと思い出話が出来る日が、きっと来ることでしょう。

私自身にとっても色々と貴重な経験を積むことが出来、また嬉しい御縁の沢山出来た今回の宝生流故郷公演でした。

関係者の皆様どうもありがとうございました。

大神神社にて

能楽師と周るバスツアーは、多武峰を発って今度は「大神神社(おおみわじんじゃ)」へと向かいました。

「大神」と書いて「おおみわ」と読む読み方は、古代に定められた読み方が現代まで伝わっているということで、ここは日本で最も古い神社のひとつなのです。

私にとっては今回のツアーで唯一、これまで何度も訪れたことのある地でした。

実は大神神社参道のすぐ横にある三輪素麺の有名店「森正」の店主森さんが、澤風会の会員なのです。

お店があまりに忙しく、お稽古は仕舞「三輪キリ」の途中でちょっとお休み中なのですが。。

その御縁で、数年前に澤風会の一行で大神神社を案内していただいたことがありました。

鳥居の起源を想像させる神秘的な結界「三ツ鳥居」を拝見させていただき、また御神体である三輪山に登拝させていただいたりしました。

その後も京大宝生会の葛城能合宿の時に訪れたり、初詣をしたりと何度もお参りさせていただいております。

それらの訪問の時、普段はそんなことを全く感じない私でも、「人知を超えた存在に見守られている」という不思議な感覚を味わう出来事が何度かありました。

そして今回久々に訪れた大神神社。

夕方の公演がある為にあまりゆっくりした時間がとれませんでしたが、参拝だけはしっかりしようと参道の階段を登りました。

土曜日で参拝客は多かったのですが、巨木の立ち並ぶ参道から、一転して明るい陽の降り注ぐ拝殿にかけて満ちている荘厳な空気感には、やはり圧倒されました。

能「三輪」で玄賓僧都の衣が掛けられていた「衣掛の杉」を見て、参拝を済ませて参道を降りていくと…

「澤田先生!」

なんと鳥居の脇に「森正」店主の森さんがわざわざ出てきてくださいました!

「夕方の公演、時間がとれたら観に行きますね。」

「ありがとうございます。紫明荘にもまたいつでもお稽古いらしてください!」

「そうですね💦アハハ…。」

森さんの変わらない笑顔に見送られて、バスツアーはいよいよ最終目的地、桜井市民会館へと出発。

大神神社参道横にはなんと新しく能楽堂が建てられるとのことで、その工事が始まっていました。

大神神社と能楽が、今後益々強い御縁で結ばれていくと良いと思います。

桜井市民会館での公演の模様はまた次回にさせていただきます。

多武峰にて

外山の宗像神社にて、宝生和英宗家の能「翁」奉納を見学した「能楽師と周るバスツアー」一行。

時間が押し気味なので、次の目的地「多武峰・談山神社(とうのみね・たんざんじんじゃ)」へと急いで出発しました。

「多武峰」に於いては室町時代に「八講猿楽」が行われていて、結崎座、坂戸座、円満井座、外山座(後の宝生流)の「大和四座」が交代で出勤していたそうです。

この出勤を怠ると、「罰金」や「追放」などの厳しいペナルティが課せられたということです。

能楽の黎明期の楽師達は、何となく自由で大らかな活動をしていたと想像していました。

しかし現実には座の中に厳しい戒律があり、また「田楽」などのライバルにも囲まれて、現代の我々よりも縛りの多い大変な毎日を送っていたようです。

「多武峰」に向かう道は完全に山道で、1.5車線のヘアピンカーブが連続していました。

紅葉の時期は大渋滞になるというのも頷ける道です。

多武峰に到着すると、先ずは昼食会場のある「多武峰観光ホテル」へ。

「素麺」や「鮎の塩焼」など、地元の名物が満載の豪華な昼食の後、参加者の皆さんは三々五々談山神社の見学に向かわれました。

私はと言うと、何人か観光ホテルに残ってゆっくりされている方々に付いて、神社は遠目に眺めて満足いたしました。

添乗員ですからね。(実際は夕方の舞台に向けて、体力の温存…)

因みに繰り返しですがこれは「能楽師と周るバスツアー」なので、私の格好は朝に京都の宿を出た時から「紋付袴」です。

紋付袴でホテルで立っていたら、従業員の方に声をかけられました。

「宗像神社でお能を奉納されて来たのですよね。私は外山の人間で宗像神社の氏子なのです。回覧板で神社に手伝いに行くように言われたのですが、このツアーがあるので今日はホテルに出勤したのです」とのこと。

そう言えば、宗像神社の境内には法被を着た氏子さんが沢山いらして、色々なお手伝いをしてくださっていました。

今回の奉納は、地域の皆さんのご協力で成り立っていたのだと、大変有り難く思いました。

外山も多武峰も、私はこれまでは殆ど訪れたことのない地域だったのですが、今回のことで御縁が出来たので、是非また度々来てみたいと思いました。

「多武峰観光ホテル」でお話しした従業員さんにも「今度は観光ホテルに泊まりに来ます!」と約束してお別れしました。

そしてバスツアーは次の目的地「大神神社」へ。

続きはまた明日にさせていただきます。

宝生流発祥の地・外山にて

今から600年と少し前に、奈良県桜井市の「外山(とび)」という所で「能楽宝生流」は誕生しました。

初代宗家蓮阿弥は、諸説ありますが世阿弥の弟とされています。

そして宝生流が生まれた地「外山」にある宗像神社の境内に、「能楽宝生流発祥之地」の石碑が昭和36年に建立されました。

今日は第20代宝生和英宗家がその宗像神社にて、能「翁」を奉納されるという記念すべき出来事がありました。

私はと言えば、今日は下のようなツアーの所謂「ツアーコンダクター」をいたしました。


…「能楽師と周る」の能楽師が、一応私だった訳です。。

このツアーには勿論、宗像神社での「翁」奉納の見学が組み込まれていました。

バスの中で宝生流オリジナル附祝言「五雲」の鸚鵡返しをしてから、いざ宗像神社境内へ。

翁の後に境内にいる全員で「五雲」を謡いました。

私は「翁」には参加しませんでしたが、宝生流発祥の地で謡う「五雲」は大変良いものでした。

また何とツアーには、生後間もない宗家のご長男、知永さんも参加されて、私のすぐ横で「翁」を大人しくご覧になりました。

宝生流の発祥から現在までの遥かな歴史を感じるこの場所で、宝生流の未来に繋がる小さな瞳がじっと「翁」を視ているのです。

私は得も言われぬ感動を覚えました。

ツアーは宗像神社の後も続いたのですが、続きはまた次回。今日はこの辺で失礼いたします。

七宝会重陽公演

今日はこれから香里能楽堂にて「七宝会重陽公演」に出演いたします。

二部制で第一部は舞囃子「枕慈童」と能「井筒」、第二部は舞囃子「小督」と能「船弁慶  後ノ出留ノ伝」です。

私は小督以外の地謡を謡います。

この中で能「船弁慶」には「後ノ出留ノ伝」という「小書」が付いています。

「小書」とは、特殊演出のことです。

能には小書が付く曲目が沢山ありますが、実は宝生流は五流の中では小書が少ない流儀なのです。

しかしその分、たまに付く小書は面白いものが多いです。

「船弁慶  後ノ伝留ノ伝」を初めて観たのがいつなのかは覚えていないのですが、鮮烈な感動を覚えたことは記憶しています。

・謡の速さを数箇所変化させる。

・シテの登場シーンと退場シーンを変化させる。

大まかにはこれだけの特殊演出で、特に大掛かりな作り物などもありません。

それなのに、通常演出とは印象が全く変わってしまうのです。

元々が究極的にシンプルな構成の能楽だからこそ、シンプルな変化で最大限の効果があるのでしょう。

通常演出の「船弁慶」を観たことがある方は勿論、先ず「後ノ伝留ノ伝」を観て、後日通常演出を観ても逆の感動があると思います。

「船弁慶」以外のプログラムも勿論お薦めです。

ご都合が合う方は、どうか本日の七宝会にお越しくださいませ。

よろしくお願いいたします。