金剛能楽堂15周年記念公演

本日は京都にて、金剛能楽堂15周年記念公演がありました。

観世流、金剛流、金春流の御宗家による能「翁 弓矢立合」と、宝生流御宗家、金剛流若宗家、金春流若宗家による能「正尊」などが華やかに演じられました。

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これだけの流儀が集まると、楽屋でも色々興味深いことがありました。

例えば装束の種類、柄、着付けの仕方などは、流儀によって驚くほど違うのです。

装束部屋で異なる流儀が同時に装束を付けながら、「その水衣の下の法被は、やはり僧衣の下に甲冑を着込んでいるという意味でしょうか?」などとお互いに興味津々で質問をしあったりしていました。

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同じ能楽をやっておりながら、シテ方同士が楽屋でこのように交流するのは意外に珍しいことで、とても良い勉強をさせていただきました。

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また私は舞台では能「正尊」の立衆を勤めました。

切り組の最後はいわゆる「欄干越え」で、舞台から橋掛りに向けて決死のジャンプをいたしました。

少し装束が柱に引っかかってヒヤリとしましたが、何とかギリギリで欄干を越えることが出来ました。

山内崇生さんの「仏倒れ」は実に見事に決まって、流石だと感服いたしました。

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宝生流、金剛流、金春流の御宗家、若宗家の御三方は、年齢的に近い世代です。

緊張感の漂う中にも和やかな雰囲気で楽屋でお話しされていたのがとても印象的でした。

今回のような各流合同による舞台の試みは、互いの流儀の為に、また能楽界全体の結束の為にも、大変貴重な機会なのだと感じました。

金剛御宗家若宗家を始め、金剛流の皆様色々どうもありがとうございました。

能「雲林院」を巡る謎

先日、能「雲林院」関して読者の方からいただいたコメントで、「雲林院のサシクセは源氏物語のエピソードを土台にしていると聞きます。ということはここは光源氏の気持で舞うのでしょうか?」というのがありました。

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能「雲林院」に関して勉強する中で、このコメントについても色々調べているのですが、実は調べる程に謎は深まるばかりなのです。

何が謎なのかと言いますと、

「在原業平」、「光源氏」、「伊勢物語」、「源氏物語」という4つのキーワードの関係性です。

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①「在原業平」は「光源氏」のモデルの一人である。

②「伊勢物語」は「源氏物語」に大きく影響を与えている。

という説を先ず読みました。

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そうすると、

◎「在原業平の気持ち」と「光源氏の気持ち」というのは、前者が後者のモデルの一人である以上、重なる部分が大きい。

そして、

◎伊勢物語を題材にして作られた能「雲林院」の中に、源氏物語から借用された部分があるが、その源氏物語はそもそも伊勢物語の影響を受けている。

と考えることが出来て、「雲林院」のサシクセの部分だけ大きく気持ちを変化させる必要は無いように思われます。

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しかし更に調べると実は「伊勢物語」の主役が「在原業平」であるとは、伊勢物語の作中では一言も述べられていないそうです。

そうなると①の説が揺らいで来る気がします。

つまり、「光源氏」のモデルの一人になったのは果たして「在原業平」なのか、それとも「伊勢物語の主人公」という業平とは微妙に異なる人格なのか、という謎が浮上して来るのです。

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そもそも「伊勢物語」は成立も作者も、また何故「伊勢物語」という題名なのかも明確にはわかっていない謎なのだそうです。

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何となく、「源氏物語」はフィクションで、「伊勢物語」の方はある程度事実に基づいたものであると思っていたのですが、何が現実で何が虚構なのかわからなくなって来ました。。

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現状ではこのように、謎が謎を呼んで絡んだ糸を解こうとして余計にこんがらがるような有様なのです。

本番までにはまだ時間があるので、引き続き色々資料を当たってみたいと思います。

皆様のコメントもお待ちしております。

東京は夏日

今日は東京でも今年初めての「夏日」だったようです。

このくらい気温が上がると、暑がりの私にとっては既に「真夏」に感じられます。

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夜からの田町稽古の前に、先ずは午後に秋葉原から水道橋まで歩くだけで一汗かきました。

更に水道橋宝生能楽堂で能「雲林院」の稽古をしながら汗だくに。

続けて能「正尊」の切り組の稽古では、汗と冷や汗(最後の死ぬ所が冷や汗物なのです…)を両方かいてしまいました。。

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今からこの調子では、本当の夏が思いやられるな…と思いながら田町稽古場に到着すると、18時半ながら部屋には弱い冷房がついていました。

皆さんも今日は暑かったのですね。ちょっと安心いたしました。

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しかし明日からはまた気温が低めに戻るようです。

暫くは服装に気をつけないといけないですね。

2件のコメント

「雲林院」稽古中

来たる4月21日の七宝会でシテを勤めさせていただく能「雲林院」の稽古をしております。

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能「雲林院」のシテは在原業平ですが、他に能「小塩」も業平をシテにしており、また能「井筒」と能「杜若」でも、シテの女が業平の形見の衣を纏って序之舞を舞います。

私はこの何れの曲も舞った事が無く、業平を演じるのは全く初めてです。

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「杜若」や「井筒」では、「男性が女性を演じつつ、その女性が劇中で男装して舞う」という二重の性別転換が難しいと聞いたことがあります。

しかし考えようによっては、その複雑な構造が曲を理解する大きな手掛かりになるとも言えます。

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一方で「雲林院」は業平本人が現れて、二条の后との禁断の恋を感傷的に懐古する、というような内容。

なんと言いますか、ど真ん中ストレート的に高貴で優雅な美男子のお話です。

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舞は「序之舞」。これは女性が舞うことが多い、品位のあるゆったりとした舞です。

また、「作り物」は無し。

「持ち物」は前後とも「中啓(扇)」のみです。

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こうして色々書いてみても、やはり「取っ掛かり」が少ない曲に思えます。

業平のことを色々と勉強してもいるのですが、まだこの「雲林院」という曲に反映させられるようなイメージは出来上がっておりません。

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…という訳で、今は少々苦労している時期なのです。

しかしこれは毎度のことでもあります。ここから3週間かけて舞い込んでいく中で、少しずつ新しい気づきが増えて、イメージが膨らんでいくと思います。

また度々途中経過を報告させていただきたいと思います。

異流格闘技戦⁉︎

能楽のシテ方には、宝生流の他に観世流、金剛流、金春流、喜多流の合計五流があります。

普段は別々の舞台で活動しており、同じ催しであっても、それぞれ別の曲を演じるのが普通です。

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しかし極稀に、いくつかの流儀が一緒になって一曲を演じることがあります。

来たる4月7日に行われる「金剛能楽堂15周年記念公演」では、宝生流、金剛流、金春流の合同で能「正尊」が演じられ、私も正尊方の立衆を勤めます。

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「立衆」とはこの曲においては武者のことで、義経方の立衆と刀を持って闘うのです。

そして今回の義経方立衆は金剛流のお二人。

今日はその合わせをしに、金剛能楽堂に行って参りました。

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刀を持っての闘いを「切り組み」と言います。

この切り組みは、いくつかの決まった技を組み合わせて、舞台の度に新しく作る慣わしですが、今回は少々勝手が違います。

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お互いに知らない技が多いのです。

例えば宝生流の「鎬(しのぎ)」や「二重切り違い」などは金剛流にはないらしく、逆に金剛流の「鍔迫り合い」や「抜き足」という技は我々宝生流は初めて見るものでした。

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これらを何とか擦り合わせて、違和感の無い「切り組み」を作っていくのは、大変なのですが非常に面白い作業でした。

どちらか一方の流儀だけを知っている方がご覧になれば、「おお!そんな風に構えるのか!」「そう切るのか⁉︎」と、色々新鮮な驚きがあると思います。

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正尊方の立衆は、結局最後は斬られてしまうのですが、その「死に様」にも是非ご注目いただきたいと思います。

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4月7日(土)13時半始めの金剛能楽堂15周年記念公演に、皆様是非お越しくださいませ。

よろしくお願いいたします。

道成寺の疲れは…

今日の別会能の「道成寺」も、幸いなことに滞りなく無事に終わりました。

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終わって記念の宴会がありましたが、そこでのシテ當山淳司さんの「道成寺は自分にとって特別な曲でしたが、他の全ての曲もやはり特別だと思います。今後も一層精進いたします」という挨拶もとても印象に残りました。

淳司さんおめでとうございました。

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道成寺は「若手能楽師の登竜門」といわれます。

それは本番だけでなく、その舞台に至るまでのこの曲の「極限状況」を色々と経験することで、やはり一度に何段階も経験値が上がり、また今後の舞台にそれが活かせるという意味かと思います。

今回も別会が近づいてからつい先程まで、シテの色々な気配りをひしひしと感じました。

さぞかしお疲れのことと思います。

なかなか休めない職業ではありますが、可能な限り身体を休めてもらいたいものです。

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…ちなみに私の道成寺の時には、終わって翌日月曜日から一週間の韓国公演という得難い経験をさせていただきました。

おかげさまで道成寺の疲れというのは殆ど感じないで済んだ記憶があります。

それはむしろ身体には良いことのような気もいたします。

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…前言撤回で、淳司さんは明日からも一層頑張って働くのが良いかもしれませんね。。

壇ノ浦の日

今日は3月24日。

3月18日は「屋島の合戦」があった日ですが、今日は「壇ノ浦の合戦」があった日だそうです。

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元暦二年(寿永四年)3月24日に、関門海峡の「壇ノ浦」に於いて義経を大将とする源氏水軍と、知盛率いる平家水軍が激突した「船いくさ」で、ついに平家は滅亡しました。

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この「壇ノ浦の合戦」を巡る様々な出来事や人物が、能楽に描かれています。

今ちょっと思い出しただけでも例えば、

①能「大原御幸」でシテ建礼門院が後白河法皇の前で壇ノ浦での平家滅亡を物語る。

②能「八島」のキリの部分で、シテ義経の霊が壇ノ浦での船いくさの有様を舞って見せる。

③壇ノ浦に沈んだ平知盛の亡霊は、能「船弁慶」で大物浦の沖に出現して、義経を自分と同様に海に沈めようと襲いかかる。

…などなどです。

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また、宝生流には無い曲なのですが、「碇潜(いかりかづき)」という能があります。

知盛の亡霊が壇ノ浦に現れ、合戦の有様を物語った後に碇をかづいて海中に没するという内容の曲です。

私が以前にこの曲を拝見した時には、古い本に基づいた演出だったらしく、これが非常に面白かったのです。

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後半にものすごく大きな船が舞台に出て来て、先ずそこで驚かされます。

そして、後シテ知盛と、ツレ二位尼、ツレ大納言の局、子方安徳帝が一瞬で全員舞台に登場するシーンはまるでマジックのようでした。

全部話すとネタばれになってしまうので、ここまでにしておきます。

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なにせ宝生流には無い曲なので、公演予定など全くわからないのですが、機会があればご覧になる事をおすすめいたします。

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そういえば、6月9日の京都満次郎の会で出る能「熊野」のワキ平宗盛は、壇ノ浦の合戦では捕虜になってしまうのでした。

他にも色々な能に絡んでいそうな「壇ノ浦の合戦」です。

新たに思い出したら、また来年の3月24日に書きたいと思います。

乱拍子の「空白時間」

今日は宝生能楽堂にて別会能の申合があり、私は能「道成寺」の地謡を勤めました。

昨年の「鐘後見」に続いて2年連続の道成寺です。

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道成寺の「乱拍子」は、シテと小鼓だけによって20分以上もかけて行われる「真剣勝負」のようなものだと思います。

今日の舞台で感じたのが、小鼓の流儀によって「乱拍子」の味わいが違うものだなあということでした。

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今回の道成寺の小鼓は「幸流」で、これは私が道成寺を勤めた時と同じ流儀です。

幸流の小鼓の場合、掛け声が非常に短いのが特徴です。

その短い一瞬に全ての気と力を注ぎ込むような、正に裂帛の気合いが込もった「ヨオッ!」という掛け声。そしてその後には完全なる静寂が訪れます。

10秒か15秒か、緊張と不安を覚えるような時間が流れて、なんの前触れもなく次の「ホオッ!」という裂帛の掛け声が。

そして再び長い静寂。

今日その静寂に身を置いて、私は自分の舞台の時の事を思い出しました。

あの時自分では、不思議なことに全く静寂には感じられず、舞台空間に何かがジリジリと音を立てて充満していき、それが飽和状態になった瞬間に「ヨオッ!」という掛け声が来るような感覚を覚えたのです。

幸流の乱拍子はその、何かが満ちて来るような何とも言えない空白時間が良いのだと今日改めて思いました。

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私の舞台の時には、見に来てくれたある京大若手OBが「緊張し過ぎて心臓が止まるかと思いました」と言っていましたが、観客にまでそれ程の緊張感を感じさせる「乱拍子」を始め、やはり道成寺は見所満載です。

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そして明後日の別会能本番は、他にも能「景清」、能「熊野膝行三段之舞」など大変豪華な番組なのです。

チケットは残り少ないと思われますが、皆さま宝生能楽堂にお問合せの上、別会能に是非お越しくださいませ。

「小塩」と「雲林院」

今日は朝に東京を発って亀岡稽古に来たのですが、寒の戻りで非常な寒さでした。

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昨日の原木での花見から一転して暖房にあたりながら稽古したのですが、謡の「小塩」を稽古している時に「あれれ?」と思うことがありました。

前シテの老人が「桜の枝」を持って出てくるところです。

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何故そこで「あれれ?」なのか。

「小塩」の前シテは「在原業平」の化身です。

そして同じ業平の化身の前シテが出てくる能に、私がまもなくシテを勤める「雲林院」があります。

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ところが「雲林院」の前シテは、桜の枝を手折ろうとするワキ芦屋公光に向かって、「花を手折るのは誰だ!」と咎めるような言葉を発しながら登場するのです。

シテはその後暫くの間、和歌などを引きながら花を手折ることの罪深さをワキに説いて聞かせます。

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その同じ人格が、「小塩」では自ら桜の枝を手折って出てくるのです。

「あれれ?」というより、「おい!」と突っ込みたくなってしまいました。

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しかし調べてみると、「小塩」は世阿弥の娘婿である禅竹氏信作、「雲林院」は世阿弥の長男の十郎元雅の作なのですね。

作者が違えば主張も違うということなのでしょうか。

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とは言えこの2人は義兄弟の近しい関係です。

お互いの曲も当然よく見知っている筈。

何か確執でもあったのかな…?と勘繰ってみたのですが、資料では2人は良好な関係だったとのこと。

「雲林院」の方が先に作られたようなので、禅竹氏信が敢えて「雲林院」と異なる設定にして、ニヤリとしていたのかもしれません。

或いは、「在原業平」という人物の解釈の仕方に相違があった可能性もあります。

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色々想像すると興味深いのですが、今のところはここまでしかわかりません。

もっと詳しく勉強して、また新しいことが判明したら書いてみたいと思います。

舞台ラッシュ

何事にも「波」というものがありますが、やはり私の仕事にも明確に「波」があります。

例えば昨年は、3番あったシテが2月「兼平」、4月「百萬」、7月「半蔀」とほぼ上半期で終わりました。

そしてツレについても、昨年10月22日の宝生会別会にて「安宅」の同行山伏を勤めたのが最後で、なんとそれ以降現在まで、かれこれ5ヶ月も胴着を着ていないのです。

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ところが、来月の頭から夏にかけて、今度は立て続けに役をいただく事になりました。

4月7日:能「正尊」立衆(金剛能楽堂15周年記念)

4月21日:能「雲林院」シテ(七宝会麗春公演)

5月3日:能「巻絹イロエ」ツレ(大本みろく能)

5月18日:能「俊成忠度」俊成(興福寺薪御能)

5月25日:能「夜討曽我」シテ(宝生会夜能)

6月9日:能「熊野膝行三段之舞」ツレ(京都満次郎の会)

と、この半年間何もなかったのが今後2カ月で6番の役をいただいたのです。

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更にまた、まだ詳細未定なのですが、夏には私にとって初めての「薪能」のシテを舞わせていただくお話もあります。

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郁雲会澤風会が無事に終わったタイミングで、今度は自分の役に全力投球出来るのは大変に有り難いことです。

ここから暫くは、自らの舞台に力点を置いて日々を過ごしたいと思います。

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とは言っても、もちろん澤風会の稽古も変わらず頑張って参ります。

会員の皆さまにはどうかよろしくお願いいたします。

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また、皆さま上記の舞台を是非とも見にいらしてくださいませ。

こちらもどうぞよろしくお願い申し上げます。