控え目ながら情は深く

今週土曜日の七宝会麗春公演での能「雲林院」が、いよいよ近づいて参りました。

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稽古と並行して、「在原業平」の事を相変わらず色々調べております。

しかしながら、業平や伊勢物語に関する研究などは膨大な量があり、とても私などには消化し切れません。。

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やはり能の世界に限定して、試みにその中で「業平」と「光源氏」とを比較してみると、いくつか興味深いと思われることがありました。

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①業平がシテの能「雲林院」と、光源氏がシテの能「須磨源氏」

②業平の妻だった「紀有恒の娘」がシテの能「井筒」と、光源氏の恋人だった「夕顔」がシテの能「半蔀」

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この①と②をそれぞれ比較してみます。

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まず①「雲林院」では、シテが「在原業平」であるということは必ずしも強調されておらず、シテ自身「昔男」であるとしか名乗っていません。

一方で「須磨源氏」には「光源氏」や「源氏」という単語が頻出しており、後シテははっきりと「我いにしえは光源氏と言われ」と謡っています。

そして「雲林院」では、二条の妃とシテとの恋模様が物語られている一方で、「須磨源氏」では主として光源氏自身の華やかな生涯と出世の有り様が物語られています。

また②の「井筒」では、シテ紀有恒の娘は前半で自分と業平との馴れ初めを詳しく語ります。

そしてクライマックスでは業平の形見の衣装を纏って舞いながら、その面影を思い出して涙を流します。

一方「半蔀」のシテ夕顔も光源氏のことを語りはします。

しかしそれは夕顔と源氏との恋物語というよりは、何か客観的な視点で自分と源氏の行動を別々に描写しているように感じられるのです。

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①②を総合して考えると、

○在原業平は、自分を強くアピールすることはしない。また女性との関係は情が深いもので、相手の女性も業平の事をいつまでも強く慕っている。

○光源氏は、自らの存在と華やかな生涯を自信を持って世に誇っている。一方で女性との関係はどこか冷静な部分があり、相手の女性もどちらかといえば恋愛そのものよりも「光源氏に愛されている自分」の方に喜びを感じている。

というような分析が出来る気がします。

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なにやら「恋占い」の結果のようでもあり、研究者からすると全く的外れな分析かもしれません。。

しかし、この分析による業平の人物像は、なんとなく私には好ましく思われるのです。

今回「雲林院」のシテを勤めるにあたって「自己アピールは控えめで、しかし情は深い男」という人物をイメージしてみようかと思っております。

申合にかかる時間

今日は宝生能楽堂にて、五雲会の申合がありました。

能「金札」「吉野静」「須磨源氏」の3番です。

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能1番にかかる時間は30分程度の短いものから、120分を超える長いものまで様々あります。

しかし、「申合」にかかる時間というのは、実は本番の時間の長短とは全く対応していないことが多いのです。

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つまり、本番と申合がともに50分かかる曲もあれば、本番が90分かかるのに申合は45分で終わる曲もあるのです。

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申合では、いくつか省略する部分があります。

先ず省略するのは「中入」の部分です。これが大方15分くらい。

そして「曲の冒頭〜前シテの出」までも省略することが多いです。この部分も10〜15分ほどあります。

なので、多くの曲では本番の時間から30分を引くと、申合の大体の時間がわかります。

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しかし、中入が無い曲や、曲の最初にシテが出てくる曲などは、本番と申合が殆ど同じ時間になります。

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また省略部分が多い為に予想よりも早く申合が終わる曲もあり、経験則でそういう曲は覚えておくようにしております。

そして正に今日の五雲会申合での「金札」と「吉野静」が、予想外に早く申合が終わる曲だったのです。

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「金札」は、僅か28分で申合が終わりました。

続く「吉野静」も約35分で申合終了でした。

能2番の申合を終えて、約1時間しか経過していなかったのです。

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他の曲では、「岩船」「経政」「禅師曽我」「忠信」「鵜飼」「車僧」など何曲かが、30分前後で申合が終わります。

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申合の日には、前後に予定が入っていることもあるので、この「申合にかかる時間」というのを正しく把握しておくのもまた大事なことなのです。

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ちなみに明後日土曜日の五雲会本番では、能3番と狂言、休憩で4時間かかる予定です。

本番はどうかゆっくりとご覧いただき、「申合ではどこをやってどこを省略したのだろうか?」と想像してみるのも、またひとつの楽しみ方かもしれません。

自然音と能楽

宝生能楽堂の楽屋には何ヶ所かにスピーカーがあって、舞台上の音が聞こえるようになっています。

今日能楽堂に着くと、廊下のスピーカーから「リー、リー」という虫の声が聞こえていました。

立ち止まって暫し耳を澄ませると、さらに「ホゥ、ホゥ」という梟のような鳥の鳴き声も聞こえて来ます。

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普段なら「一体舞台で何事が起こっているのだろう?」と怪訝に思うところですが、今日は「ははあ、成る程ね」とすぐに合点がいきました。

今日は月並能の前に「能プラスワン」があり、ゲストに「自然音楽家」のジョー奥田氏がいらしているのです。

これはジョー奥田氏の録音した自然音に違いありません。

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やがて始まった「能プラスワン」を拝見(拝聴?)すると、先ほどの音は「奄美大島の夜の森の音」ということでした。

そしてもうひと方のゲストは、小鼓方の大倉源次郎先生。

源次郎先生によると、江戸期には奄美大島を越えてはるか八重山諸島まで能楽が伝わった歴史があるとのこと。

その時代には、先ほどのような自然音の中で鼓が鳴らされていたそうです。

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そのイメージで、「奄美大島の夜の森」の音と重ねて源次郎先生が小鼓をうたれました。

御道具も「450年前の胴」と「200年前の皮」の組み合わせ。

正に江戸時代と変わらぬシチュエーションで、宝生能楽堂から一気にいにしえの深い森の中にトリップしたような錯覚を覚えました。

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野外の「自然音」の中での舞台に関しては、私自身いくつか思い出深い経験があります。

佐渡ヶ島の真夏の昼間にあった舞台では、ヒグラシの鳴き声が正に時雨のように舞台に降り注いでいて、それが能と相まってなんとも言えない郷愁を感じさせました。

三保の松原の海岸で開催された薪能では、寄せ返す波の音を聞きながら能「羽衣」と能「乱」の地謡を謡い、乱では猩々が本当に海中から水を滴らせて現れたように思いました。

自然音ではありませんが、興福寺の薪御能で聞こえてくる「鐘の音」もまた実に風情がありました。

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このような経験から、「能楽」と「自然音」は本来相性が良いものだと思っておりました。

しかし今日の能プラスワンで経験したのは、「能楽堂の中で自然音を聴く」ということで、そこにはまた新たな可能性があると感じました。

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例えば、舞台を設営するのが困難な「深い山奥」や「南の島」などで録音した自然音を能楽堂で流しながら能を演ずるとします。

もし自然音のボリュームや照明を適切に調整すれば、今日私が体感したように能楽堂から野外にトリップするような経験が出来るかもしれません。

「上路越の山奥で”山姥”を観る」とか、「冬の葛城山上で”葛城”を観る」というような、現実には不可能なシチュエーションで能を楽しめるとしたら、素晴らしいことだと思うのです。

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「自然音」をどう能楽に活かすか、という命題は、今後時間をかけて真面目に考えていきたいと思いました。

金剛能楽堂15周年記念公演

本日は京都にて、金剛能楽堂15周年記念公演がありました。

観世流、金剛流、金春流の御宗家による能「翁 弓矢立合」と、宝生流御宗家、金剛流若宗家、金春流若宗家による能「正尊」などが華やかに演じられました。

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これだけの流儀が集まると、楽屋でも色々興味深いことがありました。

例えば装束の種類、柄、着付けの仕方などは、流儀によって驚くほど違うのです。

装束部屋で異なる流儀が同時に装束を付けながら、「その水衣の下の法被は、やはり僧衣の下に甲冑を着込んでいるという意味でしょうか?」などとお互いに興味津々で質問をしあったりしていました。

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同じ能楽をやっておりながら、シテ方同士が楽屋でこのように交流するのは意外に珍しいことで、とても良い勉強をさせていただきました。

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また私は舞台では能「正尊」の立衆を勤めました。

切り組の最後はいわゆる「欄干越え」で、舞台から橋掛りに向けて決死のジャンプをいたしました。

少し装束が柱に引っかかってヒヤリとしましたが、何とかギリギリで欄干を越えることが出来ました。

山内崇生さんの「仏倒れ」は実に見事に決まって、流石だと感服いたしました。

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宝生流、金剛流、金春流の御宗家、若宗家の御三方は、年齢的に近い世代です。

緊張感の漂う中にも和やかな雰囲気で楽屋でお話しされていたのがとても印象的でした。

今回のような各流合同による舞台の試みは、互いの流儀の為に、また能楽界全体の結束の為にも、大変貴重な機会なのだと感じました。

金剛御宗家若宗家を始め、金剛流の皆様色々どうもありがとうございました。

能「雲林院」を巡る謎

先日、能「雲林院」関して読者の方からいただいたコメントで、「雲林院のサシクセは源氏物語のエピソードを土台にしていると聞きます。ということはここは光源氏の気持で舞うのでしょうか?」というのがありました。

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能「雲林院」に関して勉強する中で、このコメントについても色々調べているのですが、実は調べる程に謎は深まるばかりなのです。

何が謎なのかと言いますと、

「在原業平」、「光源氏」、「伊勢物語」、「源氏物語」という4つのキーワードの関係性です。

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①「在原業平」は「光源氏」のモデルの一人である。

②「伊勢物語」は「源氏物語」に大きく影響を与えている。

という説を先ず読みました。

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そうすると、

◎「在原業平の気持ち」と「光源氏の気持ち」というのは、前者が後者のモデルの一人である以上、重なる部分が大きい。

そして、

◎伊勢物語を題材にして作られた能「雲林院」の中に、源氏物語から借用された部分があるが、その源氏物語はそもそも伊勢物語の影響を受けている。

と考えることが出来て、「雲林院」のサシクセの部分だけ大きく気持ちを変化させる必要は無いように思われます。

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しかし更に調べると実は「伊勢物語」の主役が「在原業平」であるとは、伊勢物語の作中では一言も述べられていないそうです。

そうなると①の説が揺らいで来る気がします。

つまり、「光源氏」のモデルの一人になったのは果たして「在原業平」なのか、それとも「伊勢物語の主人公」という業平とは微妙に異なる人格なのか、という謎が浮上して来るのです。

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そもそも「伊勢物語」は成立も作者も、また何故「伊勢物語」という題名なのかも明確にはわかっていない謎なのだそうです。

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何となく、「源氏物語」はフィクションで、「伊勢物語」の方はある程度事実に基づいたものであると思っていたのですが、何が現実で何が虚構なのかわからなくなって来ました。。

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現状ではこのように、謎が謎を呼んで絡んだ糸を解こうとして余計にこんがらがるような有様なのです。

本番までにはまだ時間があるので、引き続き色々資料を当たってみたいと思います。

皆様のコメントもお待ちしております。

東京は夏日

今日は東京でも今年初めての「夏日」だったようです。

このくらい気温が上がると、暑がりの私にとっては既に「真夏」に感じられます。

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夜からの田町稽古の前に、先ずは午後に秋葉原から水道橋まで歩くだけで一汗かきました。

更に水道橋宝生能楽堂で能「雲林院」の稽古をしながら汗だくに。

続けて能「正尊」の切り組の稽古では、汗と冷や汗(最後の死ぬ所が冷や汗物なのです…)を両方かいてしまいました。。

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今からこの調子では、本当の夏が思いやられるな…と思いながら田町稽古場に到着すると、18時半ながら部屋には弱い冷房がついていました。

皆さんも今日は暑かったのですね。ちょっと安心いたしました。

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しかし明日からはまた気温が低めに戻るようです。

暫くは服装に気をつけないといけないですね。

2件のコメント

「雲林院」稽古中

来たる4月21日の七宝会でシテを勤めさせていただく能「雲林院」の稽古をしております。

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能「雲林院」のシテは在原業平ですが、他に能「小塩」も業平をシテにしており、また能「井筒」と能「杜若」でも、シテの女が業平の形見の衣を纏って序之舞を舞います。

私はこの何れの曲も舞った事が無く、業平を演じるのは全く初めてです。

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「杜若」や「井筒」では、「男性が女性を演じつつ、その女性が劇中で男装して舞う」という二重の性別転換が難しいと聞いたことがあります。

しかし考えようによっては、その複雑な構造が曲を理解する大きな手掛かりになるとも言えます。

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一方で「雲林院」は業平本人が現れて、二条の后との禁断の恋を感傷的に懐古する、というような内容。

なんと言いますか、ど真ん中ストレート的に高貴で優雅な美男子のお話です。

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舞は「序之舞」。これは女性が舞うことが多い、品位のあるゆったりとした舞です。

また、「作り物」は無し。

「持ち物」は前後とも「中啓(扇)」のみです。

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こうして色々書いてみても、やはり「取っ掛かり」が少ない曲に思えます。

業平のことを色々と勉強してもいるのですが、まだこの「雲林院」という曲に反映させられるようなイメージは出来上がっておりません。

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…という訳で、今は少々苦労している時期なのです。

しかしこれは毎度のことでもあります。ここから3週間かけて舞い込んでいく中で、少しずつ新しい気づきが増えて、イメージが膨らんでいくと思います。

また度々途中経過を報告させていただきたいと思います。

異流格闘技戦⁉︎

能楽のシテ方には、宝生流の他に観世流、金剛流、金春流、喜多流の合計五流があります。

普段は別々の舞台で活動しており、同じ催しであっても、それぞれ別の曲を演じるのが普通です。

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しかし極稀に、いくつかの流儀が一緒になって一曲を演じることがあります。

来たる4月7日に行われる「金剛能楽堂15周年記念公演」では、宝生流、金剛流、金春流の合同で能「正尊」が演じられ、私も正尊方の立衆を勤めます。

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「立衆」とはこの曲においては武者のことで、義経方の立衆と刀を持って闘うのです。

そして今回の義経方立衆は金剛流のお二人。

今日はその合わせをしに、金剛能楽堂に行って参りました。

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刀を持っての闘いを「切り組み」と言います。

この切り組みは、いくつかの決まった技を組み合わせて、舞台の度に新しく作る慣わしですが、今回は少々勝手が違います。

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お互いに知らない技が多いのです。

例えば宝生流の「鎬(しのぎ)」や「二重切り違い」などは金剛流にはないらしく、逆に金剛流の「鍔迫り合い」や「抜き足」という技は我々宝生流は初めて見るものでした。

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これらを何とか擦り合わせて、違和感の無い「切り組み」を作っていくのは、大変なのですが非常に面白い作業でした。

どちらか一方の流儀だけを知っている方がご覧になれば、「おお!そんな風に構えるのか!」「そう切るのか⁉︎」と、色々新鮮な驚きがあると思います。

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正尊方の立衆は、結局最後は斬られてしまうのですが、その「死に様」にも是非ご注目いただきたいと思います。

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4月7日(土)13時半始めの金剛能楽堂15周年記念公演に、皆様是非お越しくださいませ。

よろしくお願いいたします。

道成寺の疲れは…

今日の別会能の「道成寺」も、幸いなことに滞りなく無事に終わりました。

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終わって記念の宴会がありましたが、そこでのシテ當山淳司さんの「道成寺は自分にとって特別な曲でしたが、他の全ての曲もやはり特別だと思います。今後も一層精進いたします」という挨拶もとても印象に残りました。

淳司さんおめでとうございました。

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道成寺は「若手能楽師の登竜門」といわれます。

それは本番だけでなく、その舞台に至るまでのこの曲の「極限状況」を色々と経験することで、やはり一度に何段階も経験値が上がり、また今後の舞台にそれが活かせるという意味かと思います。

今回も別会が近づいてからつい先程まで、シテの色々な気配りをひしひしと感じました。

さぞかしお疲れのことと思います。

なかなか休めない職業ではありますが、可能な限り身体を休めてもらいたいものです。

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…ちなみに私の道成寺の時には、終わって翌日月曜日から一週間の韓国公演という得難い経験をさせていただきました。

おかげさまで道成寺の疲れというのは殆ど感じないで済んだ記憶があります。

それはむしろ身体には良いことのような気もいたします。

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…前言撤回で、淳司さんは明日からも一層頑張って働くのが良いかもしれませんね。。

壇ノ浦の日

今日は3月24日。

3月18日は「屋島の合戦」があった日ですが、今日は「壇ノ浦の合戦」があった日だそうです。

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元暦二年(寿永四年)3月24日に、関門海峡の「壇ノ浦」に於いて義経を大将とする源氏水軍と、知盛率いる平家水軍が激突した「船いくさ」で、ついに平家は滅亡しました。

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この「壇ノ浦の合戦」を巡る様々な出来事や人物が、能楽に描かれています。

今ちょっと思い出しただけでも例えば、

①能「大原御幸」でシテ建礼門院が後白河法皇の前で壇ノ浦での平家滅亡を物語る。

②能「八島」のキリの部分で、シテ義経の霊が壇ノ浦での船いくさの有様を舞って見せる。

③壇ノ浦に沈んだ平知盛の亡霊は、能「船弁慶」で大物浦の沖に出現して、義経を自分と同様に海に沈めようと襲いかかる。

…などなどです。

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また、宝生流には無い曲なのですが、「碇潜(いかりかづき)」という能があります。

知盛の亡霊が壇ノ浦に現れ、合戦の有様を物語った後に碇をかづいて海中に没するという内容の曲です。

私が以前にこの曲を拝見した時には、古い本に基づいた演出だったらしく、これが非常に面白かったのです。

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後半にものすごく大きな船が舞台に出て来て、先ずそこで驚かされます。

そして、後シテ知盛と、ツレ二位尼、ツレ大納言の局、子方安徳帝が一瞬で全員舞台に登場するシーンはまるでマジックのようでした。

全部話すとネタばれになってしまうので、ここまでにしておきます。

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なにせ宝生流には無い曲なので、公演予定など全くわからないのですが、機会があればご覧になる事をおすすめいたします。

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そういえば、6月9日の京都満次郎の会で出る能「熊野」のワキ平宗盛は、壇ノ浦の合戦では捕虜になってしまうのでした。

他にも色々な能に絡んでいそうな「壇ノ浦の合戦」です。

新たに思い出したら、また来年の3月24日に書きたいと思います。