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舞台から舞台へ

今日は午前中に水道橋宝生能楽堂にて、土曜日開催の五雲会の申合があり、能「源氏供養」の地謡を謡いました。

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終わってから午後は国立能楽堂に移動して、明日開催の定例公演の申合にて今度は能「忠度」の地謡を謡って参りました。

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今日は申合の掛け持ちでしたが、本番でも1日に2回別々の場所で舞台があることがあります。

私はそれ程忙しくない能楽師なのですが、最も忙しい楽師になると、1日に2箇所の舞台でどちらもシテを勤める、という先生もいらっしゃいます。

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また、海外公演から帰った日に、早速日本の舞台に立つ人もいらっしゃるようです。

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以前の澤風会京都大会では、お囃子方で「朝に北海道網走を発って紀伊田辺に移動して、舞台を済ませてから夕方に京都大江能楽堂に来た」という方もおられました。

そんな事が可能なのですね。。

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それを思えば、今日は水道橋〜千駄ヶ谷を総武線で移動しただけなので、とても楽な移動でした。

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私の場合、昔の話なのですが、全宝連金沢大会の鑑賞能の後に、最終の飛行機で小松空港→羽田空港へ。

羽田空港内にあるカプセルホテルに泊まって、翌朝6時の飛行機で韓国釜山に飛び、釜山の舞台を終えて日帰りで夜に羽田空港に帰国、ということはありました。

これは日を跨いでいますが、感覚としては東京→金沢→羽田→釜山→羽田が同じ日にノンストップで続いた気がしました。

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今年もまたそんな日もあるかもしれません。

やはり最後は体力勝負なので、きちんと食べて寝て、1日に何度舞台があっても、全て全力投球出来るようにしたいと思います。

ゆっくり喋りたい!

今日はちょっとユルいお話です。

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ごく偶に、舞台の合間に「アナウンス」をしないといけない時があります。

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「ただ今より15分間の休憩をいただきます」

と言った簡単なアナウンスなのですが、私はこれがとても苦手なのです。

というよりも、ゆっくり丁寧に喋るのが不得手で、つい口調が早くなって結果噛んでしまったりするのです。

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これには実は思い当たる原因があります。

私は普段の稽古の時に、かなり早口で喋っているのです。

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舞の稽古の時には、地謡や唱歌を謡いながら、合間に型の説明を入れつつ稽古していきます。

そうすると謡の切れる一瞬の間に沢山の情報を喋らなくてはならず、自然早口になっていくのです。

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例えば、「中之舞」のメロディを文字に直したいわゆる「唱歌(しょうが)」は、

「オヒャ〜〜ア〜〜ラア〜〜、オヒャイヒョ〜イ、ヒャ〜リウヒ〜、オヒャ〜ラ〜イ、ホ〜ウホウヒ〜」

という風に謡います。

しかしこれを型の説明付きの「稽古バージョン」にすると、

「オヒャ〜〜、っと笛が鳴りだしたらサシて!

ア〜〜、っと左ヒネって。

ラア〜〜、で右から三足出て!

オヒャイヒョ、で左引いて、ォ〜イ。

ヒャ〜リウヒ〜、でヒラキ終わって。

オヒャ〜ラ〜イ、いっぱいで手を張りながら正へ向いて引き揃えて。

ホ〜ウホウヒ〜、で改めて左ヒネって角柱に向けてスタート!」

…というようになってしまい、この「稽古バージョン」を、「唱歌」だけの場合と大体同じ速さになるようにする為には、文字の部分が猛烈な速さになってしまう訳です。

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なので、こうありたい自分の理想像は、「口数は決して多くないが、じっくり考えてから言葉を選んで、ゆっくり丁寧に話す人」

であるにもかかわらず、現実は「早口で沢山の事をペラペラ喋って、偶に早すぎて内容が聞き取れないと言われる人」になってしまっているのです。。

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せめてスイッチを切り替えて、「稽古の時は早口で、普段はゆっくり丁寧に」と喋る速さを変えられるようになりたいものです。

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そして、偶に私のアナウンスをお聞きになるかと思いますが、早口で噛んでしまってもどうか御容赦くださいませ。。

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とうとうたらり…

今日は水道橋宝生能楽堂にて、日曜日開催の月並能の申合がありました。

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私は昨年に続いて、初番の能「翁」の地謡でした。

昨年も書いたのですが、やはり新年に「翁」を謡うのはとても気持ちが良いものです。

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この「翁」は最初の謡が、「とうとうたらりたらりら たらりあがり ららりどう」という謎めいた呪文のような言葉で始まります。

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この言葉が何を意味するのか、昔から様々な説があるようなのですが、実はまだ明快な回答は得られていないそうです。

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笛の音色や滝の音の「聞きなし」という説や、外国の言葉だという説などある中で、私が一票入れたい説があります。

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河口慧海師という明治から昭和にかけて生きた僧侶がいるのですが、この人が「翁の謡はチベットの古い言葉である」と言ったそうなのです。

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有名な説なので、聞いたことのある方も多いと思います。

因みにその後この説は日本の学者などによって完全に否定されているとか。

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それでも私がこの説の肩を持つのは、河口慧海師が僧侶でありながら「探検家」とも呼ばれる人だからです。

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明治時代には厳しい鎖国政策をとっていたチベットに、この人は完璧なチベット語を身に付けて、遥かヒマラヤ山脈を越える苦難の旅の末に、チベット人として潜入に成功するのです。

それはもう「探検」と呼ぶしかない偉業です。

目的はサンスクリット語とチベット語の仏典を入手することでした。

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そして日本人とバレることが無かったばかりか、チベット人医師として有名になり、なんとダライ・ラマ13世から直接お呼びがかかって侍従医のオファーを受けたというエピソードもあるそうなのです。

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そのような卓越した語学力を持つ人が、自ら命をかけて潜入した先のチベットに「とうとうたらり たらりら…」という言葉があったというのです。

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日本人と露見したら命が無いという極限状況で、彼が身体を張って獲得して来た情報には、特別な重みがあると私は感じます。

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…それに私はやはり夢のある話が好きなのです。

たとえ学者には全否定されているとしても、「チベットからどうにかして伝わって来たらしい」という説には想像力を掻き立てられる夢があると思うのです。

1000年程も昔に、チベットから伝わって来たかもしれない謎の言葉。

それを謡っていると思うだけで、私は一層気持ちが良くなります。

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この日曜日、皆さま是非宝生能楽堂の月並能においでいただき、「翁」をご覧になってその不思議な「とうとうたらり…」を聴いていただきたいと思います。

木の間に光る稲妻は…

今日は冬型の気圧配置で寒い中、香里能楽堂にて今週土曜日開催の七宝会新春公演の申合がありました。

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能「葛城 神楽」の地謡を謡ったのですが、この葛城のクセに、「葛城や 木の間に光る 稲妻は」という歌が引用されています。

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稲妻というと、太平洋側で育った私は夏だけ見られるものだとずっと思っておりました。

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ところがある時、金沢出身の京大宝生会の後輩T君から、「金沢辺りでは、冬には雪が降る時に稲妻が光るので、葛城クセの内容は非常に良くわかります。」と聞いたのです。

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それはもう10年程前に、そのT君がシテを勤めて、京大宝生会が能「葛城」を出した時の話でした。あれは思い出深い演能でした。

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その年の秋。

京大宝生会は、葛城山上の国民宿舎で「葛城 能合宿」を敢行しました。

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夜に皆で外に出て、すすきが靡く山頂でT君が「葛城キリ」を舞った時のこと。

丁度地謡が「月白く雪白く…」という文句に差し掛かった所で、夜空を覆っていた雲が一瞬途切れて、雲間から一筋の月光がT君を目掛けてサッと射し込んできたのです。

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居合わせた全員が、鳥肌が立つような何とも言えない気分になりました。

「葛城の神様」という存在を強く感じたのです。

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この能合宿ではその後も、いくつも不思議なことがありました。

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そして11月半ばの本番の朝。

京都市内に季節外れの雪がぱらついたのです。

「葛城の神様がやって来たのだ」と皆で言い合いました。

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最後まで神がかっていたこの時の能「葛城」。

舞台が終わって数年後には、シテT君と地頭のWさんが結婚するという後日談まで付きました。

葛城の女神は縁結びの神様でもあられたのでしょうか。

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私はその後も現在に至るまで、稲妻と共に降る雪を見ることが叶わずにいます。

いつの日か見てみたいと願っております。

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因みに今度の七宝会新春公演での能「葛城」は、「神楽」の小書が付くので、通常の葛城をご存知の方は「おお!」と驚くような変化があると思います。

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香里能楽堂にて13日土曜日13時半始曲の七宝会新春公演に、皆さま是非お越しくださいませ。

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七草の日

今日1月7日は五節句のひとつ「人日の節句」にあたる日で、「七草粥」を食べる慣わしがあります。

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考えてみれば、私はもう長いこと「七草粥」を食べておりません。。

しかし京大宝生会現役の頃は、毎年1月7日に小川芳先生のお供をして亀岡の大本本部に「七草粥」をいただきに伺っておりました。

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お正月前後は普段にも増して不摂生をしていましたので、7日に食べる七草粥は如何にも胃に優しく感じられて、また数々の掛け軸や焼き物やお花などを拝見して、心身共に健康になっていく気分になったものです。

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能には「七草粥」は出て来ませんが、「七草」という言葉が出て来る曲はあります。

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少々意外な曲「求塚」です。

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曲の冒頭、早春の野原に可憐な菜摘乙女が4人登場して、華やかに「春の七草の若菜を摘みましょう」と謡うのです。

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そこから暫くの間は、乙女達が旅の僧と会話をしたり、菜摘み唄を歌ったりと、一見長閑なシーンが続きます。

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ところがこの曲は前半のロンギという部分を過ぎた途端に、3人の男女の哀しく凄惨な悲劇へとガラリと変貌してしまうのです。

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爽やかな七草摘みの光景を、その後の地獄の有様との対比として使ってしまうとは、随分思い切った演出だと思います。

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「求塚」は非常に難しく、大切に扱われる奥伝の曲ですので、私のような若輩者があまり長く話すのは憚られます。

しかしひとつ思い出した話があります。

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以前に読んだ、森田流笛方で京大宝生会OBでもある故帆足正規先生の文章に、ご自身が能楽に惹かれたきっかけについて書かれていました。

それは終戦直後の高校時代に、名人野口兼資師の能「求塚」を観たことだそうなのです。

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映画や舞台などを片端から観る毎日を過ごしていた帆足青年は、ある日殆ど予備知識も無く、初めての能「求塚」を観に行きます。

そして後シテが地獄へと真っ逆様に落ちていくシーンの野口師の型を見て「大地に引きずり込まれていくような力に圧倒され」、そこから正に能楽の世界へと惹き込まれてしまったということです。

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「求塚」は特別な舞台でしか出ない大曲ですが、もしチャンスがあれば是非一度ご覧くださいませ。

帆足先生のように、人生が変わる程の経験が出来るかもしれません。

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今日は「七草」に纏わることを、思い出すままにつらつらと書かせていただきました。

信長が名付けた「岐阜」

今日は岐阜県庁のすぐ横にある「サラマンカホール」で舞台がありました。

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昨年の「織田信長の岐阜入城450年」に関連した催しでした。

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そもそも「岐阜」という名前はその450年前の入城の時に織田信長が付けたという事を、恥ずかしながら今日初めて知ったのです。

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岐阜県というのは、東海道新幹線で頻繁に通過はするものの、これまであまり御縁の無い県でした。

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しかし今日色々お話を伺うと、

・稲葉山の山上にある岐阜城の御朱印が大人気であるということ。

・その稲葉山の麓を流れる長良川で行われる鵜飼の鵜匠は実は宮内庁職員であること。

・長良川の少し上流ではお盆に3日間夜を徹して踊り続ける郡上おどりがあり、誰でも参加可能だということ。

などなど、沢山の魅力と驚きが溢れる地域だとわかりました。

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舞台の後はその岐阜城を見上げる長良川沿いのお座敷で晩御飯をいただき、信長と岐阜に浸った一日を過ごしました。

非常にわかりづらいですが、晩御飯を食べたお店の前を流れる長良川と、背後のシルエットは金華山とも呼ばれる稲葉山、更にその山上の中央やや右手の灯がライトアップされている岐阜城です。

遅延の理由は…

ちょうど一週間前に、早朝の青森駅で停電トラブルに巻き込まれた話を書きました。

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するとそれを読んだ青森在住の京大宝生会の同期から、「何かいつもトラブルに巻き込まれているね」とメールが届きました。

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確かに今年も、鉄道絡みでは色々な事がありました。

・大雪、豪雨、台風による遅延。

・イノシシやシカと衝突しての遅延。

これらは毎年の事なのですが、それ以外にも、

・京都から東京行きの新幹線に乗ってすぐに「お客様の中でお医者様か看護師の方がいらしたら、至急7号車のデッキまでいらしてください」とアナウンスがあり、ややしてから「この列車は米原駅で臨時停車します」と再度放送が。

そして米原駅で暫し止まった後に「看護師の方のご協力により、急病のお客様を無事に救急搬送出来ました。」とまた放送があり、車内には何となく安堵の空気が流れました。

…という事などもあり。

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今月に入っても、

・車が踏切に強引に進入して、遮断機の棒が折れて線路を塞いだ為に特急あずさが遅延。

またその後に、先週の青森駅の停電がありました。

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…そして昨日。

亀岡稽古を夜に終えて、京都駅に移動して新幹線に乗ろうとしたら、いつも乗る比較的空いている「ひかり」がホームにいません。

その理由は…

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「岡山駅でお客様のペットの犬が新幹線ホームから線路に降りて現在逃走中のため、ダイヤが乱れております」

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…新幹線の線路を必死で逃げる犬と、それをまた必死に追いかける駅員さんを想像すると、大変失礼なことながら少しニヤリとしてしまいました。

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今年もまだ長距離移動が何度かあり、来年もまた電車に乗る日々が続きます。

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勿論移動中は何事もないのが一番なのですが、ここまで来ると次はどんな思いもよらない出来事が起こるのか、少しだけ期待する気持ちもあるのです。

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また何か驚くような事があれば、ご報告させていただきます。

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…あの逃げた犬が、無事に飼い主の元に帰れたことを祈りつつ。

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続 すごい記憶能力

10月29日のブログで、「すごい記憶能力」を持つ京大農学部林学科時代の友人の事を書きました。

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黒板の文字を映像として全て記憶出来るので、ノートを一切とらないという人でした。

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その時には「今となっては連絡の取りようがない」と思っていたのですが、実は偶然が重なって、彼とまた縁が繋がる可能性が出て来たのです。

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あのブログを書いた後に、試しに彼の名前でグーグル検索をしてみると、彼はやはりその後森林の研究者の道を進んで、今では神戸大学農学部の准教授になっているようでした。

しかし、わざわざ彼の大学用のメールアドレスに連絡するのも変な気がして、まあ元気に研究者をやっているなら良いと満足していました。

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それが最近になって、神戸大学宝生会を指導している宝生流教授嘱託の方より、「うちの学生の○○くんは、農学部の授業でよく山に行っているらしいので、先生(私の事)と話が合うかもしれないですよ」と聞いたのです。

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「神戸大学農学部」で「山」に行く授業。

もしかして彼と繋がりがあるかもしれません。

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そして一昨日の関西宝連が終わった後の宴会で、その神戸大学宝生会の学生に駄目元で聞いてみました。

「神戸大の農学部に、僕の友人の□□という名前の准教授がいるのだけど、知らないかな…?」

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すると「えっ!僕その先生の授業を受けてますよ!」

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なんと、ピンポイントで繋がってしまいました。

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神戸大学宝生会が復活していたこと。

そして彼が神戸大学農学部の准教授になっていたこと。

さらにまた私が彼の「すごい記憶能力」をブログに書いたこと。

これらが全て重なって、今回の偶然が生まれたのだと思います。

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こうなると何とか彼に会ってみたくなりました。

もし再会出来たら、25年ぶりくらいになります。

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そして再会出来た時には、あの「記憶能力」はまだ健在なのか、是非聞いてみたいと思います。

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第5回関西宝連のご報告

今日は大阪能楽会館にて、第5回関西宝生流学生能楽連盟自演会が開催されました。

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大阪能楽会館は今年いっぱいで閉めてしまうので、これが学生達にとっても私自身にとっても、最後の能楽会館の舞台になります。

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また最後なのは能楽会館だけでなく、今日は4回生達の現役最後の舞台でもありました。

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その京大宝生会4回生5人を全員役に揃えた素謡「咸陽宮」や、卒業仕舞「山姥キリ」「玉之段」「車僧」は何れも大変見応えのある舞台でした。

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終了後の宴会で同志社の4回生が、「一回生の時に見た先輩の仕舞を、卒業仕舞でやりたいとずっと思っていた」と言っていましたが、おそらく今日のたくさんの卒業仕舞を見て、同じように思った下回生もいた事でしょう。

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下回生と言えば、今日は下回生も4回生に負けない程に頑張っていました。

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1、2回生だけによる素謡「紅葉狩」は、無本で20分以上謡う長い素謡でした。

それだけでもかなり大変な事なのですが、朝に楽屋に行くと、現役「実はワキの1回生が風邪でダウンして休みなのです…」

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なんと、ではワキだけ本を見て、誰か替わりに謡えば?

と言ってみたところ、

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「いえ。実は1回生の○○さんが無本で替わりに謡えると言っております。」

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おお、それはすごいけれど、当日ぶっつけ本番で大丈夫なのか?

地頭(2回生)「もしもの時は僕がワキ謡を付けるので大丈夫です。」

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さすが地頭、役謡も一通り頭に入っているようです。

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そして本番では、ワキ謡は全くノーミスで、全体として見ても1、2回生の枠を超えて大変見事な素謡でした。

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4回生が卒業してしまうのは淋しいことですが、来年再来年に繋がる力も確実に育っているのを実感出来た今日の関西宝連でした。

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4回生の皆さん、4年間お疲れ様でした。

しかしどうか卒業しても、何らかの形で能を続けていってほしいと心から願っております。

今年最後の五雲会

今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会に出演して参りました。

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ちょっと早いのですが、これが今年最後の水道橋の舞台になります。

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私は留(最後)の能「船弁慶」の地謡でした。

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今年最後の五雲会ということで、見所も沢山の人で溢れています。

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思い起こすと、私の今年最初の舞台はこの水道橋での1月の月並能で、しかもその初番の能「翁」の地謡でした。

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月並能の初番地謡で始まった今年を、五雲会の留地謡で締めくくれるのは、なんだか輪がぴったり閉じるようで嬉しいことでした。

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楽屋の何人かの人達や、ロビーでお会いした方々などに「今年お会いするのは多分今日で最後ですよね。どうか良いお年を」と挨拶を交わして宝生能楽堂を後にしました。

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来年からは五雲会の形式が変わって能が3番になり、そのかわりに新たな舞台「夜能」がスタートします。

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私も5月25日の夜能で能「夜討曽我」のシテを勤める予定です。

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今は新たな方向へとどんどんチャレンジを続ける宝生流です。

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私は基本的には変わらずに淡々と進んで行きたい性格なのですが、そうは言っても今年の自分に何か少しでも付け加えられるように、来年も精進して参りたいと思います。