地上版ドリフトダイビング

スキューバダイビングのやり方のひとつに「ドリフトダイビング」というのがあります。

これは、最初に海に入った場所から潮流に乗って流れて行き、途中何ヶ所かのポイントに立ち寄って、魚や地形を観察するという方法です。

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そして今日の私は、青森から芦屋迄の「地上版ドリフトダイビング」のような1日を過ごす予定なのです。

①青森にて起床→新幹線で東京に移動。

②水道橋宝生能楽堂にて五雲会申合、能「融」地謡→新幹線で大阪に移動。

③大槻能楽堂にて大阪養成会下申合、能「経政」後見→地下鉄とJRで芦屋に移動。

④芦屋で稽古→JRで京都に移動、宿泊。

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…という感じです。

海中のドリフトダイビングは、流れに乗って軽々と泳げて中々快適なのですが、地上版はそうはいきません。

ポイント毎に舞台や稽古をこなしていかなければいけないのです。

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現時点で大阪まで無事流れて来て、③大槻能楽堂での養成会下申合がこれから始まります。

果たして④まで無事流れていけるでしょうか…。

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今日はこれにて失礼いたします。

みちのくの千賀の塩釜

私はまだ「融」の能を舞ったことはありませんが、「陸奥の千賀の塩釜」に一度は行ってみたいと思っておりました。

仙台から在来線で片道30分程度の距離です。

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今日の日中は、仙台から青森稽古に移動するまでに少し時間がありました。

なのでこの隙間時間に、素早く塩釜を見て来ようと思い立ったのです。

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仙台駅を出た仙石線は、ワキのように道行を謡う間も無く”本塩釜駅”に到着しました。

塩釜は「本マグロ水揚げ日本一の町」だそうで、本塩釜駅には大きなマグロのオブジェがありました。

とりあえず”鹽竈神社”に向かうべく、神社参道方面へ。

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街道を歩いていくと、こんな看板がありました。

どうやら山の上にある鹽竈神社へは、3つの行き方があるようです。

ここはやはり”202段の急な階段”でしょう。

表参道を目指すことにしました。

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やがて、鬱蒼とした森に抱かれたような鹽竈神社に到着。非常に荘厳な雰囲気です。

鳥居をくぐると…

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表参道202段の威容が眼前に。

思えば去年も京都の”鷲の尾の寺”で長大な階段を登りました。

よいしょよいしょと一気に登り切って、振り返るとこんな感じ。

角度が判りづらいですが、かなり急です。

神社の見取図の左の方に表参道の階段が描いてあります。本当にこんな角度に感じました。

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主祭神であり、塩の製法を教えたと言われる”塩土老翁神(しおつちおじのかみ)”に参詣して、境内を見てまわりました。

しかし、”融”に関する史跡などは見つからず、謡曲史跡保存会のあの立札もありませんでした。。

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境内からは遠く”千賀の浦”が望めました。

絶景とまではいかない眺望でした。昔はまた違った風景だったのでしょうか。

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帰りは、奈良時代に出来たとされる最も古い参道”七曲坂”で山を降りました。

森の中の静かな道は、京都の大文字山のような感じでした。

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実は行きの街道で気になる地名の石碑を見つけていました。

「融ヶ岡」。

鹽竈神社から街道を挟んで向かい側の小高い丘です。

なんと、864年に源融がこの地にやって来て、この融ヶ岡に屋敷を構えたとの伝説があるようです。

これは行ってみなければ。

融ヶ岡の麓に階段がありました。

登ってみたのですが、草むした人気の無い広場があるだけで、やはり”融”に纏わる史跡は皆無でした。。

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蜘蛛の巣を払いながらすごすごと階段を降り、時間も迫ってきたので駅へ向かうことにしました。

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帰りは街道ではなく、少し細い通りを歩いてみました。すると…

店先で魚の串焼きをしている魚屋さんが!

実に実に美味しそうです。そう言えば昼御飯がまだでした。

というわけで…

銀鱈の串焼きを求めて、その場でお箸を貰っていただいてしまいました。

よく歩いた後でもあり、大変に美味しかったです!

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帰りの電車まであと15分ほど。

そこで駅前の”壱番館”という施設の屋上にある展望台に上がってみました。

6階の屋上から更に展望台の階段を登ります。

今日は階段に縁のある日です。。

展望台から見る千賀の浦(塩釜港)の景色は、開放的で気持ちの良いものでした。

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しかし、正直な感想を申し上げると、この風景はわざわざ都から観賞しに来るほどの絶景とまでは言えない気がします。

融の大臣も、やはり実際にここを訪れたのではなく、想像で六条河原院を造ったと考える方がむしろ夢があるように思いました。

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ともあれ、念願の塩釜詣でが出来てとても満足いたしました。

実は明日宝生能楽堂の五雲会申合にて、私は能「融」の地謡を謡うのです。

今日の色々を思い出しながら謡うのが、大変に楽しみになりました。

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先ずはこれから、青森稽古頑張って参ります。

10年で10番の能を舞うこと

今日は大阪の香里能楽堂にて、「皓月会」の申合がありました。

皓月会は故石黒孝師の同門会で、今は石黒実都さんが引き継いで稽古されています。

今回はご自分の「松実会」と合同での開催だそうです。

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私は今日は能「芦刈」の地謡を謡ったのですが、この「芦刈」のシテをなさる方は、なんと「10年連続して能を10番舞う」という大きな目標を立てて、実際にもう9年連続してシテをされているそうなのです。

これまた大変なことです。

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10年で10番の能を舞うには、様々な条件が整っていることが必要です。

たとえば時間的、経済的な条件がクリア出来たとしても、それに加えてよほど健康な身体と、強靭な精神力が無いと不可能なことです。

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毎年モチベーションを維持しつつ、新たな能に元気にチャレンジし続けておられるのは、本当に賞賛に値する偉業だと思います。

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番組に載っている石黒実都さんの挨拶文に、「皓月会は再来年50周年を迎えます。父の孫の石黒空がこの道を志すことを決めたので、皓月会は100周年を目指すことも可能になりました。」とありました。

100周年。これまた実現すれば大変な偉業です。

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先ずは来週月曜日9月17日に、九州大濠能楽堂にて開催の「皓月会」のご盛会と、能「芦刈」の成功をお祈りしつつ、精一杯お手伝いさせていただきたいと思います。

女装、男装…

今日9月9日は重陽の節句の日でした。

水道橋宝生能楽堂では月並能が開催され、私は能「井筒」の後見を勤めて参りました。

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「井筒」の後シテは、紀有恒の娘が在原業平の形見の衣と冠を身に纏った姿で登場します。

何度見ても美しい姿だなあと思いながら後見座から見ていたのですが、そこで何やら妙な既視感を感じました。。

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よくよく思い出してみると、それは一昨日夜のことでした。

京大能楽部BOX棟の横にある”吉田寮”では、いつもの如く何やら怪しげなお祭りが開かれていました。

大量の材木を組み合わせて、本格的な二階建の出店が寮食堂前に出現しており、カレー屋やチャイ屋やバーなどなど、実に魅力的な異世界空間が展開されていました。

誰かが「リアル森見登美彦の世界だ」と言っていたそうですが、全くその通りに見えました。

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このような魅惑的な祭りには、ついつい吸い寄せられてしまいます。

京大宝生会の何人かと、祭りを覗きながら吉田寮方向に歩いて行きました。

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その時に吉田寮の玄関から、何人かの大学生がぞろぞろと出て来たのですが、これが皆何故か女装した男子学生だったのです。。

女装してはいますが、顔は普通のむさ苦しい男子なので、思わず「おえ〜っ」と声を上げてしまいました。

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男装の女性は美しく見えるのに、逆は何故あんなに不快に感じるのだろうか…。

あの一昨日のセーラー服男子は実に不気味であった…。

と井筒の美しい序之舞を見ながらぼんやりと考えたところで、「しかし自分も舞台の上では頻繁に女装しているな…」と気付いて、「うーむ」となってしまいました。。

宗家継承10周年

昨日の夜は水道橋宝生能楽堂にて、宝生和英家元の宗家継承10周年の記念行事が行われました。

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20代前半の若さで、亡くなられた先代の跡を継いで宗家になられてから10年。

御苦労の連続だったと思います。

宝生流のみならず、能楽界全体が高齢化などで危機的状況を迎えている中で、しかし若い和英家元はひたすらに前向きでした。

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希曲大曲を次々と演じて伝統を受け継いでいかれる一方で、能楽以外の様々な業種の人々と積極的に交流されました。

宝塚俳優やアニメ声優を起用した朗読劇など、この10年で新しい舞台の可能性を広げて、また若い世代を意識した企画を多く立ち上げられました。

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この10年間の新進的な試みは、和英家元と共に成長してきた20代30代の若手能楽師達に自然に浸透しているように見えます。

この先彼ら若手能楽師が、家元の思想を汲みつつそれぞれ自分で動くようになれば、新たな能楽の可能性が更に広がっていくことと思います。

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そして、継承10周年を迎えてもまだ30代前半という若さの和英家元です。

ご自身の可能性もまだ無限大にあるお年だと思います。

今のまま真っ直ぐに前向きにあと数十年進んでいかれたら、大変な功績を挙げて能楽の歴史に名を残す家元になられるのは間違いないと思います。

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この家元と同時代に生きられる幸せを感じつつ、微力ながら家元のために働かせていただきたいと存じます。

怒涛の8月を終えて

今日から9月になりました。

思えば8月は、水道橋宝生能楽堂にて能「鵺」を稽古しながら迎えたのでした。

そして正に怒涛のように過ぎていきました。

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9月は一応静かに布団の中で迎えたのですが、果たしてどんな月になるのでしょうか…?

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9月1日といえば、小中高生の頃は始業式の日でした。

ひと月半ぶりに教室で同級生達と再会して、夏休みの話などをしたものです。

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高校の時には陸上部だったので、夏休みも毎日練習でした。

始業式で会う運動部の連中は、私も含めてひと夏の練習で黒く日に焼けて、筋肉がついて一回り大きく逞しくなったように見えました。

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時は流れて、私の今年の9月1日は通常の亀岡稽古でした。もう始業式は無いのです。

そしてこの夏は、陸上部のようなトレーニングも勿論しませんでした。

しかし今年の8月を思い返してみると、心に強烈に残る出来事がいくつもありました。

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ひと月で4回通った岡山吉備津神社の子供能楽教室。

薪能で初めてシテを勤めた松本城薪能では、雨雲が逸れてくれるように天に祈りながら能「鵺」を舞いました。

東広島のこども園での能楽教室では、1〜4歳児40人を相手にするという得難い経験をしました。

初めて銀座の観世能楽堂にて舞囃子を舞った佳名会。

そして8月最終日の昨日には盛岡で、伝統文化活動の担い手が集まってのセミナーでの発表という、これも全く初めての経験をいたしました。

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他にも七葉会の舞台や、琥珀の会立ち上げの稽古や、京大宝生会合宿などなどがあり、それら全てがまた自分の肥やしになったと感じます。

日焼けもしていないし、筋肉も増えておりませんが、夏の前の自分よりも少しだけ強くなった手応えがあります。

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宝生流の在京能楽師にとっては、始業式に近いのが9月9日の月並能だと思います。

8月は定例会が無いので、宝生能楽堂に約ひと月半ぶりに楽師達が集まるのです。

皆さんどんな経験を積んで、どんな顔でまた水道橋の楽屋に戻ってくるのでしょうか。とても楽しみです。

私もこの夏の経験を活かして、また秋の能楽シーズンに全力で向かっていこうと思っております。

岡山子供能楽教室発表会

今日はいよいよ吉備津神社にて、岡山子供能楽教室の発表会がありました。

この1ヶ月で4回も吉備津を訪れて、私はすっかりこの土地と人々が好きになっていました。

今回で一旦終了かと思うと、なんだか学校の卒業式に行く時のような寂しさを感じます。

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いつものように桃太郎線に乗って無人の吉備津駅で降りて、松並木を通って吉備津神社へ。

昼前に社務所に到着して待っていると、年上チームが先ずやって来ました。

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色とりどりの自前の浴衣に、こちらで用意したカラフルな袴をはいてもらいます。

「すっごいかっこいい〜❗️」

と如何にも高校生らしい反応で、お母さんに写真を撮ってもらったりして、テンションが急上昇していくのがわかりました。

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しかし私が「じゃあ一回羽衣キリを稽古しようか」と言った途端に、

「うえ〜…」というような声をあげて、テンション急降下です。。

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それでも、稽古してみるとシテ謡も正確に謡っているし、型もほぼ出来ていました。

皆とても緊張している様子ですが、本番はまず大丈夫だろうという目処が立ちました。

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続いて年少チームが到着して、仕舞「猩々」の稽古です。

こちらはやはり少し苦労している感じでしたが、中には完璧に覚えている子供もいて感心しました。

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稽古を終えて、いよいよ本番の舞台である”拝殿”に向かいます。

今日の岡山は晴れて残暑が非常に厳しく、拝殿も屋根はあるもののムッとする暑さです。

直前に水分補給などは終えており、子供達と我々能楽師は拝殿内にスタンバイしました。

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観覧にいらした子供達の御家族なども席につかれ、宝生和英家元の御挨拶からついに発表会がスタートしました。

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年少チームの「猩々」から、1人ずつ順番に仕舞を発表していきます。

全員もちろん初舞台で、構造も通常の舞台とは異なる難しい環境の中、全員持てる力を全て出し切って、正に必死で舞っているのがわかりました。

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僅か1ヶ月の稽古でしたが、「羽衣」の年上チームまで1人も欠けることなく舞い終えてくれました。

我々能楽師の奉納仕舞を挟んで、最後に全員で「四海波」を謡いました。

こちらも実に大きな声で元気に謡ってくれて、最初の稽古で苦労した事を思い出すと実に感慨深いものがありました。

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こうして吉備津の神様に無事宝生流の仕舞と謡が奉納されました。

ひとつの新しい歴史が生まれたわけです。

しかしここで終わりではなく、この歴史をこの先積み上げていかねば意味がありません。

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年少チームの子供の中には、「来年は妹と一緒にまた来る!」と宣言してくれた子もいました。

今年から始まって、第1回目を今日無事に終えることが出来た岡山子供能楽教室。

来年再来年と繰り返していって、いつかこの吉備津の地にもまた能楽宝生流が根付いて欲しいと願いながら、あの小さな吉備津駅から小さな桃太郎線に乗って帰途に着いたのでした。

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子供能楽教室の関係者の皆様、また吉備津の皆様、色々どうもありがとうございました。

新しい観世能楽堂にて

今日は銀座の観世能楽堂にて、大皷の佳名会に出演して参りました。

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私が観世能楽堂にお邪魔するのは、観世能楽堂が渋谷から銀座に移ってから初めてのことです。

初めての能楽堂に行くというのもまた、何かと緊張するものです。

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先ず到着するまでが一苦労でした。

ちゃんとアクセス方法を調べてから行ったのですが、地下鉄日比谷線銀座駅から続く筈の地下通路が全く見つからず。。

結局一度地上に出て、三越からスタートしてようやく「GINZA SIX」という観世能楽堂があるビルに辿り着きました。

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地下3階にある能楽堂に到着すると、今度は楽屋の構造を把握するのにまた苦労しました。

宝生流の楽屋から切戸までの道順、囃子方の楽屋の場所、トイレの位置など、暫くの間マゴマゴしつつうろついてしまいました。

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そうこうするうちに、あっと言う間に私の出番、舞囃子「邯鄲」が始まる時間になりました。

切戸を潜って舞台に出ると…

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当然ながら先ずは横板が目の前にあり、そこから前を向くと三間四方の舞台が広がっていました。

「ああ、この空間はどこの能楽堂も変わらないな…」

と、言い知れぬ安心感を覚えました。

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変な話なのですが、楽屋で緊張して舞台に出るとホッとするという変な1日を過ごした気がします。

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しかし1日かけて観世能楽堂にもすっかり慣れました。

新しい観世能楽堂は、とても綺麗で素敵な雰囲気でした。

次回またお邪魔する機会があれば、今度はマゴマゴせずに落ち着いて過ごしたいと思います。

熱海での台風の思い出

台風一過の今日は、熱海のMOA能楽堂で”能楽サークル”という舞台がありました。

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実はMOA舞台では、忘れられない台風の思い出があります。

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もう15年近く前になると思いますが、演能中に台風の直撃を受けて、見所のお客様と一緒に能楽堂に閉じ込められてしまったことがあるのです。

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“MOA定期能”という催しで、能は「紅葉狩」。

シテは先代の家元でした。

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昼前にMOA能楽堂に到着した時は、まだ雨風ともにそれ程強くありませんでした。

しかし最初の狂言が終わって「紅葉狩」が始まる15時頃になると、様子が変わって来ました。

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外に面していないので、本来なら風雨の影響は全く無い筈のMOA能楽堂。

それなのにヒューヒューと吹きすさぶ風の音が聞こえ始め、やがて楽屋に水が吹き込んで来たのです。

何処からかと言うと、換気扇からでした。

換気扇は確かに外と繋がっている筈ですが、外までの距離はかなりあるのです。

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一箇所だけ窓のある小部屋から見ると、外の杉林が強風に煽られて激しく波打っているのが見えました。

しかし、既に演者もお客様も能楽堂内に入っており、寧ろ能楽堂が一番安全だと思われました。

なので、能「紅葉狩」はとにかく普通に演じられたのです。

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そして「紅葉狩」が終わってからニュースを見ると…

「台風は伊豆半島に向かっており、間もなく熱海付近に上陸する見通しです。」

なんと、熱海直撃ですか…。

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…という訳で、我々はお客様と共に、MOA能楽堂で台風直撃を迎えることになったのです。

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今スマホで調べてみたのですが、この台風は「平成16年台風22号」だったようです。

資料によれば、戦後最大級の920hPaというとんでもない勢力のまま伊豆半島付近に上陸。静岡県を中心に大きな被害を出した台風ということです。

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台風直撃前後には、窓のない部屋でじっと時間の過ぎるのを待ちました。

台風さえ過ぎてしまえば、なんとか帰れるだろうと思ったのです。しかしそう甘くはありませんでした。。

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熱海から東京に帰るには、JR、海沿いの道、山中を通る箱根ターンパイクの3つの経路があるのですが、これらが土砂崩れや高波などで全て通行不可能に。

つまり熱海は”陸の孤島”と化してしまったのです。

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雨風が弱まった20時過ぎ、我々演者とお客様はMOA美術館に併設されたホテルに移りました。

そして今度は交通の復旧をひたすらに待ち続けたのです。

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やがて日が変わる頃に、海沿いの道が通行可能になったという情報が入りました。

何台かあった車に強引に分乗して、能楽師達はまさに這々の体で熱海を脱出したのでした。

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今年もまだ台風シーズンは暫く続くことでしょう。

とにかく大きな被害が無く過ぎるように、安全を第一に行動したいと思います。

案山子に見守られて

今年の12月8日に、京大能楽部OBOGを中心にした大規模な稽古会を行います。

今日はその会に出るメンバーが集まっての稽古を、長野で敢行しました。

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長野駅前に集合して、送迎バスに乗り込みます。

私は「15分くらいで到着するのかな。」と思っていたのですが、宿に到着するまでに小一時間かかりました。

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先日の岡山よりも更に懐かしい感じの田園風景がどこまでも広がっています。

やけに案山子の多い土地で、上のようなスタンダードなタイプ。

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コウモリ型。

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猫型。

などなど、案山子の展示会のようでした。

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宿に併設の体育館を稽古場として使うことになっていました。

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こういった稽古に慣れている人ばかりが15人ほど集まっているので、準備はあっという間に進みます。

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椅子、バケツ、卓球台、平均台(?)などを使って、忽ちに舞台が設えられて、厳しい稽古を日暮れまで続けました。

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この12月の稽古会は、まだまだこれから番組も増えていきそうです。

会の名前も先ほど発表されて、「琥珀の会」と名付けられたようです。

琥珀のように、最初は柔らかな樹脂がやがて固まって熟成されて、美しい宝石のようになることを願っての命名です。

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第1回琥珀の会、また続報をお届けいたします。

本当に琥珀のように良い会に育っていくと良いと思います。