緊張感MAX

今日は大阪の香里能楽堂にて、第13回澤風会京都大会の申合がありました。

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今回は舞囃子「忠度」、「玉葛」、「草紙洗」、そして能「小袖曽我」が出るので、シテと地謡を合わせて10数名の方々が参加されました。

初めての舞囃子の方、初めて能装束を着る方なども多くいらして、皆さん緊張感MAXという感じでした。

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私のこれまでの稽古の方針としては、申合で色々と注意点をチェックして、申合から本番までの間にそれらを修正、そして本番では基本的に何も手出し口出しはしないことにしております。

つまり、私自身としても実は申合の時が一番緊張して舞台を見ているのです。

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今日もまた五感をフルに使って、チェックポイントを色々と探しておりました。

その甲斐あって、実りの多い有意義な申合になったと思います。

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毎回のことですが、ここから本番までが最も集中力が高まる期間になります。

今日申合を頑張った皆様は、どうか本番までもうひと頑張りしていただいて、最高の舞台を作っていただきたいと思っております。

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もちろん私も、ここから更に気合いを入れて稽古させていただきます。

会員の皆様、どうか本番までよろしくお願いいたします。

都庁前広場にての”東京大薪能”

昨日の熱海サンビーチから一転して、今日は東京のど真ん中、新宿の都庁前広場にて開催された”東京大薪能”に出演して参りました。

舞台の背後には巨大な東京都庁が聳え立ち、また前にも左右にも高層ビルが並ぶ、まさに”ビルの谷間”での薪能でした。

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未来世界のようなビル群に響き渡る謡と囃子。

昨日の熱海のように自然を感じながらの舞台は良いものですが、今日のようなシチュエーションもまた不思議に心地よい高揚感を感じました。

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今回の薪能には4000人以上のお客様がいらしてくださったようです。

能楽の普及という意味でも大きな意義のある催しだと思いました。

短いですが本日はこれにて。

熱海の”月の道 薪能”

今日は熱海の海岸で開催された「月の道 薪能」に出演して参りました。

毎年恒例となった薪能で、辰巳満次郎師が沖合から船で登場して、浜辺で舞うというのが大きな目玉になっています。

私は去年はその船に乗ってお手伝いをしましたが、今年は出航する桟橋でのサポートでした。

夜のヨットハーバーは、たくさんのヨットに灯りがともっていて幻想的な景色です。

ただ、水平線から昇っている筈の月は雲に隠れてしまっていました。

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シテ満次郎師を載せた船が出航していき、やがて浜辺の舞台での”能舞”が終わってヨットハーバーに戻って来ても、まだ月は顔を出してくれません。

今日は雨が降らなかっただけでも良かったのかな…と思いつつ、私は最後の演目である能「乱」の地謡座に座りました。

浜辺の客席に向けて座るので、月には背を向けるかたちになります。

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満次郎師は早変わりでシテ猩々になって、今度は橋掛りから登場です。

毎度のことながら、満次郎師の超人的な体力には圧倒されます。。

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そして「乱」が無事に終わって、舞台から降りるために背後を振り返った時、「おお…!」と驚きました。

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いつのまにか中天に見事な月が浮かんでいたのです。

「乱」の中の、「月星は隈も無し」という文句に誘われるように、顔を見せてくれたのでしょうか。

私は一瞬だけ明月を仰ぎ見てから、舞台を降りました。

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終了後の橋掛りから撮影した、熱海の夜景と月光の射すビーチ。実に美しい光景でした。

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今日の薪能が無事に終わったことを感謝しつつ、我々は月に見送られながらサンビーチを出発して、熱海駅までの長い階段をよいしょよいしょと登って帰途に着いたのでした。

地謡が凄すぎて…

先週青森稽古に行った時のこと。

青森稽古場の方が、

「この前の舞台の仕舞、全然駄目でした…。横板に正座して自分の出番を待ってる時に、真後ろの先生方の地謡があんまり凄い迫力で、それを聴いていたら一気に緊張して頭が真っ白になってしまったのです。。」

という内容のことを仰いました。

その方は「国栖」の仕舞で、確か3人組パートの最後の出番だったのです。

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そして昨日、福岡の皓月会の後にご馳走になった”光寿司”のご主人も、カウンターの向こうでやはり「今朝仕舞を舞った時に横板に座っていたら、地謡の声がもの凄くて、すぐ前で聴いていて圧倒されてしまいました。」と仰ったのです。

最もご主人は2人組パートの最初の仕舞「俊成忠度キリ」を舞われたので、こちらは出番が終わってからの話です。

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奇しくも青森と福岡で同じ内容の言葉を聞いたわけですが、ともあれこれは中々難しい問題だと思いました。

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私は誰かの仕舞の地謡を謡う時には、当然出来る限りの力で一所懸命に謡います。

しかしその一所懸命な声のせいで、横板で出番を待っている方を緊張させてしまうとしたら、それはそれで不本意なことだと思うのです。

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だからと言って、修羅物などを弱い声で優しく謡う訳にもいきません。

「力はこもっていつつ、至近距離で聴いても緊張させないような謡」

というのが可能なのか、今後研究してみたいと思います。

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澤風会などのいわゆる”同門会”での仕舞の地謡というのは、上記のようなこと以外でも本当に色々と気をつかう、難しいものです。

様々に試行錯誤した結果、私は結局「シテが遅くても早くなっても、こちらは動ぜずに淡々と普通の速さで謡う」のが一番だと言う結論に今は至っております。

しかしこれもまだ通過点なので、今回の”凄すぎる地謡”問題なども考慮しながら、最善の地謡を目指していきたいと思っております。

皓月会に出演して参りました

今朝は夜明けと共に羽田空港を飛び立ち、福岡に向かいました。

大濠能楽堂にて開催の「皓月会」に出演するためです。

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飛行機に乗ったらすぐさま福岡まで寝ようと思っていたのですが、窓際の席だったので、ついつい外を見てしまいます。

離陸後すぐに眼下に”富士の高嶺”が…!

これは正に能「羽衣」のシテ、月世界の天人の目線です。

この絶景にテンションが微妙に上がってしまい、結局一睡も出来ずに無事福岡空港に着陸。

目をこすりながら地下鉄で大濠能楽堂に直行しました。

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能楽堂到着時刻が朝9時過ぎ。日本は意外に狭いです。

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今日は先週のブログでも書いた能「芦刈」が出ることになっていました。

楽屋に向かうとこんな張り紙が…

会主のユーモア心、感服いたしました。

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今回の皓月会は会主の石黒実都師が取り仕切っておられましたが、何番かの仕舞などの地謡に出させていただいた時、謡いながら故石黒孝先生の事を無性に思い出しました。

古くからの皓月会の会員さんの型や謡に、孝先生の面影が宿っていたのでしょう。

しみじみとした気持ちになりました。

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素晴らしい舞台だった能「芦刈」をはじめ、盛り沢山の舞台が盛会のうちに終わったのが17時半前。

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その後能楽堂から移動して、会員さんのなさっている「光寿司」という大変美味しいお寿司屋さんで晩御飯をいただき、福岡空港へ移動して到着したのが21時。

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そして帰りの飛行機で今度こそは寝ようと思っていたのですが、また席は窓際なのです。。

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夜景好きな私のテンションはまた微妙に上がっており、23時到着予定の羽田空港まで結局眠らずに行ってしまうのだろうな…と思っております。

福岡空港は連休を満喫した人々で混み合っておりましたが、私は日帰りでも大変に充実した濃い皓月会の1日を過ごさせていただきました。

石黒実都師はじめ皓月会関係者の皆様、誠にありがとうございました。

(機内モードにて執筆したブログでした)

“高砂尽くし”の披露宴

昨日は五雲会の後に、恵比寿のウェスティンホテルにて大鼓方の大倉栄太郎さんの結婚披露宴に出席して参りました。

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大倉栄太郎さんは東京芸大時代の同級生で、当時能楽専攻の仲間たちと栄太郎さんの鎌倉の自宅に泊まりがけで遊びに行ったりしたのが懐かしい思い出です。

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我々能楽師の結婚披露宴では、乾杯の前に「高砂」の祝言小謡「四海波」を謡うのが慣例になっております。

昨日も宝生和英御宗家の御発声のもと、出席した能楽師が全員立ち上がって「四海波」を謡いました。

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昨日はシテ方と三役のたくさんの流儀が勢揃いした披露宴でしたが、実は「四海波」の詞章や節は流儀によって異なるのです。

私も初めて能楽師の披露宴に出席した時は、違う節が聞こえてきて戸惑いました。

しかし今ではそれにも慣れており、昨日も宝生流の「四海波」を大声で謡いました。

ところが最後の部分の「君の恵みぞ有り難き」を「君の恵みぞ有り難や」と謡う流儀があるので、そこは「き」と「や」がせめぎ合って微妙な謡になって終わりました。

聴いていた一般の方は違和感を感じられたかもしれませんが、決して誰も間違えてはいないのです。。

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そして、開宴後しばし経った頃、ふと気がつくと新郎新婦が座る”高砂”の横にあるステージに、いつのまにか数人の能楽師が座っていました。

シテ方、笛方、小鼓方、太鼓方…

あれ?1人足りません。するとおもむろに高砂席の新郎栄太郎さんが立ち上がりました。

なんと手には大鼓を持っています!

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栄太郎さんが座につくと、シテ方の金春流山井綱雄さんが謡い始めました。

「高砂や この浦船に 帆をあげて…」

おお、今日は”高砂尽くし”なのですね!

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そしてまた面白いことがありました。

結婚式で「高砂」を謡う場合、文句を一部変える習わしがあります。

「出汐」を「入汐」としたり、「遠く」を「近く」と謡ったり。

これを謡文句を「かざす」と言ったりするそうです。

昨日の山井さんもこの「かざし謡」で待謡を謡われており、「遠く鳴尾の沖過ぎて」が「春に鳴尾の沖過ぎて」となっていたり、聞きながら思わずニヤリとしてしまいました。

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新郎熱演の「高砂」居囃子も無事に終わり、やがて和やかな披露宴は終盤に差し掛かりました。

最後は新郎栄太郎さんの挨拶です。ところが…

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栄太郎さん「え〜、どうしよう何を言うのかすっかり忘れてしまいました…。あんなに練習したのに!!」

おいおい。

昔からこういうキャラで愛すべき人なのですが、ここは何とか頑張ってほしいところです。

すると…

「そうだ!思い出しました。先ほどの皆様の”四海波”の謡!」

え?

「これまでの披露宴では謡う方だったので、今日初めて高砂席から聴かせていただきましたが、”おめでとう!”というすごいエネルギーが伝わって来て、めちゃくちゃ感動しました!!」

能楽師一同大ウケです。会場全体も温かい空気に包まれました。

栄太郎さんその後なんとか挨拶をまとめて、披露宴は目出度くお開きになりました。

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高砂で始まり、高砂で締めた感じのとても良い披露宴でした。

栄太郎さん、どうか末永くお幸せに!

3000人の潮汲み

今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会が開催されました。

私は能「融」の地謡を勤めさせていただきました。

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すみません、本筋とはあまり関係ない話をさせていただきます。

以前たしかブログに書いたと思うのですが、融の大臣が京都の六条河原院に、毎日大阪湾から膨大な量の海水を運ばせたというのは非常に無茶な話だと思います。

河原院の塩釜が融の大臣の死後に相続されることが無かったのは、この作業の困難さによるのでは、と考えておりました。

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そして今日、能「融」の地謡に座って、中入で間狂言の語りを聞いていた時。

その海水を運ぶ人足の話が出てきたのです。

「御津の浜に1000人、道中に1000人、河原院に1000人を配置して、合計3000人を用いて毎日潮を運んだ」

という内容でした。

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これはかなり具体的な数字です。

3000人の人足がいれば、人数的には確かに大阪から京都への海水の輸送は可能かもしれないなと一瞬思いました。

しかし良く考えてみると、現代においても1日3000人のスタッフを導入する程の大イベントはそうそう無いと思われます。

ましてやそれが毎日で、しかも一貴族の雅やかな趣向を満たすだけの為に潮汲みを繰り返す人足は、正直「やってられん!」と感じていたのでは…と思ってしまいます。

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現代ならばさしづめ「ブラックバイト」とも言われそうなこの仕事、当時の従業員にあたる人足達の話を聞いてみたいと、間狂言の後半を聞きながら思ったのでした。

地上版ドリフトダイビング

スキューバダイビングのやり方のひとつに「ドリフトダイビング」というのがあります。

これは、最初に海に入った場所から潮流に乗って流れて行き、途中何ヶ所かのポイントに立ち寄って、魚や地形を観察するという方法です。

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そして今日の私は、青森から芦屋迄の「地上版ドリフトダイビング」のような1日を過ごす予定なのです。

①青森にて起床→新幹線で東京に移動。

②水道橋宝生能楽堂にて五雲会申合、能「融」地謡→新幹線で大阪に移動。

③大槻能楽堂にて大阪養成会下申合、能「経政」後見→地下鉄とJRで芦屋に移動。

④芦屋で稽古→JRで京都に移動、宿泊。

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…という感じです。

海中のドリフトダイビングは、流れに乗って軽々と泳げて中々快適なのですが、地上版はそうはいきません。

ポイント毎に舞台や稽古をこなしていかなければいけないのです。

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現時点で大阪まで無事流れて来て、③大槻能楽堂での養成会下申合がこれから始まります。

果たして④まで無事流れていけるでしょうか…。

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今日はこれにて失礼いたします。

みちのくの千賀の塩釜

私はまだ「融」の能を舞ったことはありませんが、「陸奥の千賀の塩釜」に一度は行ってみたいと思っておりました。

仙台から在来線で片道30分程度の距離です。

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今日の日中は、仙台から青森稽古に移動するまでに少し時間がありました。

なのでこの隙間時間に、素早く塩釜を見て来ようと思い立ったのです。

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仙台駅を出た仙石線は、ワキのように道行を謡う間も無く”本塩釜駅”に到着しました。

塩釜は「本マグロ水揚げ日本一の町」だそうで、本塩釜駅には大きなマグロのオブジェがありました。

とりあえず”鹽竈神社”に向かうべく、神社参道方面へ。

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街道を歩いていくと、こんな看板がありました。

どうやら山の上にある鹽竈神社へは、3つの行き方があるようです。

ここはやはり”202段の急な階段”でしょう。

表参道を目指すことにしました。

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やがて、鬱蒼とした森に抱かれたような鹽竈神社に到着。非常に荘厳な雰囲気です。

鳥居をくぐると…

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表参道202段の威容が眼前に。

思えば去年も京都の”鷲の尾の寺”で長大な階段を登りました。

よいしょよいしょと一気に登り切って、振り返るとこんな感じ。

角度が判りづらいですが、かなり急です。

神社の見取図の左の方に表参道の階段が描いてあります。本当にこんな角度に感じました。

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主祭神であり、塩の製法を教えたと言われる”塩土老翁神(しおつちおじのかみ)”に参詣して、境内を見てまわりました。

しかし、”融”に関する史跡などは見つからず、謡曲史跡保存会のあの立札もありませんでした。。

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境内からは遠く”千賀の浦”が望めました。

絶景とまではいかない眺望でした。昔はまた違った風景だったのでしょうか。

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帰りは、奈良時代に出来たとされる最も古い参道”七曲坂”で山を降りました。

森の中の静かな道は、京都の大文字山のような感じでした。

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実は行きの街道で気になる地名の石碑を見つけていました。

「融ヶ岡」。

鹽竈神社から街道を挟んで向かい側の小高い丘です。

なんと、864年に源融がこの地にやって来て、この融ヶ岡に屋敷を構えたとの伝説があるようです。

これは行ってみなければ。

融ヶ岡の麓に階段がありました。

登ってみたのですが、草むした人気の無い広場があるだけで、やはり”融”に纏わる史跡は皆無でした。。

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蜘蛛の巣を払いながらすごすごと階段を降り、時間も迫ってきたので駅へ向かうことにしました。

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帰りは街道ではなく、少し細い通りを歩いてみました。すると…

店先で魚の串焼きをしている魚屋さんが!

実に実に美味しそうです。そう言えば昼御飯がまだでした。

というわけで…

銀鱈の串焼きを求めて、その場でお箸を貰っていただいてしまいました。

よく歩いた後でもあり、大変に美味しかったです!

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帰りの電車まであと15分ほど。

そこで駅前の”壱番館”という施設の屋上にある展望台に上がってみました。

6階の屋上から更に展望台の階段を登ります。

今日は階段に縁のある日です。。

展望台から見る千賀の浦(塩釜港)の景色は、開放的で気持ちの良いものでした。

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しかし、正直な感想を申し上げると、この風景はわざわざ都から観賞しに来るほどの絶景とまでは言えない気がします。

融の大臣も、やはり実際にここを訪れたのではなく、想像で六条河原院を造ったと考える方がむしろ夢があるように思いました。

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ともあれ、念願の塩釜詣でが出来てとても満足いたしました。

実は明日宝生能楽堂の五雲会申合にて、私は能「融」の地謡を謡うのです。

今日の色々を思い出しながら謡うのが、大変に楽しみになりました。

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先ずはこれから、青森稽古頑張って参ります。

10年で10番の能を舞うこと

今日は大阪の香里能楽堂にて、「皓月会」の申合がありました。

皓月会は故石黒孝師の同門会で、今は石黒実都さんが引き継いで稽古されています。

今回はご自分の「松実会」と合同での開催だそうです。

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私は今日は能「芦刈」の地謡を謡ったのですが、この「芦刈」のシテをなさる方は、なんと「10年連続して能を10番舞う」という大きな目標を立てて、実際にもう9年連続してシテをされているそうなのです。

これまた大変なことです。

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10年で10番の能を舞うには、様々な条件が整っていることが必要です。

たとえば時間的、経済的な条件がクリア出来たとしても、それに加えてよほど健康な身体と、強靭な精神力が無いと不可能なことです。

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毎年モチベーションを維持しつつ、新たな能に元気にチャレンジし続けておられるのは、本当に賞賛に値する偉業だと思います。

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番組に載っている石黒実都さんの挨拶文に、「皓月会は再来年50周年を迎えます。父の孫の石黒空がこの道を志すことを決めたので、皓月会は100周年を目指すことも可能になりました。」とありました。

100周年。これまた実現すれば大変な偉業です。

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先ずは来週月曜日9月17日に、九州大濠能楽堂にて開催の「皓月会」のご盛会と、能「芦刈」の成功をお祈りしつつ、精一杯お手伝いさせていただきたいと思います。