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チーム曽我、チーム頼朝

今は良くない意味でですが「アメリカンフットボール」が話題になっています。

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このアメリカンフットボールは、1つのチームの中に「攻撃チーム」と「守備チーム」と「キッキングチーム」が分かれて存在しているのが特徴です。

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試合の局面に合わせて、3つのチームがくるくると入れ替わるわけです。

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私がシテを勤める能「夜討曽我」はいよいよ明日が申合ですが、この「夜討曽我」という曲は、「チームに分かれている」という点でアメリカンフットボールに似たところがあります。

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曲の前半では、いわば「チーム曽我」とも言える4人が登場して、チーム内での人間模様が描かれます。

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そして後半になると、シテの曽我五郎以外は「チーム頼朝」とがらりと入れ替わり、五郎対「チーム頼朝」の戦闘が展開されるのです。

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こういった曲では、各チームの構成員の個性によって曲の印象も随分と変わってきます。

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今回の「夜討曽我」では、前半の「チーム曽我」は私以外の十郎、団三郎、鬼王をすべて先輩達が演じます。

それぞれがシテとしても実力派で、この皆さんと組んで私がシテを勤めるのは、実は非常なプレッシャーなのです。

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少ない動きの中での、4人の「チーム曽我」の命懸けの台詞の応酬。

先輩方の胸をお借りするつもりで頑張ろうと思います。

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一方で後半に登場する「チーム頼朝」は、私の少し後輩になる若手能楽師4人が揃いました。

年齢で言うと私よりも一回り程も下の若者達です。

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今度はイキのいい若武者達との、こちらも命懸けの切り組み。

若いパワーに負けないように、気合いを入れて臨みたいと思います。

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このように、一曲のうちで異なる2つのチームが登場する華やかな曲「夜討曽我」は、

・宝生夜能

5月25日(金)18時15分開始 於宝生能楽堂

にて演じられます。

尺八の演奏や、仕舞3番も出る盛りだくさんの催しです。

皆さまどうか今週末の夜は宝生能楽堂でお楽しみくださいませ。

幕上げのバリエーション

「能舞台」は他の舞台とは異なる独特の構造をしています。

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「橋掛り」と呼ばれる廊下のような構造が舞台から延びていて、その突き当たりには「揚げ幕」が垂れています。

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この「揚げ幕」は、基本的には幕の下端に結び付けられた2本の長い竹によって上げ下げをしますが、実は幕の開け方にはいくつかの種類があります。

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①2本の竹を垂直に立てて、幕を全開にする。

②竹ではなく幕の片側の布を持って、人間が1人通れるだけの隙間を開ける…「片幕」と呼ばれる。

③竹を少しだけ持ち上げて、半分くらい揚がった幕の下をくぐるようにして、後見が作り物などを舞台に出す…「半幕」と呼ばれる。

④2本の竹を交差させて束ね、それをクルクルと巻き上げて幕を半分ほど揚げ、シテの姿を少しだけ見せる…これも「半幕」と呼ばれる。

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先ずシテ、ワキ、ツレは①の開け方で舞台に登場します。

狂言も大半は①で出ますが、間狂言では②の「片幕」で登場することがあります。

囃子方は、能の時は②の「片幕」で、舞囃子の時は切戸から舞台に出ます。

③は例えば能「黒塚」の「枠かせ輪」や、能「松風」の「汐汲み車」などの作り物を舞台に出す時に用いられる開け方です。この「半幕」で舞台に出した作り物は、必ず切戸から引く決まりです。

また極めて例外的に、能「錦戸」のツレはこの「半幕」を使って舞台から退場します。

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…そして見所のお客様が最も注目するべきは④の「半幕」なのです。

この④の開け方をするのは、数ある能の中でもほんの数曲に限られています。

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実は昨日の五雲会で演じられた能「石橋」も、この④が用いられる曲のひとつでした。

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能「石橋」で、前ツレが①の開け方で静かに舞台から退場した途端に、囃子方が「乱序」という激しい囃子を打ち出します。

この掛け声がまるで「獅子の咆哮」のようで大変に迫力があり、お客様の視線は一瞬囃子方に集中します。

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しかしながら、この瞬間に幕の内側では大きな動きが行われているのです。

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ツレが退場して幕が閉まった直後に、後見は瞬時に竹を交差させて束ね、シテ「獅子」が幕の際ギリギリまで素早く歩み出ます。

そして「乱序」の囃子が始まった瞬間、2人の後見が幕をクルクルと巻き上げ、シテの首の下までが見えるようにするのです。

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この「半幕」が上がっているのは、笛の「ヒシギ」の間の僅か数秒だけで、ヒシギが終わるとまたクルクルと幕が下されます。

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お客様の大半、特に「脇正面」のお客様は、昨日も殆どがこの「半幕」を見逃されていたと思われます。。

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他の曲では、能「船弁慶 後ノ出留ノ伝」や能「小鍛冶 白頭」、また能「望月」の後シテなどが、この④の「半幕」で一瞬だけそのシルエットを見せるのです。

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能楽は知れば知るほど面白いと言われますが、この幕の揚げ方のバリエーションもやはり、知ってからご覧になった方がより舞台を楽しめると思われます。

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「獅子口」の締め方

今日は宝生能楽堂にて五雲会が開催され、辰巳大二郎さんが能「石橋」の披きを無事に勤められました。

私もその地謡を勤めさせていただきました。

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「石橋」のシテは「獅子」ですが、この獅子は他の曲には無い極めて特殊な動きをします。

その動きのひとつが、「首を激しく振る」というものです。

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歌舞伎の獅子になると、紅白の頭を振り回す「毛振り」と呼ばれるより派手な動きになりますが、能ではその場で左右にブンブンと顔を切ります。

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また一方、能「石橋」のシテは「獅子口」というこの曲専用の面を掛けます。

この「獅子口」という面は、数ある能面の中でも最も大きく、最も重たい面なのです。

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そんな重い「獅子口」を掛けて激しく首を振ると、面がズレてしまいそうです。

そうならない秘密は、実は「面紐」にあるのです。

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能面の両目の横あたりには穴が開いています。

通常はこの左右の穴に面紐を一本ずつ通して、頭の後ろで結んで固定します。

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しかし能「石橋」においては、「獅子口」の左右の穴に面紐を2本ずつ通すのです。

そして頭の後ろで高さを変えて2箇所で固定する訳です。

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しかもその面紐を他の曲と比べて非常にキツく締め上げます。

後見が面紐を締めていくと、「ギチ…ギチ…」と紐が頭に食い込む音が聞こえます。

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こんなに締めて大丈夫なのかな、紐が切れたりしないのだろうか、いや寧ろ頭が破裂するのでは…と、楽屋に入ったばかりの頃は本気で心配したものです。

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そしてそのように2箇所で縛った後に、最初に締めた方の紐を一度解いて、再び更に強く締め直すという念の入れようなのです。

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そこまで締めると、「獅子口」は最早シテの頭と一体化したかのように完璧に固定されます。

そうなればシテは安心して、思う存分左右にブンブンと頭を振れるという訳なのです。

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今日のシテ辰巳大二郎さんも、溌剌とした動きで頭を振っていました。

若さ溢れる清々しい獅子でした。

大二郎さんおめでとうございました。

最古の薪能「興福寺薪御能」

今日は奈良の興福寺薪御能にて、辰巳満次郎師シテの能「俊成忠度」のツレ藤原俊成を勤めて参りました。

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「興福寺薪御能」の発祥は西暦869年にまで遡るそうです。

その頃はもちろんまだ「能楽」は存在しておらず、「修二会」という儀式に大和猿楽の楽師が出勤していました。

その後猿楽が発展して能が生まれ、「修二会」の儀式から「薪御能」へと変わっていったようです。

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現代では全国各地で沢山の薪能が催されていますが、その元祖と言える舞台がこの「薪御能」なのです。

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橋掛りが舞台の裏側を通ってついていたり、地謡や囃子方が素袍裃に侍烏帽子を着していたり、また薪能の開始時に「独特の儀式」があったりと、おそらくとても古い能の型式を残している催しなのだと思われます。

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今日は残念ながら天候の関係で、野外ではなく雨天会場のホールでの開催になってしまいました。

しかし考えてみれば、いにしえの時代には「雨天会場」などは無かったはずです。

その時代の薪御能の主催者は、天候に一喜一憂させられてさぞかし大変ことだったろうと思います。

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先ほど書いた「独特の儀式」の中には、芝の上に敷いた何枚かの紙を下駄で踏んで、そこに水がしみ出てこないか確認する、というものもあるのです。

これは雨上がりの状況で何とか舞台を行おうとした時の苦心の名残りだと思われます。

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明日も行われる「興福寺薪御能」。

明日は野外で開催されるように祈っております。

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「ワサビ」と「氷」と「正座」?

今日は宝生能楽堂にて「能プラスワン」に出演して参りました。

天候の悪い中をいらしていただいた皆様、誠にありがとうございました。

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今回は京都大学大学院薬学研究科の金子周司教授をお招きして、「正座による”痺れ”の感覚」について色々お話を伺いました。

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我々の体内にある感覚神経には通称「ワサビ受容体」という痛み刺激センサーが存在するそうです。

そして実は「ワサビが辛い!」という感覚と「氷が冷たい!」という感覚と、「正座で痺れて足が痛い!」という感覚は、全て同じこの「ワサビ受容体」によって感知されているそうなのです。

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つまり「ワサビ受容体」の働きを抑制する薬が出来れば、「正座による足の痛み」は解消されるわけです。

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この薬の研究は、本来は正座ではなく「糖尿病治療薬」や「抗がん剤」などの難病治療薬の開発に繋がるものであり、金子先生の研究室は京都大学の中でも最先端を行く研究室のひとつなのです。

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今回は時間の制約もあり、限られたテーマのお話しか伺えませんでした。

しかし金子先生は例えば「茶道・華道」の関係者に招かれて、「足の痺れにくい畳」の開発に向けた会合に参加されたりと、まだまだ色々興味深いお話がありそうです。

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また私としても、今回の「能プラスワン」でようやく初めて「正座」というものに本格的に眼を向けた気がします。

今回は接触できませんでしたが、「日本正座協会」という素敵な名称の組織があることも知りました。

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「正座」を研究して、最終的に「どんなに長く正座しても絶対に立てる方法」を確立するための私の旅は、まだ始まったばかりなのかもしれません。

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今後は金子先生とも交流を続けて、出来れば「日本正座協会」とも接触し、「正座」というものに色々な角度からより深く迫って行きたいと思っております。

今日いらしていただいた皆様には、また何らかの形で続報をお伝え出来ればと思います。

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能「鵜飼」の思い出

今朝のニュースで「長良川の鵜飼が今日から始まる」というのを知りました。

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能にも「鵜飼」という曲があるのは周知の事ですが、私は「鵜飼」という単語にはまた特別な感慨を覚えるのです。

何故なら能「鵜飼」は、私が京大宝生会の指導を引き継いでから初めて学生に教えた能で、大変思い出深い曲だからです。

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もう10数年も前のことです。

当時能「鵜飼」のシテを勤めた金沢出身の部員の実家のお寺で「能合宿」をしたり、また彼がその実家のお寺から「僧衣」を借りて来て稽古用の装束にしたり、金沢の土産物屋で安く買ったいいかげんな能面を彫り直して稽古面に仕立てたり、前シテの持つ「松明」を私が手作りしたり…。

とにかくあらゆる点で試行錯誤を重ねて舞台を作り上げました。

私はまだ内弟子の頃で、型付や囃子の手付を見ながら危なっかしくあしらったりしたものです。

当日の装束付けや楽屋の仕事など、慣れないことばかりでとにかく必死でしたが、その分舞台が成功した時の達成感は格別のものがありました。

またその後数年にわたって出た何番かの能に繋がる「勢い」のようなものが、あの舞台で生まれた気がします。

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その時のシテと地謡のメンバーには、今の若手OBOGの稽古会の中心メンバーが揃っています。

思えばあの時「鵜飼」という一曲の能が成功したことで、私も含めた何人かの人生と、その後の京大宝生会の針路が大きく影響を受けたのだと思います。

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今日の鵜飼のニュースであの時の事を懐かしく思い出しました。

…しかし考えてみれば、私はまだ実際の「鵜飼」を見たことがありません。

当時何人かの部員が宇治川の鵜飼を見に行ったのですが、私は予定が合わなかったのでした。

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今年の鵜飼は今日から10月15日まで行われるそうです。

そして現在では、中秋の名月の日を除けば満月の夜にも鵜飼が行われるとのこと。

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今朝のニュースに気づいたのも何かの御縁。

機会を見つけて、何とか今シーズンに一度鵜飼を見に行きたいものです。

松山城二ノ丸薪能

昨日の青森から今日は遥々と四国松山に移動して「松山城二ノ丸薪能」に出演して参りました。

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今朝の東京は雨でしたが、羽田空港を飛び立つとすぐに雲を突き抜けて青空へ。

「水や空。空行くもまた雲の波…」という八島の謡が頭に浮かんできました。

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松山空港近くには刈入れ間近の麦畑が広がっていました。

昨日の「リラ冷え」から一転して「麦秋」の風景です。

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松山城に到着しました。

信州松本城とは対照的に、高い山の上に立つお城です。

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二ノ丸薪能の舞台です。

見事な石垣を背景に、新緑が溢れて覆い被さってきそうな舞台でした。

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本番まで時間があったので天守閣を見に行くと、松山城を築いた戦国武将で、賤ヶ岳七本槍の1人「加藤嘉明」のゆるキャラ版「よしあきくん」が出迎えてくれました。背後に聳えるのが天守閣です。

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この後本番に突入したので映像はここまでです。

夕方風が強くなって心配したのですが、18時の薪能開始時間になると嘘のように静かになりました。

「伊予の夕凪」と言って、午後6時くらいになると風が止まると地元の方に教えてもらいました。これもまた美しい言葉だと思いました。

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関係者の皆様の御尽力と、「伊予の夕凪」のおかげもあり、薪能は大変素晴らしい舞台になりました。

関係者の皆様どうもありがとうございました。

曽我兄弟ゆかりの里

昨日の古本市で購入した「曽我物語・物語の舞台を歩く」を早速パラパラと読んでみました。

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能「夜討曽我」において、曽我五郎・十郎兄弟は遂に念願の仇討ちを果たしますが、それは建久4年(1193年)5月28日の深夜の事でした。

私が夜能で「夜討曽我」のシテを勤めるのが5月25日。とても近い日どりです。

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本によると、この夜討があった「5月28日」に合わせて、曽我兄弟ゆかりの地では色々な行事が行われるようです。

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JR御殿場線の下曽我駅で降りると、その一帯がその昔「曽我の里」と呼ばれたそうで、曽我氏の菩提寺である「城前寺」があります。

この城前寺で、毎年5月28日に「曽我の傘焼き祭」が行われてきました。

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「傘焼き」とは、曽我兄弟の夜討の時に、兄弟に斬りつけられた人達が火のついた蓑や笠を投げ出して辺りを明るく照らしたというエピソードに因んだ行事だそうです。

前夜祭の27日には奉納謡曲大会も催されるとのこと。きっと「曽我物」シリーズが謡われるのでしょう。

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またJR身延線の入山瀬駅の周辺は古くは「駿河国小林郷」と呼ばれ、実は曽我兄弟が神として祀られている土地なのです。「曽我八幡宮」がその社で、近くには曽我兄弟を供養する「曽我寺」もあります。.この曽我寺を中心にして、5月下旬には「曽我まつり」が行われます。境内にある「曽我兄弟の墓」の前などで供養会があった後、「曽我八幡宮」、「五郎の首洗い井戸」、「虎御前(十郎の恋人)の腰掛石」などを巡る巡回供養があるそうです。.

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ともに5月25日の夜能が終わった後の行事なのが残念ですが、「曽我の里」がある下曽我や、「小林郷」がある入山瀬を、何とか本番までに一度訪ねてみたいと思っております。

本郷給水所公園

今日は水道橋宝生能楽堂にて「金春流宗家継承披露能」に出演して参りました。

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出番は宝生和英家元の仕舞「八島」の地謡一番だけで、滞りなく終わりました。

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早くに宝生能楽堂を出たので、少し謡を覚える為に寄り道をすることにしました。

宝生能楽堂横の「宝生坂」は度々ご紹介していますが、その宝生坂を登りきった突き当たりに公園があるのです。

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「本郷給水所公園」です。私は「水道公園」とも呼んでいますが、この公園はとても綺麗に整備されていて、私のお気に入りスポットのひとつです。

「都会のオアシス」という趣きなのです。

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今の時期は薔薇園が満開になっています。

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東京都内ではなく、どこかヨーロッパの庭園にでも行ったような気分になります。

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こんなに綺麗な薔薇園ですが、あまり有名ではないからか、連休中にもかかわらず人はそれ程多くありません。

その辺も大変好ましい公園です。

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薔薇はさすがに西洋風な名前ばかりで、かろうじて見つけた和風の名前の「しろたえ」という薔薇がありました。

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園内には菖蒲園などもあります。

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色々鑑賞しつつベンチで暫し謡本をお浚いしてから、帰路につきました。

皆様も宝生能楽堂にお越しの際は、この公園を覗いてみてはいかがでしょうか。

私がベンチで缶コーヒーを飲みながら、謡本もしくは文庫本など読んでいるかもしれません。

匂いが”聞こえる”

今日は綾部で行われた「大本みろく能」に出演して参りました。

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一年前の今日5月3日のブログにも書いたのですが、半屋外の舞台は今回も大変心地よい風が吹いておりました。

最後の能「巻絹イロエ」のツレを勤めたのですが、舞台の冒頭に常座でツレの謡が始まる頃にちょうど雲が晴れて日が射して来ました。

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ツレは都から熊野へと巻絹を持って向かう道中を、「帝の命令とは荷が重くて、安らぐ暇もないなあ」と嘆いているように謡っていますが、実はその旅を楽しんでいる節もある気がします。

折しも天気が快復して、私の視界の端では爽やかな青空が覗いています。

私は自分が冬晴れの下で熊野灘を望みながら、また苔むした熊野古道を踏みしめながら、どこか浮き立つように歩く心持ちで道行を謡いました。

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熊野に到着したツレは先ず「音無天神」に詣でます。

そこで冬梅の匂いに気がつくのですが、その時の表現が「や、冬梅の匂いが聞こえるな。どこにあるのかな?」というものなのです。

「匂いが聞こえる」というのは実に繊細で優しい表現だと思います。

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音も無く咲いている梅が、「私はここに咲いていますよ…」と小声で囁くように香っているイメージが湧いてきます。

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道行の内容と言い、このツレはとても豊かな感受性を持っている人だと思われて、私の好きなツレの1人なのです。

このツレのような旅がしたいものだなあと思いながら、実際は今日もまた時速200キロの新幹線に乗っての、超高速の東京への道行なのでした。。