新作能に吹き込まれる生命

あっと言う間に今年も4日が経過してしまいました。

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年末からずっと東京で過ごしていますが、お正月の東京は何と言っても電車が空いているのが良かったです。三が日の移動中はゆっくり座って本を読むことができました。

そして忘年会シーズンに多かったホームの酔客もお正月には姿を消して、東京も一年中この雰囲気と人口密度ならもっと住みやすいのに…と思ってしまいます。

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今日は水道橋で新作能「王昭君」の稽古がありました。

私は地謡での参加なのですが、一回稽古する度に節や位や囃子の手組が定まっていき、まるで曲に徐々に命が吹き込まれていくように感じます。

これに型が加わって立体的になると、いよいよ曲が生命を持って動き出すわけです。

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新作能に限らず、能は謡本を読んだだけの印象と、実際に能舞台で演じられた時の見え方が全く異なる曲が多い気がします。

今回の新作「王昭君」が舞台の上でどのような能として顕現するのか、楽しみになってまいりました。

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新作能「王昭君」

1月26日(土)13時半開演 於たかいし市民文化会館アプラ大ホール

チケット一般1000円 高校生以下500円

お問合せアプラホール072-267-0018

一番下にあったのは…

昨日書きましたように、今日の私の最大のミッションは「机の上を片付ける」ということでした。

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思えば1年前の年末は、翌3月に控えた「郁雲会40周年・東京澤風会第5回記念大会」の番組作りに大半の時間を費やしておりました。

なので机の上の整理整頓まで全く手が回らなかったのです。

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おそらく2年ぶりとなる本格的な机掃除です。

上にあるものから順々に「要るもの・要らないもの」に仕分けしていきました。

それはまた今年の時間を徐々に遡っていく作業でもありました。

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つい先日の関西宝連番組と経政の絵のチラシ→11月の京大能と狂言の会の番組とサブパンフ→10月の松本澤風会番組と乗鞍高原の地図→澤風会京都大会の番組と大山崎聴竹居のパンフレット…

と遡っていき、更に8月の岡山子供能楽教室と吉備津神社のパンフレット、松本城薪能のチラシや前座発表会番組及び松本市民タイムズの記事、3月の郁雲会澤風会の番組とパーティやお弁当など諸々の書類…

と続いていきました。

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そして机の上の山はまだまだ残っており、去年の関西宝連や京大能狂、松本澤風会、澤風会京都大会…とまた少しずつ遡って行って、遂に一番下にはなんと一昨年平成28年春の「澤風会10周年記念東京大会」の番組が埋もれていたのでした。。

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つまり今日1日で、ほぼ3年前までの自分の足跡を振り返ったことになります。

色々とても懐かしい番組や資料があり、この機会に整理して保存しておこうと思います。

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そして机の上が見違えるように綺麗になり、非常に良い気分です。

明日はいよいよ大晦日です。

たまった本の整理などをして、あとは静かに新年の訪れを待とうと思っております。

足の裏が見えるシーン

先日の五雲会での能「舎利」の数日前に、「舎利では見所に足の裏が見える可能性が高いので、新しい足袋を履きます」

という内容のブログを書きました。

今日はその後日談を。

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能「舎利」の冒頭、舎利殿を表す台が舞台の正先に出されて、更にその上に”三宝”に載せられた舎利珠が据え置かれます。

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そして前シテは中入の直前に舎利珠を取り上げた後、この”三宝”を睨みつけ、高く上げた右足で「グシャリ!」と三宝を踏み潰してから飛び去っていくのです。

舎利殿の天井を蹴破る様子をこの型で表現しているそうですが、初めて見るとちょっと驚くシーンです。

しかし能面を掛けているために、実は踏み潰す瞬間には”三宝”はシテからは見えていないので、綺麗に潰すのがとても難しくもあるのです。

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この”三宝”は、形は神社などでよく見る三宝そのものなのですが、全体が黒い布で覆われています。

この特殊な”三宝”は舎利が出る度に内弟子が手作りします。

私も何度も作ったのですが、真上から踏むと簡単に綺麗に潰れて、尚且つシテの足に刺さったり絡まったりしないように、素材や構造に工夫が凝らされているのです。

中々に手間のかかる作り物です。

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今回も楽屋で見ると、大変丁寧に作られた”三宝”でした。

これは心して踏み潰さないと。

そしていよいよ能「舎利」が始まり、話が進んで前シテが舞台の真ん中で「下に居」をするところまで来ました。

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「下に居」をすると、ちょうど正面に”舎利珠”が見えます。

そしてその先、見所の最前列のど真ん中になんと京大宝生会の若手OB2人が正に「かぶりつく」勢いで観ているのが見えたのです。

普段は脇正面に座っている2人です。これは私のブログを読んで、「足の裏が見えるシーン」を狙って正面最前列に座っているに違いありません。

これは益々失敗出来なくなりました。。

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いよいよ中入前。

私は台に飛び乗り、三宝の右横で「くるくる」と一回転してから素早くしゃがみ込んで”舎利珠”を取り上げました。

そして一度立ち上がり、三宝に向けて顔を切ってから右足を振り上げます。

するとそれを見上げる京大の2人が目を丸くしているのが一瞬だけ見えました。

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「グシャッ!」という手応え(足応え?)があった後、私はすぐに三宝から足を離し、飛び返って台から降りて幕へと走り込みました。

「果たして三宝は上手く潰れただろうか…?」

と気になって、中入してすぐに楽屋で見ていた楽師達に聞いてみると、

「ばっちり潰れてましたよ!」

との答えが返ってきて安心しました。

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そして後日、あの最前列で観てくれた2人に「どうだった?」

と聞いてみたところ、

「はい、足の裏が見えました!」

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…というわけで、”三宝”を丁寧に作ってくれた内弟子さんにも、ブログを読んで観てくれた人達にも面目が立ってホッとしたのでした。

76往復目

このところ連日「今年最後の…」という話題ですが、今日はまた「2018年最後の新幹線」に乗ったというお話です。

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試みに手帳を見て数えてみたのですが、今年は東海道新幹線(京都、大阪)と東北新幹線(青森、仙台)を合わせて76往復152本の新幹線に乗ったようです。

今は76往復目の帰りの新幹線に乗っている訳です。

改めて、私の日々の稽古や舞台は”新幹線”あってこそ可能なのだと感謝しております。

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思えば去年2017年は鉄道関係のトラブルに巻き込まれることが多かった気がします。

青森駅が全面停電で東京に戻れないとか、岡山駅でペットの犬がホームから線路に逃げて遅延とか…。

今年2018年は不思議にそんなトラブルが少ない年でした。

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今もクリスマスイブだからか新幹線はとても空いており、ゆったりと座って東京に戻れそうです。

次に乗るのは年が明けて少し経ってからになる予定です。

来年も今年と同じような移動の日々になりそうですが、願わくばトラブルの少ない1年になってほしいものです。

2018年最後の舞台

今日は奈良の新公会堂能舞台にて「崇宝会・松実会大会」に出演して参りました。

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今年の私の能舞台での仕事はこれで最後でした。

この1年、大阪や九州などいくつかの舞台でお会いした方々が、今日も元気に舞ったり謡ったりしておられました。中にはついこの間能のシテやツレを勤められた方も。

大きな舞台が終わっても、すぐにまた次の仕舞や謡に励んでおられるのを見て感心いたしました。

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崇宝会の皆さんは既に来年3月初めの東京での崇宝会大会を視野に入れておられて、また松実会の皆さんも早くも来年9月の松実会の番組の話などもされていました。

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そして、同志社、京女、南女宝生会などのOBOGさんも多く参加されていて、中には卒業以来ちょっと久しぶりに顔を見る人もいて嬉しくなりました。

たとえ仕舞までは舞わなくても、地謡だけでも気兼ねなく参加出来る舞台があるのは素晴らしいことだと思います。

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終了後の和やかなムードの宴会の楽しさについ腰が重くなり、危うく奈良からの最終の近鉄を逃すところでした。

私の年内の仕事自体は無論まだまだ終わりではなく、明日からまた頑張ろうと思います。

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崇宝会松実会の皆様、今日はとても良い舞台に参加させていただきまして誠にありがとうございました。

2018年冬の関西宝連が無事終了いたしました

本日香里能楽堂にて、関西宝連の舞台が無事に終了いたしました。

例年にも増して沢山見所に応援にいらしてくださった皆様、誠にありがとうございました。

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色々な出来事がありましたが、まだ終えたばかりで消化してお話するのが中々難しいです。。

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とりあえず能「経政」が成功裡に終わったことがやはり大きな収穫でした。

「次の能を来年冬の関西宝連で出すのは可能か、そして地頭を3回生にしても大丈夫か?」という相談を学生から受けたのが1年ほど前。

そこからの1年間の道のりは決して平坦なものではなく、部員達はそれぞれが様々な試練を乗り越えなくてはなりませんでした。

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また4月に入った1回生達は、ギリギリまで一緒に能地の稽古をして、その成果か例年よりも部員全員が一体感を持って本番を迎えられた気がします。

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そのように実に沢山の良いことや辛いことを経てついに始まった能「経政」は、とても熱い舞台になったと思います。

シテも地も気迫が漲っていて、しかし決して舞い上がること無く「静かに燃えている」という感じでした。

申合で出た修正点もことごとく改善されています。

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舞台が佳境に入ったのはクセが始まったところでした。

「月に双びの丘の松の…」という地の謡い出しは、それまでの丁寧に道を辿るような雰囲気から、ついに何かが弾けたような激しい調子になりました。

溜まっていたもの、熟成されたもの達が一気に発散されて気化していくような、なんとも言えない感情に後見座で聴いていて胸が熱くなりました。

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この舞台を間近で体感した1回生達も、きっとそれぞれに感じることがあったと思います。

その想いがまた来年再来年に能の舞台で花開き、発散されてさらに次の世代に伝わっていけば良いと思います。

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学生の皆さん今回も素晴らしい舞台をありがとう。

幹事の皆さんお疲れ様でした。

五雲会の能「舎利」無事終了いたしました

本日五雲会にて能「舎利」が無事に終了いたしました。

ご遠方からの方々も含めて、たくさんの皆様にお越しいただきまして、誠にありがとうございました。

能「舎利」の感想はまた改めて詳しく書かせていただきます。。

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今年の私のシテは今日で全て終わりました。

一応ホッと一息なのですが、今は新幹線で関西に移動中です。

明日は香里園能楽堂にて「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されて、京大宝生会は能「経政」を出すことになっているのです。

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明日は学生達にとってはある意味、人生の中での山場の1日になるわけです。

私はその1日が少しでも充実したものになるように、頑張ってサポートしたいと思います。

1700年をかけて…

今日は宝生能楽堂にて能「舎利」の最終確認の稽古をして、チケットのことなど諸々の準備を済ませました。

あとは明日の本番を待つばかりです。

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「舎利」に関して、かねてより疑問に思うことがありました。

「シテ足疾鬼はお釈迦様の入滅の後、泉涌寺に現れるまで何をしていたのか?」

ということです。

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お釈迦様の入滅の時期は、諸説あるようですがおよそ紀元前500年前後のようです。

一方で京都泉涌寺に大陸から”牙舎利”がもたらされて舎利殿に祀られたのは、泉涌寺ホームページによれば1228年のことだそうです。

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つまり釈迦入滅から舎利が泉涌寺に来るまでには1700年ほどの時間差があることになります。

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足疾鬼は釈迦入滅の時に、一度は仏舎利を奪いながら韋駄天に取り返されます。

その時の戦いのダメージから回復するのに1700年かかった可能性はあると思います。

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1700年をかけて完全に復活して、満を持して泉涌寺に向かった足疾鬼。

しかし彼は能「舎利」の最後でも、またしても韋駄天に舎利を取り上げられて、「力も尽き、心も茫々と…」という精根尽き果てた状態で去っていくのです。

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このダメージからの回復にまた1700年かかると仮定すると、足疾鬼が次回舎利を奪いに来るのは西暦3000年くらいになる予定です。

その頃泉涌寺舎利殿はどんな建物になっているのでしょうか?

韋駄天ならぬ最新鋭の舎利警備システムが足疾鬼を迎え撃つ、というSF的ストーリーを想像してしまいました。

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ともあれ明日は、1700年かけて休息した元気一杯の足疾鬼が如何にして「力尽き、心も茫々…」となってしまったのか、その顛末を頑張って演じたいと思います。

新しい足袋

私が能「舎利」のシテを勤める「五雲会」の申合がいよいよ明日になりました。

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能のシテを勤める時には、当然一番質の良い綺麗な白足袋を履きます。

私の場合は新富町の「大野屋」で誂えた足袋をシテ用に使っておりますが、毎回新しい足袋をおろす訳ではなく、1回シテで使っただけの足袋は洗ってまた次のシテに使うこともあります。

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その後その足袋は、薪能やツレの時にだけ使うようになり、やがて稽古用になっていきます。

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今回の能「舎利」では、新しい大野屋の足袋をおろそうと思っております。

これにはある理由があります。

能「舎利」では、他の曲と比べて”足の裏”がはっきりと見える可能性が高いのです。

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どこのシーンで”足の裏”が見えるのかはネタバレなので明言しませんが、前シテの最後の方とだけ申し上げておきます。

皆さま是非五雲会にいらしていただき、そのシーンを確認していただければと思います。

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宝生流五雲会

12月15日(土)正午始 於宝生能楽堂

能「和布刈」シテ小倉伸二郎

能「巻絹」シテ小林晋也

能「舎利」シテ澤田宏司

私の「舎利」と京大の「経政」

昨日のブログでも書きましたように、次の日曜日の12月16日朝10時半より、香里能楽堂にて「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されます。

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京大宝生会からは能「経政」が出るのですが、実はその前日には東京で私自身が能のシテを勤めます。

水道橋宝生能楽堂にて12月15日正午始めの「五雲会」にて、能「和布刈」、能「巻絹」に続いて私が能「舎利」を舞うのです。

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因みに京大宝生会の能と私自身がシテの能が連続してあるのは初めてではありません。

そもそも私が”初シテ”を勤めた時がそうだったのです。

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平成17年11月19日土曜日、水道橋宝生能楽堂の「五雲会」にて、私は初シテの能「忠信」を舞いました。

そしてその前日の11月18日金曜日、京都観世会館での「京都大学能と狂言の会」にて京大宝生会の能「箙」があったのです。

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私はその「箙」の後見を勤めて、無事に終わったのを見届けるとすぐに東京に戻りました。

「能と狂言の会」が終わった後には、盛大に打ち上げをするのが常なのですが、この時は有り難いことに現役や若手OBOG達は打ち上げもそこそこに皆夜行バスなどで東京に移動してくれました。

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翌日私の「忠信」を観て、その後の初シテ記念パーティを京大の「箙」の打ち上げと兼ねてやる、ということにしてくれた訳です。

おかげさまで「忠信」と「箙」の2番ともに無事に終わり、パーティは能2番分の大変な盛り上がりを見せて最終的には江古田舞台で大勢で夜を明かしました。

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今回は逆に私が、自分の「舎利」を終えて土曜日のうちに関西に移動します。

京大宝生会としては2年ぶりの能となる「経政」と、その他の仕舞や謡も含めて、良い舞台になるようにしっかりとサポートしたいと思います。

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…それにしても、初シテから13年経っても私の行動パターンはあまり変わらないのだなあと、少々可笑しくなりました。