龍神様に届いたから…?

昨日は竹生島能合宿を昼過ぎに終えて、京都から14時過ぎの新幹線で田町稽古に直行しました。

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京都駅で京大宝生会と別れた時、京都は凄い雷雨でした。

「皆は無事に家に帰れるだろうか…」

と心配しながら東京方面に向かいましたが、間も無く品川で新幹線を降りるという頃に急に外が暗くなって来ました。

稲光も光り始めています。

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どうやら東京も雷雨になりそうです。

本降りになる前に急いで稽古場に行こうと思い、やや慌てて山手線に乗り換えました。

そして乗ってすぐに、

「次は大崎…」

というアナウンスに打ちのめされました。

「逆方向に乗ってしまった。。」

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そして大崎から引き返す山手線に乗る頃から、大粒の雨が窓に当たり始めたのです。

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田町は「ゴロゴロ、ピカッ、ドカーン」というまるで漫画の擬音のような雷鳴が轟き渡って、滝のような雨です。

この夏初めてというくらいに、土砂降りの雨に降られてしまいました。。

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折り畳み傘で何とか稽古場に到着すると、すぐに自治医大の青年がやって来ました。

私「雨大丈夫だった?」

すると…

青年「ええ、もう止んでますよ」

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え?そんな馬鹿な…と思い外を見ると、確かにもう嘘のように雨は止んでいたのです。

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龍神は雨を呼ぶ、と聞いたことがあります。

京都と東京で遭遇した雷雨は、竹生島詣でをして能「竹生島」を奉納した京大宝生会の願いが龍神様に届いた証拠かもしれない…

と前向きに捉えて、田町稽古に突入していったのでした。

合宿明けなのに…

今日は午後に江古田の個人稽古、その後田町稽古に移動しました。

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田町稽古場では、田町の会員さん達と並んで自治医科大学の青年が座って待っていました。

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彼とは一昨日の朝まで京大合宿で一緒にいたのです。

「合宿その後無事に終わったの?」

と聞いてみると…

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「はい!無事に終わりました」

謡い納めも滞りなく…?

「はい!14時頃まで謡っていました」

それはお疲れ様でした。

「その後BOXに戻って、稽古しました!」

え?

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確かに一昨日は月曜日で、夕方から宝生会の稽古日ではありました。しかし4泊5日謡い通し舞い通しの合宿明けです。。

ちょっと稽古して解散したのでしょうか?

「いえ、みんな普通に夜まで稽古していましたね。僕は夜行バスの時間があって20時頃にBOXを出ましたが、まだまだ稽古する感じでした」

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なんと。。

驚きを通り越してちょっと呆然としてしまいました。

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日曜日の晩は、全員の鸚鵡返しが終わったのが確か午前0時半頃でした。

それから打ち上げで、明け方まで起きていた部員もいるはずなのです。

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声も枯れ果て、膝は長時間の正座で限界に来ているに違いない彼らが、更に京大に戻って夜遅くまで稽古とは。

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20年以上稽古していても、京大宝生会のパワフルさには驚かされることばかりです。

このパワーを良い舞台に繋げられるように、私も彼らに負けずに全力でサポートしたいと改めて思いました。

お囃子方が増えました

昨日のブログで、澤風会及び京大宝生会には今お囃子を稽古している人が多いと書きました。

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試みに数えてみると、本当にたくさんの人がいたのです。

大鼓…7人。

小鼓…5人。

笛…6人。

太鼓…4人。

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なんと現在20人以上がお囃子を習っていることになります。

しかもその8割がこの3年ほどの間に新しく始めた人なのです。

お囃子ブームが来ているのでしょうか。

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流儀は中々バリエーションに富んでいます。

大鼓…石井流3人、観世流3人、大倉流1人。

小鼓…幸流4人、幸清流1人。

笛…森田流6人。

太鼓…金春流4人。

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また、つい先日驚くニュースがありました。

出来たばかりの「自治医科大学能楽部」において、葛野流大鼓の先生がなんと毎月大学までいらしてくださり、稽古をつけてくださることになったそうなのです。

つまり上の表に、大鼓葛野流が何人か加わることになります。

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これら澤風会関係者でお囃子を稽古している人達が、全員揃ってお囃子を披露する会をするというのも、ひとつの可能性としてあるかと思っております。

この人数ならば1日がかりの舞台になるでしょう。

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ただし、師匠である御囃子方能楽師を全員呼ぶと12〜3人になるので、ちょっと規模が大きくなり過ぎるかもしれません。。

将来的な夢として考えたいと思います。

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先ずは習い始めの皆さんは、どうか根気よく長く続けてくださいませ。

4大学合同稽古

今日は午前中から江古田稽古場に向かいました。

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しかし今日はいつもの澤風会江古田稽古とは少々趣きが違うメンバーが、三々五々稽古場に集まって来ます。

「こんにちは。」「お邪魔します〜」「よろしくお願いします!」

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集合したのは、日本女子大、自治医科大、東京芸大の学生達です。

自治医科大の1人はこの春まで京大宝生会にいたので、実質4大学の宝生流を稽古する学生達が江古田稽古場に揃ったわけです。

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日本女子大の学生達は、今稽古している仕舞「羽衣キリ」。

自治医科大の1人は仕舞「鶴亀」、元京大宝生会の学生は仕舞「枕慈童」と「田村キリ」。

東京芸大は仕舞「藤クセ」を、代わる代わる稽古しました。

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京大宝生会の合宿形式で、ぐるぐると何周も稽古します。

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日本女子大の1人の学生は、最終的に「羽衣キリ」を皆の前で本番形式で舞ってくれました。

もう1人は、月末に母親の「郁雲会」の稽古会で同じく「羽衣キリ」を披露することになっています。

それが終わると、日本女子大の2人は今度は12月の「関宝連」の舞台に向けて、新しい曲を始めるのです。

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自治医科大の「鶴亀」さんも、やはりその「関宝連」での初舞台を目指して、仕舞「鶴亀」を頑張って最後まで稽古しました。

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東京芸大の学生は、この先何十年にわたって今日のメンバー達と一緒に稽古していってほしいと思います。

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元京大宝生会の自治医科大生は、これから京大と自治医科大、日本女子大の橋渡し役となってくれるように願っています。

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ある意味で歴史的な邂逅だったかもしれない今日の「江古田4大学合同稽古」。

それぞれ頑張ってとても充実した稽古になりました。

自治医科大学の初稽古

今日は栃木県下野市にある「自治医科大学」にお邪魔して、新しく出来た「自治医科大学能楽部」の初めての稽古をして参りました。

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上野から宇都宮線で約80分で「自治医大駅」に到着します。

道中の車窓から見える景色はとにかく真っ平らで、”関東平野”が如何に広いのかを再認識いたしました。

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自治医大駅には、今春入学して能楽部を立ち上げた青年が迎えに来てくれました。

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徒歩で自治医科大学へ。駅から歩いて数分で正門の前まで来ました。

門をくぐると正面に附属病院の大きな建物が見えます。

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そこを通り抜けると、また次の巨大な建物が。

「ここは普段講義を受けている建物です。」

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その講義棟(?)で、金春流を稽古されている哲学の先生と合流しました。

この先生と青年が出会ったのが、能楽部立ち上げのきっかけになったそうです。

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そして更に歩いて行きます。

自治医科大学の広いキャンパスは縦長で、既に先ほどくぐった正門は地平線の彼方です。

巨大な建物が次々に現れる様に、何となく昔訪れた中国の「故宮」の広大さを思い出しました。

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やがて稽古場のある真新しい「アリーナ」の建物に到着しました。

アリーナの中には、陶芸部や演劇部の部室と並んで”茶道部”のお茶室があります。

ここを稽古に使えるというのです。

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入ってみると、殆ど新築同然の綺麗なお茶室で驚きました。

八畳のお茶室に、同じく八畳の待合、更に板の間の広い廊下がついており、稽古場には申し分無いスペースです。

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ここでとりあえず17時過ぎまで稽古しました。

その後に、ここよりも更に広いという学生寮の和室に向かったのです。

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自治医科大学の学生が全員暮らしているという「学生寮」。

その1階に和室がありました。

これがまた驚きの広さと綺麗さで、三間×二間半の部屋が2つ繋がっていました。

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普段ここでは宴会も行われているらしく、「飲み過ぎに注意!」という内容のポスターが何枚も貼られていました。

酔った学生は、ここからキャスターで部屋に運ばれていくのですね。。

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この和室で、授業を終えた学生さんが2人合流してくれました。

2人に仕舞「鶴亀」の前半と、謡「鶴亀」の冒頭を稽古しました。

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1人はとても良い声で、もう1人は構えと型が非常に綺麗で驚きました。

稽古への姿勢もとても意欲的で、少し稽古すればすぐに上達すると思われました。

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帰りは1人の学生さんの車に乗せてもらい、あっという間に自治医大駅へ。

色々と新鮮な驚きのあった今日の初稽古でした。

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今後能楽部の活動を軌道に乗せていくには、まだ課題もいくつかあります。

しかし京大宝生会や復活した日本女子大などとも徐々に交流を深めて、一歩ずつ「自治医科大学能楽部」の歴史を刻んでいってほしいと願っております。

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自治医科大学の皆さん今日はありがとうございました。

自治医科大学能楽部との初顔合わせ

一昨日の五雲会には、新しく出来た「自治医科大学能楽部」の学生さんと顧問の先生が観に来てくれました。

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京大宝生会から今春自治医科大学に転学して、2ヶ月で能楽部を立ち上げた青年も勿論来てくれて、終了後には京大宝生会の現役やOBと一緒に食事をしました。

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「僻地医療」を目的とした自治医科大学。

これまでに唯一、私が出会った自治医大の関係者は石川県出身で、卒業後に能登半島の先、日本海に浮かぶ絶海の孤島に数年間赴任したと聞きました。

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一昨日聞いた話では、自治医大では6年間の大学生活の後に、9年間の出身都道府県での医療勤務が待っており、その勤務地の大半が僻地なのだそうです。

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東京芸大1年生の、能楽師の卵の青年もその食事に来ていました。

私「我々は、芸大4年間の後に水道橋での内弟子10年間なのだから、大分恵まれているよね」

青年「そうですね、ははは…💧」

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そのような厳しい修行(?)への覚悟が出来ているからか、自治医大の学生さん達は若いのに肝が据わっている雰囲気で、また人間的にとても魅力的な人ばかりでした。

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笑ったのが自治医大での飲み会の話です。

酔い潰れた学生が出ると、「台車持ってこ〜い」と言って、台車に載せて運んでいくそうなのです。

私「医大なのに、担架じゃないんだ?」

自治医大生「ええ、だって担架はエレベーターに入らないですから」

成る程。

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そして、酔っ払いを介抱するのは皆医療の心得がある人達なので、まず心配は要らないということでした。

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このように、京大とも芸大とも全く違うカラーを持つ自治医科大学に、新たに能楽部が出来たわけです。

今後彼らが宝生流の稽古を始めてくれて、その活動がもしかしたら僻地医療の赴任先にも広がっていけば、とても素晴らしいことだと思うのです。

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それはまだ遠い目標ですが、今回の五雲会での初顔合わせはとても有意義な第一歩になった気がします。

自治医科大学能楽部の皆さん、今後ともどうかよろしくお願いいたします。