曲名と名前

昨日はわりと真面目なお話をしたので、今日はゆるいお話です。

能の曲名と同じ苗字の方と出会うと「おお!」と驚いて、ちょっと嬉しくなってしまいます。

例えば「田村さん」だと、名前としてはそんなに珍しく無い気がしますが、澤風会には旧姓「田村さん」から結婚して「三輪さん」になった方がおられます。

因みに「田村」と「三輪」を舞囃子で舞われました。

また最近になって、「望月さん」と「高砂さん」が入会されて、特に「高砂さん」はちょっと驚きました。

「高砂さん」はいつか是非「高砂」をやっていただきたいのですが、「望月さん」はちょっとハードル高いですかね…。

私の会では無いのですが、他の人の会では「花月さん」と「猩々さん」にお会いした事があります。

能楽関係では無いのですが、これまで一番驚いたのが、京都でお会いした「雲林院さん」です。本名です。

皆さんの周りで、珍しい曲名と同じ苗字の方がいらしたら、どうか御一報くださいませ。

ちょっと似た話で、「能の曲名と同じ店名を見つけると嬉しくなる」という話もあるのですが、それはまた別の機会に。

一曲を一人で謡うこと

田町稽古場では、これまで稽古していた「海人」の謡が終わって、新しい「融」の稽古に入ろうとしています。

今日は一回分の稽古時間を使って、私が融を一人で一曲通して謡うのを聴いてもらいました。

これは江古田と田町の団体稽古だけでやっている事です。

私はこの「一人で一曲を通して謡う」という事には大切な意味があると考えます。

初心の方には勿論難しいのですが、つかえながら謡っているうちに、例えばクリ、サシ、クセ、ロンギとか一セイ、サシ、下歌、上歌と言った定型の謡が一曲のどこに出てくるのか、また謡方のパターンもわかって来ます。

上級の方でも、一人で沢山の役と地謡を謡う事で、より繊細な位取りが謡い分けられるようになって行くと思います。

更に、特に変則的な構成の曲の場合、一人で通して謡うと、その構成に秘められた作者の意図が見えてくることがあります。

何より、最初からずっと謡っていくと、曲のクライマックスに向かうにつれて独特の高揚感を感じることが出来ます。

この高揚感こそが謡の、能の醍醐味だと私は思うのです。

一曲稽古が終わったら、忘れないうちに通して一人で謡う事を是非おすすめします。

特に学生には事ある毎に、そうするように言っています。

もし謡ってみて詰まる所や気づいた事があれば、次の稽古でどうか気軽に質問してみてください。

「一人で通して謡って、ここがわかりませんでした」と質問されたら、私は多分相当嬉しそうな顔でお教えすると思います。

今井神社へ  後編

塩尻駅から広大な葡萄畑を抜けた先、アルプスの懐近くに今井地区はあり、その中にひっそりと今井神社がありました。

タクシーを降りて、人の気配の全く無い今井神社へ向かいます。


由緒書を読むと、別名兼平神社とも呼ばれて、およそ西暦1400年前後に兼平を祀るために建てられた神社のようです。

そしてこの地は兼平邸があった跡地との事。やはり兼平はこの今井地区に住んでいたのですね。

能楽が出来るのとほぼ同時期に建てられ、それから毎年の例祭と、五十年忌毎の大祭を欠かさずに今に至るそうです。


境内は綺麗に手入れされ、鳥居と本殿には立派な注連縄が張られています。

鳥居の向こうの瓦屋根は、これまた立派な神楽殿です。広さは三間×五間位はあります。

幸いに辺りに人影は無し、ここはひとつ兼平の仕舞を奉納…しようかと一瞬思いましたが、やはり遠慮しておきました。

社務所は固く閉じられており、誰もいないようでした。

例祭は毎年9月らしいので、今度は例祭に来て、宮司さんや地元の方に話を聞いてみたいと思います。

境内をひと回りして、本殿と、その左手にある兼平の墓所にお参りして、待たせていたタクシーに乗って今井神社を後にしました。

「いつか例祭で能兼平を奉納したい」と秘かに思いながら。。

今井神社へ  前編

今日は松本稽古。新宿から特急あずさに乗りました。終点松本まで、乗り換え無しで一本です。

でも今日は松本の前に、もうひとつ目的地がありました。

今井四郎兼平の出身地にあり、兼平自身を祭神とする今井神社に詣でたいと思い立ったのです。

色々調べた情報では、交通がかなり不便な所のようで、松本のひとつ手前の塩尻で下車してタクシーを使うしか無さそうです。

まあ東京は快晴でしたし、一昨日無事終わった能兼平の御礼参りには良い日和かと思っていました。

ところが、長野県に入って諏訪湖の辺りまで来ると、俄かに雪が降り出しました。結構な本降りです。

今年は行く先々で雪に見舞われるので、今回もまたか…という感じです。

塩尻で本降りならば、参詣は次の機会にしようかとも思ったのですが、諏訪からトンネルを越えて塩尻に着く頃には何とか小止みになってくれました。

塩尻で下車して、次のハードルは肝心の今井神社へのアプローチです。

駅前のタクシーに乗って「今井神社に行きたいのですが」と言うと、案の定「え?今井神社?」という返事で、運転手は全く道を知らない様子です。

仕方ないので、近くにある筈の郵便局の住所をカーナビで検索してもらい、とりあえずそこまで行こうと塩尻駅前を出発。

西に向かってアルプス方面に進んで行くと、やがて人家は消えて左右一面の葡萄畑です。

初夏にドライブかサイクリングするには最高の道でしたが、2月の今は寒々とした風景です。アルプスも雪雲に半ば隠れていました。

しばらくは人気がまるで無くて、不安になった頃、道はまた集落に入って来ました。

この辺りが「今井地区」のようです。

郵便局を過ぎて、それらしい木立を目標に走ってみると…

「あ、鳥居が見えます!」

今井神社に辿り着きました。

参詣の様子はまた明日。

地謡の目線

昨日の七宝会では能兼平シテのほかに、能小鍛冶の地謡をうたいました。

今日は水道橋宝生能楽堂にて立春能の能葵上の地謡に入りました。

私は地謡に座ると先ず、自分の視線をどこに落ち着かせるかを思案します。

能の地謡は前列後列の2列に並んで謡います。

後列の場合は簡単です。目の前にいる前列の紋付の背中にある紋をずっと見れば良いのです。

前列の場合、脇正面のお客様と正対するので、お客様と目が合わないように座席の角などに視線を合わせて、あとはそこから一切視線を動かさないようにしています。

たまにお弟子さんから「今日は澤田先生と目が合って困りました」と言われますが、私は絶対に見所の方とは視線を合わせないので、どうかご安心くださいませ。

そうは言っても、多少は眼を動かして、シテの様子などを確認したいと思う時もあります。

しかし数年前にある舞台の後で、当時面識の無い方に呼び止められて、「今日の地謡前列であなたが一番視線と姿勢を動かさずにいましたね」とお褒めの言葉をいただきました。

この後は一層強く、一度座って視線を決めたら終曲まで絶対動かさないと決めています。

しかし実はここに足の痺れという厄介な要素が加わって来るのです。。

目立たないように足を組み替えて痺れを克服しつつ、姿勢と目線を保つのは私の永遠の課題です。

この痺れとの付き合い方については、また別の機会に書かせていただきます。

兼平無事終わりました。

おかげさまで、七宝会の能兼平が無事終わりました。

本日七宝会にお越しいただきました皆様、本当にありがとうございました。

役の時は毎回、幕の前に立つと「今回も良いコンディションで、幕の前まで辿り着けて良かった」と感謝の気持ちが湧きますが、今日もやはりそうでした。

色々研究して試行錯誤して練って来た兼平ですが、もしかすると今回で最初で最後のシテかもしれません。

今回は現時点で私の想う兼平を演じさせていただきました。

しかし、もしいつか再度兼平を舞わせていただくチャンスがあれば、またその時の私の想いを加味した、少し違う兼平を演じてみたいです。

能の登場人物は舞台がある毎に甦って、演者によって微妙に味付けの異なる人生を再現するわけです。

次の機会まで兼平とはしばしのお別れです。次は4月に能百万のシテの舞うので、今度は百万という人間にアプローチしていきたいと思います。

重ねて今回応援してくださいました皆様、誠にありがとうございました。

明日は七宝会立春公演です。

明日はいよいよ七宝会第一回「立春公演」です。

香里能楽堂(京阪電車香里園駅下車)にて、13時半開演です。

番組は、

素謡 「 翁 」シテ山内崇生  千歳辰巳和磨       地謡    辰巳満次郎ほか                    

仕舞 「難波」  広島栄里子

         「 箙 」    石黒実都

         「 小塩 」田村  恭

         「 車僧 」玉井博祜

能 「 兼平 」  シテ澤田宏司  ワキ中村宜成     笛貞光義明  小鼓荒木建作  大鼓大村滋二    間善竹隆司 地謡辰巳満次郎ほか

狂言  「土筆」  善竹忠一郎  上西良介

能  「小鍛冶」  シテ辰巳大二郎  ワキ広谷和夫  ワキツレ是川正彦  笛貞光智宜  小鼓吉阪一郎  大鼓上野義雄  太鼓中田一葉  間上吉川徹        地謡辰巳満次郎ほか

全席自由一般5000円、学生2000円です。

お問合は七宝会℡072-831-3206までお願いいたします。

私は能兼平のシテと、能小鍛冶の地謡を勤めさせていただきます。

幸いに天気も良さそうです。

春の曲も何番か出るので、暦通りの春を能楽堂で体感出来る一日になると良いと思います。

皆様お誘い合わせの上ご来場くださいますよう、どうかよろしくお願いいたします。

兼平稽古3  後シテ

今日も兼平のお話です。

前シテでは中入までずっと小さな船から降りずにいた兼平の霊。

後シテになって武者姿で登場すると、今度は烈しく動き回るかと思いきや、すぐに床几に腰掛けて動かなくなってしまいます。

「仕方話」と言われる合戦の有様を語るシーンでも、ハイライトにあたる粟津ヶ原の合戦の大半は座ったままで演じます。

上半身は自由に動けますが、下半身は足をにじって左右に少し回転するのみの動きしか出来ません。

これは演じるものにとっては本当に難しいのですが、私は以前に何度か、素晴らしい床几の演技を拝見した事があるのです。

故辰巳孝先生が大阪で能景清をされた時、私は先生の鞄持ちの立場で楽屋に控えておりました。

すると装束を付け終えられた先生が、鏡の間に移動されて床几に掛けられた後に、最終確認のように景清の床几の型(演技)を少しだけなさったのです。

横で控えていた私は身体が震える感動を覚えました。

こんなに僅かな動きで、人は人の心を動かせるのか。

いや、僅かな動きであるからこそ、そこに見るものの気持ちが集中することがあるのかと思いました。

それを狙っての床几の型なのでしょう。

私はその境地には程遠い未熟者ではありますが、いつか人の心を動かせる床几の型を目指して、今回の兼平の床几の型を精一杯頑張ろうと思います。

兼平稽古2  前シテ

いよいよ七宝会での能兼平が目前に近づいて参りました。

以前にも書きましたが、兼平という能は修羅物にもかかわらず動きが非常に制限されていて、全体の8割を一箇所にとどまって演技します。

前シテの場合、幕から出ると先ず常座(見所から見て舞台左奥)に置かれた船に乗ります。

後は、中入までそこから一歩も踏み出さずに演技をするのです。

動きらしい動きは、足を「掛ける」「捻る」「一足出」「一足引」のみ。

後はわずかに顔を上下左右に動かすだけです。

こうなると、やはり謡が重要な役割を担います。

しかし謡もやはり究極には「早い」「遅い」「高い」「低い」しか無いとも言われます。
これらの組み合わせだけで、矢橋の渡しから粟津ヶ原までの僅かな旅路のあいだに、いかに兼平らしさを表現するのか。

この辺りに兼平前シテの難しさの胆がある気がします。

本番まであと僅かな時間ですが、少しでも兼平の心情に迫れるように、ギリギリまで稽古していきたいと思います。

何歳になっても。

昨日は5歳の男の子の話をしましたが、今日は澤風会最高齢のお弟子さんのお話です。

江古田稽古場には数え年で今年90歳になる女性がおられます。

今日も元気に仕舞と謡を稽古されました。

仕舞を始めたのが80歳近くだった事もすごいですが、それからずっと稽古を続けられ、舞囃子を舞うまで上達されました。

今は来たる3月25日の澤風会東京大会に向けて、仕舞難波を稽古しています。

聞けば朝昼晩各10回以上の仕舞稽古を、ご自宅で毎日欠かさずされているとのこと。

稽古はほぼ皆勤で、天候が悪い日でも電車を乗り継いで来てくださる姿には、毎回本当に頭が下がります。
いつまでもお元気で舞台に立っていただけるように、私も精一杯がんばって稽古させていただきたいと、今日も気持ちを新たにいたしました。