マスクの効用

今年も風邪やインフルエンザが流行しているようです。

私は移動中にはマスクをするようにしているのですが、私にとってはこれがウイルス対策以外にも効果があるのです。

マスクをすると何となく顔に違和感があって、外した時にはすっきりして呼吸が楽になる感じがします。

これが能面を掛けたり外したりする感覚に似ている気がするのです。

一方私は単独行動中は基本的に階段を使うようにしています。

例えば地下鉄日比谷線秋葉原駅のホームから、JR総武線のホームまでは約ビル5階分相当の階段があります。

これをマスクした状態で一気に上がると半ば呼吸困難になってしまいます。

しかしこれを我慢して日常的にやっていると、面を掛けた時に逆に違和感が無くなる気がするのです。

普通の人には全く役に立たないネタなのですが、もしも能面の苦しさを疑似体験したい方は、マスクで階段を駆け上がる事をおすすめします。

そしてこれをやって全く平気という方は能に向いているので、すでに稽古している方は是非とも能を出していただきたいです。

稽古まだの方は、是非稽古を始めていただきたいので、どうかお問い合わせフォームよりメールくださいませ。

うれしい復帰

今日は田町稽古場でとてもうれしい出来事がありました。

昨年秋に事故で足を骨折されたお弟子さんが、元気に復帰されたのです。

最初は椅子を用意して、と思っていたら、もう横座りで座れますと言われて驚きました。お医者さんの診立てよりも早く治ったようで、本当に良かったです。

怪我や病気、仕事や家庭の都合などで、澤風会でもこれまで、長ければ1年位お休みになる方が何人かいらっしゃいました。

しかしそんな方々も、有り難いことに大半が復帰されてまた稽古を続けておられます。

お休みの方がいつ戻って来ても良いように、澤風会はずっと変わらない雰囲気とやり方で稽古をして参りたいと思っています。

この週末には遠い国で働いている友人が帰って来て、彼を中心に、稽古を離れていたメンバーも大勢集まっての稽古会があります。うれしい再会が沢山ありそうです。

兼平と比叡山

今回はまた兼平にまつわる話です。

能兼平の前シテは、ワキに対して比叡山の事をとても詳しく説明します。

その語りの中で、比叡山を「我が山」とまで言っています。

おそらく兼平にとって比叡山はそれ程に大切な場所だったのです。

木曽義仲は、倶利伽羅峠の合戦で10万騎の平家軍を打ち破り、破竹の勢いで京都を目指します。

しかし都を目前に最後の難関となったのが比叡山延暦寺でした。

白河法皇をして「賀茂川の水、賽の目、比叡の山法師だけは意のままにならず」と言わしめた一大勢力の延暦寺と何とか手を結んだ義仲は、比叡山頂に陣を構える事に成功します。

これが決定打となり、栄華を誇った平家は都を追われて西国に落ちていくのです。

その先を考えると、義仲が人生最も希望に満ちていたのは比叡山上だったと言えると思います。

都入りを目前にした義仲と兼平は、期待と充実感の中で比叡山頂から京都と近江の下界を見下ろしたのでしょうか。

しかしその都入りからわずか1年足らずにして、義仲軍は比叡山を間近に見る粟津原で終焉を迎えるのです。

最期の戦いの最中、兼平が比叡山を見上げる瞬間が果たしてあったのかはわかりません。

しかしともかく前シテの老人は、能の定型を無視して自らの本性を全く明かさずに、比叡山とその周辺だけを大切に物語って中入します。

自分の事よりも、主君が絶頂期を過ごした場所を先ず語りたい。「自らの存在よりも大切にしたいものがある」というのが、能兼平のテーマな気がします。

下鴨新年会

京都下鴨・紫明荘は、京大宝生会と澤風会を繋ぐ、私の能楽師人生の原点とも言える場所です。

今日は紫明荘にて、下鴨稽古場の新年会をいたしました。

稽古の後に鶴亀、橋弁慶、鉢木と謡って、更にその後に「サックスと現代詩朗読のセッション」という新しい試みがあり、その後に賑やかな鍋になりました。

毎年お世話になっている常連メンバーに、昨年入会された新人の方、新春から入会する京大宝生会新OG、また病いから元気に復帰された方など、多彩なメンバーで盛り上がりました。

澤風会の各地での新年会も今日で一段落です。

これからまた次の舞台に向けて、稽古頑張って参ります。各地の澤風会の皆様どうかよろしくお願いいたします。

また興味を持たれた方は、是非ともお問い合わせいただき、来年はどこかの稽古場で楽しく新年会にご参加いただければと思います。

どうかよろしくお願いいたします。

素謡橋弁慶

朗読とサックスのセッション

兼平の子孫⁉︎

昨日少しだけ書きました、兼平に関する驚きの事実のお話です。

発端は京都下鴨のお弟子さんから聞いた話で、信州松本空港の近くに兼平の苗字を冠する土地があり、兼平を祭神とする神社もあるそうです。

また松本稽古場に、たまたま兼平と同じ苗字の方がおられます。江戸時代から続く老舗のお味噌屋さんの、奥様と娘さんです。

この2つの要素が私の中で結び付いていなかったのですが、昨日の松本新年会の時に本当にふと思い出して、お味噌屋さんの奥様にその話をしてみました。すると…
「確かに私の主人は松本空港近くのその土地の出身です」

なんと!

ある地域で同じ苗字ばかりの所もあるので、確実にはわからないのですが、私は知らず兼平と非常に縁が深い方々と稽古をしていたことになります。もしかすると娘さんは兼平直系の子孫かもしれません。

能楽をやっていると不思議な事がしばしばありますが、これも本当に不思議な御縁だと思いました。

松本新年会

毎年一月は新年会が沢山あります。

松本も例年、初稽古の後にお弟子さんのなさっているイタリアンのお店で新年会をしています。

今年の新年会はまず、子供が沢山いてとにかく賑やかでした。松本稽古場は最多で5人の子供が来てくれています。今日は4人で、子供テーブルでわいわい楽しそうでした。

また京大宝生会OBのご家族が神戸から、しかも新年会用のお楽しみ抽選会の準備までして来てくださいました。

抽選会で神戸のお菓子などいただき、美味しいお料理とワインもいただき、今年も一年がんばろうと皆で一本締めして終わりました。

夜は氷点下に下がった気温の中、松本城周辺では氷の彫刻コンテストが行われており、極寒の中で彫刻を作る人、出店を出す人、景気付けの演奏をする人などで賑わっていました。

さっき新年会で晩御飯食べたばかりの子供達が、早速出店でお菓子やソーセージを買っていました。。

今日は兼平に関する驚きの事実がわかったのですが、それはまた次回以降に書きたいと思います。

変わること、変わらないこと

今日は、能楽ではない伝統芸術をされている方々に、能楽を見ていただく機会がありました。

私はお手伝いに行っただけなのですが、色々と興味深い事がありました。

能楽がその成立期から殆ど変わらずに現代まで続いて来たという事は、言葉としては理解していました。

しかしこれは本当に特殊な例で、能楽と同時期に興った同じ日本の伝統文化でも、時代と共に多様に変化しながら今日に至ったものもあるのですね。

能楽のように古から変わらず現代に伝わるのは素晴らしい事ですが、その為に現代人には理解し辛いという面もあります。

また時代に則して変化していけば、各時代毎の日本人に分かり易くはなりますが、その芸術の原初にあった思想や技術を正確に後世に伝える事はむしろ困難になるのかもしれません。

どちらが良いのかを判断する立場には勿論ありませんが、どちらのあり方も共に日本の誇るべき伝統文化なのだと思います。

私は能楽一本槍で、他の伝統文化にあまり眼を向けずにこれまで走って来ました。

でもこれから先、若い世代や海外の方に対して能楽を伝えていく為には、能楽以外の様々な日本の伝統芸術を知っておく事も大切だと思いました。

兼平稽古

今日は来月4日に七宝会でシテを勤める能兼平の稽古を受けて来ました。

今井四郎兼平は木曽義仲配下の四天王と呼ばれた一人で、能のストーリーも義仲最期のシーンが最も重要な位置付けになっています。

同じく義仲の最期を描いた巴という能がありますが、興味深い事があります。

能兼平の中に「巴」という名前は一度も出て来ず、また能巴にも「兼平」は全く登場しません。

そしてどちらの能のシテも、義仲に最後まで付き従ったのは自分であると語っているのです。

主君への敬愛の念は自分が一番強いという事を、幽霊となってまで互いに譲らず主張している巴と兼平。

どちらも義仲への想いの強さをひしひしと感じます。

しかし今回気が付いた事があります。

巴は曲の最後に、自らの執心を弔って欲しいと言って消えて行きます。ところが兼平は最後まで自分の心中には全く触れず、先ずは主君義仲の弔いをして欲しいとワキに頼んでいるのです。

兼平には、修羅道の苦しみや妄執を超えたレベルでの主君への想いがあるのかもしれません。

修羅としては異色の存在と言える兼平。その心持ちに少しでも近付けるよう、本番まで試行錯誤しながら稽古していきたいと思います。

北の町2

昨日は雪が生活を脅やかす一面があると書いたのですが、北の町を歩いてみると雪を逆手にとって楽しむイベントもあることがわかりました。

雪合戦のすごいやつですかね。

雪女は能には出て来ないのですが、信州などでは雪女は山姥の姿で出て来るようです。葛城の前シテがむしろ雪女に近い気がします。金剛流には「雪」という雪の精をシテにした能があります。

今シーズンはまだまだ雪ネタがありそうな気がします。。

北の町

京都から新幹線で本州を縦断して、今日は私の行動範囲で最も北の町での仕事でした。

この町も当然雪の中でした。今シーズンは各地で雪に会うことが例年よりも多いです。

京都の雪と大きく違うのは、ここでの雪は生活を脅やかすものだという事です。

雪かきや雪下ろしは本当に重労働な上に、ようやく終わってもすぐまた雪が降って元に戻ってしまうそうです。それが長い冬の間延々と続くのです。

京都の雪を見て風情があるなどと思った自分を反省してしまいました。

能鉢木のシテ謡でも、同じ雪が立場によって全然違うものに感じられる、という意味の事が謡われています。

雪に限らず、ひとつの事柄を見た時に、人によって見え方が全く違うのだという事を、常に心に置いて行動したいと思いました。