京大新歓ワークショップ

本日18時半より、京都大学能楽部BOX舞台にて、京大宝生会の新歓企画の能楽ワークショップを開催いたします。

このホームページを見ている京大新入生が果たして存在するのかは不明なのですが、もし能楽をやってみたい、興味がある、という学生さんは京大新入生に限らないので是非ワークショップに来てください。

京大宝生会の新歓委員始め、部員達が力を合わせ、知恵を絞って考えたワークショップです。

能面や能装束を見て、能の型や謡を体験して、現役部員の仕舞や、囃子を習っている部員達の演奏も観てもらいます。最後には私が仕舞船弁慶キリを舞います。

今の京大宝生会は部員も沢山で楽しく活動していますので、入部してもらえればきっと楽しい学生生活を過ごせると思います。

先ずはお気軽に本日18時半に京大能楽部BOXを覗きに来てください。どうかよろしくお願いします。

能楽クラブができるかも

江古田稽古場は、澤風会稽古場の中でも子供の数が一番多かったのですが、その子供達がみんな立派に大きくなって来ました。

幼稚園から始めた子供達2人が、この春からもう高校生になったのです。

芸歴で言えば10年位になり、京大宝生会で言うと4回生位のレベルの仕舞を稽古しています。

そのうちの1人が先ほど稽古に来たのですが、入学した高校には日本文化に興味がある人が多くて、ひとりは「能を習いたい」と言っているそうなのです。

大阪や名古屋では高校にも宝生流のクラブがあるので、もしかすると東京のその高校でも宝生流のクラブが作れるかも、という話になりました。

まだどうなるか全くわかりませんが、色々な事が上手く進んで、何人か興味ある高校生が集まれば、新しい能楽クラブが発足する可能性は充分あります。

幼稚園で自発的に稽古を始めてくれたその子が、今度はまた自らが中心になって能楽クラブを作ってくれたら、これは本当にうれしいことです。

春らしい希望に満ちた話があって、気分良く稽古を終えたのでした。

最後まで油断しないこと

本日は水道橋で、今度の日曜日にある舞台の申合がありました。

その折に先輩から、先日の能百万に関して貴重な御注意をいただきました。

「曲の最後に子供と再会する場面で、再会出来た喜びや子供を慈しむ気持ちが、もうひとつ足りなかった」という事です。

いわゆる狂女物では、最も動きがあって華やかなのは、むしろ再会する直前までの部分なのです。

今回の百万でも、「笹之段」や「二段グセ」、また子供を探す特殊な「カケリ」の舞などには心を砕いていました。

しかしそれらが全部済んだ後の再会シーンは、決しておざなりにしたつもりは無いのですが、気持ちが足りないと言われると確かにそうだったかと思います。

武道における「残心」と、ちょっとニュアンスは違うとは思いますが、一番を通して微塵も油断無く最後まで演じ切る事の難しさを再認識いたしました。

次のシテである、7月15日の五雲会での能「半蔀」に、この教訓は必ず活かしたいと思います。

今年の煙は凄かった

大山崎宝積寺の鬼くすべ、無事終了いたしました。

昼頃に宝積寺に着くと、満開になった佐野藤右衛門さんの枝垂れ桜が出迎えてくれました。雨上がりの空は、この後段々晴れて来ました。


鬼くすべ開始前に、出席者の前で御住職のお話があり、「最近煙が少ないとの声があるので、今年は盛大に焚きます」とのこと。

半分期待、半分こわごわで本堂へ。

謡の奉納も無事終わり、いよいよ護摩壇の檜の葉に火がつきました。


10分後には…


確かに過去何度も参加した中では経験した事の無い量の煙です。最終的には煙で何が何だかわからなくなりました。。

鬼は蓬の矢で無事に鎮められ、外に出た時の空気の美味しかったこと!

鬼くすべは毎年4月18日に催され、今年でなんと1294回目になるそうです。

今年いらっしゃれなかった皆様も、来年は是非いらしてくださいませ。

大山崎  鬼くすべ

明日4月18日の14時より、大山崎の宝積寺にて大厄除追儺式「鬼くすべ」が行われます。

724年から続くという大変に古い歴史を持つ行事です。

14時になると、宝積寺の仁王門が開いて、御住職を先頭に僧侶の方々、また5人の鬼や七福神など多彩な面々が行列をなして本堂に向かいます。

本堂に全員集合すると、本堂の扉という扉はぴったりと閉め切られて、ほぼ密閉された空間になります。

その後で壇上で護摩が焚かれ、そこに檜の青い葉が次々にくべられます。

すると堂内には白い煙が大量に充満し、燻べられて弱った鬼が更にヨモギの矢で射られて、退散する、という流れです。

ところが燻べられるのは鬼だけに限らず、堂内の僧侶の皆さんや七福神、一般の見物人までが煙にいぶされて大変な事になるという、ちょっと恐ろしい行事でもあるのです。

「最近は煙が少なくなってしまった」と毎年言われますが、私から見ると充分過ぎる量の煙だと思われます。

いらっしゃる方はハンカチか、いっそ大きなタオルがあると良いかと思います。

我々大山崎稽古場のメンバーは、堂内で護摩が焚かれる直前に謡を奉納するのがここ10数年来の習わしになっております。

行事は14時からですが、堂内での見学を希望される方は13時過ぎにはいらっしゃることをおすすめいたします。

境内には三重塔や閻魔大王像、佐野藤右衛門さんの枝垂れ桜や「打ち手と小槌」など、様々な見所もございます。

明日には天気も回復する予報ですので、お時間のある方は是非大山崎宝積寺の鬼くすべにいらしてくださいませ。

舞台の翌日

舞台の翌日に疲れが残っていることはよくあります。特に能のシテの次の日はそうです。

身体的な疲労感は勿論なのですが、心の中でシテの人格が抜けてしまった空虚感というか、表現の難しい脱力感で暫しぼんやりとしてしまうことがあり、今回の百万がそんな感じなのです。

巻絹のシテの最後はこんな状態かもしれません。

これは通常の稽古や他の舞台をすることで徐々に解消出来るものなのですが、今日は久しぶりの休みだったので散歩と公園での読書で過ごして、ようやく現実に戻って参りました。

明日からまた頑張って稽古に舞台に励みたいと思います。散歩の途中で珍しい薄緑色の桜が咲いていました。

読書は梨木香歩さんの「からくりからくさ」でした。

能面も重要なモチーフになっていて、「何かを伝えていくこと」「自分の根っこを見失わずに、勇気を出して変わっていくこと」といったテーマが丁寧な文章で書かれた作品で、深い余韻を残して終わりました。

百万、終了いたしました

おかげさまで、五雲会の能百万が無事に終了いたしました。

今回も沢山のお客様にいらしていただきまして、誠にありがとうございました。

遠くはドイツから、また松本、京都、北陸からもいらしていただいた皆様、重ねて御礼申し上げます。

京都に帰る学生組を、水道橋から徒歩で東京駅の夜行バス乗り場まで行って見送り、先程解散しました。

舞台が終わってからも、今後に向けた課題は山のように提示されました。

明日からまた次の舞台に向けて、頑張って参りたいと思います。

100日目御礼

おかげさまで、当ホームページを開設してから今日で100日目を迎えました。

たくさんの方々に見て頂いて、本当に有り難く存じます。心より御礼申し上げます。

ブログもほぼ1日1回更新しておりますので、100回くらいになると思います。

ブログは「能に関わること」「稽古に関わること」を何処かに織り交ぜる、というルールを自分で決めて書いております。

しかしいつかは書く事柄がどうにも思い浮かばない時も来るかと思います。

そのような時には、必ずしも能に関係の無い、例えば「読んでいる本の話」とか「曲名ではないが、各地で見かけた面白い看板」といった内容を「裏ブログ」のような形で書かせていただきたいと思っております。

ともあれ次は200日を目標に、頑張って更新して参ります。

どうか今後とも当ホームページをよろしくお願いいたします。

申合の意味

今日は水道橋の宝生能楽堂にて、五雲会の申合があり、能「百万」も先ほど終了いたしました。

申合では、「無事終わった」という言い方は適切ではありません。

能楽における「申合」という言葉は、本番前に出演者全員がただ一度だけ集まり、本番に近い形で舞台をやってみて、調整したり直したりする必要がある事項を皆で「申し合わせる」という意味を持ちます。

たった一度の全員集合の機会で、全てが本番同様、想定通りに「無事」終わることはあり得ません。申合を踏まえて、本番までに改善できる要素は必ずあります。

なので、「緊張してよく覚えていませんでした」などということはあってはならず、寧ろ初めてお相手する地謡方の調子や位、囃子方の手組や舞の寸法、またワキ方や子方との掛け合い等々を、一瞬毎に冷静に確認しながら舞台を進めていきます。

そして比較的若い楽師中心の舞台である「五雲会」の場合、特に私のような未熟な若手の役者にとっては、申合の後に先輩方からいただく沢山の注意点がとても重要な意味を持ちます。

これら全てのことを考慮して修正し、「申し合わせた」事柄が本番でその通りに出来た時に初めて「無事に終わった」と言えるのだと思います。

明後日の本番が納得できる舞台になるように、もうひと頑張りいたします。

皆さまどうか明後日は五雲会にお越しくださいませ。

宝生流五雲会:4月15日正午始  於宝生能楽堂  

お問合せ℡03-3811-4843宝生会

百万プロフィール

五雲会の能百万の申合がいよいよ明日になりました。

百万は舞も謡も、その解釈と味付けが難しく、苦労しております。

謡は突き詰めれば「高い」「低い」「早い」「遅い」の組み合わせだ、と聞いたことがあります。

しかしやはりもう少し細かい要素もある気がします。

「年齢」「性別」「職業」「住所」「家族構成」…なんだかアンケートみたいですが。これらも加味して考えないと、その曲の位が理解出来ないと思うのです。

百万で言うと…

・氏名:百万

・年齢:40歳前後

・性別:女

・職業:女芸人

・家族構成:夫(死別)、長男(行方不明)

・住所:本籍地…大和国 西大寺辺り、現在…住所不定(行方不明の長男を探して、奈良から京都へ移動し、嵯峨清涼寺に至る)

こんな感じでしょうか。書いてみると、相当苦労している人ですね。

しかし曲調には不思議と深刻な暗さはありません。むしろ「強さ」や「希望」を感じる場面もあります。

これは彼女が曲舞の名手であったり、大念仏の音頭取りをしたりと言うように、芸人として優れており、その自信と誇りのようなものが現れているからかもしれません。

…このような様々なことを考慮しながら、私なりの百万を頑張って舞わせていただきたいと思います。