半年経ちました

今日から7月になりました。

1月5日から始めたこのブログも、何とか半年間1日も休まずに書き続けることが出来ました。

生まれて此の方日記など書いたことが無かった私が、何故ブログを毎日書いているのか、自分でも正直わからないところがあります。

しかし「ブログを毎日書く」と決めたことで、良い事がいくつかありました。

①少し時間が空いた時に、本屋で時間を潰すのではなく、積極的に動いて能楽に関わる色々な場所を観るようになった。(今井神社や、鷲の尾の寺、半蔀の旧蹟など)

②うろ覚えの知識が、ブログを書く為に調べることで正確なものになった。(東山三十六峰や、南京玉すだれなど)

③関心の無かった事象にも眼を向けるようになって、新しい興味や趣味の対象が増えた。(隙間花壇や亀岡の花々の名前、かきつばたの折句など)

などなどです。

世の中には面白い看板が沢山あることもわかりました。

私のブログは地味なホームページの下の方にありますが、「大通りから一本入った所にある、行ってみると居心地の良いお店」というようなスタンスを目指して、これからも更新して参りたいと思っております。

どうか下半期もよろしくお願いいたします。

盲亀の浮木

「盲亀の浮木」という言葉があります。

これは「100年に一度だけ海面に姿を現わす盲目の老亀が、偶々浮かんでいた流木に空いていた穴に首を突っ込むような、起こる確率が非常に低い事象」というような意味の故事です。

この確率を計算してみた奇特な人がいるらしく、114京9286兆4919億5633万3945年に一度位に起こるそうです。今の宇宙があるうちには全然無理そうですね。。

この言葉は能にも度々出て来ますが、例えば能「蝉丸」の冒頭、蝉丸を逢坂山に捨てに行くワキの道行の中に出て来る「盲亀の浮木」は、その後の蝉丸と逆髪の偶然の邂逅を暗示しているのでしょうか。

私も過去には、北海道の羅臼岳山頂で偶然予備校の友人に再会したり、憧れていたカヌーイストの野田知佑さんにアラスカで偶然出会ったりというような嬉しいことがありました。

しかし元々は有り難い仏教説話に基づいた「盲亀の浮木」なのですが、「あまり有り難く無い盲亀の浮木」というのも存在するのです。

一昨日は、仕事で行った青森で平日にもかかわらず宿が全然取れず、また昨日朝の帰りの東北新幹線も席が立席しか取れなくて、新青森から上野までデッキの床に何とか座って帰って参りました。

人に聞いたら、一昨日は「29年ぶりに青森県でプロ野球の試合が行われた」そうなのです。

「29年ぶりにプロ野球の試合が行われる日に、月に一度だけの仕事で偶然行ってしまう確率」はどのくらいなのでしょうか…。

今回はあまり有り難く無い盲亀の浮木でしたが、また嬉しい偶然もきっとあると思いつつ、これからもいろんな場所に行ってみたいと思います。

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今月の慶事

今日は久々の江古田稽古でした。

月初めの6月1日に稽古して以来なので、ほぼ1ヶ月ぶりになります。稽古場に到着すると…

私「おお、おかえりなさいませ!」Nさん「無事帰って参りました!」

実は澤風会江古田稽古場の会員であるNさん御夫妻は、その1ヶ月の間に「バチカン勧進能」を観能する約1週間のツアーに参加して来られたのです。

宝生和英家元による能「翁」と復曲能「復活のキリスト」、更に金剛流若宗家の金剛龍謹師による能「羽衣」を2日間にわたって観能して、観光も盛り沢山だったとのこと。

舞台がとにかく素晴らしかったそうで、Nさんの奥様は「出演の先生方ひとりひとりが極限まで集中して、気持ちの入った感動の舞台でした。終演後に起こった拍手が徐々に盛り上がって、ついに会場全体を包むスタンディングオベーションになり、それがまた感動的でした」と目を輝かせてお話されていました。

重要な公演の大成功、宝生流全体にとっても大変喜ばしいことだと思います。

そして実は、今月には更なるおめでたい出来事がありました。

さる6月5日に、宝生和英御宗家に第一子となるご長男「知永(ともはる)」さんがお生まれになったのです。

「一点だけを観るのではなく、色々な景色を観て育ってくれることを望みます」との家元のお言葉、御自身のことを仰っておられるようで、素敵なお言葉だと思いました。

私も及ばずながら、和英家元と知永さんのお側で精一杯お仕えして参りたいと思います。

宝生流にとっての慶事が重なった6月でした。

面白写真2

今回は、また能楽にはあまり関係無いけれど旅先で出会った面白い物の写真です。
前半は「芸能人シリーズ」。
檀れいは「金麦の夏」の人ですが、こちらはたぶん「暖冷」なので、冬でも活躍しそうです。

向井理、美容院。

因みに島根県に「浜田市」があるので、「浜田の松っちゃん」という居酒屋があれば完璧です。島根県の方、情報お待ちいたします。

ゴルゴ13の仕舞嵐山「さてまた虚空に御手を上げては」ポーズです。

尤もこちらは蔵王権現ではなく、不動明王だと思われます。

お寺風カフェなのか、カフェもやってるお寺なのか…。

水族館で泳げるのか、楽しそう!と思って近くでよく見たら全否定でした…。

逆に何があるのか行ってみたくなりました。

最後に読者投稿編です。松本澤風会のKさんより。

暖簾と看板、さてどちらが正解でしょう。

Kさんありがとうございます。このような面白写真がある方は、またどうかお送りくださいませ。

今回はこの辺で失礼いたします。

実を結ぶ

今日も全宝連のお話です。

先日の全宝連では、舞台上の芸とはまた別の意味での感慨深い番組がいくつかありました。

神戸大学宝生会は、昨年復活するまで30数年間途絶えていました。

それを嘱託や師範クラスのベテランOBの方々が、ビラ配りから始めての手探りの新歓活動を数年間積み重ねて、ついに昨春に新入生2名が入部して復活したのです。

私はOBの皆さんの努力と情熱と、しかし最初はそれが全く報われないもどかしさも、間近で見ておりましたので、昨年の復活は胸に迫るものがありました。

そしてそれから一年。

神戸大学宝生会は、今年も新入生1名を加えて、3人で全宝連に登場しました。

舞台を観て正直びっくりしました。

力のこもった、レベルの高い舞と謡にです。
1人が舞うと、自動的に地謡は残り2人になりますが、入部したばかりの新入部員も実に大きな声で、懸命に謡っていました。

彼らは復活に関わった方々の思いを受け止めて、1年間密度の濃い稽古を重ねて来たのでしょう。

見所では神戸から監督にいらしたOBが、眼を大きく見開いて舞台を見守っておられます。

この大学は強い、と思いました。

復活しただけではない、神戸大学はこれから大きく発展していくでしょう。次の舞台が非常に楽しみです。

また愛知の南山大学は、たった1人の女の子が新しく立ち上げたクラブを、その後なかなか人が入らない中でやはりたった1人で守って来たクラブです。

その女の子がもう4年生になった今年。

ついに南山大学は新しい部員を迎えて全宝連にやって来たのです。

今回来られなかった部員もいて、総勢4人になったとのこと。

未来が見えずに1人で活動している頃には、時に寂しそうに見えたその女の子が、実に嬉しそうに新しい部員を紹介してくれて、やはりこれも万感胸に迫る思いでした。

他に東京でも、今回初めて名前を拝見した東京女子大学宝生会さんは、サークル未公認で活動に制約がある中、何とか部を存続させるよう頑張っているとのことでした。

先が見えない暗闇の中でも失われなかった情熱と、それがようやく実を結んだ時の喜びの爆発。

これらの思いの熱量が、今年の全宝連を熱い舞台にしてくれたのでしょう。

またこの先の全宝連が一層盛り上がっていくように、私も更に熱量を持って稽古に励んで参りたいと思います。

2件のコメント

稽古の完コピ。

京大宝生会は全宝連東京大会にて、舞囃子2番、素謡東北、仕舞17番を1人も欠けることなく気迫を込めて演じ切ってくれました。

これだけ人数が増えると賑やかで嬉しい反面、1人あたりの仕舞稽古時間が短くなってしまうのが悩ましいところです。

しかし彼らは色々工夫して、少ない稽古時間で最大の効果を得られるようにしてくれています。

「稽古ノート」を作って、私が直した内容を書き記すことは随分前からやっていました。

それに加えて最近は、各自のスマホで稽古を撮影することもしています。

その効果でなのか、先日面白いことがありました。

私は仕舞稽古の合間に、後から来た部員の為に「舞台を自由に使って良い時間」をちょっとずつ挟むようにしています。

その日も「自由時間」になると10数人がわらわらと舞台に上がって自主練習を始めたのですが、私のすぐ近くで2回生のKくんが新入生に仕舞を教えているのを見て、あれ?と思いました。

Kくんの振る舞いが、私の稽古のやり方や口調ととても似ていることに気がついたのです。

実は以前から不思議に思うことがありました。

しばらくの間稽古に行けずにいて、間を置いて稽古に行くと、久しぶりに見る部員が以前より上手になっているのです。

「僕が行かない方が上手になるね」などと半ば冗談半ば本気で言っていたのですが、本当に私がいなくても私そっくりの稽古がなされていたようなのです。

これは大変嬉しくありがたいことです。バンドの曲やダンスなどを、細部まで完璧に物真似することを「完コピ」というそうですが、私の稽古を「完コピ」してくれていたわけです。

私は京大の舞台を見る時には、無事に終わっても拍手をしないことにしているのですが、これは「彼らの舞台は私自身の分身の舞台なので、自分に向けて拍手をするのはおかしい」という考えでそうしているのです。

今回の「稽古完コピ」を見て、その考えがやはり正しいと再認識しました。

京大の皆さん、私が拍手しなくても、「舞台がいまいちだったからかな?」と思わないでください。

これは皆んなを信頼している証なのです。

全宝連第2日目

今日も短めの内容で失礼いたします。

全宝連第2日目もおかげさまで盛会のうちに終了いたしました。

終了後にOBの皆さんとの交流会が、これまた盛大に行われました。

それも終わって、京大宝生会は新幹線組、夜行バス組、もう一泊組に分かれて解散しました。

今はお祭の後の、ちょっと淋しい気分です。

全宝連に関することは、書きたいネタがたくさんあるので、また日を改めて書かせていただきます。

今日は私も早く休みたいと思います。

OBの皆さん、また応援に駆けつけてくださった部員のご家族や友人の皆さん、また澤風会の会員の方々、その他能楽愛好家の方々も含めて、今回は見所が本当に賑やかでした。誠にありがとうございました。

またこの舞台が盛会裡に終了できたのは、幹事の学生の皆さんと、その御指導にあたられた先生方のおかげです。こちらも心より御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

全宝連第1日目

全宝連東京大会が始まりました。

私にとって全宝連の舞台は特別な感慨があり、本日も朝から一瞬一瞬を噛み締めて記憶に留めました。

心に残る舞台でした。

舞台のことはまた改めて書かせていただきますが、終了後に東京ドーム横の後楽園飯店にてレセプション、その後京大と神戸大と南山大で水道橋串八珍にて二次会、それも終わって解散し、宝生能楽堂で荷物の片付けをしていたら早稲田の先生より三次会の誘いの電話があり、水道橋駅西口の笑笑にて関宝連及び金沢大の皆さんとやや厳しく呑み、今年も全宝連にどっぷり浸かっております。

明日はまた朝から夕方まで全宝連の舞台です。

どんなことを体感できるか、わくわくしながら休みたいと思います。


全宝連最初の合同連吟「鶴亀」です。横板まで学生で一杯で壮観でした。

全宝連鑑賞能 竹生島

全宝連東京大会に関して何回か書いておきながら、鑑賞能のことを宣伝しておりませんでした。

全宝連鑑賞能は、明日15時より宝生能楽堂にて開催されます。

今回は仕舞5番と能「竹生島」です。

思えば竹生島という能は、私の色々な節目で経験して来た演目なのです。

先ず、はるか昔に私が委員長を務めた全宝連京都大会での鑑賞能がやはり竹生島でした。

シテが先代宝生英照家元、ワキに福王茂十郎先生、地頭が辰巳孝先生という、今考えるとあり得ないような豪華な番組でした。

次に8年前の京宝連100回記念大会にて演じられた竹生島は、前シテ京大、後シテ同志社、ツレ京女、地謡は京大同志社の混成という企画能でした。

記念大会前の春休みにメンバーで「竹生島合宿」を近江今津で行い、全員で竹生島詣したのが懐かしい思い出です。

そして昨年の澤風会10周年記念大会では、信州松本稽古場から出た初めての能が竹生島でした。

明日の竹生島では、私は後見のひとりとして舞台をサポートいたします。

因みにツレの藪克徳師は東大宝生会OB、ワキの御厨誠吾師は金沢大宝生会OBなのです。

京大の2番も含めて、鑑賞能の直前には学生の舞囃子が4番演じられます。その前には仕舞と謡も沢山あります。

学生の熱い舞台を観ていただき、その後に我々職分の鑑賞能もどうか御覧くださいませ。

よろしくお願いいたします。

こきりこ、ささら、玉すだれ

昨日は結局新幹線で6時間過ごして東京に到着しましたが、その後のニュースを見ると私はまだ幸運だったようです。新幹線で夜を明かした方々は本当にお疲れ様でした。。

東京に到着して田町稽古に直行しました。

いつも元気な韓国人留学生のSさんは、今は放下僧の小歌の仕舞を稽古しています。

そのSさんに質問されました。

「先生!こきりこって何ですか⁉︎」

え〜、「こきりこ」は楽器の一種で…と言いながらスマホで検索して、見せてあげた画像が「南京玉すだれ」の写真でした。

「こんな感じの筈です」「へ〜、わかりました!」

しかし稽古を続けながら、「こきりこと南京玉すだれはちょっと違うのだっけ?あれ、自然居士に出てくる”ささら”も関係あったような…」ともやもやしていました。

帰ってまた色々調べてみると、「こきりこ」「南京玉すだれ」「ささら」には思ったよりも複雑な関係がありました。先ず、

①こきりこ:中世に放下が携帯していた楽器。指の太さの竹を七尺五寸に切って、両手の指先に一本ずつ持ち、回しながら打ち鳴らす。

②ささら:竹の先を細かく割って、茶せんを長くしたような物を作り、これを「ささら子」という刻みをつけた細い棒でこすると「さらさら」と音がする道具。

…ということで、「こきりこ」と「ささら」は別物だとわかりました。ところが…

③こきりこささら:富山県五箇山の民謡「こきりこ節」に用いる楽器。108枚の木片と両端のグリップを紐で結びつけた形。両手で持って片手だけスナップをきかせると、木片が次々に衝突して「しゃらしゃら」と鳴る。

…なんと、「こきりこ」と「ささら」が融合した名前で、全く別の構造の楽器「こきりこささら」が存在しました。更に…

④南京玉すだれ:江戸末期頃に始まった大道芸のひとつ。当初の名前は「唐人阿蘭陀南京無双玉簾」で、「唐人、阿蘭陀、南京」が当時のハイカラの代名詞だった為に付けられた名前。「南京」には「南京玉すだれ」は存在しない。また「日本南京玉すだれ協会」は五箇山の「こきりこささら」が「南京玉すだれ」のルーツであると認定している。

…という訳で①②が融合した名前の③から、更に④が発生したという事のようです。

とてもややこしいですが、とりあえず確かなのは、能「放下僧」の小歌に出てくる「こきりこ」の説明は①でした。

Sさんごめんなさい。次回の田町稽古で訂正させていただきます。

そして、④の南京玉すだれの映像を観たのですが、これが大変面白かったのです。個人的に是非習ってみたいと思いました。

「日本南京玉すだれ協会」に問い合わせてみようかと、半ば本気で思っております。