仁田四郎の故郷を訪ねて

能「夜討曽我」では、いよいよ曽我兄弟が父親の仇討を果たすのですが、肝心の仇討シーンはなんと舞台上では演じられません。

間狂言が語りの中で仇討が成功したと物語り、その後に始まる後場では、兄の曽我十郎は「仁田の四郎」と戦って討死したらしいと仄めかされます。

この十郎を討ち取った仁田四郎忠常という人物は実在します。

私が月に一度仕事で行く伊豆に、「伊豆仁田」という駅があって、そこには「仁田家」の御屋敷があり、敷地内に仁田四郎の墓もあるのです。

私は何度か行ったことがあるのですが、9月の五雲会で能「夜討曽我」のツレ鬼王を勤めることもあり、昨日仕事の行き掛けに久しぶりに訪ねてみることにいたしました。


三島から伊豆箱根鉄道に乗り換えて、「伊豆仁田」で下車。相変わらずの猛暑です。

駅には下校する高校生が沢山いました。

実はこの高校生達の学校「田方農業高校」は、仁田四郎の子孫である仁田家第三十七代当主、仁田大八郎が創設したそうなのです。

そもそもこの伊豆仁田駅も、大八郎さんが開業させたとか。仁田家すごいです。

駅から東に向かいます。途中田方農業高校を左手に見て進んで行くと…。

「仁田橋」にぶつかりました。

この橋のかかる川の名前が「来光川」。源氏に縁の深い土地なので、「頼光」に関係があるかと調べたのですが、名前の由来は不明でした。

仁田橋から振り返ると、

愛鷹山の向こうに富士山です。暫し見ていたい美景でしたが、今日も暑さに耐えられずに移動開始。。

仁田橋から土手を降りると…

立派な構えの御屋敷が。

ここが仁田家屋敷でした。

そして御屋敷の敷地内に仁田兄弟の墓所がありました。

例によって墓所の写真は控えましたが、中央に仁田四郎忠常、左手に五郎忠正、右手に六郎忠時の三つの石塔が並んでいました。

仁田四郎は、能「夜討曽我」とは別の富士の巻狩において、手負いの大猪に飛び乗って止めを刺したという逸話がある程の剛の者だったそうです。
宝生流の「夜討曽我」には出て来ませんが、観世流の小書「夜討曽我  十番斬」には仁田四郎がツレとして登場して、十郎と実際に戦います。

…今回の伊豆仁田散策で、伊豆には源平の時代から現代まで、リアルに繋がる風土があると実感出来ました。
暑さに耐えられず短い滞在になりましたが、涼しくなった頃にまた、頼朝や曽我兄弟の史跡を訪ねてみたいと思います。

因みに来光川の仁田橋から少し下流に、頼朝ゆかりの「蛇ヶ橋」という地名があり、そこには「しんじゃがばし」という実に美味しそうな名前の橋があるそうなのです。

その「新じゃが橋」の写真も次の機会に。

山桃と狸

一昨日土曜日の亀岡稽古では、夏の花々以外にもうひとつ写真を撮ってきたものがあります。

これは山桃の実なのです。

大きな山桃の木にたわわに実った果実が、地面に無数に落ちています。

辺りにはむせ返るほどの果実香が漂っていました。

実は亀岡稽古場の縁の下には狸の親子が住んでいて、夕方になるとこの山桃の実を食べに出てくるそうなのです。

稽古している小学生の男の子も、「こないだは5匹も見た!」と話しています。

これは是非見たい!と思って、稽古の合間合間に山桃の辺りを覗いてみたのですが、残念ながらその日は出てきてくれませんでした…。

「土日は狸も休みなのですかね…。」などと残念がっていると、なんとお弟子さんが綺麗な山桃の実を洗って持って来てくださいました。

そのまま口に含むと、微かな苦味と共に、爽やかな甘味とほのかな酸味が広がりました。やさしい自然の味です。

お弟子さん「赤ワインに漬けて食前酒にしたりしますね」。成る程、これは果実酒に向いていそうです。

狸には会えませんでしたが大満足いたしました。

…狸と言えば、能には「狸」という動物は登場しません。

しかし狂言には「隠狸」など何番か、狸が出てくる楽しい演目があります。

やはり狸は昔から、コミカルな役割を担う動物だったのでしょう。

そう言えば思い出したのですが、内弟子の頃にある会の番組で、仕舞「猩々」が間違えて「狸々」と書いてあったことがあり、皆で「たぬたぬ!」と読んでニヤニヤしたことがありました。

「七人狸々」とか見てみたいものですが、やはり能にはなりそうにありませんね…。

亀岡の花々  7月

昨日は亀岡稽古でした。亀岡稽古場には夏の花が沢山咲いていました。
先ずはヤブカンゾウです。花としては見知っていたのですが、実はこの花が「忘れ草」と呼ばれることは知りませんでした。

万葉集を始め、小野小町、紀貫之、壬生忠岑、藤原定家など多くの歌人が「忘れ草」を和歌に詠んでいます。

「忘れ草」と言われる由来はいくつかありますが、「憂鬱な想いや嫌な事を、この美しい花を見て忘れたから」という説が一番好みです。

能「草紙洗」で小野小町が洗った万葉の恋の歌にも、忘れ草の歌があったのでしょう。「忘れ草も乱るる」という詞章があります。

桔梗です。

能「大江山」で、秋の七草として「桔梗、刈萱、吾亦紅…」と謡われていますが、実際には花は6〜7月に咲くようです。

これも知らなかったのですが、野生の桔梗は今や絶滅危惧種なのだそうです。日本の山野草の代表のひとつと思っていたので、何とか生き延びてほしいです。

この花を見るとまた、亡くなられた倉本雅先生を思い出します。先生の会の名前が「梗風会」でした。桔梗の花が描かれた梗風会の記念扇を大切に持っております。

半夏生。

「はんげしょう」と読みます。暦の上での「半夏生」もあり、ちょうど1週間前の7月2日が半夏生でした。

白く見えるのは花ではなく、葉っぱが半分白くなっているのです。

このことから「半化粧」とも呼ばれるそうです。

夏の半ばに咲く、半分だけ化粧した花で「半夏生」そして「半化粧」。

日本語ならではの、実に美しい字と響きだと思います。

先日の松本稽古ではこの「半夏生」を象った美味しい和菓子をいただきました。

山百合です。

遠目からもちょっと異常に大きな花が見えて、怖いくらいでした。近寄ると20㎝はある巨大な花が2つ。

南国の花のような強烈な個性でした。「ユリの王様」とも呼ばれるそうです。

能「雲雀山」に出てくる「姫百合」もないかと思って見回したのですが、ちょっと遅かったのか見つかりませんでした。

…この時点で汗だくになって耐えられなくなり、室内に撤退いたしました。。

いよいよ本格的に夏がやって来たと実感いたしました。

本日はこの辺にて失礼いたします。

「楽しく、熱い」京大稽古

昨日は全宝連以来の京大宝生会稽古でした。

皆新しい仕舞を稽古したのですが、いくつか面白い出来事がありました。

3回生で秋に舞囃子を出す男子2人は、共に中ノ舞物なので、一緒に稽古することにしました。

2人並べて、私も横に立って中ノ舞の稽古を始めると、当然初めてなので型や場所はバラバラにずれたりします。たまにぶつかったり。

それが笑いのツボに入るらしく、見ている部員がニヤニヤし始め、ついに舞っている者まで、私も含めて笑い出してしまいました。。

また4回生で仕舞「三山」を稽古した女の子は、稽古を終えるとやけにテンションが高く嬉しそうです。

「そんなに三山が気に入ったのかな…?」と思っていると、その女の子は「だって私、4回生にして初めて招き扇とハネ扇をしたんですよ!!」と満面の笑みで、握り拳に力を込めて言いました。そこが喜びのツボだったのか。。

そしてまた全宝連で舞囃子を無事終えた男の子は、「え〜。…何かクセがやりたいです…」(テンション低め)

しかし、良さそうなクセの仕舞は他の若手OBが稽古していて、なかなか曲が決まりません。そこでちょっと難しいのですが、誰もやったことのない「雲林院クセ」を提案してみました。

すると本人を含め4回生のテンションが急に高くなって、「なんと!うんりんいんくせ!!」と盛り上がっています。

更に稽古を始めて、途中いわゆる「遍昭節」と言われる所に来ました。これは「下の下」という高さから「ウキ」の高さに一気に上がる珍しい節ですが、私がそれを説明してから「かの・  へ・えんじょおおが…」と謡うと、謡本を見ながら稽古を見ていた4回生達が「ひょえ〜」というような声を出して、また実に嬉しそうにニヤニヤしています。

…稽古の時にニヤニヤしたり嬉しそうにするのは、不真面目だと言う向きもあるかもしれません。しかし、京大宝生会の場合は純粋に仕舞や謡の中に「面白さのツボ」や「嬉しさのツボ」を見出して、それが笑顔になって現れているのです。

能楽の中にこれほど楽しさを見つけられる人達はなかなかいないと、私はむしろそちらを褒めてあげたいのです。

「楽しく熱い稽古」を今後も続けて行きたいと思います。

半蔀の作り物

本日も水道橋にて能「半蔀」の稽古を受けて参りました。

半蔀の能には「作り物」が出ます。

能に使う「作り物」は、基本的には竹を包地(晒を細く裂いたもの)で巻いただけのシンプルな構造です。

そこに布をかけたり屋根を載せたり、植物を飾ったりして変化をつけます。

中には芸術作品や工芸品のように手の込んだ精緻な作り物もあります。

「道成寺の鐘」、熊野などに使う「花見車」、「鉢木」などがその代表格と思います。

そして「半蔀」の作り物もまた、シンプルながらとても美しいものです。

四隅の柱と蔀戸には夕顔の緑の蔓が伝い、金銀色の瓢箪と白い花が、派手にならないように気を配って散りばめられています。

能の場合、作り物は舞台の度に一回一回作り直すので、毎回微妙に違う作り物になります。

作り手のセンスが問われる所もあるので、私も内弟子の頃には半蔀の作り物には気を遣ったものです。

蔀戸に巻く蔓がシテの顔を隠さないように、また吊るした瓢箪がシテの頭に当たらないように、それでいてバランス良く美しく見えるように…。

手前味噌ですが、鍛え上げられてチームワークも良い宝生流の内弟子達が作る作り物は、どれもきちんと丁寧に作られているので、鑑賞に堪える「作品」と言えると思います。

7月15日の五雲会では、「半蔀」以外にも能「氷室」、能「土蜘」にも作り物が出ます。

内弟子の腕の見せ所です。是非作り物にも注目して、舞台を御覧くださいませ。

宝生流五雲会:7月15日(土)正午始  於宝生能楽堂

能「氷室」シテ藤井雅之

能「経政」シテ亀井雄二

能「半蔀」シテ澤田宏司

能「土蜘」シテ高橋憲正  頼光当山淳司 ほか

隙間花壇  7月

私の自宅マンションと隣のマンションの間の極小自然空間、隙間花壇のガクアジサイはもう散りかけになりました。

すると今度は地面に近いところに別の黄色い花が。

何の花かわかりますか?


1枚目と2枚目は共に昨日の夕方、田町稽古に向かう途中に撮影しました。

ところが不思議なことに、今朝江古田稽古に行く時には下の写真のようになっていたのです。

一晩で全部萎れてしまいました。

更に近くには、赤い花も。こちらの色の方が馴染み深いかもしれません。


最終ヒントは、秋になって出来る種子を割ると、中から白い粉が出てきて、昔はそれで子供がお化粧ごっこをして遊んだのです。

答えは「オシロイバナ」でした。

この花は夕方に咲いて、翌朝には萎れてしまいます。しかし次の蕾が次々に出来て、毎日夕方になると花開くのだそうです。

その為に日本では「夕化粧」という美しい別称があり、アメリカでは同じ仲間を「Four  o’clock」と呼ぶそうです。4時位に咲く花という意味なのでしょう。

赤い花のオシロイバナは小さな頃から見慣れていましたが、黄色や白もあるようです。

秋に種子が出来たら、白粉のような胚乳を収穫してみたいのですが、隙間花壇の管理人さんは、花が終わるとあっさり剪定してしまわれることが多いのでちょっと心配です。。

白粉が採れたらまたご報告させていただきます。

今日の江古田稽古も無事終わったので、隙間花壇のオシロイバナを見るのを楽しみに帰りたいと思います。

撮影のお手伝い

昨日は水道橋で、写真撮影のお手伝いをして参りました。

私は、どんな分野であれ、プロフェッショナルがチームを組んで働いているのを見るのが好きなのです。

昨日の撮影カメラマンは2人組のチームでした。

お2人は沢山のカメラ、三脚、レフ板や、私の知らない機材を駆使して、やはり私にはわからない専門用語を交わしながらスムーズに撮影を進めておられます。

特に「光」がシテのどの部分をどれ位照らすかに気を遣っておられるようでした。

ほんの僅かな光量の変化によって、写真は全く別の物になってしまうようです。

カメラマンの方から「ここは装束の裾から足が見えていても良いのでしょうか?」とか「作り物の柱がバランス良く見えるように、少し角度をずらしても大丈夫ですか?」といった質問や要望が出ると、我々が能楽サイドの眼線で可能な限り対応します。

ひとつのシーンを美しく見せる為に、写真家はどこにポイントを見出し、どう調整してほしいのか。

これらを知ることは、「自分の舞台をどうやって美しく見せるか」ということにも通ずると思います。

プロフェッショナルの小気味良いお仕事ぶりを拝見出来ると共に、色々自分の勉強にもなった一日でした。

松本の七夕

JR松本駅に列車が到着すると、少し哀愁漂う女性の声で「まつもと〜、まつもと〜」という到着アナウンスがあります。

他の駅には無い独特のトーンのアナウンスで、これが何とも言えず旅情を掻き立ててくれるのです。

昨日の松本稽古を終えて、今朝は新宿行きの特急あずさに乗る為にまた松本駅に向かいました。

改札をくぐると例の哀愁漂う「まつもと〜、まつもと〜」が聞こえてきて、「やはり良いなあ」と思いながらホームに降りようとしました。

すると改札の横で、駅員さんが何か飾り付けをしています。

七夕の飾りでしょうか。しかし笹の葉や短冊ではなく、紙で作った人形です。雛人形ともまた違う雰囲気です。


説明文がありました。

松本の七夕では人形を軒に吊るして、家族の厄を人形に託して風に吹き払ってもらう、という風習があるそうです。

人形がちょっと大陸的な雰囲気なのは、牽牛と織女をかたどっているからなのでしょう。

能においては、「砧」の前半で夫の帰りを待つシテが七夕の例え話を引いて、自らの身の上を嘆きます。切なく哀しいシーンです。

松本の七夕人形も、華やかなのですがやはり少しだけ哀愁を感じます。

年に一度だけの逢瀬を、雲に邪魔されないよう祈りながら待っている織姫と彦星の切ない気持ちが表れているのでしょうか。

例のアナウンスと相待って、一層の旅情を感じながら、新宿行きの特急あずさに乗り込んだのでした。

能「半蔀」の稽古

昨日は夜に能「半蔀」の稽古を受けて参りました。

稽古を受ける時には、型付から一通りの流れを覚えた後、更に自分の感覚での謡の位取りや、舞台上の細かい位置取りなどを決めておいてから臨みます。

それを叩き台にして稽古で色々ご注意をいただくのです。

よく「考えて謡や型をやっては駄目だ」という言葉を聞きますが、私の場合は深く考えずにやってしまった型や謡で注意を受けることが多い気がします。

例えば、半蔀のクセで打切の後に左前方に歩んで、「源氏この宿を見初めたまひし」と振り返って夕顔の宿の作り物を見る所。

私が左前方に出て行くと、「そんなに前に行くな」と言われました。

そこも私は「どれ位前に出るのが適切なのか、それは何故なのか」を考えずにやっている所でした。

型としては、光源氏が初めて夕顔の家を見つけるシーンを表現します。…という事は、作り物に近過ぎてもいけませんが、遠く離れ過ぎても印象がぼやけてしまいます。

またその後に大小前近くまで右回りをするので、やはり前に出過ぎると円が大きくなって、回る時間が足りなくなります。

舞台を思い浮かべながらそれらの要素をじっくり考えていると、自ずから左足をかけて振り返るべき位置が見えてくる気がします。

こういった作業を舞台全体、最初から最後まで細かく区切って行います。

更にそれらを繰り返し稽古することで身に付けて、何も考えずに無意識で出来るまでにするのが、私にとっての最終目的地なのです。つまり…

・型付通りやってはいるが深い考察が足りていないのが第一段階。

・色々考えた事を「こういう風にやろう」と思いながら稽古するのが第二段階。

・稽古した型や謡が自然に出せて、見所から観ると何も特別な事は考えていないように見える状態が最終段階。

だと私は考えます。

五雲会の本番まで後二週間足らず。

これから「半蔀」の世界により深く潜って考察して、当日の舞台までにそれらを型や謡に練り上げていきたいと思います。

若手OBOGの稽古

今から6〜7年前に、関西に住む京大宝生会若手OBOGが集まって、澤風会稽古とは別の稽古を月に1回していました。

「能楽の会」という名前で京都市内の青少年活動センターを借りての稽古で、この稽古から澤風会5周年の能「夜討曽我」と半能「藤」や、沢山の舞囃子、仕舞、素謡が生まれたのでした。

その後、中心メンバーがドイツや英国や宮崎や福井、金沢、関東地方などに散らばってしまい、「能楽の会」を私が稽古することは久しく途絶えていました。

今日はその「能楽の会」名義の稽古が、久しぶりに伏見区青少年活動センターにて行われました。

以前のメンバー数人に加えて、この春卒業した新OBOG3人と、英国留学から帰国して大阪に居を構えたOBなど、20〜30代の総勢8人が集まりました。

謡は「自然居士」と「鉄輪」の二番を鸚鵡返し。あとは各人の仕舞をみっちり稽古しました。流石に皆、一を聞いて十を知る歴戦の勇士達なので、ハイレベルな稽古が出来ました。

この世代のOBOGがまた増えてくれて、しかも熱心に稽古してくれるのは、現役にとっても大変有り難いことです。

出来れば以前のように、月1回定期的に「能楽の会」稽古をしていきたいと思っています。

そしてまたこの「新生能楽の会」から、能や舞囃子が沢山出てくれることを願っています。