京大宝生会竹生島能合宿

昨日に続いて朝から酷暑の中、我々京大宝生会は琵琶湖での「竹生島能合宿」へと出発しました。

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朝9時から京大BOXで一度「竹生島」を稽古してから、地下鉄東西線の東山駅へ。

「竹生島」のワキ、延喜帝の臣下と同じ道(電車ですが)を辿って鳰の浦に向かったのです。

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昔の湖岸線があったという膳所(ぜぜ)の「義仲寺」に先ず参詣しました。

このお寺のすぐ前から、ワキはシテの釣舟に乗り込んで竹生島を目指したはずです。

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お寺の方の親切な説明が有り難く、しかし容赦なく降り注ぐ強烈な日差しにフラフラになりながら、木曽義仲公と松尾芭蕉翁のお墓にお参りしました。

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そして流石に釣舟は無理なので、JRで琵琶湖を横目に見つつ湖西を北上しました。

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宿は「近江高島」という駅にあり、歩いてすぐに琵琶湖の湖岸に出ます。

今回の大きな目標の一つに、「琵琶湖に向けて能竹生島を奉納する」というのがありました。

かつて葛城山頂で能「葛城」を、熊野川土手で熊野本宮に向けて能「巻絹」を奉納した京大宝生会です。

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良い場所は無いかと探した結果、下の場所を見つけました。

錆びた階段が湖に延びている辺りが、景色も良く広さも手頃です。

しかしその時すぐには「竹生島」を始めませんでした。

「竹生島」の後半は”夜”が舞台です。

一度宿に戻り、夜を待って我々は再び湖岸へと向かいました。

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暗闇かと思いきや、大きな月が天頂近くに皓々と輝いて、くっきりと影が出来る明るさです。

「月海上に浮かんでは 兎も波を走るか…」

「月に輝く乙女のたもと…」

「月澄み渡る 海づらに…」

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前には夜の琵琶湖、天には皓々たる月。

その中で「竹生島」を謡い、舞う人達を見ていると、私は非常な感動を覚えました。

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去年の「経政能合宿」に続いて、今年もとても心に残る能合宿になりました。

竹生島を奉納した湖岸から見上げた月です。

晩夏の青森港にて

昨日の岡山吉備津神社から、今日は新幹線で本州を縦断しての青森稽古でした。

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カラッとして涼しい青森を期待して夕方に青森駅に降りたのですが、意外にも湿度が高い空気でした。

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いつもの宿のフロントで、

「もっと涼しいかと思ったら、そうでもないですね…」と聞いてみると、

「今年は変な天気で、梅雨からずっとジメジメしているのですよ」と言われました。

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そんな空気の中で、駅のすぐ前の青森港に行ってみました。

思えば今年の夏は”海”をしみじみと見ていない気がしたのです。

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すると港の入り口にこんな看板が。

え、青森港にビーチが出来たのかな?

と驚いたのですが、実はこれは「これから素敵なビーチを作ろう」というアイデア募集のような内容でした。。

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桟橋の上に行くと、港が一望出来ます。

右端にはアスパム、左手のクルーズ埠頭にはどこかの国の豪華客船が停泊していました。

大きな客船で異国を旅してみたいものです。

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こちらは下北半島方面。

一番遠くまで海が広がっています。

港内は風も穏やか、ベタ凪状態です。

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八甲田丸と北海道方面です。

雲がとても綺麗でした。

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日暮れ間近で辺りには人も少なく、10分ほど微風に吹かれて何も考えずにベタ凪の海を眺めました。

たまにカモメが飛んでいくだけで、あとはゆっくり雲が動くだけの時間でした。

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アスパム上空の雲が、なんとなく”龍”に見えてきたので撮影してみました。

右から左へと飛んでいるイメージなのですが…。

静かな海は”琵琶湖”のようにも見えて、この11月に京大宝生会が出す能「竹生島」に向けて、何か吉兆だと良いな…と思いながら、稽古に向けて青森港を後にいたしました。

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今年の夏の”海”の思い出は、どうやら今日の青森港になりそうです。

吉備路自転車道を歩く

今日は岡山吉備津神社の子供能楽教室に行って参りました。

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その稽古の様子を書こうと思っていたのですが、夕方稽古を終えて吉備津神社を出たところでこんな看板に出会いました。

吉備路自転車道…!

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実はこのサイクリングロードこそ、私が高校の修学旅行委員の時に「桃太郎伝説と吉備路巡りコース」というツアーコースを企画したきっかけになった道だったのです。

そういえば確かに吉備津神社のすぐ前を通っていたのでした。

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折りよく、次の電車までは30分程の時間があります。

吉備津駅のひとつ隣の「備前一宮駅」まで、この懐かしい「吉備路自転車道」を歩いてみようかと思い立ちました。

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“自転車道”と言っても、軽自動車くらい通れそうなごく普通の舗装路です。

それが田園風景の中をくねくねと続いていきます。

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途中「はなぐり塚」という牛の鼻輪を供養する塚など、確かにかつて修学旅行で通った筈の名所旧跡を何ヶ所か通過しました。

全く見た記憶は残っていないのですが、名前だけでとても懐かしい気持ちになります。

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そしてしばらくの間てくてくと気持ち良く歩いていたのですが、途中でふと気がつきました。

「隣の駅まで、実は結構遠いのでは…💧」

電車の時間まであと10分程しか無いのに、辺りは見渡す限りの田園風景です。

次の電車を逃すと、また30分以上待たなければなりません。

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ペースをやや上げて「備前一宮」駅を目指すのですが、一向にそれらしい建物が見えて来ません。

「そもそも駅が小さ過ぎて、見逃してしまったのではないか…」

という恐怖も頭をよぎります。。

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ようやくホームらしいものを遠くに発見した時には、電車到着まで3分。

小走りで駅を目指します。

結局昨日の秋葉原〜水道橋よりも更に物凄い量の汗をかいてしまいました💦💦

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ようやく「備前一宮」に到着。

ホームは直射日光で炙られているので、皆さん外で電車を待っています。

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ふと駅舎の横を見ると、レンタサイクル屋さんが。

そういえば、修学旅行の時には「備前一宮」でレンタサイクルを借りたような記憶があります。

もしかしてこの店だったかも…。

とまた懐かしい気持ちになりました。

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そして遠くに”ガタゴト…”と電車の音が聞こえてきます。

ホームに上がると、2両編成の「桃太郎線」がちょうど到着するところでした。

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結果的に30分フルに夏の自転車道を早足で歩いて、汗だくになりました。

しかし昨日の秋葉原〜水道橋と違って、何か高校時代の夏休みを駆け足で満喫したような、爽快な疲れを感じて電車に乗り込んだのでした。

新しい「ダナー」

昨日は仕事が一段落して、午後から時間が空きました。

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かねてより”靴”を新しくしたいと思っていたので、街に買い物に出ることにしました。

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私はもう30年近く、アメリカの「ダナー社」というメーカーの靴を履いています。

元々はアメリカの木こりが履く為に作られたという無骨な靴で、特に靴底が「ビブラムソール」という登山靴にもなる頑丈なものなのです。

京大農学部林学科の頃にこのメーカーを知り、以来ずっと好んで履き続けています。

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前回は3年程前に、ドイツのブレーメン公演に行く直前にやはり「ダナー」の靴を買いました。

それから3年間、その靴を履いて北は北海道から南は九州まで、そしてドイツまでも共に旅をして来ました。

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その前の「ダナー」とは、イスラエルや韓国やアメリカにも行って来ました。

もっと以前の「ダナー」の時には、上高地の河童橋から今は無い岳沢ヒュッテまで山登りもしました。

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そして今回。

北千住の靴店で「ダナー」を探しました。

時代の流れか、昔ほど無骨な外観ではなくなっていましたが、やはり「ビブラムソール」の頑丈そうな茶色の靴を買いました。

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今日は早速足慣らしに長めの距離を歩いてみました。

やはり「ダナー」は私の足に合っているらしく、ずっと前から履いていたかのようにすんなりと足に馴染んで、飛ぶように歩けます。

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「新しい靴は、素敵な場所に連れて行ってくれる」という素敵な言葉を誰から聞いたのだったか。

おそらく10代目くらいになるこの新しい「ダナー」を履いて、これからまた様々な素敵な場所に行ってみたいと思います。

夜の朝顔市散歩

私は最近よく、上野駅から三ノ輪の自宅まで歩いて帰るようにしています。

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昨夜も横浜での「京大宝生OB会全国大会」に顔を出した帰りに、酔い覚ましも兼ねて上野からブラブラ歩くことにしました。

時刻は21時過ぎ。

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10分ほど歩くともう日比谷線「入谷」駅が近づいて来ます。

昨日はその辺りで向かいから「朝顔」の鉢植えをぶら下げた人達が何人も歩いて来ました。

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ああそうか、「入谷の朝顔市」が今頃だったな、と思い出しました。

内弟子の頃には、先々代家元の奥様が毎年朝顔市にいらして鉢植えを買ってこられたものです。

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しかし実は私自身はその「朝顔市」に行ったことはありませんでした。

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「21時半近いし、もう終わっている頃かな…」

と思いながら歩いて行くと、前方の”言問通り”の辺りが何やら煌びやかに輝いて、大変華やかな雰囲気です。

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能「隅田川」にも出て来る、在原業平の「名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 我が思ふ人は ありや無しやと」という和歌を由来とする”言問通り”。

その言問通りの”入谷の鬼子母神前”辺りが、朝顔市の会場になっていたのでした。

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21時半近くでもまだまだ大勢の人が行き交い、中には浴衣姿もちらほら。

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歩道から三段にわたって、朝顔の鉢が無数に並んでいる様は実に壮観でした。

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朝顔の価格表。

“夕顔”はちょっと高級品なのですね。

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そして”言問通り”を挟んで向かいの北側の歩道には、私の大好きな「夜店」が立っていたのです。

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大きな焼きとうもろこしに…

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串焼き。お姉さんは焼きながら何かの串焼きをモグモグ食べていました。

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お好み焼き。

シャッターチャンスを逃したのですが、男の子が”かけ放題”のマヨネーズを嬉しそうにグネグネかけているのが印象的でした。

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他にも懐かしいスマートボールなどなど。

私はこれが結構得意だったのですが、昨日は景品がアイドルの写真のようだったので遠慮しておきました。。

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結局朝顔は買わず夜店も冷やかしただけでしたが、思わぬ江戸情緒に触れることが出来て大満足でした。

いつか朝顔を買って、小学校の夏休みのように育てるのも良いかも、と思いながら、三ノ輪への帰途についたのです。

塩竈の鳥瞰図

今日は仙台稽古でした。

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稽古場に到着すると、会員さんが鞄から何やら紙を取り出して見せてくださいました。

それは、昭和初期の仙台周辺を描いた古い「鳥瞰図」のコピーでした。

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そして、その鳥瞰図のうちの1枚に「鹽竈神社(しおがまじんじゃ)」と「松島」が描いてあったのです。

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昨年9月の「みちのくの千賀の塩釜」というブログで私は、現在の鹽竈神社から見える景色はそれほど絶景では無かった、と書きました。

それを読んだ会員さんが、「昔の鹽竈神社からは、おそらく松島までが見渡せて絶景だったはず」と、この鳥瞰図をわざわざ探してくださったという訳なのです。

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中央やや左下の丘の上に「鹽竈神社」があり、上部中央から左にかけて「松島」に連なる島々が描かれています。

そして鹽竈神社の背後はすぐ海で、景色を遮ぎる建物などは何もありません。

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塩竈港周辺が埋め立てられる前は、鹽竈神社から見える海の眺望は、確かに現在とは比較にならないほど素晴らしいものだったでしょう。

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更に中世まで時代を遡ると、塩竈の海岸には塩田の風景が広がっていたはずです。

そしてそこでは海水を煮詰めるための煙が絶えず立ち上っていました。

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海水の青、島々の緑、塩煙の白が一体となって織りなす景色は、まさに「絶景」と言えるものだったに違いありません。

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数々の歌に詠まれた「千賀の塩釜」の本当の姿を、1枚の鳥瞰図で少しだけ想像出来た気がして嬉しく思いました。

鳥瞰図を探してくださった会員さんに感謝いたします。

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今度はこの知識を持って、是非もう一度「鹽竈神社」に行ってみたいと思います。

「演歌の似合うねぶた」その後…

昨日は松本から青森に移動しての稽古でした。

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夕方青森に到着すると、まだ稽古開始までは1時間半ほど時間があります。

私はすぐに観光物産館アスパムに向かいました。

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正確にはアスパムの麓にある「ねぶた小屋」を目指したのです。

三角の巨大な建物が”アスパム”、その左下にあるクリーム色の倉庫のような建物が「ねぶた小屋」です。

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5月末の青森稽古の時に、夜遅くに演歌を流しながら作業している「ねぶた小屋」を見つけて、その後の様子が気になっていたのです。

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早速その小屋に行ってみました。

小屋は閉まっていましたが、隙間が開いており、中では作業が進められているようです。

「すみません、ちょっと見学させていただいてもよろしいでしょうか?」と中に声をかけると、幸いにも「いいですよ」とのご返事が。

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中にはかなり製作の進んだ「ねぶた」が並んでいました。

これは”七福神”でしょうか。

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龍の頭のようなものや…

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何だかわかりませんが大きな物が…。

製作途中でも圧倒的な迫力を感じます。

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そして今回私が何より気になっていたのが、「今日も演歌が流れているだろうか?」ということでした。

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…しかし結果的には、なんと演歌ではなく普通にラジオが流れていたのです。

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何となく少しだけ残念に思った私は、稽古を終えた深夜に再びねぶた小屋を訪ねてみました。

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やはりあの小屋には明かりが灯っています。夜遅くまで作業されているようです。

そして近寄って耳をすますと…

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なんと今度はヒーリング音楽が聴こえてきたのでした。。

演歌は前回たまたま流れていた、ということのようです。

ようやくスッキリしました。

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今回は他にも明かりのついた小屋がいくつかあり、ねぶた祭本番をひと月後に控えて製作作業も佳境に入っているようです。

テントに映る「ねぶた」のシルエットが綺麗でした。

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今年もねぶた祭本番は観られそうにありませんが、祭の成功を祈りつつ。

ねぶたには演歌が似合う

昨日は”肌寒い”青森の様子をブログに書いてから、夜に青森稽古をしました。

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終わってから1人で遅い晩御飯を「鯖の棒寿司」が大変美味しい居酒屋さんで済ませると、時計は23時半になっていました。

雨はすっかり上がっています。

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「そう言えば、”ねぶた”はこんな時間でも作っているのだろうか…」

とふと考えました。

以前にねぶた祭のホームページを見た時に、「5月半ばから”ねぶた小屋”での制作が始まり、最後は徹夜の連続で完成させる」

と書いてあったのを思い出したのです。

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まだ追い込み期では無いと思われますが、ひとつくらいは作っている団体があるかもしれません。

駄目元で、ねぶた制作が行われているアスパム前広場に足を向けてみたのです。

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アスパム前広場には、今年も高さ7〜8mはあろうかという巨大な”ねぶた小屋”がズラリと建ち並んでいました。

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そしてそのうちの4〜5箇所の小屋の前には車が止められており、中には明かりが灯っていたのです。

やはり深夜でも”ねぶた制作”は行われていたのだと、しみじみ感動しました。

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小屋の入り口は閉じられており、中をみることは叶いませんでした。

しかし、ある小屋の前を通りかかった時、中から結構な大音量で「演歌」が聴こえて来たのです。

さすがに曲目はわかりませんが、石川さゆり風の女性演歌歌手の声でした。

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小屋の中で捩り鉢巻きの渋い男達が、演歌をバックに徹夜でねぶた制作をしている有様が思い浮かびました。

「ねぶた制作」、「徹夜」、「演歌」。

この取り合わせは実にしっくり来るなぁと、またもやしみじみと感動してしまったのでした。

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「ねぶた」の語源は「眠たい」の方言という説があるそうです。

夜を徹しての制作作業はそれこそ「ねぶたい」こともあると思われます。

その眠気を演歌を聴いて振り払い、8月初めの本番を目指して制作を続けていくのでしょう。

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演歌の流れていたねぶた小屋の場所は覚えたので、どんなねぶたが制作されていたのか、また来月以降の稽古で是非確認したいと思います。

今シーズン最後の”肌寒さ”

今日は青森稽古でした。

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いつも青森に行くと何かしら面白い物事に出会うので、今回も淡く期待しながら新青森駅に降り立ちました。

やはり東京よりもかなり涼しい気温です。

湿気があり、ちょっと北国の冬の記憶が蘇るような空気感でした。

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新青森から普通電車に乗り換えて青森に向かうのですが、普通電車の中はなんと暖房がついていました。

そして乗り込んだ後にドアを閉めるボタンを押し忘れた人がいると、車内の人がすかさず「寒いじゃないまったく…」

という顔でボタンを押してドアを閉めていました。

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駅にはもう「ねぶた祭」のポスターが貼ってあり、「ちょっと早いけど”ねぶた作り”を覗きに行こうかな…」

と思って青森駅に到着しました。

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しかし外に出ると、どんよりした空から冷たい小雨が降っていたのです。

どうりで湿気があるはずです。

傘を持って来なかったので、ねぶた製作所のあるアスパムの麓まで歩くのはちょっと厳しそうです。。

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青森港前の広場に何か花でも咲いていないかと、雨を避けるように早足で行ってみました。

でも今回は花にも縁が無かったようで、広場は緑一色でした。

写真は「ヒメリンゴ」です。

花はすっかり終わり、よく見ると小さな実が出来かかっていました。

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宿に入ると部屋にはやはり暖房がついており、信じられないことに私はそれを「有り難いなぁ…」

としみじみ思ってしまったのです。

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先週末からの猛暑に参っていたのが嘘のようです。

ねぶたや花には出会えませんでしたが、おそらく今シーズン最後であろう「肌寒さ」を、今回の青森稽古で味わって帰ろうと思います。

緑の木曽路

土日の薪能が終わって、今日からしばらくは通常の澤風会稽古が続きます。

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今日は早朝に京都に移動して大山崎稽古、その後午後に松本に移動しての稽古でした。

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大山崎から普通電車で京都へ。そして新幹線で名古屋に行き、最後に特急しなのに乗り換えて松本に向かいます。

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雨が近づいて空には雲がかかっていますが、その天気の中でも車窓から見える新緑が実に綺麗でした。

瑞々しい新芽の薄緑、常緑樹の濃い緑、杉や檜の深緑…

毎年5月頃の山の景色を見ると、同じ”緑色”にこれほどまでたくさんの種類があるという事を思い出します。

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走っている特急からは、やはり上手く撮れませんでした。。

しかし実際にはこの百倍も鮮やかな初夏の彩りだったのです。

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慌ただしかった週末を終えて、木曽路の緑にちょっと癒された月曜日の電車移動でした。